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中川藤兵衛尉

三木城 (2015/04/09 訪問)

 三木城の見所は幾つもありますが、上の丸公園内ならかんかん井戸でしょうか。抜け穴説がありますが、カメラを入れて調査した結果、外堀代わりの美嚢川にも繋がっていなかったらしいです(笑)。本丸・二の丸の間の堀も埋められて縮小していますが曲輪より一段低い道路となっていて分かり易くてお勧めです。「南構え」の雲龍寺には三木城の外堀石垣が展示されてるので是非ご覧下さい。外付け曲輪の三木新城跡は住宅街になっていますが、当時の段差が今も利用されているので見所です。同じく外付け曲輪である鷹尾山城にははっきりとした土塁が遺っているので見れば興奮すること間違いなしです。もう一つの外付け曲輪である宮ノ上要害は遺構がありませんが、一般に言われているよりもっと広かったという説もあり、それが正しければ土塁・堀である地形が楽しめます。

 上の丸公園の坂下にはコンビニがあり、公園内にはお手洗いと東屋とがあるので、野宿も可能です(経験者)。

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カルビン

個人的評価高いっす順慶さん (2018/10/25 訪問)

大和郡山城の次に、近鉄線筒井駅から徒歩10分程度で行ける筒井城にやってきました。
・・・実際は大回りしてしまい、20分は掛かっているんですけどorz

解説や石碑のある場所は空き地・畑及び沼になっており、遺構は残っていない模様。
しかし、更に奥にあった、かつての筒井城の主郭だったとされる菅田比賣神社の境内に堀・土塁と思われる形状が見られました。
おそらくリアル遺構で良いと思います。


筒井順慶は日和見王子的な言われ方を良くしてますが、実はしっかりした情報網を持っていたからこそ謀反した明智光秀に従わなかったと思われます。
何よりあの難しいとされる島左近を使いこなし、あの曲者・松永久秀と大和の主権を争った人物・・・そんなヘタレな訳がありません。

むしろ光秀の謀反を陰で操ったとされる羽柴秀吉(当時)の裏活動をも知っていたって噂も・・・

どこまでが本当で嘘かはわかりませんが、リアリティある話ですなぁ(悩)


ちなみにここから駅一つ南の平端駅近くにある五輪塔覆堂は筒井順慶の廟所とされております。

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刑部

花田苑にある移築門 (2018/11/18 訪問)

屋敷跡は運動公園で移築門は公園より3キロ程離れた越谷市日本庭園花田苑にあります。

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刑部

おそらく空堀 (2018/11/18 訪問)

中に入るには資料館に電話するようです、田畑越しに遺構らしい門と説明板が見えますが中に入らないとよくわかりません残念です。

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刑部

陣屋址の公園 (2018/11/18 訪問)

人がいない寂しげな公園

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織田晃司

尾道の山城 (2018/11/17 訪問)

北側に8つの曲輪南側に4つの曲輪。
石垣が残る。
険しい登山道が多く軽装で行かないように

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織田晃司

楢崎城 (2018/11/17 訪問)

遺構に堀切、石垣、畝状竪堀が残る

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城noir

日本一高い所にある城 (2018/08/18 訪問)

かなりの急勾配で息切れしながら登城。
所々にあるQRコードを読み込むと音声ガイドとともに当時の建物がCGで見られるので、楽しみながら頂上を目指すことができました。
やはり六段壁は圧巻です!

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愛犬おじさん

三ヶ日・千頭峯城跡 (2018/04/25 訪問)

麓の、摩訶耶より歩いて登ったので本郭まで30分位掛りました。

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城noir

長篠城 (2017/03/04 訪問)

対岸からの眺めが最高です。

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愛犬おじさん

牧之原・勝又城跡 (2018/04/09 訪問)

城跡駐車場より茶畑農道を歩いてのぼる

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城好きのメガネ

「徳川家康の本陣 今井陣城」 (2018/11/17 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
小田原征伐の際に、3万の軍勢を率いて先鋒を務めた徳川家康の陣跡である。徳川家康が後北条氏の降伏及び開城までの間に本陣を構えた場所である。残念ながら、遺構は残っておらず、石碑と東照宮がある。

<アクセス>
JR鴨宮駅  徒歩25分
JR小田原駅 徒歩20分

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刑部

石碑と説明板 (2018/11/18 訪問)

川沿いにあります、石碑は水門の上?

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勝野武士

再訪、錦秋の有馬。 (2018/11/17 訪問)

瑞宝寺公園の紅葉が見頃とのことで、何度目かの有馬にやってきました。
神戸電鉄有馬温泉駅から温泉街を歩くのですが、流石に土曜日、観光客が超多いです。
足湯も座る場所がないぐらい大盛況でした。
古い町並みにも人、人、人。でも、土産物がいっぱいあって、町並みに風情もあって、歩いているだけでも楽しくなります。流石兵庫屈指の観光地。炭酸煎餅の甘い香りに何度籠絡されそうになったことか。

さて、そんな温泉街を少し横道に逸れて温泉寺方面に階段を上ると、念仏寺のすぐ下に出ます。そこには立派な高石垣が!所々石材が斜めに積まれてたり算木も何か曖昧ではありますが、何となく豊臣大坂城の石垣の積み方に似てる気がします。念仏寺は北政所御殿(奥御殿?)の跡であると伝わっていますし、湯山御殿の遺構である可能性は高そうです。
そして念仏寺の隣、温泉寺の裏手に極楽寺があります。ここには『太閤の湯殿館』という展示施設があり、建物内部に岩風呂と蒸風呂の遺構が露出展示されています。建物の外には露地庭園の跡と秀吉ゆかりの手水鉢があります。…が、この日は残念ながらまさかの休館日。あらかじめ開館日を確認してからの来訪をオススメします。
しかしガッカリする事なかれ。太閤の湯殿館のすぐ隣には立派な石垣!帯曲輪の跡で、隅櫓や多聞が造られていました。単なる館ではなく、防犯上の理由からか城としての機能も持ち合わせていたようです。
なお、極楽寺の裏手に極楽泉源がありますが、そちらは昭和29年に開削されたもので残念ながら当時からのものではありません。

さて、この日のお目当てでもある瑞宝寺公園へ。
ここは明治の廃仏毀釈により廃寺となった黄檗宗瑞宝寺の跡で、秀吉が「いつまで見ていても飽きない」と賞賛したことから『日暮らしの庭』と呼ばれ、古くから紅葉の名所として知られている所なのですが、訪れた頃にはすでに散り始めていて見頃はやや過ぎた感がありますが、それでも十分綺麗でした。散り紅葉も風情があって良いですね。
なお、ここには瑞宝寺の山門が残されていますが、伏見城から移築したと伝わっています。小ぶりで比較的簡素な唐門なのですが、屋根の曲線が優美です。細部をよく見ると上部にはさりげなく瓢箪のデザインが!遊び心がありますね。
あと、秀吉ゆかりの石の碁盤もあります。美しい紅葉を楽しみながら碁を打っていたのでしょうか。マイ温泉別荘を造り、仕事をしばし忘れて気ままに遊ぶ…天下人ならではというか、贅沢ですねぇ。

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まっつん

綺麗に整備されていますね〜 (2018/11/17 訪問)

広島県北西部の北広島町にある吉川元春館へ行きました!
資料館の駐車場に車を停めるとすぐ目に飛び込んできたのは切岸と石切場。
階段を登り視界が開けると一直線に南北に伸びる石垣!隅石に大きな立石がドンと置かれ算木積みではないし、ところどころにこの立石が配置され、それで石を安定して積み上げようとしているところに古さを感じます。
切岸の上には土塁が巡り、南側には空堀の跡も。
建物は台所と附属屋が復元されています。
弟の小早川隆景とともに毛利家を支えた吉川元春。
鬼と呼ばれた彼もここを築いた当時は隠居していたので、どんな暮らしをしていたのだろうかと庭園の跡を眺めながらぼんやりと思いました。

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山口駿河守幻夢斎

宍倉城跡 (2017/05/15 訪問)

この城跡には、車でしか行けないが、車を停める場所に困る。

なんとか、停める場所を探して、住宅の間の路地のような城跡入口へ。(案内標識あり)

堀は、見事だが、ヤブもまた見事(笑)この程度でひるんでいては、千葉、茨城の城攻めはできませんがね。

本丸跡は畑に。

だいぶ、改変されていますが、見ごたえのある遺構もあり、そこそこ楽しめました。

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山口駿河守幻夢斎

桑久保城跡 (2016/07/05 訪問)

住宅街の中の狭い道を右往左往した記憶が。どこか、適当なところに車を置いて、徒歩でアクセスが吉。

駐車場所は悩ましいが、遺構はよく残っています。土塁と主郭を囲む横堀、土塁の張り出しでの横矢掛も見ごたえがある。

郭内部は、一面畑になっています。

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山口駿河守幻夢斎

棚倉城跡 (2018/11/02 訪問)

関ヶ原で除封された立花宗茂は、赤館に入ったとされますが、立花家柳川移封後に、丹羽長秀の息子で、やはり、関ヶ原で除封された丹羽長重が入封し築城。丹羽氏は、父長秀は安土城の奉行、長重は棚倉城に小峰城、光重は二本松城の改修と築城の才に恵まれたいたのでしょうか。

磐城棚倉駅から徒歩で10分くらいです。

私は、水郡線は、本数が少なすぎて使い物にならないので、新白河駅からバスで行きました。このバスは、ほぼ、一時間~一時間半に1本くらいは走っていると思います。

水堀と重厚な土塁が素晴らしく、中学校グラウンド脇に石垣と大土塁があるということですが、確認できませんでした。というか、このご時世、カメラを持って中学校の周りをうろうろしていたら、通報されます。

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にのまる

葛山信貞さん (2018/11/13 訪問)

勝頼くんの異母弟(信玄さんの六男)信貞さんが駿河葛山氏に養子入りし、在城したと伝わるお城です。
葛山氏は今川配下にありましたが、義元亡き後は武田に仕え北条と争いました。
そんな大役を担った信貞さんも武田氏滅亡時に甲斐善光寺で自刃しました。゚(゚´ω`゚)゚。

ということで、葛山城を訪ねました。

長〜い大手道を進みます。登りですが大変さはありません。しばらく行くと堀切に差し掛かり、そこから落ちる二本の竪堀に目を奪われました。うねうね、ぼこぼこ、うねうね、ぼこぼこ…。三日月堀や丸馬出はありませんが、本丸や二の丸の虎口も枡形の武田流。

二の丸虎口と五号堀をぐるぐるしていたら突然の人影!お互いにびっくりΣ(゚д゚lll)
地元の方で「雷神宮まで案内してあげる」と言ってくださったのでお言葉に甘えて連れて行ってもらいました。
何とこの方、竹藪に埋もれた山道を64日かけて整備されたすごい方でした。剪定バサミでひと枝ずつ刈っては運び、刈っては運びを64日!頭が下がります。
武田氏ゆかりの地なので近くのお墓には武田菱がたくさんあるとか、ここの近くの千福寺城もいいところだとか、いろんなお話を伺いました。
私が2回もミスった賤機山城も攻略済みでした(^_^;)もう、途中からは「師匠!」と呼ばせていただきました。
水の手は雨上がりでぬかるんでいるからと、眼下に捉えられるポイントにも連れて行ってもらいました。道があるようなないような、単独だと躊躇してしまいそうなところでした。
二の丸に戻ってきたところでお別れしましたが、ホントに楽しい時間が過ごせて、感謝しかありません。
師匠お勧めの千福寺城(千福城)もいつか行ってみたいです。そんな私のために「城びと」のお城に追加登録していただけたらなぁとこの場をお借りしてお願いします(╹◡╹)♡

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モト

神社の上に見所ある掘が出現です (2018/11/01 訪問)

神社を登るとその城址が姿を表します。
村上城の近くに来ると小高い山の上に、村上城の大きな看板が見えてきました。
看板を見上げる山の下には大きな駐車場があるのですが、そこから歩くと少々わかりずらく、車で山を登った五社神社のそばにも駐車場があります。
そこからの方が城址へは行きやすかったです。

神社を登っていくとその雰囲気が一変しました。
本郭へと案内する空堀、そこを進んでいくとある虎口に心踊ってしましました。
掘は円を描くように曲がっています。
こういう、うねった空堀って最高です。
本郭からまた別の道で神社の方へ降りていきますが、そこでは掘道を下るような、これはこれでさっきとはまた違った良い雰囲気でした。

梅林が隣接しており、その季節にも来てみたいなと思った城址でした。

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