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天正伊賀の乱激戦地のひとつ (2019/08/26 訪問)

  柏野公民館付近から行くと案内板も新しく迷うことなく城址へ辿り着けます。土塁と空堀に囲まれた単郭の城址に見えますが、周囲を散策すると郭のような地も確認できます。土塁、土橋、堀などは、少し藪になっている所もありますが、それなりに楽しめます。

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芭蕉公園 (2019/09/26 訪問)

石垣、土塁、空堀もそれなりに残っていて楽しむことができますが、空堀の中は草が多くよく見えません。

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ヒロケン

鉛玉 (2019/09/28 訪問)

久々利城は谷を挟んで東西の尾根に築かれており、東側の尾根に本丸、二の丸、三の丸等の主要な機構が残っています。本丸、二の丸、三の丸は階段状に平段が続き、その下に大手の虎口があり、枡形虎口となっています。

築城主、築城年代は定かではないそうですが、美濃国守護土岐氏の一族で土岐頼清の四男三河守悪五郎が城主であったと久々利城入口の説明板に書かれておりました。

盆休み後、5週連続6勤が終わり久しぶりの連休。疲れで体を休めたいが、城跡にも行きたいヽ(・∀・)ノということで、自宅から車で2時間圏内で行ける城を検索。来年の大河で賑わっている岐阜県を選定。まだ行ったことのない大洞城・久々利城・妻木城(敢えて明智城等は外す)の山城に決めました。

可児郷土歴史館の無料駐車場に車を駐車し、駐車場から歩いて1~2分で久々利城入口に。虎口、三の丸、二の丸、本丸を順に攻略し、本丸で一息入れているときに目に飛び込んできた丸い”石ころ”「んっ!」これは火縄銃の鉛玉では!!(°д°)一応、北曲輪、二重堀切を見学し、急いで、可児郷土歴史館に!「本丸でこんなもの拾ったんですけど」って歴史館の職員の方に!「これが何か調べます!」「結果を連絡しましょうか」と言われましたが、”鉛玉”であってほしいという願いから、連絡はしてもらわず歴史館をあとにしました。少しだけ戦国の歴史に触れた気がして胸が躍った時間を過ごすことができました。

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にのまる

ピカピカの石碑 (2019/09/23 訪問)

正面から撮ると自撮りー(≧∀≦)

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チェブ

お小夜の悲しみ。 (2019/08/24 訪問)

埼玉県本庄市の「雉岡城」に車で行きました。
車、大丈夫です。入口に停めるスペースがあります。

「雉岡城」は山内上杉氏の居城でしたが狭いので「平井城」にお引っ越ししました。
夏目 定基さんが「雉岡城」を任されます。
縄張りを見ると「雉岡城跡」と整備してあるのは、3分の1位ほど。あとは中学・高校になってしまってます。
これでも狭いんですか?山内上杉氏の権力は、すごかったんですね。

ゆるーく傾斜、上ります。南ノ郭、周りには土塁があります。コンクリートでかためられてる場所があり馬出でしょうか?
深い空堀の底に大小の石があります。
近くの説明板には正室の妬みで井戸に沈められた妊娠中のお小夜ちゃんの悲しいエピソードが書いてあります。
男性陣は理解できないでしょうが、私は正室もお小夜ちゃんの気持ちも分かります。

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さわ5540

飯田城 (2019/09/28 訪問)

崇信寺を目指して行くと分かりやすい。

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さわ5540

中泉御殿 (2019/09/28 訪問)

表門と裏門がお寺に移築されて残っています。

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江尻のJ

私は、どこへ行くの? (2019/09/26 訪問)

市電に何も考えないで乗ってしまった、お城がだんだん遠くなるみたい。市電には行先が数か所あるみたい、行先はしっかり確認して乗りましょう。

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江戸城築城石

伊豆國稲取、松平土左守・山内忠義切出し御進上石(角石)

伊豆國稲取には松平土左守・山内忠義が切り出した江戸城築城用の角石(城郭の角に使用する大型の築城石)が民家門前やお寺の境内、神社の忠魂碑礎石、山中に四百年の刻を経て存在しています。山内忠義は山内一豊に続き二代目の土佐藩主として江戸城改修の公儀普請に参加しています。山内忠義は土佐藩主二代目として朝廷に申し出たのですが「土佐」を「土左」と記載され、土佐藩第二代藩主のみ松平土左守と記されているのです。伊豆國稲取に残る土佐藩切出し角石に刻まれている銘文は「進上(御進上) 松平土左守」、つまり土左藩第二代藩主・山内忠義であることが明確になっているのです。
写真一枚目は栗田家門前角石、「御進上 松平土左守 十内」と刻まれています。この角石の文字刻印により山内忠義切出し角石が伊豆國稲取に十個存在していたとされますが、現在目視確認出来るのは七個です。二枚目は一枚目同様、栗田家門前の角石で「進上 松平土左守」の文字刻印。三枚目は国道135号線下の竹藪内に埋没している角石で文字刻印は「進上 松平土左守」。四枚目は民家石垣下から発見され東伊豆町庁舎に展示されている角石、文字刻印は「進上 松平土左守」。五枚目は稲取八幡神社境内の戦没者忠魂碑に使用されている角石で文字刻印は「進上 松平土左守」。六枚目は稲取吉祥寺より発掘され、境内に鎮座する角石です。文字刻印はありませんが小口には山内家の代表紋とされる「柏一様」の刻印が刻まれています。七枚目は愛宕山山中に残された角石。以前、二柱が並んで鎮座していたのですが一つは造園業者によって砕かれてしまいました。二つ目を砕く際、小口に「進上 松平土左守」の文字が見つかり、粉砕は免れたのです。

他江戸城築城石の情報はhttps://www.edojyo.tokyo/

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響ちゃん

曇り (2019/09/28 訪問)

蛇出たっぽい

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響ちゃん

曇り (2019/09/28 訪問)

彼岸花咲いてるぽい

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にのまる

お彼岸でした。 (2019/09/23 訪問)

お線香の匂いに導かれて心岩寺にたどり着きました。

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カルビン

公園内より私有地に明確な遺構が (2018/11/17 訪問)

最寄り駅から徒歩15分程度で行ける未訪問のお城がほとんど無くなったここ1年、徒歩時間を拡大して訪問出来る場所を模索しておりました。

そんな中選んだ場所が中峠城。
現地解説には芝原城となっていたのでコチラで通します。

芝原城自体は駅から1kmちょっとなので徒歩15分圏内ではありますが、セット訪問の場所が軒並み駅から遠かったので。
(ここだけ訪問しに行くにはちょっと遠すぎてもったいなかった)

JR成田線湖北駅から北上した場所にある古利根公園が城址と言う事で、早速公園内に突入。


もしかして超浅くなった堀?とか、うーん、これ土塁か?のような場所を何度もみつつ疑心暗鬼のまま進んだ先にひっそりと解説版がありました。
やはり堀、土塁で間違い無かった模様。。。しかし消化不良ですw

雰囲気はあるものの、肝心の遺構がスッキリしなかった為、この後公園沿いに西へ向かい、遺構を探してみると・・・公園の領域外にある道の向うにあった竹林の中に明確にわかる土塁と空堀がありました。
おそらく私有地なので立ち入る事はしませんでしたが、道路からも遺構を確認する事が出来たので無問題(笑)

最低限の物は確認出来たので、まま満足出来ましたw


芝原城の北を流れる利根川の向う・取手には鬼作左こと本多重次のお墓があるので、車でこられるならセットで立ち寄られると良いかも。
(但し本多重次墓近くには車駐車する場所が見当たらなかったのでご注意を)

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比高はないが要害の地 (2019/09/26 訪問)

クノールさんのレポートに加えて説明板等をアップします。比高は小さいですが三方は急斜面。西側の尾根とは重厚な土塁と堀切で遮断されています。歴史も重厚。
集落に隣接していて良く整備されています。出丸南西出口にすてきな表示が。

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江戸城築城石

羽柴左衛門太夫(福島正則)担当石丁場、切出し角石と刻印石

伊豆國大川地区に残る羽柴左衛門太夫(福島正則)の担当石丁場より切出し角石(ぼなき石)と刻印石です。四百有余年経過した現在でも山中にひっそりと現存しています。
詳細はhttps://www.edojyo.tokyo

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コロスケコロコロ

墨俣城! (2019/09/19 訪問)

川沿いの道を走っていると突然現れてテンションが上がって、良かったです。

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コロスケコロコロ

大垣城! (2019/09/19 訪問)

商店街から突然あらわれてテンションが上がって、良かったです。

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くろもり

説明が丁寧な城跡 (2015/12/29 訪問)

戦国時代、日向国(宮崎県)で勢力を誇った伊東氏が都於郡城(とのこおりじょう)と共に本城にしていた歴史あるお城です。二の丸跡に資料館の鶴松館があり、無料駐車場(20~30台くらい)もあります。

関ヶ原の合戦に佐土原城主・島津豊久公は西軍として参戦しますが、西軍の敗色が濃厚となり、島津軍大将・島津義弘公を戦場から離脱させる為、捨て奸(すてがまり=本隊を逃がす為、退路にとどまり自らの命を犠牲にして敵兵の追撃を遅らせる)の戦法をとり、義弘公の代りに戦死しました。関ヶ原の合戦関連の映画やドラマ等でよく見る西軍を追撃する東軍の井伊直政や松平忠吉が銃撃され負傷するシーンはこの時の豊久公以下、島津兵最期の働きになります(捨て奸に参加した島津兵はおそらく全滅)。

遺構は切通し、堀切、堀、曲輪、天守台跡が残っていました。南九州で唯一天守があったとされる城ですが、残念ながら現在は天守は存在しません。

城跡に所々設置してある説明板のパネルが、漫画「ゲームセンターあらし」(私より少し上の世代なので読んだことはないのですが名前は知ってます)で有名な「すがやみつる」先生のイラスト付きで丁寧に説明されており、とても分かりやすくて感心しました。

島津豊久公を主人公にした中世ファンタジー風の異世界に召喚されるアクション系歴史ファンタジー作品である「ドリフターズ」という漫画が人気があるようなので、豊久公に興味がある方はどうぞ。

また、豊久公は物語序盤で討死してしまいますが、しまたけひとさんの「敗走記」という関ヶ原から大阪までの「島津の退き口」を実際に歩いて辿るというおもしろい漫画もありますので、「島津の退き口」に興味がある方にはこちらもおすすめです。

佐土原城と関係なく申し訳ありませんが、千葉県下で台風の影響による被害が長引いているようで気になっています。被害にあわれた方々の一日も早い日常生活の復旧をお祈りします。

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カズサン

高須四兄弟の城 (2018/03/17 訪問)

 勝幡城(愛知県稲沢市)を終えて西に木曽川、長良川を越えて幕末維新で活躍した高須四兄弟の城を探訪、城址の遺構は殆ど無く城址公園、の案内板、城址が在ったと言われる海津明誠高校辺りを眺め、高須小学校の辺りの主水橋辺りの堀跡再現の水辺の公園、約1km離れた海津市歴史民俗資料館も見学。(情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん)
 高須藩は尾張徳川光友の次男からの流れで高須藩3万石は明治まで続く高須四兄弟、長兄徳川義勝が尾張藩、三男徳川茂栄が一橋家、四男松平容保が会津藩、五男松平定敬が桑名藩に養子として藩主を務め幕末維新期に活躍される、明治に成って撮った四兄弟の写真は有名です。

 この後3、4km離れた今尾城(岐阜県海津市)を探訪して名神東名新東名で浜松へ帰宅。

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朝田 辰兵衛

龍岡城五稜郭展望台へ行けず…<泣>。 (2018/11/19 訪問)

五稜郭であいの館には職員不在(←これが通常?)。キャリーバッグを預ける手段が見当たらず…。

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