三重県鈴鹿市の神戸城です。1550年頃伊勢平氏子孫の関氏一族神戸氏が築いたとされます。神戸氏は北伊勢に勢力を持っていましたが、織田信長の伊勢侵攻により信長に屈服、1568年信長三男信孝を養子に迎え和睦します。神戸氏当主具盛はのちに強制的に蟄居幽閉され、信孝が神戸氏を継ぎ城を改修するとともに1580年金箔の瓦を用いた五重の天守閣を築き、城下は伊勢街道の宿場町として大いに栄えたとされます。本能寺の変で信長が亡くなると信孝は岐阜城に移り、跡目相続で豊臣秀吉と対立、1583年柴田勝家とともに秀吉と戦い、勝家が賤ヶ岳・北ノ庄城で敗れると、岐阜城で降伏開城、後に切腹となっています。1595年神戸城の天守は桑名城へ移された後、神戸城は江戸時代に城主が次々替わる中、天守は再建されず、1732年本多忠統が2万石で城主となり明治維新まで続いています。城は本丸、二の丸、三の丸の周囲を堀が囲む平城で、現在は堀が埋められ城跡のほとんどが神戸高校敷地や住宅地となり、僅かに本丸部分が神戸公園となり石垣や堀が残っています。
+ 続きを読む










