西円通寺バス停から徒歩45分弱で、登城口付近(35.441857、134.190100)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)頃に因幡山名氏の家臣・武田国信によって築かれたと云われています。
国信の子・高信の代に鵯尾城を弟又三郎に譲って鳥取城へ移ります。
因幡武田氏は若狭武田氏の庶流と云われ、因幡山名氏の家臣でしたが、武田高信のときに毛利に属して勢力を拡大し主家に背くようになったそうです。
武田氏は1563年(永禄6年)守護・山名氏に反抗し布勢天神山城より山名豊数を退却させるなど因幡国における優位な地位を築きます。
しかし、山名豊国・山中幸盛の軍勢に侵入され、1569年(永禄12年)芦屋城の戦いでは城主の武田又三郎が討死、一連の争いで大きく勢力を衰退させました。
1573年(天正元年)の甑山城における「たのも崩れ」以後、武田高信は山名・尼子軍に包囲された鳥取城を山名豊国に明け渡して鵯尾城へ退きました。(尼子再興軍による鳥取城の戦い)
1575年(天正3年)鵯尾城からも山名豊国によって追放され、高信は但馬国の塩冶高清を頼りますが、毛利氏からも見放され、1576年(天正4年)大義寺にて謀殺されました。
武田氏の追放後の鵯尾城は、1575年(天正3年)毛利方の武将・山田重直が在番していましたが、まもなく廃城になったようでする。
鵯尾城は玉津集落南西の山に築かれており、現在は登山道が整備されています。鵯尾神社鳥居付近に案内板があり、ここが登城口となります。
当初、鵯尾城は車(レンタカー)で攻城する予定でしたが、先人の「動物除けの柵が4ヶ所もつけられている」との投稿で車(レンタカー)で攻城するのを断念。(面倒くさいことは嫌いです)
「動物除けの柵」ですが、車の場合はその都度開ける必要がありますが、徒歩ならば開けなくても簡単に乗り越えられます。
鳥居から鵯尾神社まで400m、主郭まで1050mの歩行距離で、山頂の主郭には表示杭が建てられています。
山頂の主郭からの眺望は雨ともやの為、よく見えませんでした。
雨の中、歩き続けたので、カッパを着ていてもズボン、靴の中、上着(これは雨というより汗と思います)がグショグショです。
西円通寺バス停は屋根がついているので、上下一式着替えました。靴は替えがないので濡れたままです(靴下履き替えても靴の中が濡れているので意味ないですかど)。
攻城時間は90分くらいでした。次の攻城先=太閤ヶ原陣を攻城する為、西円通寺バス停から日ノ丸自動車バスを利用して鳥取駅に向かいました。
+ 続きを読む









