JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の11城目は八幡山城です。
賤機山城から転戦。八幡神社入口(34.968850、138.400513)から中に入り、三峰神社に駐車しました。
八幡山城は駿河守護・今川範政が駿府館の支城として1411年(応永18年)頃築いた城です。
南朝方の工藤一族をようやく従えた今川範政は、1400年(応永7年)頃駿府に入ったと考えられます。駿府での戦乱はおおよそ半世紀以上に渡ったため、今川範政は周囲に城砦を沢山築きました。
1476年(文明8年)今川義忠の没後に起きた小鹿派と竜王丸派による跡目争いが勃発すると、鎌倉から派遣された太田道灌の軍勢がここに布陣しました。
この内紛劇は今川氏の被官で伊勢新九郎と名乗っていた頃の北条早雲によって解決し、早雲はそのまま城を修築し麓に居館をかまえました。
その後、早雲は内紛の首謀者であった小鹿範満を倒した功により興国寺城を与えられて移りました。以降は再び今川氏の持ち城となります。
今川氏滅亡後は武田氏が進駐するなど、駿河攻防の要所として使用されましたが、1582年(天正10年)徳川家康の関東入封にともない廃城となりました。
境内(駐車場)は17:00に閉鎖するそうです。徒歩であれば時間関係ありませんが、車の方は御注意下さい。
現在城址は「八幡山公園」となっており、曲輪跡や空堀などの遺構を確認することができます。
登城道は迷路ですが、ひたすら上に向かって登れば主曲輪跡にはたどり着けます。
攻城時間は20分くらいでした。
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