長藪城は、標高約347mの城山に東の城かL字形の尾根上約600mに渡り、西の城、出城と3ヵ所の拠点が設けられ、堀切などで遮断されている!
かなりの規模で、戦国時代に大幅な改修を受けたと考えられますね!
所在は、橋本市城山台です!
城山台の地名の由来は、この城山から来ています!
長藪城は、楠木正成の家来で、しばしば手柄を立てた牲川左ヱ門頼俊は、南朝が衰え千早城が落ちると十津川に逃れた!
その子の義春になって、伊都郡に入り、長藪城を築いたと伝えられています!
そして、義春は守護畠山氏に仕え、その子義信の時は河内国の一部も領したという!
義信の子義則の時、近畿一円を支配下に治めつつあった松永久秀に攻められ、1558年にたまらず長藪城を退去、同城は松永氏に奪われてしまいました!
しかし、義則の子義次が1560年に松永方を攻めて長藪城を奪い返したと云われております!
だけど、これらは伝承で、残念ながら史実かどうか確認されておりません!
長藪城のように、東の城、西の城、出城と二つ以上の城郭が、城山という一つの城域内に含まれるのを「別城一郭」の城といい、和歌山県下で同様の形式を持つ城としては、海南市の大野城、湯浅町の広城が有名で、長藪城とともに、規模の大きさから畠山氏の主要三城とされております!
尾根続きから敵に攻められるのを絶つため、堀切を施し、郭への虎口は狭く複雑にして、敵の一気の侵入を防いでいます!
また、堀切に続いて堅堀を設け、敵兵の山腹斜面での横移動を制限しているのが特徴です!
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