北城に続きまして南城を投稿させて頂きます。
北城よりも高い位置にある詰城とされます。
東西に郭が連なっています。
主郭に到着するとハイカーの方が沢山おられ驚きました。
主郭からの眺望が素晴らしいです。
主郭の東側は三本の深い堀切で厳重に防御されており、見応えがあります。
南側下には枡形、横堀が見られ、思っていたよりもテクニカルな城でした。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2022/05/20 21:33
十市氏の詰城 (2022/05/15 訪問)
北城に続きまして南城を投稿させて頂きます。
北城よりも高い位置にある詰城とされます。
東西に郭が連なっています。
主郭に到着するとハイカーの方が沢山おられ驚きました。
主郭からの眺望が素晴らしいです。
主郭の東側は三本の深い堀切で厳重に防御されており、見応えがあります。
南側下には枡形、横堀が見られ、思っていたよりもテクニカルな城でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
22人が「いいね」しています。
2022/05/20 21:12
十市氏の巨大な居城 (2022/05/15 訪問)
大和で有力な豪族の十市氏の居城です。
一時期は秋山氏が入り、松永久秀に侵攻され改修が加えられたとの説もあり、松永氏滅亡後に廃城となったとされます。
大和で最大級の山城で北城と南城に分かれますが、まずは北城を投稿させて頂きます。
10年前にも行きましたが、雨が降って来て途中で切り上げた為、3分の2程度しか廻れませんでしたが、今回は大体廻れ、巨大な山城であることが体感できました。
搦手の南虎口から登って行くと、喰違いの土塁があり、主郭まで何度か折れ両側の郭から横矢が効いてテクニカルで防御が厳重です。
広い主郭から北西側下には4段の連続郭があり、上から2段目の郭は土塁に石垣も見られ、他の郭とは違ってました。
西ノ大手丸の北側には堀切や竪土塁、五人衆郭の北側には横堀・土塁や竪堀などが見られます。
主郭の北東下には城内で最も大きな堀切があり圧巻です。
太鼓ノ丸の南西下には見辛いですが、畝状竪堀群があります。
広大な縄張りで見所が多く、見応えがある城でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2022/05/20 21:00
伯太陣屋 (2022/04/30 訪問)
【伯太陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。新興住宅が建ち並び石碑近くには駐車できなさそうです。
<交通手段>JR信太山駅より徒歩
<感想>2022年春のJR列車大阪ちょこ城巡りの旅4城目。JR信太山駅から先に池上曽根遺跡に行ってからここにきました。池上曽根遺跡も別途投稿しております、ご覧あれ。
伯太陣屋は伯太藩の藩庁として1727年頃に大庭寺藩から移転してきた。藩主は渡辺氏で渡辺守綱の分家筋にあたります。明治維新まで渡辺氏を藩主として続きますが廃藩置県により藩は大阪府に編入、渡辺氏は華族→子爵となります。
遺構は僅かしか残っていないようで陣屋跡の地点には石碑しかありませんが、東に位置する小谷城跡の小谷城郷土館に移築門として残されています。私、2021/5/29に訪城しているので繋がりました。
<満足度>◆◇◇
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2022/05/20 19:57
【城と生き物】 (2017/01/02 訪問)
二の丸大手二之門付近のキジトラ💛耳カットあり💔眼つき悪ぅ~😻
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2022/05/20 19:36
【城と生き物】 (2019/01/02 訪問)
名古屋城内堀の鹿です。江戸時代からお堀で飼われていたそうですが、最近は見かけませんね( ゚Д゚)
+ 続きを読む
♥ いいね
24人が「いいね」しています。
2022/05/20 16:37
復元整備された松代城・土塁石垣編 (2009/05/23 訪問)
先に投稿した、復元整備された松代城・建物編の続きです。
平成16年には松代城が発掘調査の上復元整備され甦って居ります、二の丸土塁も西側、南側、東側と復元され、西側には埋門と続き土塁、南側には南門と同続き土塁、東側には石場門と続き土塁と復元され一部門周りには石垣も復元しています。
先に投稿した建物編の太鼓門周辺、北不明門周辺も石垣の修復復元もされています。
復元整備から5年経った平成21年5月下旬探訪しましたがまだまだ真新しい整備景観でした、素晴らしい復元整備でした。
続きで、本丸の残存石垣編、武家屋敷編を投稿させて頂きます。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2022/05/20 15:14
龍造寺隆信 誕生の地 (2022/05/01 訪問)
佐賀城から少し歩いたところの住宅街の中にポツンと公園のように残されていました。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/05/20 15:05
2022/05/20 15:03
GWイベントで混雑 (2022/05/01 訪問)
GWのイベントで付近は大賑わい、佐賀城の駐車場はイベントに来た人で満車!どこ止めればいいかウロウロ。やっとイベント以外の人専用駐車場を発見駐車。佐賀城まで結構有るけど城下を歩くのも好きなので歩く!御殿は入場無料かなり広いですね、でも出る時お気持ち募金箱へお金を投入。
外の水堀を歩きながら龍造寺隆信誕生の地へここもお城址だったんですね。
お昼はこの辺で有名な堀江製パンのマカロールを食しました。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2022/05/20 12:42
茨の道 (2022/05/05 訪問)
2020年11月攻城のまーやんさん投稿:「こりゃ攻められんわなぁー」と実感しながら血だらけの茨の道を泣く泣く帰るのであった。こんなとこ行かない方がよいですヾ(;゚;Д;゚;)ノ゙、に、怖いもの見たさの「行きたい」チェック。
茨対策として、ゴム引き手袋とヤッケを持って、登城開始。まーやんさん投稿のままに、いきなり斜面崩落で道が消滅。倒れた杉の木を乗り越えて行くと、次に茨の斜面。送電線保守用にプラスチック部材の階段は設けてあるものの、グズグス崩れる急斜面。茨の枝を切った形跡があるが、夏場には伸びて、階段にまで覆い被さって来そうです。尾根にたどり着くまで、グズグス斜面と茨の難航です。
尾根を南に進むと、石垣を含む遺構がしっかり残る城域に至ります。帰りは、茨の道を避けて、尾根づたいに南に降りるかとも考えましたが、ものすごく急斜面なのでやめときました。
このあたりの地質は、水冷破砕岩(水中に流出した溶岩が破砕を受けて生じた岩石)で、これを浸食して、尾根両脇の小川が急斜面を作っています。杉の木を切って(倒れて?)日が当たるようになった斜面に茨が繁茂して、更に守りを固めています。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2022/05/20 12:11
山崎城跡概要図 (2016/05/08 訪問)
現地案内板より抜粋。
+ 続きを読む
♥ いいね
3人が「いいね」しています。
2022/05/20 12:06
山陰丹府桑田亀山図(寛政5年)、大本本部神苑案内図 (2016/05/28 訪問)
現地案内板より抜粋。
+ 続きを読む
♥ いいね
3人が「いいね」しています。
2022/05/20 12:02
開田城案内板 (2017/04/04 訪問)
現地案内板より抜粋。
+ 続きを読む
♥ いいね
2人が「いいね」しています。
2022/05/19 23:43
「祭りにかち合ってしまったかな」と思ったら… (2019/11/23 訪問)
今治市内は神輿が練り歩くなど盛り上がっており,「祭りにかち合ってしまったかな」と思ったら…地元サッカークラブのJ3昇格決定で盛り上がっていました。「J3でこんなに盛り上がれるなんて,すごい!」というのが,正直な感想です。
定番スポットは見事に逆光のタイミング。城内では,櫓めぐりのスタンプラリーを実施しており,スタンプコンプリートでポストカードをゲット。
しかし,気になったのは「堀と海とがつながるポイントってどこよ」ってことでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2022/05/19 22:31
城と生き物 (2022/03/29 訪問)
姫路城内の三国堀にて、シラサギが偶然いたため撮影。
白鷺城とシラサギのコラボ(?)が見られたのは運が良かったのかも。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2022/05/19 22:22
なるほど格調高く見えるような気がする (2022/01/08 訪問)
諸説あるが浦上久松なる人物が居住したとされ、諸説あるが久松はどうやら浦上宗景に押しのけられた浦上嫡流に連なる人物で宇喜多直家に担がれて棄てられたらしい。不幸な家柄だが眼前の山下城はなるほど相応に格調高く見える。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2022/05/19 21:43
ハイキングコースだけど結構ハード (2022/05/08 訪問)
GW近場の遺構の無い城ばかりだったので最終日に攻めて見ました。
湯河原駅から城山ハイキングコースで徒歩約90分。
駅前には土肥実平の像があり、街のは結構推しています。
駅からハイキングコース方面に歩くと土肥氏の菩提寺である城願寺があります。
さらにコースを進みますが舗装されているもののかなりの急坂。
体力を消耗します。
上の方まで行くとややなだらかになり歩きやすくなりました。
城域に入るところに案内板があり、ハイキングコースを離れ脇道を登ります。
登城路にはツツジも咲いていました。
お城はまず門があったと思われる部分に空堀がありました。
さらに進むと展望台があり眺望は素敵。
二重の堀切も見られます。
主郭には石碑が立っています。
別の尾根にも進んで見ましたが藪。
竪堀っぽいところも見られました。
近くには頼朝ゆかりのしとどの窟もあり、車ならそちらから登るのが良さそうです。
帰りは下りなので70分くらいで駅に戻りました。
疲れました~。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2022/05/19 17:21
三木氏発祥の城 (2022/05/19 訪問)
京極氏の代官として来た三木氏の城で、戦国時代飛騨の覇者なる三木氏発祥の城といわれています。
宮地稲荷神社から登城できます。神社から15分くらい歩くと外堀の標識のある場所に着きます。道は整備され勾配も比較的緩やかで歩きやすい登城路です。内堀跡を経て主郭に行くことができます。主郭の東側に藪となっている曲輪があります。藪漕ぎをして降りて行くと堀切を見ることができます。その後は細い尾根道となります。「とんかつおやじのブログ」さんによるとさらに堀切があるとのことでしたが、失念していて行きませんでした。
JR下呂駅からバスで宮地橋バス停下車にて3分くらいで宮地稲荷神社に行くことができます。ただバスの本数がかなり少ないので要注意です。
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2022/05/19 17:10
2022/05/19 16:59
冬城 (2022/05/19 訪問)
戦国時代、飛騨の覇者三木自綱の居城で、冬城(夏城は松倉城)として使ったとされています。空堀、土塁、石積み(当時のものでしょうか)が少し残っています。戦国居館として屈指の規模だったようですが、開発により一部しか残っていないのが残念です。
JR飛騨萩原駅より徒歩にて登城しました。下呂市立萩原小学校と萩原町商工会の間の道から踏切を渡り、坂を上りきる前の舗装された左へ行く道へ進むと標柱のある登城口に行くことができます。約15分くらいです。北側の桜谷公園からも登って来ることができます。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。