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城好きのメガネ

「勝龍寺城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★★★☆
勝龍寺城は、戦国時代末期には淀古城と共に松永久秀、三好三人衆の支配下になっていた。1568年、足利義昭を奉じて織田信長が上洛すると細川藤孝が勝龍寺城に入る。藤孝は信長の許可を得て大改修を行う。城の防御を高めるため、城の北側に、堀の底から土塁の頂部高さ6メートルを超える大規模な土塁・空堀を築いた。1580年、藤孝は丹後へ移封となり、1581年に猪子高就が城代となる。1582年、本能寺の変後、山崎の戦いでは明智光秀が勝龍寺城を拠点とし、羽柴秀吉を迎撃する。しかし、山崎の戦いに敗れた光秀は勝龍寺城に退却し、最期の夜を過ごした。光秀が脱出したと伝わる勝龍寺城の北門には、当時の石垣や門の礎石が現存している。その後廃城となる。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸が遺されている。

※「山崎の戦い」明智光秀本陣跡の国史跡 恵解山古墳へ併せて散策することをオススメする。

<アクセス>
JR長岡京駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「開田城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
開田城は、中小路氏の居城であったとされる。中小路氏は菅原道真が大宰府に左遷される際に同行し、道真の死後に東小路祐房と共に道真自作の像と念持仏を持ち帰り、祠を建てた。開田天満宮(現在の長岡天満宮)の神官を務め、徐々に勢力を拡大したとされる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
阪急電鉄 長岡天神駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「高槻城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
高槻城は、入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、和田惟政、高山右近が城主となった。和田惟政は足利義輝に仕え、足利義輝横死後は義昭を庇護する。足利義昭からは池田勝正、伊丹親興と共に摂津守護の1人として任命され「摂津三守護」と称された。幕臣として幕府の外交・政治に大きく関与しながら、義昭と信長の橋渡し的役割を務めている。そのため、織田信長にも重用され高槻城を改修するなど活躍している。高山右近と共にキリスト教に帰依し近畿地方の有力なキリスト教保護者であった。本能寺の変後は、新庄直頼が入る。関ヶ原の戦いで西軍に属して改易される。その後、永井直清が藩主となる。京都と大阪を結ぶ交通要衝であった。鳥羽伏見の戦いでは新政府軍と交戦せず高槻城に撤退し、恭順している。現在、石垣等が遺されている。

<アクセス>
JR高槻駅 徒歩15分

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橋吉

入門用として最適な山城 (2021/03/19 訪問)

岡豊城は、四国の覇者となった長宗我部氏の居城です。

城址の一角には高知県立歴史民俗資料館が置かれています。
残念ながら、耐震工事のため閉館中でした。

資料館前の駐車場にとめました。
資料館の上は城跡です。

登城前に、山村民家に寄りました。
資料館工事期間中は、ここに続日本100名城のスタンプが設置されています。

訪れたときには「土佐の七雄スタンプラリー」なるイベントが行われていました。
岡豊城址の各ポイントに、戦国時代土佐各地で力をつけた国人のスタンプが置かれているので、これを集めるとプレゼントがもらえるというものです。
せっかくなので、参加することにしました。

一回りするのにちょうど一時間かかりました。
「土佐の七雄スタンプラリー」の賞品として缶バッチをいただきました。

岡豊城は入門用として最適な山城です。
まず、交通アクセスが良いこと。
次に、歩き回るのが比較的容易であり、案内もわかりやすいこと。
たとえば、中高生の遠足や社会見学にも向いている、そんな山城でした。

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昌官忠

リハビリ15城巡り⑩:新井宿城 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り10城目は新井宿城です。
馬込城より徒歩17~18分くらいで熊野神社(35.584441、139.721279)に着き、それから石段を下りて善慶寺門前(35.583797、139.722199)に向かいました。

新井宿城は北条氏の家臣、梶原氏によって築かれたと伝わる城です。
現在、善慶寺の裏手にある熊野神社付近に築かれていたと推定されています。
1590年(天正18年)家康の関東移封後、幕末まで新井宿領は、旗本木原氏の知行地であったようです。

城の遺構らしきものは何も残っていません。お寺の奥が神社なのが少し不思議です。
石段は結構急です。歩き疲れた足には下りは結構堪え、手すりを使って下りないとそのまま下まで落ちそうでした。
善慶寺門前でお年寄り(少なくとも自分より)に道を聞かれました。お寺&神社巡りをされてるようですが、自分は地元ではないのでわかりませんでした。
その方は東京23区の分厚い地図の本を持って廻られているようですが、地図の本だけで現地に着くとは尊敬です。(方向音痴な自分はGoogleマップで事前にGPS座標を調べ、かつ羅針盤を持って城巡りに臨んでいるので。。)
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

リハビリ15城巡り⑨:馬込城 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り9城目は馬込城です。
池上氏館より徒歩15分ちょっとで湯殿公園入口(35.587951、139.708844)に着きました。

馬込城は北条氏の家臣である梶原助五郎の居城として知られていますが、定かではありません。
現在城址周辺は宅地化され遺構はなく、また正確な城址の位置もできておらず、湯殿神社や萬福寺などが推定値とされています。

湯殿公園から湯殿神社へは鍵がかかっていて行けませんでした。
湯殿神社入口は湯殿公園入口から東へ20m先にありますが、こうま児童公園入口(35.588582、139.709228)からも行けます。
現在の城跡地は遺構もほぼなく解説板や石碑などもありませんが、湯殿神社の境内だけは木立に囲まれていました。
攻城時間は10分くらいでした。

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ぴちょまる

小見川城山公園 (2021/03/27 訪問)

城山という名称ではあるものの、前方後円墳の方がメインのような場所。
染井吉野も1000本あり、北総では有名な花見の場所らしい。
相当な数のボンボリを吊るしてある。

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ながす

松本城 (2021/03/27 訪問)

松本城!!
国宝現存天守!!カッコ良過ぎる、、、
御城印8つ目!!

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城太郎

復興に感謝、感動 (2021/03/25 訪問)

震災から5年 再び甦る天下の名城。
初訪問の熊本城でしたがスケールの大きさに感動。
宇土櫓の勇姿にも感動。

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城好きのメガネ

「野崎城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
野崎城は交通要衝に築かれ戦力的重要な拠点であったとされる。河内国守護畠山氏の内紛の際には、畠山尚順が立てこもる野崎城に畠山義豊が攻めたとされる。戦国時代には飯盛山城の出城として活用されていたとされる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR野崎駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「淀城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★★★☆
淀城は1623年、徳川秀忠の命により松平定綱が築いた。廃城となった伏見城の資材を転用したとされる。その後、稲葉正知が入り、幕末まで稲葉氏が治め、山城国唯一の大名家の居城として明治に至った。幕末の藩主・稲葉正邦は老中や京都所司代などを務めていたが、鳥羽伏見の戦いで敗走した旧幕府軍の入城を拒否した。尾張藩から中立を守るよう助言されていたとされる。廃藩置県に伴い廃城となる。現在、石垣等が遺されている。

<アクセス>
京阪本線 淀駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「淀古城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
淀古城は、三面を川に囲まれた天然の要害であり、守護・畠山政長が応仁の乱に西軍の畠山義就に備えるため築いたとされる。摂津と河内の抑えの城として使用されてきた。戦国時代には、三好長慶の甥に当たる三好義継が城主となる。1568年に織田信長が上洛を果たすと、淀古城も織田軍の焼き討ちにあい、落城した。その後、将軍・足利義昭が織田信長と敵対すると三好三人衆の1人・岩成友通が、淀古城に籠城する。織田方に包囲され、友通は奮戦するが討ち死にする。1582年、本能寺の変の後、明智光秀が淀古城を改修し、山崎の戦いで利用された。1589年に、豊臣秀長が淀古城を改修し、茶々に与え産所とした。これにより茶々は「淀殿」と呼ばれるようになる。最後の城主であった木村重茲も秀次事件に連座し、廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
京阪本線 淀駅 徒歩約10分

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城好きのメガネ

「芥川城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
芥川城は国人領主であった芥川氏が築いたとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR高槻駅 徒歩20分

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朝田 辰兵衛

「続々日本100名城」選定の伏線か…?! (2021/03/28 訪問)

書店でこんな本を見つけてしまい,「続々日本100名城」選定の伏線ではないかと勘ぐってしまいました。注目すべきは,各都道府県から最低1城のピックアップではないこと。ここは,選定時に議論になるところだと思います。京都新城の記事も掲載されていたので,即買いしました。2021年3月25日発行です。
しりとり的には,「ま」で終わる城が激増したな…と…<笑>。

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むねしげ

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ぴーかる

大内氏館 (2021/03/13 訪問)

【続百名城48城目】
<駐車場他>龍福寺駐車場
<交通手段>車

<見所>土塁・庭園跡
<感想>1泊2日中国地方西部の旅3城目。大内氏館は勢力拡大とともに5回の改修がなされた居館。現在は内部居館跡は龍福寺となっています。山門前に石碑と説明板があり、山門を通ると左手に当時居館時代の豊後岩が置かれている。東手に池泉庭園跡、奥に資料館、資料館は閉館していました。奥の本堂には入らなかったので本堂に大内氏時代の遺構があるかもしれません。南辺以外の3方の土塁や復元西門等の遺構を見て終了した。

<満足度>★☆☆

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キンヤ

コンパクトながらテクニカルな遺構が良く残る城 (2021/03/07 訪問)

日近奥平氏の城ですが、発達した構造であることから、天正期の徳川氏による改修ではないかともいわれます。

二の曲輪への虎口から本曲輪南西下の帯曲輪への虎口の間は城道がクランクしています。
また、本曲輪を囲む土塁は東側で屈曲していますし、本曲輪の北東下と北西下には横堀があり、確かにテクニカルな縄張りです。

帯曲輪東側の土塁は大きく、その大土塁と本曲輪の間の堀切も大きく、見応えがありました。

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とまんど

伊豆半島を睨む興国寺城 (2021/03/27 訪問)

今川、北条、武田、徳川が治めたことのある城ですが、訪問時は三つ鱗の旗がはためいていました。
なんといっても伊勢新九郎盛時(北条早雲)旗揚げの城ですしね。納得。
本丸、二の丸、三の丸は今ではなだらかな傾斜地になっており、本丸を囲むコの字型の土塁と北側の堀切が印象的でした。特に堀切は圧巻でした。
北曲輪は入れなさそうだったので諦めました。
本丸伝と続く土塁からは駿河湾まで一望でき、その先に伊豆半島が見えました。伊勢新九郎はこの景色を見て何を思ったのだろうと思うととても感慨深かったです。
訪問時は本丸北側にある土塁の桜が満開で綺麗でした。また、キツツキが木に穴を開けていてその音が響いていました。
JR原駅から乗り合いタクシー的なバスが出ており、東根古屋で降りてすぐの場所です。

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小城小次郎

麓のお寺のご厚意が嬉しい (2020/12/19 訪問)

那須氏あるいは福原氏一族が森田氏を名乗って断続的に居住したお城で、麓の芳朝寺に「森田城跡駐車場」との表示がなされているのは実に有難い。ただ肝心の城跡は四阿などがある割には草深く、整備後の維持の難しさも垣間見える。

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だめなこ

清洲城 (2021/03/27 訪問)

車を停めて 桜の下を抜けてお城へ!
ちょうど桜がキレイでヨカッタ♪

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