因幡大崎城からの転戦です。獣除けのネットフェンスの開閉が億劫で麓に駐車しました。麓から山頂まで、かなりの歩きでがあります。途中、鵯尾神社の鳥居があり、石の祠の本殿までもかなりの距離がありました。馬場、三の丸、本丸までの距離表示はしっかりとあるのに、肝心の現地表示がなく推測するしかなかったのはちょっと残念でしたが、好天の下、素晴らしい眺望を楽しむことができたので満足です。
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2025/06/02 06:43
ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり③ (2025/05/04 訪問)
因幡大崎城からの転戦です。獣除けのネットフェンスの開閉が億劫で麓に駐車しました。麓から山頂まで、かなりの歩きでがあります。途中、鵯尾神社の鳥居があり、石の祠の本殿までもかなりの距離がありました。馬場、三の丸、本丸までの距離表示はしっかりとあるのに、肝心の現地表示がなく推測するしかなかったのはちょっと残念でしたが、好天の下、素晴らしい眺望を楽しむことができたので満足です。
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2025/05/10 14:58
鵯尾城 (2025/03/08 訪問)
【鵯尾城】
<駐車場他>駐車場はなし。鵯尾神社鳥居前、登城口<35.441327, 134.189627>に駐車できます。登城口までは、北東側にある玉津公園より獣よけの網を4箇所開け閉めして進みます。
<交通手段>車
<見所>曲輪・眺望
<感想>転送したら写真全滅だった件、再訪ラスト4城目。現地説明板を要約すると鵯尾城は築城年代不明、鳥取城とともに武田高信の拠点であり南因幡地方からの侵攻に備えた戦略拠点であった。1573年に因幡の甑山城に進出した尼子氏の山中鹿之助と戦ったが敗れ、鳥取城を山名豊国に明け渡します。1575年には毛利氏の家臣が在番し武田高信は城を追われていたと推定されます。諸説ありますが武田高信は後年山名豊国に誅殺されたようです。
駐車ポイント、鳥居のある場所から奥へ進むと登山口の場所に居館の石垣多くあります。近世の集落の石垣か、または当時の居館跡か判別は出来ませんでした。鳥居から1050mの登山です。中間地点に鵯尾神社があります。祠背後の山のピーク行ってみましたが何もありませんでした。そこから山の鞍部を経て再び登り始めます。尾根上の馬場跡に上がるまで小さな腰曲輪が2つあります。現地説明板に馬場⇒三の丸⇒二の丸と名称は付いていますが尾根上の細い尾根曲輪で一応土塁と段を付けている程度です。主郭へは少し登って到着します。中程度の広さで土居も何もありません。登城路の主郭の反対側の尾根には出丸跡があるようですが、低灌木がびっちり生えていて進めそうになかったので止めておきました。遺構に堀切とありますが、表面観察では見受けられませんでした。
これにてこの旅終了。大阪~東京間くらいの距離を走って山城4城攻略して、写真全滅した時は、ほんと超ヘコみましたけど、パソコンを更新してからは順調、再訪しこうして投稿できてよかった。お米・ねばりっこ・カレイの干物のお土産も買えましたし、満足旅でした。走行距離468㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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2019/09/26 18:58
鳥取平野を俯瞰できる城 (2019/09/20 訪問)
鳥取平野全体を南から俯瞰できる位置、標高にある城です。登城道途中に鵯尾神社があり、道がメンテされ、見晴らしの良いところ数ヶ所にベンチもあります。鳥取平野の俯瞰図・説明図もあり、鳥取城の山も見えてました。
県道42号線に「鵯尾城」矢印はありますが、道を折れたあとは案内板を見つけられませんでした。畑仕事している方に教えてもらい、登城口へ。最後から2番目の写真の猪避けの網が道に3ヶ所あるのでそれを外して、着けて進みます。
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分類・構造 | 連郭式山城 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 武田国信 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 武田氏 |
廃城年 | 天正年間(1573〜1592) |
遺構 | 曲輪、堀切、門跡 |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 鳥取県鳥取市玉津 |
問い合わせ先 | 鳥取市教育委員会文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0857-20-3158 |