岩手県奥州市の水沢城です。いつ頃築城されたかは定かでありませんが、葛西氏家臣佐々木氏により築かれたとされます。1590年葛西氏は小田原の戦いに参陣せず領地没収となり、この地は伊達領となり要害と呼ばれ家臣が配されたが、1629年留守氏が城主となり明治維新まで続いています。留守氏は宮城県仙台市北部の領主でしたが、戦国時代弱体化のため伊達氏より養子を送り込まれ、伊達氏の配下となっています。戦国末期は政宗の叔父の政景が留守氏当主となっています。城は本丸、二の丸、三の丸、南曲輪からなる平城で土塁と水堀で囲まれ東西300m南北300mの規模とされ1万6千石の城下町として整備されてます。城は現在本丸・二の丸は住宅地となり、三の丸の一部は奥州市役所となっています。市役所には推定500年の姥杉が三の丸土塁の遺構に立っており、冠木門も移設され残っています。市役所の西500mにある日高神社は初代城主留守宗利が社殿を改築したとされ、留守宗利の銅像があります。
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