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Yosihiko

浜松城 (2022/02/06 訪問)

攻城 🏯9城、攻城址4

徳川家康が三方原の合戦に大負けして、浜松城に逃げ帰り門を開けたままにして武田軍にワナだと思いおこさせ、城を死守。

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Yosihiko

長篠城址 (2022/02/06 訪問)

攻城址🏯8城、攻城址4

何も無い。近くに飯田線と第二東名が見えました。

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ばばよ

山城らしさがよく伝わります (2021/04/28 訪問)

八王子駅からバスに乗り、滝山城址下で降りればそれほど迷わずに行けると思います。
まずは加住市民センターで情報収集するとよいでしょう。
空堀や馬出しのダイナミックさがよく伝わります。
十分立派ですが、東西方向(街道と平行)にはかなり広い一方、それと比べて南北方向(街道と垂直)には相対的に小ぶりに見えなくもないです。
関東の中だけで勢力争いをするならまだしも、強大な豊臣勢を相手にするのに北条氏照がより堅固さを求めて八王子城に移った理由が分からなくもないです。
構造的にはだいぶしっかりしてそうに思えますがね。
初めての山城でもあり、写真はいまいちです。

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一言坂の戦い 古戦場 (2022/02/06 訪問)

「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」と謳われた本多忠勝の奮戦で有名な一言坂の合戦の跡地です。石碑と少し離れた場所に案内板がありました。

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城之崎城 (2022/02/06 訪問)

 静岡県西部の磐田市にあります。徳川家康が一時は遠江の拠点として整備しようとしました城址です。しかし、武田方に対して天竜川を背にするため、天竜川の西側の浜松に城を築きました。
現在は城山球場となっています。グランドと本丸の範囲がほぼ一致しているとのことです。周りの盛り土は土塁の痕跡ということですが、よくわかりません。

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小城小次郎

奥平氏の苗字の地なのだ (2021/10/16 訪問)

豊前中津10万石の奥平氏の苗字の地。同じ上州出身ということになっている徳川氏にとってはそういう意味でも家康の実娘を送り込むには相応しい家柄だったのかもとか余計なことを考えるが、城自体は拍子抜けするくらい遺構が薄い。

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カズサン

【三河・大樹寺】愛知県岡崎市 ビスタライン (2011/03/24 訪問)

 大樹寺は松平家・徳川家の菩提寺として名高く、桶狭間の戦いで今川義元が討取られ家康が大高城から大樹寺へ敗走し祖先の墓前で自害を覚悟するが時の住職に「厭離穢土、欣求浄土」の経文で諭され以後この八文字を旗印に戦って行く。深いつながりが有る寺です。

 住所:愛知県岡崎市鴨田町広元5-1  車は大樹寺の駐車場を利用

 案内:以前TV番組で大樹寺本堂、山門、総門のラインから岡崎城を望むビスタラインの放映を受けて是非確認探訪したいと訪ね実感遠望しました、この間には眺望を遮る建物は立てないとの岡崎市民の心意気が約400年近く発揮され、この貴重な景観を今日見る事が出来ます。
 寺院は本堂、鐘楼、多宝塔、山門、総門、松平八代墓所ここは秀忠公が修復再建、昭和44年には岡崎市民が隣接して家康公の墓と碑を建立、家康公の遺命により位牌は大樹寺におさめよと、以後歴代将軍14代まで等身大の位牌を安置して居ます、有料で文化財収蔵庫、位牌堂を拝観できます。

 岡崎城登城の後に大樹寺ご参拝も宜しいかと、岡崎城のビスタライン遠望を兼ねて良い体験が出来ます。

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ぎりょう

雪の多賀城跡と歌枕を探訪 (2022/02/05 訪問)

昨日、東北歴史博物館をセミナー参加で訪問したついでに多賀城跡と付近の「歌枕」の地を訪れました。
多賀城跡は昨年12月の投稿にも記載したとおり、2024年の「創建1300年」にむけて、外郭南門(全面瓦ぶきの入母屋造り2重門)や築地塀の復元工事中です。前日からの雪で足場も悪いため政庁跡の主要部はパスして南門の工事現場と、歌枕として名高い「壺の碑」(多賀城碑)他を散策しました。
多賀城には陸奥国府や鎮守府が置かれたこともあり、都人あこがれの地として古くから歌に詠まれた歌枕の地が多く残されています。
浮島、沖の井(沖の石)、野田の玉川、おもわくの橋、末の松山、壺の碑、志引石(千引石)で、古今集や新古今集、山家集などにみえます。
元禄2年(1689)には西行の足跡を辿り芭蕉が「おくのほそ道」の旅で、天明6年(1786)には菅江真澄が仙台行きの途上でこの地の歌枕を訪れています。
ほとんどが多賀城跡周辺に有りますから城址訪問の際に足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

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todo94

里港の近く (2021/12/29 訪問)

里港、里麓の近くに位置する小規模な丘城でしたが、展望風四阿があって、里港を俯瞰することが出来ました。その四阿の下階には釣鐘が吊り下げられています。

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じゅんじん

公園 (2022/01/15 訪問)

入口から土塁と堀が迎えてくれます。奥にはもっとすごい堀、土塁がありました。曲輪も広いし家族連れでも遊べますね。

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三方ヶ原の戦い (2022/02/05 訪問)

 徳川家康が九死に一生を得た三方ヶ原の合戦の碑がありましたので見に行きました。浜松市のHPによると戦いがあった場所ついては、三方原台地であるということ以外、詳しいことはわかっていないようですが、1984(昭和59)年、「三方原歴史文化保存会有志」の手により、三方原の一角であるこの地に碑が建立されたとのことです。

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赤い城

千本城 千葉県君津市 (2022/02/23 訪問)

国道410号線沿いに小さな案内板があり、細い道を登っていきます。
登城口のところに車を駐めることができます。
登城口から右手に登って行くと岩盤堀切がありますが後に取っておくこととし、北野神社の参道を行きました。
北野神社が主郭でその手前に大きな堀切があります。
北野神社の背後を進むと曲輪が連なってその先が用替地区ですが倒木と藪。
ピンクリボンが付いていてそれに従って進んで行きました。
鉄塔のある曲輪には大きな土塁が付いていました。
その先に尾根道があり、途中まで進んだところで獣の気配。
恐らく猿でしょうが堀切のところで引き返すことにしました。
城内には湿地となっているところもあり、水は豊富にあったと思われます。
最後に念願の岩盤大堀切を見学して退却しました。
恐らく夏はもっと藪がひどく、ヤマビルも出そうなので冬季の登城がお勧めです。

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気賀陣屋 (2022/02/05 訪問)

 気賀関所の関守をしていた近藤氏の陣屋で気賀小学校付近にあったとされています。陣屋の庭に植えられていた椎の木だけが面影を残しています。

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気賀関所 (2022/02/05 訪問)

 東海道三大関所のひとつです。実際にあった場所より西に冠木門(かぶきもん)、本番所、向番所、牢屋、遠見番所、町木戸門などがほぼ当時のままに再現されています。
東海道三大関所とは気賀、今切(新居)、箱根のことだそうです。

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堀川城 (2022/02/05 訪問)

 徳川家康が今川領へ侵攻したときに、三河物語では「徳川勢による撫で斬り」が行われたと記載されている城です。城びと未登録の城址で遺構はありません。
 昔は浜名湖畔にあり干潮時には陸続きですが、満潮時には船を使わないと城へ行けなかったようです。

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佐久城 (2022/02/05 訪問)

 浜名氏の居城で、猪鼻湖に突き出した半島に築かれた城址です。浜名氏は今川氏に属していましたが、徳川氏の遠江進行により滅ぼされました。残っている範囲も狭いのですが、馬出、土橋、空堀など見ごたえのある遺構を見ることができます。城びとには未登録の城址ですが、いい遺構が残っています。
猪鼻湖がきれいに見えるはずでしたが、この日は遠州地方には珍しく雪が舞っていたため今一つでした。

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キンヤ

大円寺に城主野尻氏の石塔が残る城跡 (2022/02/05 訪問)

南北朝時代に築かれ、この地の有力豪族の野尻掃部が城主であったとされます。
今ある大円寺は野尻氏の菩提寺で、城の一部と伝えられます。

境内には野尻氏の墓所があり、石塔が残されていて良かったです。

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しらさぎ

湖城としての遺構よりも・・・ (2020/11/21 訪問)

膳所城の明確な遺構は余り多くはありませんが、本丸の地形から湖城として存在していたことがわかります。
膳所城周辺には、膳所神社をはじめとして多くの移築城門が確認できます。
写真以外にも六長屋門以外にも藩校門や草津市や栗東市に点在しております。

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チェブ

富里市指定文化財 第1号。 (2022/01/03 訪問)

千葉県富里市の「中沢城」の登城口に行きました。
駐車場はありません。「中沢城」の説明板の前に路駐しました。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、登ったはいいが、降りる時しりもちつきそうな勾配。
と、言うことで「中沢城」の登城口で退陣です。

「中沢城」は千葉氏を始祖とする三谷氏が築いたようです。

「中沢城」の説明板に、『富里村史』の刊行に伴って地形測量が実施された、とありました。
『平成19年3月23日 指定』 と説明板の右上に。
もし私が、その日付前に「中沢城」を城攻めしてたら絶対にたどり着かないだろうと思いました。
説明板、感謝です。
この、『富里村史』を読んでみると中沢と言う地名は平安時代から登場するのだそのです。
そして、「中沢城」の周りの熊笹は侵入者が入れば『ガサガサ』と音がする警報アラーム用に、植えたんだとか。
堀や土塁はもちろん、熊笹も「中沢城」を守ってます。

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カズサン

東隅櫓を終えて本丸探訪 (2011/03/24 訪問)

 再建なった東曲輪東隅櫓続土塀を終えて本丸方向へ移動。 ご存知岡崎城は「神君出生の城」、家康公の像、重臣の像と多々有りますが沿革と諸説明は周知の事に付き省きます。城郭自体を観察堪能しました。

 復元大手門を通って丁度カラクリ時計がカラクリ公開時間、からくりタイムまで見て居りました、翁家康公の舞い仕草が披露、立派なカラクリでした。 能楽堂前を通って廊下橋跡、青海堀横を通って本丸虎口、本丸に入り天守閣を撮るが何時もながら前の松の木が邪魔、復元天守閣、天守台石垣、復元井戸櫓、復元付櫓を眺めて、天守閣に登る、各階見応え有りますが岡崎城の立体模型が一番印象に残って居ります。
 
 天守閣を降りてから本丸石垣を眺めるため埋め門虎口、月見櫓脇多聞櫓台を下から眺め、坂谷門、産湯の井戸、外堀代わり?の伊賀川、内堀水堀を水堀南の散策路越しに眺め、乙川沿いにある船着場跡と廻り茶室葵松庵・城南亭でお茶を頂く、日本庭園から天守閣を眺め心地よい一服でした。

 茶室から駐車場の有る多目的広場、旧菅生曲輪駐車場は東に直ぐの近さ、またまた東隅櫓を眺めながら車へ、次は家康公位牌の有る大樹寺へ移動。
 

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