松尾山城は、築城年代は定かではありませんが、応永年間に富島氏によって築かれたとされています。戦国期に入ってからは、織田氏との関係が悪化した浅井氏が、樋口氏に命じ松尾山を占拠させ砦を築きましたが、樋口氏は織田方の竹中半兵衛の調略により、織田氏に降り織田氏家臣の不破氏が守備したとされています。
関ヶ原の合戦で、廃城となっていた、松尾山城を石田三成公の要請を受けて伊藤氏が修築し布陣しましたが、小早川秀秋公によって追い払われ、小早川勢が松尾山に陣を布陣したのは周知のとおりです。
松尾山城は、松尾山の山頂にあり関ヶ原を一望でき、関ヶ原の合戦の折、若干19歳の小早川秀秋公が布陣した城として有名ですが、「所詮、急ごしらえの陣城でしょ」とあまり乗り気ではありませんでしたが、登城してびっくり(@_@)単純な陣城ではなく、しっかりと曲輪・土塁・堀切・竪堀などが残り、本格的な山城だといえます(*^▽^*)
なだらかな、登山道を40分程登れば、山頂に辿り着きます。山麓に駐車場も有り、そして何とトイレも山頂に完備されています。何より、関ヶ原が一望でき、関ヶ原の合戦の陣形図があり、西軍の優位性がはっきりと分かります。西軍は鶴翼の陣形で、東軍は車懸の陣形。この西軍の優位性を徳川家康公が分からないはずはなく、やはり、合戦の前から小早川公は調略されていたものと思われます。(想像です)
ただ、登城して思ったのですが、確かに良い山城ですが、小早川勢1万5千の兵が駐屯できるほどの規模ではなく、小早川公の側近1千程が山頂で待機し、残りの兵は山麓、山腹に配置されていたと思われます(想像です)煮え切らない小早川公の陣に家康公は鉄砲を撃ちたてたとありますが、絶対火縄銃では小早川公の陣まで届きません。
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