織田信長の侵攻を受けた伊勢の国人領主神戸具盛は、信孝を養子に迎える形で家督を譲って隠居した!
1580年になると、信孝は本格的に神戸城拡張工事に着手致します!
本丸・二の丸・三の丸で構成され、本丸には三重目に唐破風をつけた5重天守が築かれたと言われています!
1595年に桑名城へ移築された神戸櫓が、この天守であったとの伝承が有ります!
本丸に残る天守台は、隅角部や上端に近世の積み直しを受けているものの、未加工の自然石を積み上げた野面積で、信孝時代に築かれた可能性が高いです!
天守台のある本丸は堀で囲まれ、本丸の東と南側には土塁、東側には出枡形の虎口を設けて、二の丸と接しています!
本丸は江戸期には、すでに天守台のみで、建物も存在しない打ち捨てられた曲輪でありました!
本丸東側に位置する二の丸に政庁及び藩主居住の御殿が置かれ、東隅に城内唯一の二重櫓が築かれていました!
東側には二の丸と同程度の面積を有し、大手口が位置する三の丸が、本丸の西側には南北に長い西曲輪が置かれ、三の丸と共に馬出としての機能を併せ持つ曲輪で有りました!
南側には、東西に長い馬場を配置して、さらに三の丸の東側に出曲輪を置き、防備を固めていました!
これらの曲輪群は、いずれも広大な水堀によって囲まれており、城下の西から北を巡り、東側を通って南に流れる六郷川が、天然の堀として総構の役目を果たしていました!
城跡は現在、神戸公園と神戸高校となり、本丸跡と天守台、僅かに水堀などが見られます!
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