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イオ

大坂の陣史跡めぐり (2019/10/09 訪問)

大坂冬の陣では徳川家康が本陣を置き、夏の陣では真田信繁(幸村)が天王寺口の戦いに際して陣を置いた茶臼山陣城は、茶臼山古墳を利用したとも、奈良時代に和気清麻呂が排水・水運のため上町台地を開削した際の盛り土とも言われますが、現在では地形は大きく改変されており、陣城としての遺構は見られません(茶臼山南側の河底池が水堀かと思っていましたが、違うようです)。
ですが、茶臼山の麓や山頂には大坂の陣にちなんだ石碑や説明板が数多く建てられていて、歴史の大きな舞台となった地に立って、往時に思いを馳せるには絶好の場所かも知れません。特に山頂は「真田幸村という人」「英雄になった真田幸村」「真田幸村名言」などといった説明板に取り囲まれており、真田推しの方(私もその一人ですが)にとっては、一度は訪れる価値があると思います。

周辺にも大坂の陣関係の史跡は多く、茶臼山から北に徒歩約5分の安居神社は真田幸村最期の地と伝わり、戦死跡の石碑や座って休息する姿の銅像、最期を遂げたとされるさなだ松(の二代目)が見られます。
また、茶臼山北隣の一心寺には夏の陣で戦死した本多忠朝(本多忠勝の二男)の墓所がありますが、冬の陣の際に深酒により敗走して家康に叱責されたことにより、天王寺口の戦いでは汚名返上すべく先鋒として毛利勝永隊に突撃し奮戦するも、猛反撃を受けて戦死。死の間際に、自分のように酒で身を誤る者を救いたいと誓ったといわれることから、酒封じの神として酒で苦しむ人々の信仰を集めているんだとか。私も酒をやめたいとは思わないまでも、酒による小さな失敗は何度もありますし、身を誤らない程度に楽しく飲めるよう願って手を合わさせてもらいました。
あと、茶臼山や大坂の陣とは関係ないものの、天王寺公園内には中之島の黒田藩蔵屋敷から移築された長屋門がありますので、こちらもあわせてぜひ。

以下余談。
ここまで書いてきて、周辺史跡も含めてくろもりさんの投稿をなぞったかのように同じところをめぐってるなぁ、と。同じついでに申しますと、私も「じゃりン子チエ」は大好きで、くだんの歌は今でもそらで歌えます。それにしても、ひょうたん池は茶臼山の河底池がモデルだったんですね。
 

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しーげ

長大な「水城」 (2011/11/13 訪問)

水城は道路で分断されています。すべて回るのは難しいと思います。また、春日市には小水城が点在しています。

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しーげ

登りやすい城 (2016/04/30 訪問)

道が整備され、登りやすい城です。

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しーげ

道が変わっている (2016/12/30 訪問)

光源寺から新しい道がついているので、これまでと違うので要注意です。

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しーげ

イノシシ除けの柵に注意 (2016/08/07 訪問)

円通寺の奥のイノシシ除けの柵の出入り口から城跡に入ることが出来ます。

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しーげ

何とか石垣が見える (2018/04/29 訪問)

なかなかわかりにくいですが、石垣の列の一部を見ることが出来ます。

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カズサン

立体輪郭式の土の城 (2017/05/25 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県城廻り由利本荘市亀田陣屋を終わり秋田最後の本荘城を初登城、車は公園南西奥の公園駐車場に停めて南側奥より二の丸、本丸の櫓台に登り本丸修身館で本荘城の勉強、本丸廻り、二の丸北正面から石垣で整備された階段を降りて三の丸広場復元城門と左右の水堀を探訪、時期的に土塁上にはつつじが色とりどり色鮮やかに咲き誇って居ました、奇麗に公園管理されてます。
 この後国道107号線で横手市秋田道横手ICより岩手県の城廻りへ向う。

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暁月

最近の建築物 (2019/10/25 訪問)

石垣風の部分、セメント見えない方が良いなと…
11月から御城印出来た様です。。。

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カズサン

真田信繫五女「直」絡みの陣屋 (2017/05/25 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県城廻り能代市の檜山城を終えて高速秋田道、日本海東北道経由して松ヶ崎亀田ICを降り亀田陣屋初登城。
 車は模擬天守が建ってる天鷺村前の駐車場に停め、先ず陣屋跡地の旧亀田小学校、グランド、天鷺神社を探訪し小学校跡地には城郭風の佐藤八十八美術館、陣屋奥の山頂はワイナリーと成り高城山には中世城跡出羽赤尾津城跡として公園化、城石碑が在る。
 麓の模擬天守閣大手城門を控えた天鷺村は古民家、武家屋敷、史料館、歴史館が揃って居り歴史館では大河ドラマ真田丸に絡んで真田信繫五女「直」の展示が有り大変勉強になりました。
 佐竹義宣弟宣家と真田信繫五女直と結ばれ重隆を生み岩城氏亀田藩を継ぐ、佐竹宣家は岩城宣隆に改め藩主と認められ二代目、三代目は子息重隆と続き明治まで至る。

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カズサン

安東氏三城の一つ俊逸な城 (2017/05/25 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県城廻りし能代に一泊、ホテルで食事後近くのスナックを紹介して貰い秋田美女とカラオケでリフレッシュ翌日、能代市檜山の檜山城を目指すその前に情報センター檜山崇徳館に依るが開館時間前、大きく安東愛李公の掲示がなされてる流石檜山安東氏の故郷。
 そのまま車で舗装の登城路を進行し三の丸、二の丸の間の狭い駐車エリアに停める、帰りバックして戻るに一苦労、歩いて城域、遺構を見ながら登るのが最適化も。 熊の心配もなく、草の茂も無く、その時期の投稿写真を見るとそのタイミングにゆっくりと観察探訪したい城です。
 熊注意も有り、草も茂って居り三の丸、二の丸、本丸、周辺を見渡し、眺望し下城、麓に一国一城制で多賀谷氏が築いた多賀谷居館跡を探訪、多賀谷氏は常陸下妻城主、佐竹氏に降り関ヶ原後佐竹氏と秋田に転封し檜山城に入る。
 下城後崇徳館に依り情報収取、資料を得る、担当の方から昨日檜山城に熊が出没したと聞きびっくり聞いて居たら登城しなかったかも。
 帰路檜山安東氏城館跡茶臼館跡を探し探訪、標柱、田圃あぜ道の奥に案内板有るが草深く遠望のみ。

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tsuchinari

消えた天才 (2019/10/26 訪問)

プロ野球のスター選手に高校時代「絶対に勝てない」と思わせた天才がいた。
しかしその天才はプロに進まず表舞台から姿を消した…
そしてその天才は現在…!

といった感じの某ドキュメンタリー番組に見覚えのある人も多いのでは。
膳所城はまさにこの「消えた天才」と言える。
関ヶ原の戦の翌年に築城されたこの城は、名古屋城や江戸城、安土城など、城好きならずとも誰もが知っているような超有名どころの城と肩を並べる名城であった。
・琵琶湖畔の城
・天下普請による築城
・藤堂高虎による縄張り
膳所城を連想するキーワードをざっとあげるとこの3点がある。
「琵琶湖畔」
戦国時代から琵琶湖畔には多くの城が築城された。安土城、彦根城、観音寺城、小谷城、長浜城、坂本城などなど。理由は琵琶湖が天然の堀の役目を担ったこと、東国と京を結ぶ交通の要所でもあったこと、関ヶ原の戦後は、大阪の豊臣家を監視する役目があったことなどが理由として挙げられる。
「天下普請」
関ヶ原の戦いに勝利し、事実上天下を取った徳川家康が全国の大名に号令を発し、築城させたのが天下普請で築かれた城である。名古屋城や大阪城、江戸城などもこれに含まれる。このような名だたるどの名城のなかで、最初に築かれた城が膳所城なのである。
「藤堂高虎」
築城名人と言われる武将の中で、築城数において群を抜くのが藤堂高虎である。三英傑に仕え築城の才能を開花させた。宇和島城、今治城、伊賀上野城などなど、押しも押されぬ名城が並ぶ。膳所城もこの中に含まれる。

このようなキーワードが揃うわりには今日の膳所城の知名度はあまりに低すぎるように感じる。あくまで推察だが、築城以来、特に大きな戦や歴史に残るような出来事がなかったことと、現在は遺構がほとんど残っていないことが考えられる。
膳所城は江戸時代を通じて存続する。この間何度も補修を繰り返した結果、膳所藩の財政を圧迫させた。これは琵琶湖畔だったため常に波風に晒されていたことが原因と考えられる。
そして明治維新を迎え、廃城令により城としての歴史に幕を閉じる。

現在は城ではなく、人々の憩いの場として親しまれている。姿形を変えて今も尚、人々から愛されているわけだ。これも城の魅力の一つだと思う。数少ない遺構である城門は周辺の寺院に移築されて現存している。現在の膳所城址公園からは400年前武将が見た景色と同じ景色を見ることができる。

「消えた天才」は、昔とは違った色の光を今も確かに放っている。

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カズサン

模擬天守閣が鎮座 (2017/05/24 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県男鹿市の脇本城を終えて秋田県五城目町の模擬天守閣の在る五城目城初登城、麓城下より山頂の天守が見えそのまま車で天守閣直下の駐車場に車を停める、熊注意の看板が怖そう、模擬天守の森林資料館は閉館時間直前で入館できず、管理の方が居ましたので資料だけは頂く。
 よくこの小さな町で模擬天守閣を建設したと感心しお陰で探訪する事も出来大変感謝です。
 天守、周辺を撮影して下城、その後隣町の八郎潟町の浦城を探訪へ近くのお寺まで行くのですが夕刻暗く駐車場が分らず城域全体を遠望し宿泊先の能代へ進行。

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todo94

2度目の続日本100名城スタンプラリー・スタート! (2019/11/02 訪問)

日本城郭協会発行の「続日本100名城に行こう」を手に入れてしまったので、富山城より2度目のスタンプラリーを始める事にしました。日本100名城の時に倣って、1回の旅で1個のスタンプのみ捺す1城縛りで進めていくつもりなので5年くらいかかりそうですが、ゆっくりと楽しんでいきたいと思います。富山市役所の展望室から初めて富山城を俯瞰してみました。

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とまんど

三島市のクラウドファンディング特典で障子堀に入りました (2019/11/09 訪問)

富士山が一望できる美しい城跡です。
クラウドファンディング「【第2弾】日本が誇る貴重な文化財「山中城跡」を後世へつなげたい。」に応募し、特典イベント「いざ山中城!みんなでのぼり旗を立てよう!」に参加。これが素晴らしく、普段入ることの出来ない障子堀などに特別に入らせていただきました。クラウドファンディングは今後も企画されるとの事です。
訪れた時は台風19号の爪痕が大きく崩れた場所もありましたが、赤土が露出した状態は当時の様子を窺い知る事ができ、それはそれで貴重な体験でした。赤土のまま結露すると崩れていくそうで、あの美しい芝の保護をされているそうです。

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カズサン

男鹿半島付根安東氏の城 (2017/05/24 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田城、湊城を終えて男鹿半島の付根に在る安東氏の城、脇本城に初登城、車は県道59号線沿いの菅原神社鳥居の在る道路脇駐車場に停める、そこには大きく脇本城の大看板が有る。
 車も通れる舗装道を徒歩で神社、中腹の小さな資料館有り登城前に予習し更に登って行く草が深く案内解説板の有る処で周辺を遠望、資料館の資料、写真で想像を膨らます、草刈り後か草の枯れた10月雪前か春雪解け後が良さそうです。

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中川藤兵衛尉

姫路城 (2019/11/12 訪問)

仕事の都合で姫路に行ってきたので、ついでに中・外曲輪に登城。中堀を守る土塁や重厚な枡形門にただただ圧倒されましたわ

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赤い城

高藤山城 (2019/11/09 訪問)

上総一ノ宮駅から徒歩で40分くらいのところに登城口があります。
尾根道を登って行きますが急だけどそんなに長くはないので比較的楽に登れます。
主郭部周辺は整備されています。
堀や曲輪、土塁も残っています。

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カズサン

安東氏の築城 (2017/05/24 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田城を終えて近くの湊城に初登城、安東三城の一つ、(他に檜山城、脇本城)現在城址には土崎神明社が鎮座し神明社の道路脇に案内板が有る、安東実季が家督を継ぎ関ヶ原後常陸国宍戸に転封、秋田氏を名乗る、替わって佐竹氏が秋田へ転封。
 遺跡は明確には分らない、案内板のみか? 車は神明社の駐車場に停める。

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にのまる

冬の城じまいの前に。 (2019/11/01 訪問)

金沢9:51着のかがやき3号から9:54発のサンダーバードへの乗り換えには勝利したものの、越前大野駅のある九頭竜線は本数が少なくて接続していなかったので、福井駅からバスで行きました。一乗谷もそうですが、この区間は電車とバスの両方の時刻表を見てスケジュールを立てるとよさそうです。

南登り口から、近道の階段を選んで登りました。
天守は約50年前に推定復元されたもので、ここではこの建物を〈越前大野城〉と呼んでおり、少しややこしいです。
入口でスタンプと令和元年秋バージョンの御城印をいただき、展示を見ながら最上階まで上がりました(撮影不可)。
紅葉には少し早かったけれど、眺望は素晴らしかったです。
(12月〜3月は休館ですが10・11月は午前6時から開館。天空の城が見られるかも⁈)

天守台の野面積みの石垣は撮りごたえがありました。武者登りの角の折れ曲がりがステキで、上がったところからの眺めもよかったのですが、天守を撮影する人の邪魔になるので長居は出来ず。。。

金森長近像は台座が高すぎてよく見えなかったのでズームしてみると優しいおじいちゃん風でした。戦場を駆け回った時代ではなく、美濃の小倉山城に隠居した晩年の雰囲気なのではないかと思いました。
帰りは北登り口に下りて、旧田村家住宅(写真⑧)と朝倉義景墓所(写真⑨)へ寄りました。

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カズサン

古代城柵秋田城 (2017/05/24 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県角館町の角館城、武家屋敷通りを探訪し出羽古代城柵として有名な秋田城を初探訪、車は秋田城址歴史資料館東下の駐車場に停め、歴史資料館で予習し資料を頂き探訪へ、政庁跡、東門、古代水洗トイレで元に戻るルート。
 発掘復元整備が行き届いてる、今後も進んでいくようです、資料館も展示が素晴らしい。

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