JR飯田線/身延線沿線城巡り7日目の3城目は蒲原城です。
小島陣屋から転戦。城址駐車場(35.1247490、138.6023656)に駐車しました。
築城年代は不明だが、天文年間(1532年~1555年)に今川氏による築城とされます。
一般に蒲原氏数代の城と言われるが、河東の乱(1537年~1545年)の際には今川方で遠州の国人飯尾乗連らが守備に入っており、甲相駿三国同盟期(1554年~1567年)にも駿河の諸将が城番となっていることから、史料上否定されています。
三国同盟が崩壊し、1568年(永禄11年)12月に武田信玄が駿河侵攻を開始します。
最初の侵攻で信玄は蒲原城を落とさずに駿府に入ったところ、今川氏救援のため北条氏政が派遣した北条氏信率いる援軍が蒲原城に入り武田軍封じ込めの拠点としたため、信玄はやむを得ず駿河から撤退しています。
駿河奪還のために掛川城から戻った今川氏真も短期間だが入城しているそうです。
1569年(永禄12年)9月から10月にかけて武田信玄が小田原攻めを実施。この結果、北条氏は戦力立て直しを余儀なくされたそうです。
1569年(永禄12年)暮れの再侵攻時には総攻撃を加え、北条氏信ら後北条勢や今川諸将は戦死し12月6日に落城しました。
信玄は自ら城に入って改修し、後北条氏に対する防衛拠点としたそうです。
その後も武田勢が掌握していたが、1582年(天正10年)に織田・徳川連合軍に攻められ落城、廃城となりました。
現在城址には土塁や堀切などの遺構を確認することができるようです。
駐車場もトイレあります。豪雨の為、攻城断念。
攻城時間は5分くらいでした。
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