つねひろじょう

常広城

佐賀県鹿島市

別名 : 恒広城、常弘城、鹿島古城
旧国名 : 肥前

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願行寺山門(伝常広城移築門)
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元祖 鹿島城というべきか。 (2025/02/27 訪問)

 肥前鹿島駅から本丸跡まで徒歩10分ほど。バス利用の場合は、鹿島~佐賀間の路線バスが常広城の近くを通っており、最寄りの「乙丸東」バス停から徒歩5分ほどです。
 鹿島城(佐賀)を訪問後、肥前鹿島駅周辺で食事をしたあと、食後の散歩がてら常広城跡に行ってきました。
 旭ヶ岡公園(鹿島城跡)にある常広城の解説の説明板によると、天正四年に龍造寺氏が鹿島に進出。鍋島信房(鍋島直茂の兄)を鹿島に配置し、常広城を築城させたとされています。江戸時代に入り、佐賀藩初代藩主鍋島勝茂が弟忠茂に鹿島を与え、常広城は佐賀藩の支藩 鹿島藩の藩庁となったようです。しかし常広城は水害を受けやすかったため、江戸幕府や佐賀藩から許可を得て、鹿島城に藩庁を移転したようです。
 現在は、本丸跡は鹿島北小学校になっています。鹿島北小の校門脇に説明の石碑が設置されています。小学校の西側の用水路は、かつての常広城の水堀の名残のようです。
 周辺には鹿島大明神の社殿があり、すぐそばには公民館があります。公民館には海抜2mの看板がありました。これを見ると、今でも水害の被害を受けやすい場所であることが感じられます。
 そして本丸跡から南西に6分ほど歩いた所に願行寺があります。願行寺の山門は常広城の城門と伝えられているようです。こちらも鹿島城と同様、赤門スタイルになっています。

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城好きのメガネ

「常広城」 (2020/03/27 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
常広城は、鍋島信房(鍋島直茂の兄)が鹿島地方を治めるために築城したとされる。鍋島信房は鍋島清房の庶子で父と共に龍造寺氏に仕える。1576年、龍造寺隆信の藤津郡横沢城攻めに参陣する。龍造寺隆信の命により常広城を築城する。肥前の覇権が龍造寺氏から鍋島氏に移り、鹿島は佐賀藩の支藩として鍋島忠茂が治めることになる。初代忠茂から9代直彝まで鹿島藩の居城となった。常広城は度々、水害を受けることが多く、幕府と佐賀藩に移転を願い出て、鹿島城へと移る。その後、廃城となったとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR肥前鹿島駅 徒歩10分

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 不明
築城年 中世
主な改修者 鍋島信房
主な城主 有馬氏、鍋島氏
廃城年 文政4年(1821)
遺構 横堀跡
再建造物 説明板
住所 佐賀県鹿島市大字常広字古城(北鹿島小学校)