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搦手より (2022/01/27 訪問)

 前回は大手から登城しましたので、今回は搦手から登城しました。駐車場から10分弱で三ケ月井戸経由で城域にいくことができます。よく整備されていて歩きやすい。三の丸からは富士山が見えますが、今回は少し雲が多かったためか霞んで見えていました。南を見ると遠州灘を見ることができます。見どころは西の丸方面に多いと思います。西の丸にある堀切の標柱の先にある地境ヶ谷と鹿ヶ谷の間にある尾根道を行くと、明瞭な堀切とそれに続く竪堀をみることができます。井楼曲輪方面に行くと堀切や横堀を見ることができます。
前に来たのは9年前。もうそんなに経ってしまったのかという思いです。そのころから城址は整備されていました。

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カズサン

【周防・毛利邸】山口県防府市 公爵毛利邸の庭園・本邸 (2011/05/06 訪問)

 長府の櫛崎城、勝山御殿、城下町散歩を終えて、本日の宿泊先防府市へ移動し、毛利氏本家旧萩藩主で明治は公爵家の郷里邸宅を目指して訪問、車は表門前の専用駐車場を利用。

 現在、毛利氏邸は国指定名勝・毛利氏庭園/毛利博物館にて一般公開されています。料金は庭園、博物館共通で1000円でした。
 毛利氏邸は明治25年着工、大正5年に完成。 広さは庭園約84,000㎡、本邸約4,000㎡に及び明治、大正の建築・造園技術の粋を尽くしています、平成8年国からの名勝指定、昭和41年明治百年を記念して財団法人設立し毛利家から本邸・庭園、毛利家伝来の家宝を一括寄贈を受け、一般に公開される様に成った。(パンフレット一部抜粋)

 建物、室内内装、掛け軸どれをとっても素晴らしい、庭園は広く回遊式庭園、時期は5月ツツジ咲、藤も咲き、カキツバタ等々目を楽しませてくれます、素晴らしい樹木も植栽され手入れも抜群、大変素晴らしい庭園、邸宅を見させて頂きました。表門も大きく立派で薬医門風、庭園の出は入口には高麗門が備わり、郵便ポストは明治期の木製ポストで現役でした。・・素晴らしい体験をしました。


 

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やなぎぶそん

信玄ミュージアムへ (2022/01/15 訪問)

躑躅ヶ崎館には3回目の登城となりました。今回は信玄ミュージアムと武田神社宝物館を訪れました。

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残雪の鹿伏兎城 城びと先人 ヒロケンさんに感謝 (2021/01/22 訪問)

鈴鹿の関から、奈良街道を5kmほど西へ。まず、鹿伏兎氏菩提所の神福禅寺を目指しました。お寺の前に城の説明板があります。2010年や2012年に訪問された先達の写真からだいぶん劣化が進んでいます。説明板の下の方には、「登山道および城跡は未整備のため通行注意」とあります。登山道は寺の裏から伸びているように描いてありますが、墓場の先はひどく藪化。三重の山城ベスト50を歩く(2012)には、寺の前の関西本線の山側(山裾)を西へ行くと登城口があると書いてあるが、そこもひどく藪化。直登あるのみかと思いましたが、城びと投稿を確認すると、ヒロケンさんが、苦労の後に登山道を見つけたと。おかげさまで、蹄がない小動物の足跡がついた残雪の中、順調に登城できました。
雪が残る石垣、よいですなあ。本郭南の掘り残し土塁は大きいです。
神福禅寺と登城口の間の道沿いにベーグル専門店がありました。地元食材にこだわりと。狭い道の奥の自動販売機で買えました。

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イオ

眺望と倒木 (2022/01/08 訪問)

南北朝期に北朝方の日根野氏が築いたとされ、後に橋本正高らに奪われて南朝方の城となるなど、南北朝攻防の舞台となりました。戦国期には根来衆の拠点となり、その後、一国一城令により廃城となったと考えられます。

粉河街道を見下ろす城ノ山の頂部に曲輪群を配した山城で、東尾根の先の雨山城との間にも城郭遺構が見られることから、一城別郭の城として雨山城と一体的に機能したと考えられ、土丸・雨山城跡として国史跡に指定されています。

雨山城から尾根道を西に進むと、日根荘大木の農村景観を見渡せるあたり(案内板あり)から土丸城を遠望できます。山頂手前の鞍部から登城路をそれて北東の谷部に下りて行くと、階段状に削平地が設けられていますが、これは山麓の土丸集落の住民が戦火や領主の支配を逃れるため「山入り」「山あがり」した際の避難場所とも考えられるようです。

谷部から登城路に戻って急な坂道を登ると主郭東下の曲輪に着きます。曲輪の奥、主郭東辺切岸の下には武者隠しとされる土塁があるにはあるものの、倒木が覆いかぶさっていてほとんど見えません。主郭北辺切岸を眺めながら北の曲輪を経て主郭へ。雨山城と同じく山頂の主郭には龍王社が鎮座し、錆びついた説明板がありました。主郭から西に続く尾根は灌木が密集していて進入路は見当たりませんが、灌木をかき分けて突入し岩盤の斜面の下に曲輪と堀切を発見。枝で目を衝きそうになったり帽子を取られたりしつつも突入した甲斐が(それなりには)ありました。主郭に戻って今度は北西尾根へ。北の曲輪から下って行くと堀切があり、その先にはいくつかの曲輪が連なっています。曲輪のひとつは展望所になっていて180度超の視界が開け、泉南はもとより摂津、淡路までが一望の下です! 南北朝期以降の諸勢力が土丸城(と雨山城)を確保したいと考えた理由(の一端)を実感できました。

土丸城だけでなく、この日訪れた雨山城でも根福寺城でも倒木を多く見掛けましたが、おそらく平成30年9月の台風21号(強風で流されたタンカーが関西空港連絡橋に衝突したあの台風です)によるものと思われます。遮るもののない眺望が土丸城の見どころですが、それだけに台風の風をまともに受けてしまうんでしょうね。ただ、他には眺望と堀切くらいしか見どころのない城なので、せめて武者隠しの倒木だけでも何とかならないものでしょうか…。
 

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todo94

薩摩藩仮家跡(喜界島) (2021/12/27 訪問)

泊をとったホテルの近くで見つけました。大河ドラマ「西郷どん」の奄美大島編で描かれていたような薩摩藩による搾取が、喜界島でも行われていたのでしょう。前日に訪れたサトウキビ畑の中をまっすぐに伸びるシュガーロードの写真も投稿させて頂きます。

仮家跡から徒歩で向かったテーバルバンタは、今なお隆起を続けている喜界島の過去の珊瑚礁の跡を俯瞰できる絶景スポットでした。城とは関係ありませんが、これもついでに投稿させて頂きます。

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赤い城

葛山館 静岡県裾野市 (2022/01/15 訪問)

葛山城の近く、方形の館です。
葛山城の帰りに路駐でサッと見の感じでした。
説明板が立っていて高い土塁が残っています。
土塁、登ってみました。
内側は畑で私有地のようです。
館の近くには半田氏、荻田氏の屋敷もあるそうです。

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小城小次郎

豪快な縄張を堪能できる (2021/10/09 訪問)

かつて藪に覆われていた城域は、訪ねるたびに綺麗になっている。地元の方がこつこつと丁寧に整備を進めて下さっているおかげで、竪堀と横堀を駆使した豪快な縄張と要所に備わる石積みを宝探しのように堪能できる。

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じゅんじん

サイクリングついで (2022/01/09 訪問)

今年初の駿府城。外からのみでした。

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じゅんじん

紀州遠征最後に (2022/01/07 訪問)

7年ぶりに和歌山県の地を踏んで最後に訪れました。駐車場閉鎖まで1時間の中で粉河寺を30分堪能。その後猿岡山城へ。もともとは粉河寺が建てたものだったが秀吉が紀州征伐し秀長家臣の藤堂高虎公のお城になりました。お寺の監視を兼ねてたんですね。

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にのまる

大久保長安陣屋(八王子市小門町) (2021/11/13 訪問)

城びと未登録ですが行っておきたかった。
横山党館・松姫様の信松院とのセット訪問がおすすめです。

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にのまる

里山 (2021/11/07 訪問)

築城時期は1390年頃という伝承があるのだそうです。
16世紀初頭のものと思われる土塁や堀跡を見させていただきました。

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カズサン

幕末石垣技術が残る勝山御殿 (2011/05/06 訪問)

 10年前の平成23年5月上旬、櫛崎城、長府城下町探訪を終えて今回の初登城目的の一つである勝山御殿を目指す、長府城下町からは北方約4km程、本丸西側の整備真新しい駐車場を利用。

 勝山御殿は外国船打ち払いによる四国艦隊との砲撃戦の対処で長府居館を一時覚苑寺に藩主避難するが三方を山に囲まれた田倉地区に文久3年(1863年)6月28日から築城を開始し翌年元治元年(1864年)2月1日には第13代長府藩主毛利元周が長府から移る。
 
 約7ヶ月の短期決戦築城と成りました、本丸は二段で前段が本丸表、政務の中心、奥段が本丸奥、藩主、家族の住まい、本丸の南側に石垣、虎口階段、西側に南西虎口と北西虎口が構える。
 南に二の丸、更に三の丸構えですが二の丸、三の丸には道路が通り遺構が破壊されたか維新までの時間が迫って居り充分な整備が出来なかったのか分かりませんが三の丸の虎口、階段、張出し防塁、南に城塁が残るのみ。

 石垣は綺麗に積まれ切込接ぎの様ですが落し積(交互斜め積)が用いられています、整備は訪問時の前年平成22年(2010年)完成の様子、案内板、説明板が2010年と成って居ました。
 勝山御殿の周りに山城3城紹介登城口案内板が有りましたが私の体力と興味関心点が少し合いませんので眺めるだけで終了。

 長年探訪を願って居た事が叶い大満足でした。

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鈴鹿の関の遺構もあります (2021/01/22 訪問)

東海道の鈴鹿峠を下り、大和街道との交点にあり、鈴鹿の関が置かれた場所です。
天正11年、北伊勢攻めの際に、関氏から秀吉軍が奪取し、三武将が駐屯したと。3つのピークをそれぞれ中心にして3つの郭群があります。一番北側の郭群の本郭南に竪土塁が残り、古代の鈴鹿の関の遺構と。竪土塁の上が散策路になっていて手摺の虎ロープが張られています。なんかもったいない感じ。
登城口は山崎製パンの駐車場奥にあります。斜め右手に進んでいくと低い石垣があり、その手前の道をピンクテープに導かれて登って行きました。郭群に至る直前は、かなりな急斜面でかつ道はウラジロをかき分けた痕。一方、尾根に上がってしまうと、草はなく、南に続く郭群に行くのは容易です。山の南側は、鈴鹿川に削られて急峻です。
街道を挟んで北側の山にも鈴鹿の関の築地跡が発見されています。鈴鹿の関は、街道が通るこの谷を端から端まで塞いだのでしょうから、とても規模が大きいです。

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イオ

一城別郭の城 (2022/01/08 訪問)

南北朝期に楠木氏一族の橋本正高が築いたとされ、北朝方との攻防の舞台となりました。戦国期には根来衆の拠点となり、その後、一国一城令により廃城となりました。

粉河街道を見下ろす雨山の頂部に曲輪群を配した山城で、西尾根の先の土丸城との間にも城郭遺構が見られることから、一城別郭の城として土丸城と一体的に機能したと考えられ、土丸・雨山城跡として国史跡に指定されています。

阪和道の側道沿いに登城口があり、近くの駐車スペースに車を駐めて登城開始。阪和道の高架をくぐり、整備されたハイキングコースを20分ほど登ると伝馬場跡への分岐があったので、そちらに行ってみると曲輪っぽい平坦地が広がり、北西端には東屋が設けられて眺望が開けています。伝馬場跡から数分登ると鳥居があり、鳥居をくぐった先には浅い堀切と土橋がありました。さらに数分で山頂の主郭に到着。雨山はその名の通り雨乞いの山であり、山頂には雨山龍王社と樹齢200年を超えるヤマモモが祀られていました。主郭には遺構は見られませんが、説明板と休憩所が建てられており、休憩所裏手の一段下の曲輪からは泉南の平野部そして関西空港越しに淡路島を、北西に目を向けると大阪湾越しに六甲山を一望できます。主郭の東側には千畳敷と呼ばれる広い曲輪があり、千畳敷から北東にのびる尾根には小曲輪群がある…はずですが、シダに沈んでいました。また、千畳敷南東下の月見亭にはテーブルとベンチがあり、日根荘大木の農村景観を見渡すことができます。千畳敷南下(月見亭から西)にも階段状に小曲輪群が設けられており(こちらもシダの中)、小曲輪群下の井戸は現在も水をたたえています。

岩盤むき出しの南側斜面を抜けて西に進むと土丸城へ続く道と北西尾根から山麓に続く尾根道の分岐があり、主郭の南西斜面から竪土塁状に続く土塁と、周囲の小曲輪群によって北西尾根からの侵攻に備えています。小曲輪群をひと通り見た後は、尾根沿いに土丸城に向かいました。
 

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todo94

平家森(喜界島) (2021/12/26 訪問)

最初に喜界島行きを計画した時は、強風で欠航となってしまいました。この日も強風で鹿児島空港に引き返す可能性があるとアナウンスされていましたが、無事、喜界島に上陸することが出来ました。喜界島の北側を徒歩でぐるっと回り平家上陸之地を経て平家森に到達。砦の遺構のように感じられるスポットでした。上陸の地の近くには七城があるようですが、そちらはスルー。城としてはちょっと怪しい部分があるようですのでまあいいや。

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赤い城

仙年寺裏手の竪堀パラダイス (2022/01/15 訪問)

仙年寺の駐車場に車を駐めて登城。
山門にパンフレットがあるとのことでしたが在庫なし。
気を取り直して登城口から登って行くと右手に竪堀。
さらに登ると主郭東側の二重堀切からの竪堀なのがわかります。
まずは大手側に進むと東曲輪、大手曲輪と展開されています。
主郭方面に戻り西側に進むと途中竪堀が何条か。
西側にも二重堀切がありました。
ここからさらに進むと水の手口になるようです。
主郭下には畝状竪堀も見ることができます。
北条、今川、武田の列強に囲まれた葛山氏の居城。
戦国期には武田氏のものとなった城ですが武田氏滅亡とともに廃城となりました。

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小城小次郎

見どころは天守ではない (2021/10/09 訪問)

崩落寸前の天守に注目が集まりがちなお城なのだがこのお城の真価は「藤田系」とでも総称すべきその縄張にある。行くたびに地味に新しい発見があるお城でもあり、どうしても定点観測をやめられない。

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じゅんじん

城郭寺院 (2022/01/07 訪問)

大塔が大きい。よく残ってます。
大門もです。

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じゅんじん

三大水攻め城達成 (2022/01/07 訪問)

備中高松城、忍城に比べ地味目ですが本堂前に立派な城址碑があります。門前には説明板、敷地隣には小山塚があります。
現存城門は見逃しました(;'∀')

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