<オススメ>★★★★☆
勝龍寺城は、戦国時代末期には淀古城と共に松永久秀、三好三人衆の支配下になっていた。1568年、足利義昭を奉じて織田信長が上洛すると細川藤孝が勝龍寺城に入る。藤孝は信長の許可を得て大改修を行う。城の防御を高めるため、城の北側に、堀の底から土塁の頂部高さ6メートルを超える大規模な土塁・空堀を築いた。1580年、藤孝は丹後へ移封となり、1581年に猪子高就が城代となる。1582年、本能寺の変後、山崎の戦いでは明智光秀が勝龍寺城を拠点とし、羽柴秀吉を迎撃する。しかし、山崎の戦いに敗れた光秀は勝龍寺城に退却し、最期の夜を過ごした。光秀が脱出したと伝わる勝龍寺城の北門には、当時の石垣や門の礎石が現存している。その後廃城となる。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸が遺されている。
※「山崎の戦い」明智光秀本陣跡の国史跡 恵解山古墳へ併せて散策することをオススメする。
<アクセス>
JR長岡京駅 徒歩20分
+ 続きを読む










