大坂冬の陣では徳川家康が本陣を置き、夏の陣では真田信繁(幸村)が天王寺口の戦いに際して陣を置いた茶臼山陣城は、茶臼山古墳を利用したとも、奈良時代に和気清麻呂が排水・水運のため上町台地を開削した際の盛り土とも言われますが、現在では地形は大きく改変されており、陣城としての遺構は見られません(茶臼山南側の河底池が水堀かと思っていましたが、違うようです)。
ですが、茶臼山の麓や山頂には大坂の陣にちなんだ石碑や説明板が数多く建てられていて、歴史の大きな舞台となった地に立って、往時に思いを馳せるには絶好の場所かも知れません。特に山頂は「真田幸村という人」「英雄になった真田幸村」「真田幸村名言」などといった説明板に取り囲まれており、真田推しの方(私もその一人ですが)にとっては、一度は訪れる価値があると思います。
周辺にも大坂の陣関係の史跡は多く、茶臼山から北に徒歩約5分の安居神社は真田幸村最期の地と伝わり、戦死跡の石碑や座って休息する姿の銅像、最期を遂げたとされるさなだ松(の二代目)が見られます。
また、茶臼山北隣の一心寺には夏の陣で戦死した本多忠朝(本多忠勝の二男)の墓所がありますが、冬の陣の際に深酒により敗走して家康に叱責されたことにより、天王寺口の戦いでは汚名返上すべく先鋒として毛利勝永隊に突撃し奮戦するも、猛反撃を受けて戦死。死の間際に、自分のように酒で身を誤る者を救いたいと誓ったといわれることから、酒封じの神として酒で苦しむ人々の信仰を集めているんだとか。私も酒をやめたいとは思わないまでも、酒による小さな失敗は何度もありますし、身を誤らない程度に楽しく飲めるよう願って手を合わさせてもらいました。
あと、茶臼山や大坂の陣とは関係ないものの、天王寺公園内には中之島の黒田藩蔵屋敷から移築された長屋門がありますので、こちらもあわせてぜひ。
以下余談。
ここまで書いてきて、周辺史跡も含めてくろもりさんの投稿をなぞったかのように同じところをめぐってるなぁ、と。同じついでに申しますと、私も「じゃりン子チエ」は大好きで、くだんの歌は今でもそらで歌えます。それにしても、ひょうたん池は茶臼山の河底池がモデルだったんですね。
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