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赤い城

城址公園だが堀底道も (2021/12/26 訪問)

城址公園になっていて広い駐車場があります。
登城口には説明板があり、整備された登城路に続きます。
途中右手に堀のような部分を発見。
やはり堀、もちろん堀底道を進むことにしました。
冬のみかもしれませんね。
進んでいくとだんだん深くなり、橋がある辺りが最も深い感じです。
主郭部分が公園で虎口や堀も整備されて残ります。
主郭からは北浦も綺麗に望めます。
北浦周辺は漁業権の争いもあったらしく小競り合いも多くあったエリアだそうです。
ここの城主であった津賀氏も南方山十三館の仕置に遭ったとされています。

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小城小次郎

近世台場と近代要塞がひとつになった (2021/09/19 訪問)

江戸時代に陸から切り離された島の上に幕府の命で鳥取藩が台場を築き、明治になって砲台となり由良要塞群のひとつとして昭和まで存続した。近世台場と近代要塞がひとつになった、ちょっと珍しい光景が広がる。

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新ろくべえ

土浦城に行ってきました! (2021/12/26 訪問)

茨城県土浦市にある、続日本百名城の土浦城に行ってきました。
ここは、室町時代(1333年~1573年?)の後期に若泉氏が築城したといわれています。
そして戦国時代は小田氏、結城秀康、江戸時代に入ると、
松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平氏、土屋氏と譜代大名が治め、土屋氏の時には
9万5千石と、常陸国水戸藩に次いで、大きな領を治め、関八州の防衛にも使われました。
この土浦城は、輪郭式(本丸を中心に、渦巻き状に曲輪を配置する方法)でなわばりが張られており、
本丸には天守がなく、代わりに櫓門、東櫓、西櫓、霞門で四方を固めていて、現在そのうちの
櫓門が残り、東、西、両櫓が復元されており、東櫓は内部が公開されています。
今は亀城公園となっています。その近くには土浦市立博物館があるので、
そこも見てみるといいと思います。(あくまで個人の感想です)

〔城情報〕
・築城分類     ❘平城
・築城年代     ❘室町時代後期(平安時代とも)
・廃城年代     ❘1869年(廃藩置県によって)
・最後の城主    ❘土屋挙直(1868年~1869年)
・主な遺構     ❘堀(存)、土塁(存)、本丸土塀(復)  (存=現存、複=復元)
・主な建造物    ❘東櫓(複)、西櫓(複)、櫓門(存)、二の丸門(存)(旧前川口門)
・天守       ❘無
・説明版、石碑   ❘両有り
・駐車場      ❘土浦市立博物館第二駐車場OK(第一駐車場はNG)

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カズサン

赤穂城探訪・二の丸庭園周辺編 (2011/07/15 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬赤穂城を訪れ二の丸庭園がもしかして見れるかなとの淡い期待も有りましたが内部公開はしてなく復元整備継続中、周辺の各門、狭間の入った白漆喰土塀、二の丸復元石塁、櫓台を観察見学しました。
 資料は歴史博物館入館時にゲットしました。
 公開されて探訪できる時を待って居ます。

 続きは水手門と米蔵。

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カズサン

赤穂城探訪・大手門周辺編 (2011/07/15 訪問)

 赤穂城の顔として昭和30年復元整備よりドンと構えてる三の丸大手門と東北隅櫓周辺を10年前の平成23年7月中旬探訪写真投稿致します。
 赤穂城は忠臣蔵で有名で正保2年(1645年)常陸国笠間から入封した浅野長直が甲州流軍学、山鹿流軍学により縄張し、千種川扇状地海岸に本丸、二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸は悌郭式として出隅櫓台、枡形、横矢屛風折れ石垣を多用して築城に13年余を費やす。
 浅野家は3代で終り、永井家、森家と続き明治を迎える。
 明治以降民間に払い下げられ赤穂中学(赤穂高校)が城内に竣工、昭和27年に都市公園の計画決定し昭和30年の大手門、隅櫓の復元から発掘調査復元整備と進められ勘九郎が大石内蔵助を演じた大河ドラマ放映の前には本丸整備、本丸櫓門が完成し大河ドラマに使われ、二の丸庭園復元整備と現在も続いて居ります。

 赤穂城は城内に高校が在る頃、昭和40年代が初登城で時々寄って約40年経ちました平成23年7月中旬、三の丸大手門周辺を探訪観察、新しく大手内桝形石垣が出来上がり櫓門跡の前には番所小屋が休憩室代わりに新しく建って居ました、大手門、大手橋、東北隅櫓、内側と外側の石垣、外濠北面、東面、三の丸東隅櫓台を探訪。

 続きは二の丸庭園周り。

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bono

井伊谷城

大河ドラマになっただけあり、色んなところが整備されています。道は舗装されていて、手すりもあります。ただ、雨の日や雨の日の翌日は、道がかなり滑りやすくて要注意です。また、めちゃくちゃでかいカタツムリも出ます。小さいのもたくさんいて、潰さないように歩くのが大変です。あと山頂?まで結構歩くので、サンダルはやめておいた方がいいかもです。

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bono

伊賀上野城

名古屋方面から奈良へ行く時、車窓から見かけているばかりで、なかなか行く機会が持てず、今年は寅年ということもあり、城初めに選びました。
城内、お城の近くには桜の木がたくさん植わっていて、春はきっと美しい景色が観られるだろうなと想像しながら拝見させていただきました。石垣は見応えあって、かなり立派なお城だったんだなと思いました。
天守ですが、渋沢栄一とも交流のあった、川崎克という方が、私財を使って建てたそうです。コンクリートで作ることも提案されたそうですが、木造で!と推したそうで、すごい人がいたんだな…と思いながら天守内を拝見しました。冬の間は雪が心配なので、今度は温かい季節に訪れたいです。

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北風の又三郎

2022年

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
これからもお城の知識を増やし、楽しんで城廻りをするので皆さんも応援して📣ください。
#新年 #2022

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北風の又三郎

やっぱりいいね (2021/12/19 訪問)

何回も来たことがあるおなじみの岐阜城。今回はロープウェイで上りました。上に上ると雪が降っていました。さて、ロープウェイで上って10分ぐらい歩いたら天守閣があります。途中は発掘をしている所や堀、石垣があります。そして、天守閣が見えました。天守は昭和時代にできた鉄筋コンクリートの模擬復元です。本丸付近には信長の権力を示す巨石が置いてあります。天守の中は「岐阜」の名前の由来や構造が展示してある資料館になっており、景色がいいです。晴れている時は名古屋まで見えます。そして、信長や道三が見たであろう景色を見ることができます。そして帰りはロープウェイで帰りました。ついでに河原町にも寄りました。河原町は昔ながらの街並みが残っており、楽しみながら歩きました。
長文おつきありがとうございました。
#ロープウェイ #天守閣 #石垣 #巨石 #堀 #織田信長 #斉藤道三 

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北風の又三郎

年末は休業😭 (2021/12/31 訪問)

年末に行ったので休業していて本丸は開いていませんでした。また、スタンプも押せませんでした。しかし、5メートルはある堀がはっきり見えました。資料館があるみたいなので、今度は行きたいです。年末年始は注意!
#休業 #堀 #中世 #復元 #スタンプ押してない #日本100名城

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カズサン

赤穂城探訪・本丸石塁と内濠編 (2011/07/15 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、本丸門、天守台、本丸庭園、地表平面本丸御殿、本丸内部を探訪の後、天守台からの眺め、厩口門から二の丸に入り本丸の石塁、櫓台、厩口門、続き橋、本丸東北隅櫓、内濠、刎橋門、南横矢枡形台、西側の横矢屛風折れ石垣を内濠越しに眺める、出隅の南横矢枡形石垣台は本丸内部で最大で特に目を引きます。
 復元整備の大変なご努力を感じ只々有難い。

 続きは三の丸大手門と周辺。

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カズサン

赤穂城探訪・本丸門と天守台編 (2011/07/15 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、京都での用事を終えて早朝から赤穂城へ、二の丸庭園の整備進捗状況ともしかして見学できるかなとの淡い期待で寄りました。
 車は歴史博物館の東駐車場を利用。

 淡い期待は砕け二の丸庭園はまだまだ整備中で公開されてませんが周囲の白漆喰土塀、各門が完成して居りました、令和4年1月現在いまだ見学して居ません。

 よって時間も有り本丸、二の丸、三の丸ぐるっと探訪見学をする事に致しました。
 
 探訪ルート:東駐車場⇒清水門⇒二の丸外濠⇒二の丸門⇒二の丸⇒本丸門⇒本丸庭園⇒天守台⇒本丸内部⇒厩口門⇒内濠、本丸城塁⇒二の丸庭園白漆喰土塀外側⇒二の丸内部、米蔵、花見広場⇒水手門、船着き場、周辺の石塁⇒二の丸石塁外側、南、西側⇒三の丸石塁外側、西側⇒西櫓台、塩屋門⇒三の丸内部、大石神社、藩士邸宅跡⇒三の丸大手門周辺⇒歴史博物館⇒二の丸石塁外側、舟入、潮見櫓台⇒歴史博物館東駐車場と廻りました約3時間。真夏の暑い中疲れの中満足の探訪でした。

 復元本丸門と天守台編は本丸門の枡形を二の丸側から、桝形内部、本丸内部から、本丸石塁の裏土塁、天守台、登った写真を投稿します。

 続きは本丸石塁と周囲編

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todo94

献血前の宇都宮市の城めぐり③ (2021/11/21 訪問)

ほんの僅かな高低差があるその台上が城址かと思い少々散策したところ、民家の庭に「ひさごの城」と彫られた城址碑を発見することが出来ました。この僅かな高台の形がひょうたんの形になっているようですね。

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todo94

献血前の宇都宮市の城めぐり② (2021/11/21 訪問)

此処は城址碑のみの城ですよね。ピカピカの黒御影石で出来た城址碑が逆光になっていてとても撮影が難しかったです。裏面が説明板になっていてこちらは撮影しやすかったのですが。

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今年の正月3が日目の訪問地は姫路城 (2022/01/03 訪問)

今日は、世界遺産の姫路城へ行ってきました。
にのまるさん、松山城クイズの答えはすべて大正解です。
さすがデスネ。
そこで、松山城の補足ですが、本丸井戸のある本丸台地は谷を埋めて細長い姿にしたものだったのです。
本丸井戸の深さは、約44.2mもあるのですが当時の技術では掘ることなど出来なかったのです。
今の井戸のある遥か下は谷底で泉があったのです。
谷を埋めるのと平行して、谷底の泉を石垣で囲みながら積み上げて造ったものだったのです。
このようにして、本丸井戸とあの細長い南北の台地が出来上がったのです。
これを私が知った時、驚きで震えが止まりませんでした。
また、二の丸庭園には大井戸も有ります。
松山は、山地に囲まれた位置にあり降雨量が極めて少ない地域なので、水の確保は欠かせませんでした。
歴史学だけではなく考古学、地質学、地形学、気象学などの知識もお城を研究する上で必要だと今更ながらに痛感しております。
さて。姫路城はと言うと
今日も姫路城天守に登って来ました。
今日は何を見たかったかと言うと、回り縁の痕跡などです。
姫路城は、外から見ると回り縁も高欄も全くありません。
しかしながら、天守閣の最上階に回り縁の痕跡たるものがあったのです。
最上階には、登り階段と下り階段が有ります。
その外側にぐるーと回れる廊下みたいなものが有ります。
今は一周出来ませんが、確かに有ります。
これが回り縁を造ろうとした痕跡なのです。
姫路城が造られた頃は、近世城郭に移ろうとしていた時で
回り縁がもはや必要では無くなっていたのですね。
私、今週末から一乗谷城等の朝倉氏の山城の講演会、国指定となった飯盛城の全貌の講演会、岐阜関ヶ原歴史博物館1周年記念の講演会、一昨年発見され発掘調査後埋め戻しされた京都新城の調査報告会と講演会に行く予定です。


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にのまる

猿さんの松山城クイズに挑戦

①隠門
「おーっ、あそこに建物が見えるぞ、突き進めー!」
「待った!ここは右にしか行けないぞ。まわれー右!」
「門が見えた!でも扉がない。これは怪しい……」
「かまわん、突き進めー!」
「出たー!下からは見えなかったでかい門だー!」
「気をつけろ、上をよく見るんだ。狙われるぞ!」
「御意!」
「危ない!」
「うわっ……、うぐっ……」
「右だ!」
「後ろだ!」
「こんなところに扉が……遅かったか……」
 ↑という攻め手の場面を想定しての門。

②井戸
本丸井戸の直径と深さは、現地を訪れた時にいただいたパンフレットをさがしてみたら書いてありました。(写真7)
直径…2メートル
深さ…44.2メートル  

③現存12天守の廻り縁と高欄
現存天守で廻り縁も高欄もあって一周できるのは犬山城と高知城の2城です。
松山城は外には出られませんが夕日がとてもきれいに見えました。

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ヒロケン

国宝 天守及び附櫓・多聞櫓 (2022/01/04 訪問)

城びとフレンドの皆さま、新年、明けましておめでとうございます。ご挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願い致します。

彦根城は琵琶湖の東岸に接した彦根山に築かれた連郭式平山城です。慶長5年の関ヶ原の戦いで武功のあった井伊直政公が、石田三成の佐和山城に入城。直政公が没後、嫡子の直継公が佐和山西方の彦根山に築城したのが、現在の彦根城です。
彦根城は、西国諸大名の抑えとしての重要拠点であるため、築城にあたっては、徳川家康公が近隣の大名に助力を命じ安土城・佐和山城・小谷城などから石垣や建造物が集められ急ピッチで築城が進められましたが、着工から完成までに約20年の歳月を要しています。

現在、特別史跡彦根城として、国宝天守及び附櫓・多聞櫓 国重要文化財5棟が現存し、他石垣・水堀・曲輪が残り、見所満載の城跡です。(*^▽^*)特に、国宝に指定されている唐破風や切妻破風を駆使した天守は他の国宝天守にはない華麗さがあります(*^▽^*)

毎年元旦には、名古屋城に(昨年は浜松城でした)登城していましたが、今年は、金沢に嫁いだ娘が帰省しており、4日の今日が初登城となってしまいました。佐和山城に近年新たな石垣が見つかった(・・?との情報を得て、これは行かなきゃってことで滋賀まで足を運びましたが、画像の通りの大雪で"(-""-)"天守のスタッフのおば様に「佐和山城に行きたいのですが、行けますか?」と聞いたところ、「普段でも行く人は少ないですよ」「この大雪では無理だと思います」との返答"(-""-)"「あそこに見えるのが佐和山城跡ですが、雪が積もってますよね」って言われ諦めました((+_+))近く、雪解けを待ちリベンジしたいと考えています。
(この日大雪で、表門以外からの入城はできず、また、出曲輪の大堀切・登石垣が確認していません)

城びとフレンドの皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

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赤い城

南方山十三館の仕置を逃れた (2021/12/26 訪問)

大宮神社に車を駐めて神社経由で石碑の立つ所まで行けます。
周囲は畑で遺構らしきものは見当たりません。
石碑と神社の間の道路は堀の跡でしょうか。
この道路を少し下って見ると藪の中に入れそうなところが。
進むと竹藪の中に土塁と堀切の跡がありました。
整備されたらさらに遺構も見られそうなんですが。
芹沢氏は大掾氏一族なのですが佐竹氏による南方山十三館の仕置の難を逃れました。
ですが佐竹氏の秋田転封の際には秋田氏に従っています。
その子孫とされる芹沢鴨は新選組初代局長で近くに生家がありました。

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じゅんじん

2022年城始め (2022/01/02 訪問)

登城口から主郭まで20分でした。城郭風展望台からは名古屋のビル群、小牧山城、乗鞍岳、御嶽山など良い景色でした。
駐車場、トイレ完備です。

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イオ

一年の計は…

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、「一年の計は元旦にあり」と申しますが、元旦はとうに過ぎているものの、今年の城めぐりの目標など立ててみました。

1.今年こそ遠征する

コロナ禍もあって2年以上も遠征(一泊以上の城めぐり)できていませんので、今年こそは! 一昨年断念した山陰や信州上田、昨年諦めた遠江、それとも今年の大河ドラマゆかりの鎌倉とか伊豆とか…。

2.麒麟がくる紀行をやり遂げる

数日後には「鎌倉殿の13人」も始まるというのに、今さら何を言ってるんだか…ですが、関東中心となりそうな鎌倉殿紀行はほとんどできないので、「どうする家康」までには終えておきたいな、と。明智光秀ゆかりの城となると細かく見ればかなりの数になりますが、せめて下調べした分だけでも…。

3.お城エキスポに参戦する

年末の横浜は今年も無理そうですが、また滋賀でやってもらえれば今度こそは…。山城サミットも今年は恵那市ということで、日程さえ都合がつけば行けそうです。関ケ原での講演会にも申し込んでいますし、今年はイベントにもいろいろと参加したいものです。

ところで…

にのまるさん、新年は和歌山にいらしてたんですね。拙い投稿ながら、何がしかのお役に立てたのであれば何よりです。…というか、こちらこそいつも参考にさせていただいております。金沢城はブラタモリで観た石垣めぐりに加えて、にのまるさんの足跡をたどれば間違いないでしょうし、江戸城の36見附めぐりは、首都圏に住んでいたら私も挑戦しようとしただろうな…と思いつつも果たせそうにないので、せめてにのまるさんの投稿で楽しませてもらっています(朝田辰兵衛さんの仰るように、出張の合間をみて1~2つずつめぐることにします)。

和歌山は幹線道から外れた不便なところですが、観光で訪れるには悪くないかと思います。食べもの(特に果物と魚)は美味しいですし、温泉も豊富。高野山や熊野は歴史も雰囲気もあります。有名なお城は和歌山城と新宮城くらいですが、高野山・奥の院には武田信玄・勝頼父子の墓所もありますので、またの機会があればぜひ。

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