ひよどりおじょう

鵯尾城

鳥取県鳥取市

別名 : 玉津鵯尾城
旧国名 : 因幡

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①主郭と眺望
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征11日目:鵯尾城 (2026/05/21 訪問)

西円通寺バス停から徒歩45分弱で、登城口付近(35.441857、134.190100)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)頃に因幡山名氏の家臣・武田国信によって築かれたと云われています。
国信の子・高信の代に鵯尾城を弟又三郎に譲って鳥取城へ移ります。
因幡武田氏は若狭武田氏の庶流と云われ、因幡山名氏の家臣でしたが、武田高信のときに毛利に属して勢力を拡大し主家に背くようになったそうです。
武田氏は1563年(永禄6年)守護・山名氏に反抗し布勢天神山城より山名豊数を退却させるなど因幡国における優位な地位を築きます。
しかし、山名豊国・山中幸盛の軍勢に侵入され、1569年(永禄12年)芦屋城の戦いでは城主の武田又三郎が討死、一連の争いで大きく勢力を衰退させました。
1573年(天正元年)の甑山城における「たのも崩れ」以後、武田高信は山名・尼子軍に包囲された鳥取城を山名豊国に明け渡して鵯尾城へ退きました。(尼子再興軍による鳥取城の戦い)
1575年(天正3年)鵯尾城からも山名豊国によって追放され、高信は但馬国の塩冶高清を頼りますが、毛利氏からも見放され、1576年(天正4年)大義寺にて謀殺されました。
武田氏の追放後の鵯尾城は、1575年(天正3年)毛利方の武将・山田重直が在番していましたが、まもなく廃城になったようでする。

鵯尾城は玉津集落南西の山に築かれており、現在は登山道が整備されています。鵯尾神社鳥居付近に案内板があり、ここが登城口となります。
当初、鵯尾城は車(レンタカー)で攻城する予定でしたが、先人の「動物除けの柵が4ヶ所もつけられている」との投稿で車(レンタカー)で攻城するのを断念。(面倒くさいことは嫌いです)
「動物除けの柵」ですが、車の場合はその都度開ける必要がありますが、徒歩ならば開けなくても簡単に乗り越えられます。
鳥居から鵯尾神社まで400m、主郭まで1050mの歩行距離で、山頂の主郭には表示杭が建てられています。
山頂の主郭からの眺望は雨ともやの為、よく見えませんでした。
雨の中、歩き続けたので、カッパを着ていてもズボン、靴の中、上着(これは雨というより汗と思います)がグショグショです。
西円通寺バス停は屋根がついているので、上下一式着替えました。靴は替えがないので濡れたままです(靴下履き替えても靴の中が濡れているので意味ないですかど)。
攻城時間は90分くらいでした。次の攻城先=太閤ヶ原陣を攻城する為、西円通寺バス停から日ノ丸自動車バスを利用して鳥取駅に向かいました。

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり③ (2025/05/04 訪問)

因幡大崎城からの転戦です。獣除けのネットフェンスの開閉が億劫で麓に駐車しました。麓から山頂まで、かなりの歩きでがあります。途中、鵯尾神社の鳥居があり、石の祠の本殿までもかなりの距離がありました。馬場、三の丸、本丸までの距離表示はしっかりとあるのに、肝心の現地表示がなく推測するしかなかったのはちょっと残念でしたが、好天の下、素晴らしい眺望を楽しむことができたので満足です。

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ぴーかる

鵯尾城 (2025/03/08 訪問)

【鵯尾城】
<駐車場他>駐車場はなし。鵯尾神社鳥居前、登城口<35.441327, 134.189627>に駐車できます。登城口までは、北東側にある玉津公園より獣よけの網を4箇所開け閉めして進みます。
<交通手段>車

<見所>曲輪・眺望
<感想>転送したら写真全滅だった件、再訪ラスト4城目。現地説明板を要約すると鵯尾城は築城年代不明、鳥取城とともに武田高信の拠点であり南因幡地方からの侵攻に備えた戦略拠点であった。1573年に因幡の甑山城に進出した尼子氏の山中鹿之助と戦ったが敗れ、鳥取城を山名豊国に明け渡します。1575年には毛利氏の家臣が在番し武田高信は城を追われていたと推定されます。諸説ありますが武田高信は後年山名豊国に誅殺されたようです。
 駐車ポイント、鳥居のある場所から奥へ進むと登山口の場所に居館の石垣多くあります。近世の集落の石垣か、または当時の居館跡か判別は出来ませんでした。鳥居から1050mの登山です。中間地点に鵯尾神社があります。祠背後の山のピーク行ってみましたが何もありませんでした。そこから山の鞍部を経て再び登り始めます。尾根上の馬場跡に上がるまで小さな腰曲輪が2つあります。現地説明板に馬場⇒三の丸⇒二の丸と名称は付いていますが尾根上の細い尾根曲輪で一応土塁と段を付けている程度です。主郭へは少し登って到着します。中程度の広さで土居も何もありません。登城路の主郭の反対側の尾根には出丸跡があるようですが、低灌木がびっちり生えていて進めそうになかったので止めておきました。遺構に堀切とありますが、表面観察では見受けられませんでした。
 
 これにてこの旅終了。大阪~東京間くらいの距離を走って山城4城攻略して、写真全滅した時は、ほんと超ヘコみましたけど、パソコンを更新してからは順調、再訪しこうして投稿できてよかった。お米・ねばりっこ・カレイの干物のお土産も買えましたし、満足旅でした。走行距離468㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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鳥取平野を俯瞰できる城 (2019/09/20 訪問)

鳥取平野全体を南から俯瞰できる位置、標高にある城です。登城道途中に鵯尾神社があり、道がメンテされ、見晴らしの良いところ数ヶ所にベンチもあります。鳥取平野の俯瞰図・説明図もあり、鳥取城の山も見えてました。
県道42号線に「鵯尾城」矢印はありますが、道を折れたあとは案内板を見つけられませんでした。畑仕事している方に教えてもらい、登城口へ。最後から2番目の写真の猪避けの網が道に3ヶ所あるのでそれを外して、着けて進みます。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 武田国信
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者 不明
主な城主 武田氏
廃城年 天正年間(1573〜1592)
遺構 曲輪、堀切、門跡
再建造物 碑、説明板
住所 鳥取県鳥取市玉津
問い合わせ先 鳥取市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0857-20-3158