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カズサン

信長誕生の城と言われてる (2018/03/17 訪問)

 西三河未踏の城廻り最終古瀬間城(豊田市志賀町)を終えて時間と交通の混みを考慮して東海環状道、湾岸道弥富ICを経由して勝幡城に到着、車は案内板の有る道に路駐、交通量少なし。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん)
 遺跡は無く案内板と石碑、織田信長誕生の地の黄色い看板、少し進んで日光川の橋に勝幡城の復元図が掲示されてる。

 勝幡城は信長の祖父織田信定が築き近くの津島神社門前、津島湊を抑え権益を確保し勢力を伸ばし嫡子織田信秀は更に勢力拡大その時期に信長誕生なのか?那古屋城で信長育つとあったが?どっちでしょうか?

 この後津島神社、津島湊跡(天王川公園)も探訪

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ぴーかる

横堀を利用してミニアスレチック場に。 (2019/09/14 訪問)

【八浜城】
<駐車場他>城跡Pあり。
<交通手段>車

<見所>横堀
<感想>日帰り備中境目7分の3城攻めの旅、5城目。この城は宇喜多勢側の城跡で備中境目七城とは関係ないです。秀吉の毛利攻めの時には東の平地をはさんで毛利方の常山城と対峙して合戦があったところです。麓の合戦時に応援に来た宇喜多基家が討死している。
 駐車場から城跡まで舗装路になっているので楽に行けます。城跡は主郭に石碑と八浜合戦で討死したであろう戦死者のお墓が並んでいます。一段下った曲輪には東屋、曲輪の横堀は南側はしっかりと残っており、折れのある部分があります。堀を利用してアスレチックの遊具が架かっているが蜘蛛の巣だらけでしばらく誰も遊んだ様子はない。横堀のいいショットを撮るにはこの遊具の中心に行かねばならず、カメラを持ちながらの攻略はちと大変でした。(+o+)
堀の南側斜面は写真では写らない程度の薄い波状になっているように見えたので、竪掘りがあったかもしれない。曲輪の北側は舗装路になっているので、特に何もない。南側とバランスが悪いので横堀は潰されているのかもしれない。城跡のすぐ北東に八幡宮・神社がある。木々の間から僅かに児島湖が見えていい眺望。お参りして終了した。
 これにて日帰り旅終了、一日走行距離433㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

展望櫓が築かれてます (2018/03/17 訪問)

 丸根城(豊田市野見町7)を終えて西に約1.9kmの浄願寺を目指してお寺前の参拝者駐車場に停める。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん) 古瀬間城は初登城です。
 この城は松宗家三代松平信光より分かれた長沢松平勝時の子松平宗忠によって築かれた(1506年)、城願寺南の丘陵、単郭の城で城址は公園化整備されて先端に櫓状2階展望台が出来眺望良好。

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橋吉

田んぼの中に記念碑が建っているだけだが (2010/05/02 訪問)

明智光秀・柴田勝家を破った羽柴秀吉でしたが、織田信雄(信長の次男)・徳川家康と対立し、小牧・長久手の戦いが発生してしまいます。
この戦いの最終局面がこの近辺の蟹江城(海部郡蟹江町)を中心にして、おこった蟹江合戦と呼ばれるものです。

もともと大野城は蟹江城の支城としてつくられ、徳川側の城でした。
しかし、秀吉は蟹江城を味方に付けてしまいました。
大野城主の山口重政は母親を人質に取られましたたが城を守りきり、蟹江城も取り返すことができました。
この戦いが小牧・長久手の戦いの決着をつけ、和議となったといわれています。
ゆえに秀吉は、この後に天下統一を成し遂げるのですが、家康に一定の地位と力を授けざるを得ませんでした。
この地での戦いが江戸幕府成立につながると思うと感慨が深いです。

蟹江合戦の翌年の天正十三年(1585)大地震により大野城は崩れ落ち、その大部分は地中に埋まってしまい、廃城になりました。

このあたりは水郷地帯であり、河川が堀の役割をしていたことが容易に推定できます。

現在では、田んぼの中に記念碑が建っているだけです。

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カズサン

【三河・丸根城】 愛知県豊田市  矢作川へ南西突出丘城 (2018/03/17 訪問)

 豊田市佐久良城を終えて途中豊田市金谷町に在る「金谷城」を探訪し矢作川を東に渡り直ぐの丸根城址公園(豊田市野見町7)北の駐車場に停める。
 南西に突出た丘城、北曲輪、南曲輪(主郭)ぐるっと空堀が囲ってる南側は矢作川で守り急激な崖、切岸に成ってる、保全管理整備が行き届いてる。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)

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カズサン

【三河・佐久良城】 愛知県豊田市 石垣隅櫓台見たくて (2018/03/17 訪問)

 数十年以前より城郭書籍で認知していた佐久良城(桜城)の独立存続してる石垣隅櫓台を是非見たいと周辺の西三河未踏の城もリストアップして出掛けました。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
 当日桜城址公園はイベントでテント、出店で賑わってましたが公園沿いの道に幅寄せ路駐し駆け足で探訪、やっと見る事ができましたがテント、出店でベスト写真を撮る事は出来ませんでしたが掲載致します。
 佐久良城は矢作川の度重なる水害でなんせいの丘陵地に挙母城を築き佐久良城も取り込まれた、ここを元挙母城とも呼ばれてる。
 桜の前でしたが数十年頭の隅に有った思いを果たす事が出来ました、良くこのまま残ったなと感嘆しながら豊田市民の保全管理活用に感謝です。

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チェブ

ぴんころ地蔵もお忘れなく。 (2019/09/22 訪問)

長野県佐久市の「伴野城」に行きました。
小笠原 長清さんの六男、伴野 時長さんが築城したそうです。
「伴野城」は城山公園になっていてお城跡というより居館跡の方が、しっくりきます。
なぜなら、四角いんです。
土橋跡の左右に水堀跡が、ぐるっと「伴野城」を守ります。
現在、水堀は用水路のようになっていて、水流に勢いがあります。
そして土塁で、囲まれてます。
「伴野城」の端っこには大伴神社があり櫓台だったんだとか。
たくさんの子供達が遊んでいる公園でした。でもでも「伴野城」の見どころも、たくさんありましたよ。

車を近くの薬師寺の無料駐車場に停めました。
「ぴんころ地蔵」というネーミングが面白いお地蔵さんを撫でようと思い行ってみました。
なんと、ぴんころ地蔵さんの先にある薬師寺の山門は、続100名城の龍岡城の東通用門を移築した山門でした。
ぴんころ地蔵さんではなく、通用門を撫でてきました。

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鳥取平野を俯瞰できる城 (2019/09/20 訪問)

鳥取平野全体を南から俯瞰できる位置、標高にある城です。登城道途中に鵯尾神社があり、道がメンテされ、見晴らしの良いところ数ヶ所にベンチもあります。鳥取平野の俯瞰図・説明図もあり、鳥取城の山も見えてました。
県道42号線に「鵯尾城」矢印はありますが、道を折れたあとは案内板を見つけられませんでした。畑仕事している方に教えてもらい、登城口へ。最後から2番目の写真の猪避けの網が道に3ヶ所あるのでそれを外して、着けて進みます。

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街道おじさん

淀城登城 (2019/09/24 訪問)

幕末、鳥羽伏見の戦いに敗れた幕府軍が譜代大名の城である淀城に入ろうとして、
淀藩に拒絶された。その城も今は石垣を残すのみ。

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イオ

大名御殿の小学校 (2019/07/12 訪問)

織田長益(有楽)の五男・尚長が、父の隠居に伴い1万石の分治を受けて立藩、柳本に陣屋を築いて、明治に至るまでこの地を治めました。

現在の柳本小学校が柳本陣屋の藩邸(御殿)跡で、その北側にある黒塚古墳(柳本城跡)と周濠を陣屋北方の守りとし、小学校校庭の西辺と、大手西門脇の使者溜跡などに往時の石垣が見られます。

藩邸は明治以降は柳本小学校の校舎として使用されましたが、昭和41年、校舎の改築に伴って大書院と玄関が橿原神宮に移築され(現在の橿原神宮文華殿)、通常非公開ながら、塀越しにその姿を覗うことができます。
また、小学校の南西には柳本藩織田家菩提寺の専行院があります。
 

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トベシュン

初秋の城めぐり 北陸5城 (2019/09/23 訪問)

台風17号に追いかけられるように北陸の5城を巡ってきました。

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カズサン

【駿河・石脇城】 静岡県焼津市 伊勢新九郎の居城 (2018/03/09 訪問)

 産経新聞静岡県版の日曜日に静岡古城研究会水野茂会長著の古城をゆくが毎週記載さ石脇城が紹介、興国寺城に移る前に居城していたとの内容でした、それじゃ登城しなくちゃと何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの情報とガイドを調べ出掛けて来ました。
 石脇城は初の認知、夫々の情報でナビに登城口標柱の場所を入れ浜松より地道国道1号線バイパスを経由して日本坂トンネル近くの国道150号線1本北の道に入る、標柱発見するも駐車場は無い村内車を石脇城を廻るように走行し石脇浅間神社境内前の空きスペースに駐車後は歩いて標柱の登城口より初登城、急峻な崖上小山に在る城で南面側、西面側の竹林が伐採され見える化状態でした。
 日本坂西の位置は駿府の守りを抑える交通の要衝、山上の曲輪だけでは狭く生活面は不便なので麓に居館が有ったのではと思ったりします?。
 この後興国寺城に移り廃城に成った。伊勢新九郎はこの後は伊豆、相模に侵攻し戦国大名の先駆けと成る北条早雲です。

 この後は近くの城廻りとチョイ寄り「花沢城」「持舟城」焼津歴史民俗資料館では見学と城の資料探し、「小川城」「小川遺跡」「花倉城」の日帰り城廻りでした。

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刑部

今は末裔が住む (2019/09/22 訪問)

斎藤氏の末裔が住んでるようです、なのでちょっとお邪魔しました。中までは入れませんからね!
でも周りは土塁・堀が残ってます。

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橋吉

大野城 (2010/04/26 訪問)

所要で常滑市内の国道155号を走っていました。
ナビに「大野城」とあるのに気づきました。
ほどなく国道脇に「←城山公園」との表示板を見つけました。

用事を済ませた帰路再びこの場所にさしかかると天守閣っぽい建物がちらっと見えました。
これは行かなければいけません。

小高い丘の麓に駐車場があります。

ここから、ひたすら登っていきますが、階段の段差が小さくて長くてけっこう辛い。

頂上へ着き門をくぐると、

不自然な天守閣らしき建物がありました。

でもよく見ると、
天守閣型の展望台なのです。

確かに見晴らしは良く、伊勢湾が一望できます。
中部国際空港も見えました。
おそらく、この展望台のような天守閣は存在しなかったはずです。

天守閣のすぐ南に佐治神社があります。

裏(北側)から見ると櫓の跡に建てられているのがわかります。

丘の南側を降りてみると、空堀の跡や

土塁の跡が見られました。

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さわこ

石垣山一夜城跡 (2019/09/14 訪問)

晴れた日にもう一度行きたい

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カズサン

宍戸氏400年の城 (2018/02/26 訪問)

 宇都宮に出掛けた折り北関東道を飛ばして友部ICを降り宍戸城跡へ。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん)
 鎌倉期から佐竹氏秋田転封まで笠間のこの地を守り宗家は帰農、一族は一部秋田佐竹氏へ、南北朝に北朝側の功績で安芸下向、五龍城を築いた安芸宍戸氏もこの一族で長州の家老職。
 江戸期に徳川光圀の弟が1万石で諸侯に列して陣屋を築き明治に至る、現在土塁上に神社が鎮座し土塁が残ってる。
 現在陣屋の城門が笠間市土師の民家に移設され現存。

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カズサン

思川段丘を活用した丘城 (2018/02/26 訪問)

 小山城(祇園城)、小山評定場所の小山市役所までは行ってたのですが鷲城は支城、小さい城と思いパスしていましたが今回の宇都宮訪問の折探訪しました駐車場は小山総合公園を利用、登城は運動公園北側奥の登城口を利用。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
 思川登城口、鷲神社下虎口、神社、中城、神社鳥居案内板、標柱、国道50号線橋より櫓台望み、中城、外城間の堀切を通り、思川登城口、小山総合公園に至る。
 総合公園には大勢の人が出ていましたが城域は私一人時期的には良いタイミングの城探訪でした。
 思川の河岸段丘を大堀切で中城、外城、外郭を切り分け、思川を水堀に縄張りされた土の城郭で充分見応えが有ります。

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にのまる

下りるために登る。 (2019/09/15 訪問)

史跡をぐるりと一周したあと、入生田駅(箱根登山鉄道)まで歩いて下りました。
前回訪城時に後ろ髪を引かれながら諦めた道です。(この時は連れが2人おり、多数決で負けた。)

途中にある早川石丁場あたりから遊歩道に入リました。
すぐに矢穴と刻印のある石の展示があり、早川駅からの武将パネルのように、石を見ながら歩ければ3kmの道のりも楽しいかも!と思ったのですが、期待した2個目の石はいくら歩いても現れなくて…。
下りだし、上原城や唐沢山城のようなヘアピンカーブではないので思ったほどたいへんではありませんでしたが、ちょっと飽きてきました。
が、引き返すわけにもいかないのでそのまま進むと、石曳道が出現。山から削り出した石材を川まで運ぶ道です。ほかにもまだ発見されていない何かが眠っているんじゃないかと思うとわくわくしてきます。
さらにさらに下りていくと残念石の展示場がありました。
山の中にはもっとたくさん転がっているそうですが、一般人がふらっと入ってはいけないみたいで(T ^ T)

無事に入生田駅に到着しスッキリ(^ ^)
次は真鶴とかの海岸にある石丁場に行きたい!


*土日祝日は小田原駅から石垣山城までバスが出ています。(小田原城も通ります。)
「小田原宿観光回遊バスうめまる号」で検索してみてください。
お城expoのついでに行かれる方にもきっと便利です。しかも安い(^^)

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小城小次郎

有子山城

ほぼ直登の急坂を制覇したその先に、雄大なパノラマに加え石垣や大堀切や石切場など魅力満載。だが一番凄いのは地表面に当時の遺構を色濃く残す「千畳敷」だと私は思う。

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トーダイ

城跡には電波塔施設があります (2018/08/03 訪問)

竹山城は、明応2年(1493)新免伊賀守貞重により築城され、城の東西に
竹が繫茂していたので竹山城と名づけられました。三代伊賀守宗貫の時、
関ヶ原の合戦で西軍宇喜多秀家に属し、敗戦のため廃城となりました。

登城入口<35.112107,134.324338>で案内板を確認後、約1700m登った
山頂の竹山城跡駐車場(馬場跡)を利用、西郭と太鼓丸跡に電波塔施設、
主郭跡は夏草ボーボー、しかし眺望は素晴らしい。

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