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イオ

楠木正儀の十七支城 (2025/03/23 訪問)

南北朝期に在地土豪の平岩茂直が楠木正成の挙兵に応じて築き、後醍醐天皇を迎えようとしたと伝わります。その後、楠木正儀の十七支城のひとつとして改修されるも、北朝方の畠山国清らの猛攻により落城しました。現在見られる遺構は戦国期に改修されたもので、畠山氏の内紛において活用されたと考えられます。

駐車場はないので、府道沿いの邪魔にならなさそうなところに路駐して登城開始。乗合タクシー停留所脇の案内表示に従って峠道を進むと此山頂平石城址の石碑があり、その少し手前から山中に入って約5分でハイキングコースの分岐(案内表示あり)に至ります。分岐から尾根道を少し行くと平石城です。

平石城は単郭の山城で、分岐からの北西尾根を堀切で遮断しています。堀切を越えて階段を上った主郭は北西から北東に折れるL字型をしていて、中央部に平岩氏の墓所と城跡碑、説明板があります。主郭の周囲には横堀状の帯曲輪がめぐっていて、北東と南東の支尾根の付け根では浅い堀切となっています。そのまま主郭の周囲をひとめぐりすると、ところどころに主郭の切岸と帯曲輪が見られました。

周囲をひとめぐりしても所要15分程度の小さな城ですので、何かのついでにどうぞ。
 

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赤い城

焼け跡痛々しい (2025/06/22 訪問)

今年の3月に大規模な山火事が発生したエリアにあります。
周辺からも黒くなった山が見え、火災の恐ろしさを認識しながらの登城です。
世田薬師の裏手からハイキングコースがついていて歩きやすくなっています。

しばらく登ると大きな石仏が!
聞くところによると麓にお住まいの方が一人で彫られたものだとか。
テレビでも取り上げられたことがあるそうです。
そして凄いのは背後まで焼け跡があるのに石仏は無傷であること。
神仏のパワーなのでしょうか。

さらに登ると世田薬師の奥の院。
ここも背後まで焼け跡があります。
世田山城の曲輪のひとつなのでしょうか。

山頂が主郭で虎口から入ります。
眺望も良く達成感、ただ案内板は黒く煤けていました。
石のベンチには小枝で「世田山フッカツ!」と。
元の姿に戻るには時間がかかりそうですが手軽なハイキングコースとして賑わって欲しいです。

北に下りると浅い堀切があります。
この尾根を先に進むと笠松山に繋がっています。
南側は巨石が守り、ここからの眺望は気持ちよかったです。
高所恐怖症の方は厳しいかもですね。

古代、伊予の国府は今治に置かれ、伊予の中心地でした。
南北朝時代に細川氏に攻められた際にはここで籠城しました。

それにしてもこの日は暑く、低山でもハードに感じました。
夏の山城、水や塩タブレットなど万全の備えが必要ですね。


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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:衣笠城 (2025/05/31 訪問)

峰山城から車で25分くらいで、建物北空スペース(33.748424、135.424592)に路駐しました。そこから、右に進むと衣笠山頂に着きます。

築城年代は定かではないようですが、文永年間(1264年〜1275年)に愛州八郎経信によって築かれたのが始まりと云われています。
愛洲氏は南北朝時代には南朝方として活躍し、龍松山城主山本氏らと共に57年間の永きにわたり吉野朝を支えました。
1476年(文明8年)紀伊国守護職畠山氏の内訌による戦いで、政長方であった愛洲氏に対して義就方の日置久木城主小山家長に攻め込まれ落城しましたが、その後奪い返しています。
1585年(天正13年)秀吉の南征軍に攻められ衣笠城は落城、愛洲氏12代当主綱俊は雑賀に逐電したそうです。

城跡までは農道を登り、主曲輪横の駐車場まで行くことが出来ます。
農道は狭く、みかん農家の方の車とすれ違います。自分も4度すれ違い、そのたびにどちらかが避難箇所まで車を移動しました。
主郭には土塁や空堀が残されており、中央に石碑と説明板がありました。
攻城時間は25分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に行く為、紀伊田辺駅でレンタカーを返却し、紀伊田辺駅から電車で新宮駅に向かいました。
歩行歩数=19636歩、歩行距離=13.7Kmです。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:峰山城 (2025/05/31 訪問)

平須賀城から車で15分くらいで、ビニールハウス横付近(33.759261、135.358393)に路駐しました。
ビニールハウス横の小道から県道199号線の作業場入口を捜しますが見つかりません。
しかたなく、地元の方4人に峰山城と作業場入口の写真を見せて尋ねました。
3人の方は知らない、わからないの回答。1人の方は以前にも聞かれたことがあるが、山の中をかき分けていくしかないと云われました。
30分くらいウロウロし、県道199号線の作業場入口を発見しました。少し登り始めましたが、その先からの道がなくなりお手上げ状態。
この後、衣笠城攻城後の電車の時間が気になり、タイムオーバで断念しました。

築城者等についての詳細は不明のようですが、室町時代、亀山城主湯川氏の一族・湯川光長により築かれ、湯川氏代々の居城となったといわれています。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=衣笠城へ向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:平須賀城 (2025/05/31 訪問)

鶴ヶ城から車で30分くらいで、平須賀城跡説明板付近路駐(33.816656、135.333496)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代に野辺弾正忠忠房によって築かれたと云われています。 野辺氏は源経基の子満快の後裔だそうです。
忠房の後は光快ー光房ー春弘と続き、光房は、1562年(永禄5年)の若江の戦いで討死し、その後を春弘が継ぎ、幡山城(要害城)を築き移ったようです。 
平須賀城はその後も機能していたようですが、1582年(天正10年)春弘が討死し、弟の春和が継ぎますが、同年、湯川氏に離反を企て、湯川氏に攻められ、春和は逃亡して野辺氏の紀州での領有を失ったようです。

当初は主郭まで行く予定でしたが、予定時間を大幅にオーバしていましたので、説明板の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=峰山城へ向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:鶴ヶ城 (2025/05/31 訪問)

龍松山城から車で40分くらいで、上山道小学校付近(33.891794、135.491936)に駐車しました。
登城口からの登城路が見つけられず、彷徨いながら見つけた登城路ですが、彷徨い時間が長く途中でタイムアップとなり断念しました。

築城年代は定かではないようですが、城主は南北朝時代に北朝方として戦功を上げた、玉置下野守直虎の名が伝わっています。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州攻めで、玉置惣左衛門太夫は秀吉軍と戦いましたが敗れ落城しました。

後で調べたら、あさんの登城口の写真と明らかに違います。
写真と同じ場所をグーグルマップで調べたらGPS座標は(33.891794、135.491936)でした。駐車場所から北に徒歩4分270mの場所でした。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=平須賀城へ向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:龍松山城 (2025/05/31 訪問)

安宅大野城(城びと未登録 和歌山県白浜町)から車で35分くらいで、国道311号沿い立て看板付近(33.716366、135.470144)を経由して、2郭に通じる地点(33.718881、135.469443)に着きました。駐車可能な二の丸はもっと先になります。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)室町幕府の奉公衆をつとめた山本忠行によって築かれたと云われています。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の紀州攻めでは三ヶ月に及んで対峙し和睦となりました。
しかし、翌年和睦の為に、大和郡山城の羽柴秀長を訪れた山本康長ら13人はその帰路藤堂高虎の館にて謀殺されたそうです。

山頂にある主郭と二郭は広く公園となっていますが、自分が行った時は草が深く歩きにくかったです。
主郭は山頂にあり、大きな曲輪で周囲に土塁が巡ります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=鶴ヶ城へ向かいました。

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しんちゃん

畝状竪堀もあるのだが・・ (2025/06/30 訪問)

温湯城は石見小笠原氏によって築かれたとされています。14世紀には築かれていたとされ、永禄元年(1558)小笠原長雄が城主の時に、毛利氏と尼子氏の石見銀山の争奪戦で毛利元就に攻められ、なんとか持ちこたえるも翌永禄2年、江の川が増水したため尼子氏の援軍を得られず、小早川隆景の説得を受け、降伏・開城しました。
城址北側の道沿いに案内があり登城道が付いているので、すぐわかります。本丸や周辺の曲輪まで道が付いてるので迷いはしませんが、この山の土は砂礫を含んでいて崩れやすいため、道が各所で斜傾化しているので注意が必要です。
道沿いに畝状竪堀があるのですが、形状が判別しづらいので良く見ないと解りません。改めて、写真を確認しても、やはりわかりにくい。
的場と呼ばれる曲輪を見た後は城址の南側を西に迂回し二の丸に向かいます。東の尾根の先へ進むと、毛利元就が温湯城攻略のために築いた会下山城へたどりつくようです。
二の丸の次は本丸へ向かいます。本丸は二段の構造になっています。ここからは元来た道を戻りながら訪れていない曲輪を回ります。今回はバセンバはパスして、寺屋敷と蔵屋敷を確認してから下山します。
正直、朝から暑いですが、まだ今なら山の中や日影なら耐えられます。すでに一年の内1/3は暑い状況ですので、登れるうちは夏場でもたまに山城に登りたいですね。熱通称対策として某アプリで購入した経口保水液が重宝しています。夏山で飲むと、メチャメチャ旨いです。体にしみこんできますね。

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しんちゃん

主郭周辺でニアミス (2025/06/28 訪問)

三刀屋「じゃ山」城は三刀屋氏代々の居城で、戦国時代に三刀屋城を築いて移るまでは、この城を本拠としていました。麓の看板を見ると坂を登って行った先に駐車場が有り、近くの家の方が屋外にトイレを用意してくれているようです。私は少し不安が有ったので歩いて登りましたが、お気遣いには感謝します。
駐車場から城址に道が続いていて、道は整備されていて登りやすい。浅めの堀切が尾根に二重にかかっていて、進んだ先に西の尾根に二重の堀がかかっている。これも浅いが、なんとか形状は判断できる。
まずは東の主郭を目指して登ります。主要部はけっこう複雑で南東側に周囲より一段高くなった郭が有り、間を堀切で区分けしてある。このあたりが主郭だと思うが断定は出来ない。ここに近づいたところで、大きな動物が走ってくる音がする。「どどどっ」って感じで、正直な~んにも出来ない。もちろんクマスズは付けています。
大きな音が茂みの中から近づいてどこかへ走り去って行った。逃げてくれたから良いが、これが秋田の熊なら襲ってきそうだわ(笑)。
正直な話、今は熊はどこにでもいるけど、島根は別格だと思う。あまり島根の人は山に入る習慣が無さそうなので、大きな事故は少ないが、こないだも長野で人が襲われて死んでいるし、油断はならない。クマスズを付けているだけでもけっこう効果は大ですぞ。
さっきのやつはイノシシかも知れないが、どちらにしろあまり会いたくはない。少しの間、周辺を散策して、やり過ごしてから戻ることにした。
周囲は切り立っていて堀切も良く見えないし、無事に戻る方が重要だ。しかし、いきなりニアミスするとは、下の方で立ちションしたのが良くなかったかな。暑いので、水ばかり飲んでるし。

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ぴーかる

二俣城 (2025/05/04 訪問)

【二俣城】
<駐車場他>二俣城駐車場6台分程あり。
<交通手段>車

<見所>天守台・石垣・石垣虎口跡・堀切
<感想>日帰り今シーズン山城ラスト旅1城目。第43回日本100名城、続日本100名城に負けない名城で特集された二俣城に行ってきました。上記駐車場から山道を進むと、主郭北側堀切に出ます。堀切から北側に北の丸があり神社になっています。社殿の背後に薄い土塁が残っています。北側の食い違い虎口を入ると広い主郭があります。中心の西よりに天守台があります。一部後世の積み直しがされているようですが、堂々とした荒積みの天守台は見応えがあります。主郭の東斜面にも石垣が残されています。二の丸は主郭の南側に仕切り土塁があり、少し段が下がっていて副郭といった感じになっています。二の丸の南東に石垣の大手虎口跡があり圧巻の見応えです。二の丸の南に堀切・南の丸Ⅰ、その南に堀切があり南の丸Ⅱは藪化して入れませんでした。西の丸の曲輪群は切岸斜面の削平地で、ここにも石垣が残されています。西の丸を抜けて徒歩で鳥羽山城を巡り、鳥羽山城に行ったあと、北側の清龍寺にある二俣城井戸櫓と岡崎信康廟を見学しました。

<満足度>◆◆◆

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シャンシャン

お城EXPO in 松江2025 (2025/06/29 訪問)

お城EXPO in 松江に来場!
城関係のイベントは初参加。講演会、ひこにゃんやくまモンのイベント、限定御城印や限定ロゲットカードもGETできて大満足!
松江城はこれまで行ったことがなかった城の裏側を中心に見学。松江城はどの角度から見ても風情があってかっこいい!

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シャンシャン

岐阜~滋賀の城探訪④ (2025/06/28 訪問)

琵琶湖のほとりに建つ長浜城。
天守は犬山城や伏見城を模したという模擬天守。元々の天守は現在秀吉像のある場所に建っていたとのこと。なので、おそらく天守台の石垣なんかも積み直されたものと思われる。
でも琵琶湖沿いの広い空をバックにするとすごく映える。

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シャンシャン

岐阜~滋賀の城探訪③ (2025/06/28 訪問)

豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)が一夜で城を建て、その後の出世の足掛かりになったとされる墨俣城。
現在ある天守は大垣城をモデルに建てられた模擬天守。実際には簡易な建築や柵で構成されたものだったらしい。
でも川のすぐそばに建つ白亜の天守は青空の下非常に映えてる(^^)
天守からは岐阜城が小っちゃく見えた。

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シャンシャン

岐阜~滋賀の城探訪② (2025/06/28 訪問)

岐阜に来たのは2回目。
今回、岐阜城は時間の関係上天守まで登らず、麓の現存遺構2か所を訪問。妙照寺と法華寺にそれぞれ岐阜城から移築された門が現存している。
かつて信長もこの門の下をくぐったのかなー、と考えると非常に感慨深い。

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駿府城

歴史を感じるひとときーS-Waveラジオに出演しました!

皆さん、S-Waveラジオの番組「shizuoka Vibes TAKE5」のコーナー「Shizuoka Quest」はお聴きいただけましたか?このコーナーでは、静岡市内の文化財や史跡の魅力を、毎月第3火曜日にお届けしています。
6月17日(火)の放送では、駿府城公園内にある「坤櫓(ひつじさるやぐら)」の魅力や、現在進行中の駿府城跡天守台の野外展示事業についてお話しさせていただきました。
坤櫓は、その堂々とした姿がとても美しく、間近で見るとその迫力と気品に圧倒されます。普段何気なく通り過ぎてしまう方も、ぜひ立ち止まってじっくりとその姿をじっくりとご覧ください。
また現在、駿府城跡天守台の野外展示事業も進行中です。※詳細は静岡市公式ホームページ(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s013130.html)をご覧ください。
この事業では、発掘された天守台の保存と展示をはじめ、より間近で見学できる見学ルートやガイダンス施設の整備、さらに、デジタル技術を活用した天守などの再現などが進められています。設計、工事を経て、令和9年度からの公開開始を予定しています。
ぜひ駿府城公園にお越しの際は、坤櫓と駿府城跡天守台発掘調査現場に足を運んでみてください。

◆S-Waveラジオ「shizuoka Vibes TAKE5」今後の出演予定(毎月第3火曜日17:20~17:30)
7/15、8/19、9/16、10/21、11/18、12/16、1/20、2/17、3/17
今後もラジオを通じて、静岡の歴史の魅力をお届けします。ぜひご聴取ください!

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シャンシャン

岐阜~滋賀の城探訪① (2025/06/28 訪問)

岐阜といえばもちろん岐阜城が筆頭に挙げられるが、駅の南側にあるこの加納城も国の指定史跡となっており見どころが多い。
かつての堀の多くは埋められてしまっているが、本丸周囲は武骨な野面積みの石垣が多くが残っている。
本丸内は公園として整備されており、訪問時はシニアの方々はゲートボール、子供たちは虫取りを楽しんでいた。街中に市民の憩いの場となる城跡があるのは羨ましい。

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シャンシャン

戦国最大級の総構 (2025/06/26 訪問)

2回目の小田原城訪問。
今回は戦国最大級と称される大堀切や土塁など総構を中心に見学!
秀吉の侵攻に備えて造成された堀切の数々は規模がすごい!特に小峯御鐘ノ台大堀切は堀の深さ、土塁の高さは目を見張るものがある。
見どころが多過ぎて歩くと大変なので、駅前でレンタサイクルするのがおすすめ。

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にのまる

霧の中に。 (2025/04/23 訪問)

牧志からバスで座喜味下車。
バス停付近には座喜味城の気配はありません。
一体どんなふうに現れるんだろう?とわくわくしながら住宅街を歩きました。

徒歩約15分で到着。
この日は一日雨予報でユンタンザミュージアムも閉館日でした。長の道中、こんな日もあります。気にしません。

結界のような木立の道を抜けた先に、霧のベールに包まれた城壁が現れました。一体どれくらいの大きさなのか、ここからでは確認できません。しかし大きくカーブを描く石の壁は謎めいて神秘的。自然と気持ちも引き締まります。

アーチ門を潜ると幻想的な空間が広がっていました。独り占めするのが申し訳ないくらいです。
同時に戦中戦後の使われ方にも首肯する閉塞感があり、時代の変遷と共に生きてきた城であったことを思いました。

帰る頃にはぼちぼちと来訪者もいらっしゃり、「晴れていなくて残念だったね。」と声をかけられましたが、(今日のこの景色が見られて幸せでした。)と心の中で返事をしました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:安宅大野城(城びと未登録 和歌山県白浜町) (2025/05/31 訪問)

安宅本城から車で5分くらいで、春日神社鳥居前空スペース(33.579895、135.459773)に着きました。

詳細は不明のようですが、安宅氏の執事を勤めた大野五兵衛の居城とされます。

春日神社の駐車場に案内板が設置されており、そこから5分ほどで主郭に着きます。
小規模ながら土塁、堀切など遺構もよく残っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=龍松山城へ向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:安宅本城 (2025/05/31 訪問)

車は安宅八幡宮駐車場(33.581476、135.46418813)に置いたまま八幡山城から徒歩5分くらいで、安宅本城標識(33.579565、135.463887)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、享禄年間(1528年〜1532年)に安宅河内守によって築かれたと云われています。
安宅氏は橘姓で足利尊氏の命により淡路国沼島の海賊を退治するため、淡路国由良に居城していたそうですが、南北朝時代の初期に淡路より移り安宅本城を築いて本拠としました。
室町時代には熊野水軍を率いて淡路もその勢力に治めていましたが、1530年(享禄3年)実俊の跡目を巡り、子安定丸と弟定俊が争い安宅一族の勢力は衰退しました。
1585年(天正13年)羽柴秀吉による紀州攻めで帰参し羽柴秀長に仕えました。

道路に案内板があり、そこから低い石垣を見ることができます。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=安宅大野城(城びと未登録 和歌山県白浜町)へ向かいました。

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