慶長8年(1603)に津山藩が立藩し、森忠政が18万6千石で入封し、現在の様な近世城郭として整備がされたそうです。小倉城を模したとされる層塔型の天守を始めとして、広島城すらしのぐ77棟の櫓が立ち並んでいたそうです。
「ありし日の津山城」の絵画を見ると、高石垣の上に櫓や天守がびっしりと立ち並んで、非常に壮麗な城郭であったことが伺えます。集合アパート感が良く出ていて、ある意味では姫路城以上に美しい城であったかもしれません。本丸御殿の焼失後、廃城令で次々に競売にかけられ、これほど美しかった城も備中櫓(再建)をのぞいては石垣を残すのみです。
今は桜の名所となっています。
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