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羽柴秀長の陣 (2020/10/31 訪問)

 賤ケ岳の合戦時に羽柴秀吉の異母弟秀長が布陣したとされる陣城で土塁や堀切、馬出などを見ることができます。
木ノ本駅から徒歩で意冨布良(おほふら)神社まで約10分弱、途中に木ノ本牛馬市跡の石柱と案内板があり、山内一豊はここで名馬を買ったとされています。神社から城址までは上宮跡を経由して約30分くらいです。道も城域もよく整備されています。城址には案内表示もあり、山も手入れされているため遺構をよく見ることができます。

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くっしー

眺望が最高にGOOD!! (2020/10/31 訪問)

下から歩いて登ることも可能ですが、玄蕃尾城登城後ということもあって、体力的に限界だったのでリフト(往復900円)を使いました。リフトから降りてさらに10分ほど登ると砦跡にたどり着きます。公園になっていますが、遺構はよくわかりませんでした。でも、そこから眺める琵琶湖と余呉湖がとてもいい眺め、美しかったですね。遠くを見渡せるので敵の動きも手に取るようにわかったでしょうね!!

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姫街道

古風な雰囲気の中、戦国期の遺構がある城 (2020/10/30 訪問)

平安末期の築城とあるが、二重堀切や虎口らしき跡など、戦国期と思われる遺構がある。ただ、ここも綺麗に整備されていて、曲輪内や土塁に生える苔が城を古風な雰囲気にしている。当時、狩野川がどう城を取り囲んでいたか興味あるが、中郭が東向きで背後に土塁を配置している事から狩野川の交通を抑え、本郭が陸の交通を抑えていたのではないかと、伊豆の海城を回ってきた感覚から勝手に想像した。いずれにしろ、伊豆一円に勢力をふるっていた城にふさわしい大きな城だった。

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カズサン

堀直寄公が大切にされ本丸堀土塁が残存 (2020/10/24 訪問)

 下越大葉沢城登城の前に関越道経由長岡ICを降りて前々から気に成ってて中々寄れなかった蔵王堂城を初登城、当日は雨で肌寒い傘を差し雨が止んだ合間に撮影。
 車で高速を乗り継ぎSAで仮眠車中泊早朝、蔵王公園の金峯神社の道を南に隔てた駐車場利用(5,6台可能)
 神社の西に本丸堀と土塁が残ってる、堀は南、東にL型、土塁は南側、北側に残ってるのが確認できる、堀も土塁も中々な大きさ本丸の中には安禅寺とお堂が立ってます、その前に堀直寄公像凛々しい。
 歴史的には慶長3年(1598年)上杉氏が会津に120万石で転封後堀秀治が30万石で北ノ庄より春日山に入封し本城を福島に築城、直寄は坂戸城2万石で蔵王堂城主親良を後見補佐、秀政、嫡男秀治の主家筋と秀政の姉妹を娶った直政、次男直寄家老筋の中お家騒動が起こり堀氏30万石は改易、直寄は秀吉の可愛がられ小姓に、家康にも実力を認められ関ヶ原前哨戦、大坂の陣の功績も有り飯山4万石、長岡8万石、堀氏時代、直寄時代に長岡市の基礎が出来治世安泰、村上10万石栄達、現在の村上市の礎と山頂に聳える石垣の城を造った。

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姫街道

北条水軍対豊臣水軍 (2020/10/30 訪問)

長浜城が対武田水軍の海城であったのに対して、こちらは14,000人にも及ぶ対豊臣水軍の海城であった事がよくわかるし、遺構が良い状態で残っている。駐車場がある北側は下田公園として城の面影を残しつつ綺麗に公園整備されているが、鵜島城跡の石碑を超えると雰囲気が一変。特に曲輪群の南側、500mに及ぶ畝堀を含んだ横堀と、深い堀切と堀に囲まれた東曲輪群は圧巻。障子堀に入って遺構を体感する事も出来た。今は水族館になっているが、赤根島を正面に見る湾は、水軍の船が並び、激しい戦闘があったであろう風景が脳裏に浮かんでくるような地形だ。標高は69mとあるが、山全体を活用していてら高低差を感じる城の作りだ。1万を超える豊臣水軍の攻撃に対してわずか600人で50日間にわたって籠城を続けたとあるが、本当に凄い城だ。

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姫街道

白水城(伊豆半島最南端の城) (2020/10/30 訪問)

山頂で日の出を見ようと、早朝から登城。
登山道の途中にある井戸から白い水が湧き出たことから白水城と呼ばれるようになったとの事。
ほとんど何も調べずに行ったため、主郭の三方を取り囲む土塁の規模に驚いた。石廊崎港に面した主郭西側は、他の海城同様に土塁が無いが、主郭面積の半分は土塁じゃないかと思うくらい大きい。曲輪は、大きくは3段で構成されているように感じられ、どの曲輪も階層的で閉鎖感がある。
さらに注目は、2の曲輪?への虎口。巨石の配置や高低差が効果的な作りだと感じた。主曲輪の東に大堀切があるとの事だが、初登城だと、土塁の圧迫感から方向感覚や遺構の要領を正直言って掴みきれなかった。
城の周囲には船道が今でも回っており、いつの時代に出来たかは不明だが、石洞が二つ舟の格納庫のようにあった。
魅力たっぷりな海城なので、よく準備してから出直したい。

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ぴーかる

屋島城 (2020/10/17 訪問)

【屋島城】
<駐車場>高松市立屋島駐車場300円
<交通手段>車

<見所>復元城門石垣
<感想>1泊2日讃州・阿波攻城の旅4城目。屋島城は古代山城で、書物に出てくる朝鮮式山城です。屋島は江戸時代までは島であったが塩田開発と干拓によって埋め立てられ、陸続きになったようです。山頂部は広い台地状と周囲が岩の断崖の山で、高松市街に入るとすぐその特徴的な山が目立ち、天然の要塞感がたっぷり出ています。

 せっかくの古代山城攻めだが、降りしきる雨の中、山上全部が城域なので、すべてを巡る攻城ができず、復元城門石垣と屋島寺の訪問のみとなってしまった。復元城門の石垣は整備されており、現地説明板には発掘時の様子が写真で説明していたりして分かりやすい。この城門跡は石垣の壁といった感じで、石垣の凹んだところは低い場所高さ2.5m【懸門(けんもん)】と呼ばれる。梯子を掛けて登り降りするそうです。懸門の下に暗渠が設けられており、ちょうど降っていた雨がきれいに排水されていました。城門を入ると、日本でいう内枡形(百済の渡来人が築城または指揮した説があるので)というか半円状の石垣囲みと堡塁があります。【甕城(おうじょう)】と呼ばれるそうです。侵入してきた敵がこの甕城で右方向に流され、さらにそこで横矢でやられる仕組みになっています。この復元城門だけでも見応えと勉強になりました。
 私は行かなかったが、浦生集落から少し山に入ったところにも石塁遺構があるそうです。

<満足度>◆◆◇

<ホテル>宿泊は「ホテルエクストールイン高松」で宿泊しました。ビジネスホテルながら、接客態度の素晴らしさ、マスク越しからでも伝わる笑顔の挨拶でスタッフの対応は超一流で気持ち良く宿泊することができました。全館禁煙で大浴場あり、朝食無料サービス付きです。高松城から徒歩10分くらいの所ですのでお勧めです。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/15 訪問)

月山富田城からクラブツーリズムのバスで松江城に到着。100名城スタンプは天守閣1Fで押しました。
松江城は2回きています。1回目は高校の卒業旅行(50年近く前でほとんど覚えていません)で友達ときました。その時はまだ国宝ではありませんでした。2回目が今回のクラブツーリズムのツアーです。
バスを降りたのは駐車場ではなく堀尾吉晴公像前の道路でした。そこから、堀尾吉晴公像前を通り入城。大手門木戸跡➡馬溜跡➡大手門跡➡三ノ門跡➡二ノ門跡➡局屋敷跡➡一ノ門跡➡天守閣➡多門跡➡鉄砲櫓跡➡乾櫓跡➡二の丸番所跡➡南櫓➡中櫓➡太鼓櫓➡堀尾吉晴公像前の順番で廻りました。パンフレットを見ると時間の都合で、城址の半分も見ていないことになります。
松江城は宍道湖の湖岸に建てられており、日本三大湖城のひとつです。見所はやはり国宝の天守です。
4重5階地下1階、入口に附櫓を設けた複合式望楼型天守は素晴らしい。3階南北張出部中央にある花頭窓、黒色下見板の壁、鬼面の鬼瓦(天守閣内に展示されていました)、天守入口の附櫓など見所満載です。
櫓、石垣、水堀も素晴らしいです。攻城時間は90分くらいでした。

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犬御前

石垣が美しい城と趣ある城下町 (2020/10/22 訪問)

何しろ石垣が美しく見応えがある。東日本大震災の被災より復興し再び素晴らしい石垣をみることが出来感慨ひとしお!小峰城と共に東北本線白河駅に隔てられた小峰城と城下町を歩くと城の規模や町の雰囲気(鉤形、大鉤形、寺など)が味わえて楽しい。関川寺境内西側には戦国時代の城館跡の土塁と空堀も残っていて必見。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/15 訪問)

郡山城からクラブツーリズムのバスで安来市立歴史資料館に到着。ここで100名城スタンプを押印して月山富田城を攻城。
月山富田城の登城口は菅谷口、御子守口、塩谷口の3か所あるようですが、自分は(ツアーでの移動は別々でした)御子守口から千畳平経由のルートで登って行きました。
攻城ルートは安来市立歴史資料館➡千畳平➡尼子神社➡太鼓壇➡山中鹿介銅像➡花の壇(復元建造物あり)➡山中御殿➡菅谷口の虎口➡七曲がり(山吹井戸、親子観音)➡三の丸➡二の丸➡本丸➡勝日高守神社➡逆ルートで下山。
月山富田城は標高191m、比高160mの月山の山頂に築かれています。見所は堀切、堀、石垣などです。城跡はよく整備されており、当日は小雨が降っていましたが、七曲がりの登城路の路面は敷石が敷き詰められており、歩き易かったと記憶しています。
攻城時間は90分くらいでした。

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犬御前

中世城郭の名残…土塁空堀 (2020/10/23 訪問)

この城には中世城郭の土塁空堀段郭が残っているのでそれを見て回るのも楽しい。中世城郭、近代城郭共に自然地形を活かした守りの堅固な城塞である。

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コバトン

北関東の重要拠点 (2020/10/31 訪問)

鉢形城は北条家の北関東支配における重要拠点。もともと山内上杉家の城だったものを北条氏邦が拡張し居城にした。深沢川と荒川の合流地点にある断崖に築かれ鉄壁の守りを誇る。秀吉の関東出兵の際も大軍の北国勢に攻められたが一月以上持ち堪えた。場内は広く公園として整備されて土塁や空堀、石積みなどが見られる。復元した馬出も迫力があって見応えあり。荒川越しに見ると要害っぷりが更によく分かります。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/15 訪問)

宿泊先のホテルアルファワン三次よりクラブツーリズムのバスで安芸高田市歴史民俗博物館に到着。100名城スタンプは歴史民俗博物館にありました。
攻城ルートはガイドの方の案内で、元就火葬場伝承地➡三矢の訓跡碑➡清神社➡郡山公園➡展望台➡尾崎丸(堀切)➡勢溜の壇➡御蔵屋敷➡三の丸石垣跡➡三の丸石塁➡三の丸跡➡二の丸跡➡本丸跡➡釣井の壇➡嘯岳鼎虎(しょうがくていこ)禅師墓➡毛利元就・一族墓所➡百万一心碑➡洞春寺跡➡大通院谷遺跡・薬研堀➡毛利隆元墓所➡歴史民俗博物館の90分ルートでした。
標高390m、比高190mのプチ登山です。本丸を中心として放射状に270ヶ所以上の郭が築かれていたようです。見所は堀切、堀、薬研堀、石垣跡、石塁などです。今回は時間の都合で行けなかった本城の本丸と手前の堀切は見学したかったです。

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カルビン

馬坂城 [茨城県常陸太田市天神林町3247] (2015/06/13 訪問)

平安時代末期に武田氏の祖先の一族・新羅三郎一族によって造られた馬坂城。
戦国時代には佐竹氏によって支配・統治されております。

現在は周辺それなりに整備されている為、完全にはお城としての形は残っておらず、所々にその面影が転在している様です。

自分の場合車で訪問(最寄り駅が近くに無い)しましたが、駐車出来る場所も無く、当時ちょっとしたスペースに無理矢理駐車させて頂き、ダッシュで見学しました(汗)

確認出来たのが急坂の近くにあった公園っぽい場所(恐らく主郭跡)に建つ解説とその周辺の帯曲輪、馬坂城西城跡地とされる曲輪(看板あり)、そして隣接(もしかしたらお城の一部)する間坂貝塚くらいです。
解説版に添付された地図では他にも遺構が転在している可能性ありましたが、何分車止められそうな場所が無かったもので・・・


ここから南にある久慈川を挟んで南には結構な規模で遺構の残る額田城、瓜連城、南酒出城等ありますが、北には舞鶴城こと太田城の様に遺構が残っていないお城が。

川を挟んでこうも残り方違うように感じるのは自分の思い込みでしょうか_s(・`ω´・;)ゞ??

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コバトン

土塁と空堀で守られた関東の山城 (2020/10/31 訪問)

武蔵嵐山駅から歩いて30分ぐらい。積善寺の脇道を登るとすぐ開けた大手口の曲輪に出る。非常にきれいに整備されていて至るところに設けられた深い空堀や切岸、土塁などがはっきりと見える。高い山ではないが地形を巧みに利用していて、山城の特徴がよく分かって楽しい。15世紀後半に山内上杉氏の築城とする説が有力だが、喰違い虎口や馬出しなど高度な技術が用いられており、後年に後北条氏が改築した可能性もあると思う。関東の土の城の良さを改めて感じられるお城です。

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テンちゃん

郡上八幡城 登城(2020.10.30) (2020/10/30 訪問)

月末最終金曜日のみに発売される特別御城印を購入したくて2020年10月30日(金)を狙って登城してきました。
山頂の駐車場に止めましたが、そこまでの道路が思って以上に幅狭、急カーブ、急勾配で緊張しました。

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うさぎ屋

富士見櫓・宮内庁・大嘗宮 (2019/11/22 訪問)

一年前ですが、大嘗宮公開のとき、
富士見櫓を真下から見上げました。
雨が降っていたため、霞んでいます。

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姫街道

北条水軍の水軍城+山城 (2020/10/30 訪問)

伊豆半島から西へ張り出すようにある丸い形をした出丸は、水軍城であったであろう。
出丸の東、伊豆半島部には本城と呼ばれている段状曲輪の遺構が伊豆半島の外周を回る国道によって分断されてしまってはいるが、山城のようにあった。
まず出丸だが、名前の通りまん丸。山頂の主曲輪から海に向かって帯曲輪があるようだが、薮で突入は断念。山頂からのロケーションがいまいちなのは、悔やまれるところだ。出丸と城城の間は国道が横切るが、出丸側に大堀切がある。国道を渡り遊歩道を登るかたちで山城形状の段状曲輪を見てまわった。段々畑にしてたのか、近年積んだであろう石積みが曲輪を形成するようにあった。「大久保」と言う地名からも、窪地を利用した城だったと思う。ただ、本城の背後は防御上は絶対に弱点だったはずで、大堀切らしき跡があった。
本丸に対して腰曲輪があったのか、保存状態良く残っていたが、遺構でない可能性も高い。

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姫街道

北条水軍対武田水軍 (2020/10/30 訪問)

伊豆の下田へ行く機会に恵まれた。伊豆は韮山城までしか行った事がなく、西回りで入るか東回りで入るか悩んだが、北条氏の対武田水軍から対豊臣水軍へと移っていく様子も感じたく西回りを選択し、長浜城から登城した。まず感じたのは、城の整備が素晴らしい。観光業が盛んな伊豆らしく、全てにおいて見やすくわかりやすい。一番の見所は武田水軍の居城である三枚橋城が一望出来る点だ。こんな素晴らしい景気を毎日見てたら、あまり戦闘意欲が沸かないように感じるが…。さて、驚いたのは土塁の形状。海に面した側に土塁が全く無い事に驚いた。私は初めて行くお城の事は、ワクワク感を優先してあまり調べ無いようにしているが、相手に丸見えだし、相手の船からの攻撃を防ぐためにも土壁はあったほうがいいように感じるのだが、現地資料では確認できず、海側は解放的攻撃的な作りだと思った。武田水軍との海戦で勝ったり負けたりしてただろう頃のこの城はコンパクトだが、様々な遺構が状態良く残っており見所満載だ。

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ふゆづき

柳生陣屋 (2020/01/25 訪問)

奈良市内から春日山原生林を超えた場所にある柳生の郷の高台に陣屋があります。
奈良市内からは柳生街道を使い徒歩でいく方法もあるようですが、車で行きました(30分弱です)。
車を駐車場に停めて散策しましたが、陣屋は柳生の郷全体を見渡せる場所にあり、街道を挟んだ反対側に柳生の道場があります。
陣屋の跡には石碑が残っているだけで何もありませんが、高台に麓に家老の小山田氏(甲州とは別系統のようですが)の屋敷が公開されています。
家老屋敷の高台はきれいに積んでありました。

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