山の中によく立派な石垣を積んだものだと思いました。築城は名手、藤堂高虎です。近くに、日本農業遺産にも、選ばれている丸山千枚田が、あります。登城の時は、こちらも、必見です。
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2024/05/05 08:58
2024/05/05 08:53
足利成行 (2024/05/02 訪問)
両崖山山頂の主郭を配置して三方の尾根の曲輪を展開しています。それぞれの尾根は堀切を作成し防御機能を高めています。主郭の北側にある堀切は深く残っています。その主郭側の斜面には石積みがありました。西側の堀切も明瞭に残っています。西側の尾根を進んで行くと紫山と天狗山方面に向かう尾根に分かれますが、その先には堀切があります。天狗山方面の堀切には土橋がありました。ハイキングコースのため後世に設置したものでしょうか。尾根に堀切を配置したシンプルな縄張りですが、それなりに楽しむことができました。
織姫公園よりアプローチしました。尾根を只管登って行きますが、ハイキングコースとなっていて迷うこともありません。ただ、岩が剥き出しになっている道が多く少し歩きにくい所もあります。この日は天候もよく多くのハイカーの方がハイキングを楽しんでみえました。
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2024/05/05 08:25
加越国境の城・切山城東導入路周辺 (2024/04/20 訪問)
加越国境の城・切山城大手登城路周辺からの続きです。
現在の舗装された小原道から造林作業道/オトシ坂道を登って行くと案内解説板の有る所より手前約100~200m辺りから北の山手に最初は一条の横堀、次に二条の横堀が防御の横矢なのか現存して驚きと胸躍る、横堀は小原道を遮断する長い竪堀まで続き、南側の小山は出城陣城の様に横矢が十分掛かる様になっている、東の佐々方松根城からの攻撃を万全な構えで構築している。
竪堀より西側の小原道北の平坦地は前田軍の兵舎、武者溜りの様子、馬出スロープ南、東下には国史切山城の解説板と石碑が立っている正式には「国史跡加越国境城跡群及び道 切山城跡」と表記されています。
西が大手道なら東側は搦手道と言いうべきなのか?良く分かりませんが楽しく切山城の遺構防御施構築物を見る事が出来ますし、千田先生監修香川画伯の切山城想像俯瞰図を現地で体験できる事は至上の幸福感と感動が沸き上がる時間を私一人で味わった事はまたと無い貴重な体験探訪でした。
長々と4編に渡ってご覧いただきありがとうございました。車で近くまで行けて大変登城しやすく整備されて有り難い城跡です。
次は越中国西側を廻ります。
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2024/05/05 07:21
加越国境の城・切山城大手登城路周辺 (2024/04/20 訪問)
加越国境の城・切山城馬出周辺の続きです。
東側の馬出側スロープを登って攻略する事は過去の土塁登りで足首を捻挫した悲しい経験があり断念して小原道現在の造林作業道を西に約150~200m廻り込み、杉林の幹にピンクテープが巻きつけてある所から東に向かって緩いスロープを登って行く、ありがたい事にクマ笹が刈って有り道が判り有り難い、約40m登ると堀切が道を遮断、南側を通り尾根道に上がる、土橋の前がやや広い曲輪、土橋の左右は堀切竪堀、主郭の外桝形土塁が眼前に控えて見ごたえのあるポイント。主郭の西、北に広い主郭下曲輪が淡い林間木漏れ日で奇麗に見える。
主郭編、馬出編より見所は少ないですが最初の堀切、土橋左右の堀切、竪堀が見所。
加越国境の城・切山城東導入路につづきます。
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2024/05/05 06:02
雨中の攻城 (2024/03/28 訪問)
広田城からの転戦です。天気予報通りに雨が落ちてきてしまいましたが、登城決行です。登城路はわかりやすいのですが、礫が浮いている部分がかなりあって足元には注意が必要です。麓に近い部分の石垣はさすがに城の遺構ではないでしょうが、山頂近くにも石積が見られました。なぜか二宮金次郎の像と歌の歌詞がありました。この後は佐世保鎮守府周遊ラリー・川棚町の2つのスポットへと向かいました。
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2024/05/05 00:06
平渡城(宮城県大崎市鹿島台平渡庄兵衛) (2024/05/03 訪問)
GW後半の初日、地元の城館研究者と共に自身が住む大崎市の鹿島台地区(旧鹿島台町)の山城を攻城しました。12年ほど前から地元の中世城館を訪れて調査をしていますが、これまでは主に加美郡を中心に廻っていました。一昨年、自身が所属する古文書を読む会で志田郡の寺社・城館を記載した文書を学習する機会があり、その資料集の作成に関わったため、本文記載の城館を訪問したいと考えていました。ここ鹿島台地区も近隣に中世城館が数ヶ所あるのですが、市街地化で旧態をとどめていないと聞き、平渡城を目指しました。城は鹿島台の市街地に近い北側の住宅地の背後に位置しています。まずは隣接する民家にご挨拶。地域の城館跡は私有地が多いことから、情報収集も兼ねて必須の行動です。この日も大手口が自宅横となる家の御主人に声掛けしたところ、農作業中であったにもかかわらず、ご家族に駐車場所の手配や登城口までの案内を指示していただくなど、とても親切にしていただきました。
さて、平渡城は、最高部の比高30m、東西40m、南北55mの主曲輪を中心に南、北、西に曲輪を連ね、南と北の曲輪は堀切で区画し、また付随する曲輪も2~3段の帯曲輪を配する縄張ですが土塁はありません。大手筋は南からで、虎口跡がはっきりと残っています。全体としては南北150m、東西90mほどの規模となります。城主は、仙台藩の公文書である仙台古城記、風土記御用書出ともに平渡五郎となっています。旧鹿島台町史によれば、中世に関東の豪族平渡五郎左衛門尉が奥州に下り、この地に居を構えたと云います。
集落の裏山に位置する山城、いわゆる「村の城」は廃城後は昭和の時代まで農耕地として利用され、遺構が破壊されていることが多いのですが、ここ平渡城はしっかりと遺っており楽しめました。
かつて地元の城館調査は春は3月からGWまで、秋は下草が枯れる11月初旬から雪が降る前まで行っていたのですが、ここ二年は、クマの出没が頻繁となり中断を余儀なくされています。はたして今年はどうなることか。
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2024/05/04 22:27
2024/05/04 20:30
2024/05/04 18:31
2024/05/04 15:05
大野城 (2024/03/02 訪問)
【大野城】
<駐車場他>森林公園雨の森駐車場に駐車するのがよいかと。登城口前まで車で行けますが公園から先が悪路なのでお勧めしません。
<交通手段>車
<見所>堀切
<感想>日帰り和歌山山城攻め1城目。現地の説明板が劣化で真っ白になってしまっていた為、まだ文字が残っていた頃の方の写真から。大野城の築城は1378年の南北朝時代に紀伊国守護に任ぜられた山名義理が紀伊府中から移転し築城したとあります。
森林公園雨の森から悪路ですが道幅の道を徒歩で行くとカモシカに出くわしました。近畿の和歌山で出逢うとは嬉しい発見、登城口は案内があり遊歩道階段が付けられているのですぐ分かります。階段を登ると鉄塔があり、そこから海南市の港の眺望がいいです。そこから山の側面を渡って行って主郭の背後の堀切にでます。堀切から右にターンして尾根を直登すると主郭の連段に着きます。主郭は小さな削平地が3連段になってそこそこの大きさになっています。段壁に石積みがあるようですが現在は埋まっていました。主郭から西方向に堀切を渡り、土塁付の副郭があります。南方向に竪堀もあります。副郭辺りから西方向に尾根曲輪になっていて、最初主郭西にだけかと思いきや、西に行く程だんだんといい遺構が現れ楽しめました。
<満足度>◆◆◇
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2024/05/04 10:11
加越国境の城・切山城馬出周辺 (2024/04/20 訪問)
加越国境の城・切山城主郭周辺の続きです。
切山城主郭東の虎口から土橋を通て馬出へ、土橋は南北に堀が有り、馬出の北には腰曲輪、東には馬出下曲輪、その東は緩い斜面で兵舎、武者溜り平地に成って小原道を遮断する竪堀、堀切に続いてる。
切山城と松根城は加越国境を小原道沿い約3~4km程の距離で、天正12年(1584年)豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康との抗争で切山城は豊臣方前田利家、松根城は織田・徳川方佐々成政と対峙し、加越国境付近には前田方と佐々方の城郭が数多く対峙する形で築かれた。その中で切山城と松根城が有名です。
国史跡加越国境城跡群及び道・切山城跡の扱いとなっている。
千田教授監修香川画伯作画の切山城想像俯瞰図を脳裏に浮かべて探索探訪するのは非常に楽しくリアルに体験した気分になる、しかも当日切山城内は私一人の独占状態、緑爽やか城日和でした。
加越国境の城・切山城大手登城路周辺編に続きます。
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2024/05/04 06:28
玄蕃尾城址 (2024/05/03 訪問)
かなりいい状態の遺構でした。
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2024/05/04 06:17
金ケ崎城址 (2024/05/03 訪問)
遺構は少ないですが、展望台から見る若狭湾は絶景でした。
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2024/05/03 21:09
2024/05/03 21:05
2024/05/03 19:58
館林城跡&つつじが岡公園 (2023/04/23 訪問)
館林駅からつつじが岡公園-館林城跡を回り駅に戻るコースをウォーキングした。
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2024/05/03 19:58
2024/05/03 19:02
二重の横堀・土塁が見応えある高野山勢力の城 (2024/04/29 訪問)
野上荘の荘官であった土豪の寺中氏の城と伝わり、高野山勢力が築城又は改修したのではとされます。
南側麓の埋谷橋から谷筋を登り、明確な道がなく難儀しましたが、城の西側の尾根に辿り着きました。
西側に主郭があります。
西・南・東側の三方を二重の横堀と土塁が取り巻き見応えがあり、南側は比較的木が少なく1番の見所です。
二重横堀の内堀は深いですが、外堀は浅いです。その間の土塁は高さがあります。
以前行った伊都郡かつらぎ町の皮張城も高野山勢力の城とされ、皮張城の西城には浅いですが二重・三重の横堀と土塁が取り巻いてましたので、共通していると思います。
東側に副郭があります。
主郭南側の外堀が東に延び、副郭の南東側まで続いてます。
西側は横堀・土塁、東側は堀切・土塁で遮断されています。
南東側には、横堀と堀切から下の竪堀へ交わる箇所があり見所でした。
遺構がほぼ完存し見応えがあり、和歌山県北部で屈指の山城だと思います。
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2024/05/03 12:42
2024/05/03 12:00
加越国境の城・切山城主郭周辺 (2024/04/20 訪問)
今回主目的の切山城、北陸路12番目で初登城、寺中御台場より東へ14.2km程です。12年前に佐々軍の松根城を訪ねて以来、前田軍が松根城に対峙した切山城。香川元太郎画伯作画、千田嘉博教授監修の切山城想像俯瞰図を以前より見ていましたので是非訪ねたいと思い続けた願いが叶いました。
駐車場:無し、林道入口手前の幅広三角エリアに路駐2台は可能?(36°36'12"N 136°44'53"E h=80m)、国道304号線を金沢市宮野町イ辺りから小原道(舗装で整備されてる)に入り北に約1km程に〈造林作業道/オトシの坂道/幅員3m〉黄色い菱形表示番が立ってる。
参考資料:城郭放浪記さん同縄張図、余湖図コレクションさん、千田先生香川画伯の想像俯瞰図、グーグルマップに依る。
林道坂道を徒歩で城郭放浪記さんも車を路駐し徒歩なので、約400~500m登ると案内解説板の在る所へ到着、坂道は砂利道ですが以前はコンクリート舗装の痕跡有り、軽4トラック、軽4駆であれば問題無く坂道走行できます、駐車も案内板辺りに数台は可能。
林道坂道の途中に横矢掛りのエリアが有り北山手に横堀長く伸びはじめ1条で西に入ると2条の横堀で竪堀で東西遮断、南側小山には横矢が掛る様な台地が有ります。
案内板北、西奥にスロープが有り馬出東下に登れるようですが以前の土塁登りで足首捻挫した経験から更に旧小原道を西に200m程廻り尾根道から切山城に登る、杉林にピンクテープ巻かれてそれなりに理解、尾根道に堀切、土橋に左右に堀切。
主郭へは土橋より正面に外枡形が付き北から入り東へ曲がり主郭の虎口へ、主郭北側下には広い郭が西から北へ廻っている、主郭は土塁が廻り、南側に出張る様に櫓台がある、主郭東に虎口が在り土橋を挟んで馬出曲輪に成っている。
馬出の東下、北下には曲輪が在る、東の曲輪からはスロープ状で小原道北側の兵舎溜りへ続き東西を断ち切る竪堀に続く。
先ずは主郭周辺の写真を投稿します。香川画伯、千田先生の想像俯瞰図を現地の切山城で体験し緊張と感動の登城です。
次に馬出周辺へと続きます。
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