蟻尾城からの転戦です。現在は鹿島北小学校になっています。ここから、現鹿島高校の鹿島城へと移るので、旧鹿島城云ったところでしょうか。説明板も「旧鹿島城」となっています。用水路は堀跡とのことです。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/06/08 07:05
2025/04/14 17:03
元祖 鹿島城というべきか。 (2025/02/27 訪問)
肥前鹿島駅から本丸跡まで徒歩10分ほど。バス利用の場合は、鹿島~佐賀間の路線バスが常広城の近くを通っており、最寄りの「乙丸東」バス停から徒歩5分ほどです。
鹿島城(佐賀)を訪問後、肥前鹿島駅周辺で食事をしたあと、食後の散歩がてら常広城跡に行ってきました。
旭ヶ岡公園(鹿島城跡)にある常広城の解説の説明板によると、天正四年に龍造寺氏が鹿島に進出。鍋島信房(鍋島直茂の兄)を鹿島に配置し、常広城を築城させたとされています。江戸時代に入り、佐賀藩初代藩主鍋島勝茂が弟忠茂に鹿島を与え、常広城は佐賀藩の支藩 鹿島藩の藩庁となったようです。しかし常広城は水害を受けやすかったため、江戸幕府や佐賀藩から許可を得て、鹿島城に藩庁を移転したようです。
現在は、本丸跡は鹿島北小学校になっています。鹿島北小の校門脇に説明の石碑が設置されています。小学校の西側の用水路は、かつての常広城の水堀の名残のようです。
周辺には鹿島大明神の社殿があり、すぐそばには公民館があります。公民館には海抜2mの看板がありました。これを見ると、今でも水害の被害を受けやすい場所であることが感じられます。
そして本丸跡から南西に6分ほど歩いた所に願行寺があります。願行寺の山門は常広城の城門と伝えられているようです。こちらも鹿島城と同様、赤門スタイルになっています。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2020/11/09 11:51
「常広城」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
常広城は、鍋島信房(鍋島直茂の兄)が鹿島地方を治めるために築城したとされる。鍋島信房は鍋島清房の庶子で父と共に龍造寺氏に仕える。1576年、龍造寺隆信の藤津郡横沢城攻めに参陣する。龍造寺隆信の命により常広城を築城する。肥前の覇権が龍造寺氏から鍋島氏に移り、鹿島は佐賀藩の支藩として鍋島忠茂が治めることになる。初代忠茂から9代直彝まで鹿島藩の居城となった。常広城は度々、水害を受けることが多く、幕府と佐賀藩に移転を願い出て、鹿島城へと移る。その後、廃城となったとされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR肥前鹿島駅 徒歩10分
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 中世 |
| 主な改修者 | 鍋島信房 |
| 主な城主 | 有馬氏、鍋島氏 |
| 廃城年 | 文政4年(1821) |
| 遺構 | 横堀跡 |
| 再建造物 | 説明板 |
| 住所 | 佐賀県鹿島市大字常広字古城(北鹿島小学校) |