みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

管領細川氏の残照 (2022/03/20 訪問)

城域は、鞍部を挟んで、北曲輪群と南曲輪群とからなります。北曲輪群が先にできたと。南曲輪群には花崗岩巨石がごろごろ。自然の石垣になっています。北曲輪群は一転して岩はなく平坦な曲輪が続きます。
備後、備中の守護は、細川氏であり、本家京兆家の分家 野洲家が鴨山城を築き、備中浅口郡を支配しました。最後は、毛利家軍に組み込まれ、子孫は、府中毛利家の家老を勤めたと。

追伸:小荷駄さん、鹿伏兎城の投稿にて、ヒロケンさんと並んで名を挙げていただき、ありがとうございます。最後の分かれ道の所に、指差しの道標がありますが、左に折れるのではなく、直進のように見えますよね。私も一旦直進しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

九州の桜2022④-小倉城 (2022/03/28 訪問)

小倉城は、丹後宮津の地より39万石で入封した細川忠興が、最初は中津城に入るも、海運の利を生かし小倉勝山の地に1602年築城開始7年後の1609年に完成します。しかし、1632年加藤家改易にともない肥後熊本54万石に加増移封、代わって播磨明石より家康の鬼孫と呼ばれた小笠原忠真が入り、以降幕末まで小笠原家の居城となります。天守は1837年火災で焼失、残りの部分も1866年第二次長州征伐で高杉晋作らの奇襲に混乱し、さらにその最中に徳川家茂が亡くなると、老中でもある藩主小笠原長行が逃亡、主を失った家臣たちも自ら城に火を放ち逃げるという失態を演じて燃えてなくなってしまいました😩。

【小倉城へのアクセス】JR鹿児島本線「西小倉駅」より徒歩5分、「小倉駅」より徒歩15分です。

【余談:小倉城天守外観あなたはどっち?】
現在の天守は、昭和34年観光目的でコンクリートにより再現されたものです。細川時代の城は、白い層塔型に4~5階部分は黒い南蛮造りだったようです(想像図イラスト写真8)。設計者(藤岡通夫)は忠実に再現しようと思っていましたが、資金を出した地元商工会から見栄えをもっとよくしてほしいと要望があり、泣く泣く入母屋破風や千鳥破風や唐破風を追加して現在のようになったそうです。みなさんはどっちがよかったと思いますか?😕 よって築城時からある天守台の上に、実際とは異なった天守が立っているので分類上は「復興天守」となります。私としては、破風があった方が桜にはよく映えますが・・(でも忠実の方がよかったかな?😊)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

実に多彩な顔を持っている (2021/11/14 訪問)

いわゆる皇居ランコースをウォーキングしながらじっくりぐるりと眺めてみると、江戸城が石の城になったり土の城になったり実に多彩な顔を持っていることに改めて気付く。絵になる場所も実に多いお城だ。

+ 続きを読む

にのまる

桜🌸 (2022/03/30 訪問)

千鳥ヶ淵緑道の夜桜ライトアップは中止です。
①千鳥ヶ淵
②半蔵濠
③牛ケ淵
④中雀門
⑤本丸
⑥富士見櫓
⑦靖国神社
⑧千鳥ヶ淵戦没者墓苑
⑨千鳥ヶ淵緑道
⑩田安門

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小荷駄

花沢城 (2022/03/31 訪問)

小山城の帰りがけに登城してきました。車は花沢の里臨時駐車場の方が少し近いのでそこに停めてそこから登って行きました。城跡の登城口は手前側のが近くて短いですがずっと急坂でした。パンフレットは登城口の手前側のカーブミラーの所に有ります。全体的に整備が行き届いていますので散策もしやすかったです。地元の皆様方に感謝致します。一の曲輪と二の曲輪の間の堀切りと八の曲輪からの眺望が良かったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小荷駄

小山城 (2022/03/31 訪問)

桜が満開だと思い登城してきました。城山の下には大きな駐車場とトイレがあり登りやすくアクセスも非常に良いので花見とお城散策両方を気軽にできる良い城跡だと思いました。特に三重の堀や馬出しなどの遺構も見応えが有りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Kimoくん

サクラ満開の佐倉城 (2022/03/31 訪問)

初めての千葉県のお城登城!城跡の桜が満開で平日にも関わらず多くの方が散策されていました。久しぶりに「猿回し」も見ました。帯曲輪や2か所ある出丸跡と堀はなんともいえないたたずまいでした。

+ 続きを読む

Kimoくん

大満足の「土の城」 (2022/03/31 訪問)

本日登城してきました。東山馬場跡にある駐車場には案内書があり、ボランティアガイドガイドさんが常駐(月曜は休み)散策マップや酒々井町教育委員会作成の冊子など充実した資料もいただけました。城跡の整備も進められており地元の皆さんのご努力に感謝です。東山虎口からの眺めや大堀切などみごたえがありました。

+ 続きを読む

ぴーかる

肥田城 (2022/03/12 訪問)

【肥田城】
<駐車場他>城跡碑<35.201369, 136.207424>のある場所に数台可能
<交通手段>車

<感想>肥田城は彦根の観光サイトによると、宇曽川をへだてて隣接する高野瀬城を本拠とする土豪、高野瀬隆重が、佐々木六角氏の命により築いたと伝える平地城館です。高野瀬秀隆の代に浅井長政と通じたため、六角承禎により1559年には水攻め、翌年にも大規模な攻撃を受けましたが、浅井方の援軍により勝利しています。高野瀬秀隆亡き後、肥田城には織田信長・豊臣秀吉の下で蜂屋頼隆・長谷川秀一が城主となりますが、秀一の病死とともに廃城になりました。
 城跡碑のある南西に土塁濠があるようですが今回私は城跡碑のみの訪問となりました。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

肉球

石垣崩れたままでした (2022/03/25 訪問)

昨年の長雨で崩れた本丸表御門脇の石垣は
まだ手付かずのようでブルーシートが被せられたままで
修復が完了するにはまだ時間が掛かりそうです。
以前は登ることが出来ていたような気がするのですが
本丸内の石垣は全て虎ロープが張られ
本丸内南側半分も立ち入り禁止となっていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

福井地震の爪痕が残る天守台 (2010/05/15 訪問)

 福井城の本丸北西角に在る天守曲輪上に帯曲輪に囲まれ北に大天守台、南に控天守台、東に小天守台、南に福の井が揃って二段の構成に居ますが、昭和23年の福井大地震の影響で大天守台小天守台の陥没崩れがありありと現在も見る事が出来ます、小天守台は穴蔵虎口に柘の生垣を造り入る事が出来ません、大天守台は穴蔵虎口より大天守台控天守台に礎石も有り一体に成って居り芝生も茂り行き来が出来ます。

 天守曲輪登り脇に福井城初代藩主結城秀康築城の福井城天守絵図案内板が有り、4層5階高欄が巡りで壮大に偉容を誇っていた天守閣の様子が案内板で覗えます。・・・是非天守台を整備して木造大天守閣を復元して頂きたい願望です。
 
 復元成った外堀舎人門、本丸山里口御門廊下橋の探訪が主目的で12年前の平成22年5月中旬福井城を探訪し写真データーもフイルムでしか残っておらず本丸を外から内から撮影しデジタルデーターを残しました、その中から天守台本丸内側の写真を投稿致します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

桜満開に近し 桜の道100選から西に車で約10分 (2022/03/31 訪問)

ソメイヨシノが満開に近し

城下も城跡も桜で一杯

【緑の桜 御黄衣】はまだ。蕾も緑

今日まで、市役所で、山城写真展があったので、探訪。色々な情報を得ました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ガチャピン

桜が満開です (2022/03/30 訪問)

朝一は貸し切り状態でした

+ 続きを読む

ぶーたろー

番場からの登場はかなりきつい山登り! (2022/03/25 訪問)

https://youtu.be/LxiDIoq8dVI

↑この動画を参考にしてね!
鎌刃城に行ってきましたよ!その道中をノリノリの音楽で紹介しまーす!
道はかなり整備されていますが、登山靴で行くことをお勧めします。駒が出るのでところどころに設置してある、鐘をたたきながらの進軍です。大石垣や、虎口は見ごたえがあります。

+ 続きを読む

todo94

県内の城めぐり2022⑦ 久米ヶ城(長野県飯田市) (2022/03/20 訪問)

駒場城から「甲信越の名城を歩く~長野編」所収の久米ヶ城に転戦いたしました。舗装路の先に十分な広さの駐車場が用意されていて非常に楽な攻城でした。展望台が整備されている城山だけで無く、中の城の先の林間の鍛冶ヶ城まで脚を伸ばして楽しんで参りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小荷駄

鹿伏兎城 ヒロケンさん、あさん、感謝します。 (2022/03/30 訪問)

仕事で近くを通る度に城跡の方面を見て行きたいと思っていました。ヒロケンさんとあさん お二方の記事を参考に本日登城してきました。加太駅から国道25号を西に歩きY字に別れる所の畦道を上がりそこから奥に入るとすぐに線路に出ますので横断して山に入ります。少し登ると小さい池がありますので池の右奥から更に登って行きます。二つ目の巨岩の所を左側に行って下さい。私はここを右側に行き這いつくばって登り城跡に着きましたが左側からは楽に行けます。ヒロケンさん、あさん、改めてありがとうございました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

九州の桜2022③-唐津城 (2022/03/27 訪問)

玄界灘に突き出るような満島山に築かれた唐津城は、1602年から7年の歳月をかけて寺沢広高が築城しました。築城にあたっては、名護屋城の解体資材を利用したと言われてきましたが、正保の絵図には、天守台はあるものの天守は描かれていません。つまり天守はなかったようです。現在の天守は、昭和41年に「肥前名護屋城図屏風」に描かれている天守をモデルに観光目的で造られただけなので、分類上「模擬天守」です。ならば、名護屋城の解体された天守はいったいどこに消えたのか🤔? という疑問もふと湧いてきましたが、まあ今回は桜を見にきたので、あまり深く考えずにまず登城する事にしました。(大手門は伊達政宗が仙台に持って行ったのはみなさん御存知と思います)。

天守の中は博物館になっていて、唐津城の歴史や歴代藩主の資料(寺沢→大久保→松平→水野→小笠原氏に関する物)が展示されています。また天守最上階から眺めは絶景です。天気のいい日に訪問される事をぜひオススメします(天気の悪い日は風が強いため最上階は閉鎖される事があります)。桜は満開に咲いていました(2022.03.27撮影)。ここは桜もですが5月上旬になると藤の花も綺麗に咲き乱れるそうです。その頃また来たいです😊。

【唐津城へのアクセス】JR筑肥線「唐津駅」から徒歩15分です。

【余談:初代藩主 寺沢広高】
寺沢広高は、元々長崎奉行役を通して、このあたりの地理に精通しており、名護屋の地に城を築く事を秀吉に進言したのも広高と言われています。そして自らは、唐津の港から武器兵糧や人を運ぶ役目を担いました。(それで唐津という地名は、唐(=朝鮮)へ物資を運ぶ津(=港)からきているのですね!)。そして、九州の関ケ原では黒田官兵衛の東軍についたため唐津の地を家康より安堵され、初代唐津藩主となり唐津城を築城しました。新田開発を奨励し、「虹の松原」に代表される防風林を作るなどして新田を保護し、凶作の時は減免するなどしたため、唐津の領民からは慕われていたようです。ここまでは順風満帆の人生でした。しかしこの後、新たに加増された領地にて起きた出来事で、寺沢家は断絶になる程の大事件が起きてしまいます😲!。この続きは、いずれ富岡城で 😱~。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

熊本地震被災後の熊本城(2018年) (2018/05/12 訪問)

出張時の視察で熊本城事務所の案内により被災状況を見学した。
西大手櫓門、元太鼓櫓の石垣崩落状況~二の丸広場から戌亥櫓の石垣崩落状況~加藤神社から宇土櫓の被災状況と大小天守閣の復興工事状況

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

第1回城郭検定2,3級受験 (2012/11/11 訪問)

第1回城郭検定2,3級受験に行った時の写真。受験会場は数寄屋丸二階御広間であった。
受検に合わせて城内も見学。細川刑部邸~ニノ丸御門跡~ニノ丸広場~監物台樹木園(監物櫓)~数寄屋丸二階御広間(検定受検)~宇土櫓内部~大小天守閣内部~本丸御殿内部と見てまわった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

熊本地震被災前(2008年)の熊本城(5) (2008/09/20 訪問)

続き

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ861