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赤い城

殿山公園と住宅地 (2022/05/05 訪問)

この日は生麦駅から徒歩で30分くらい。
高台の住宅地に位置しています。
民家の脇に説明板と石碑があり、この辺りが主郭のようです。
少し離れたところに殿山公園。
ここに少しだけ竪堀や土塁が残ります。
遺構の説明板がありますが草が茂っていて分かりにくい。
諏訪氏が築いた城で、諏訪氏は後に北条氏の家臣となりました。
武田信玄の小田原攻めで落城したとされています。
近くには城を連想させる地名もあるようです。

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しか

甲賀の水口岡山城へ (2022/04/30 訪問)

東海道スロージョグの一環として、関宿から鈴鹿峠を越え、土山宿まで17キロほど走ったところで、足を傷めてしまいました。
予定通り甲賀の宿に入り、水口城を見ただけでは物足りず、「古城山」に登りました。

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おっちゃん

神戸城跡縄張り図 (2017/01/28 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

新府城跡概要図 (2017/10/14 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

新発田城城郭図、新発田城復元予想図 (2020/08/22 訪問)

現地案内板より抜粋。

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朝田 辰兵衛

鬼小島弥太郎墓所(長野県飯山市)~鬼小島弥太郎編③~ (2022/05/04 訪問)

1561(永禄4)年9月10日の第4回川中島合戦は,上杉軍優勢で始まり,次第に武田軍が盛り返す展開に。謙信は越後に引き返す判断をしました。飯山・安田の渡し(現在は綱切橋となっている。飯山城の南側約800m付近)にさしかかった時,謙信に従う者は弥太郎ただ一騎だったという。千曲川を渡り,追っ手をさえぎるために渡し綱を切って落とす。北へ向かい,市ノ口から小佐原にさしかかるも,弥太郎は深傷に堪えかね,主君の無事を祈り割腹して果てました。
鬼小島弥太郎最期の地は,鬼が峯と呼ばれるようになりました。弥太郎の墓は,鬼が峯と数100m隔てた英岩寺墓地に,1595(文禄4)年,弥太郎ゆかりの者に建てられたという。

なお,新潟県長岡市栃尾大野町3-4-2(デイサービスセンターおおの苑)地内にて,鬼小島弥太郎戦死の地と呼ばれる碑とパネルが存在します。ここには「鬼小島弥太郎貞弘は背丈6尺2寸(186㎝)で,その力は三十人力であったといわれ,その豪勇の故に鬼の一字が付けられたといわれています。弥太郎17歳の時,見出されて景虎の家来となり,槍の名手として活躍しました。永禄3年正月の刈谷田川合戦の折には,三条方の広瀬十郎と一騎打ちを行い,これを討ち,味方を大勝に導きました。しかし,帰陣の途中ここ天神橋で広瀬十郎の子二人の不意打ちにあい,おどりかかる広瀬兄弟を斬り伏せたものの,深傷のため割腹して果てました」とあります。
この記述が真実だとすると,1561(永禄4)年9月10日の第4回川中島合戦には参陣することは不可能。その後の逸話もあり得ないこととなります。私はこの栃尾説の後半部分は後世に盛った話と判断します。

大人の自由研究を終わります📖

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トク

壇ノ浦(源範頼が矢を射た田野浦海岸) (2022/05/16 訪問)

壇ノ浦での源平合戦がNHKの「鎌倉殿の13人」で描かれ「歴史探偵」で解説されました。私は今まで合戦があった場所は、下関側の「みもすそ川公園(赤間関)」には「源義経と平知盛」の銅像(写真①)や「壇ノ浦古戦場跡」の石碑(写真②)があり、現地の説明板などから、ここの目の前が合戦の中心場所で、潮流の流れが変わった時ここで勝敗が決したとばかり思っていました。しかし、今回のドラマとその実験解説で、公園の前の場所はあくまで合戦が始まった場所で、そのまま東の方向に潮の流れに乗って平家が攻め押し、千珠島と満珠島の付近まで押され不利になった源義経軍が「漕ぎ手を射る」という禁じ手を使い、漕ぎ手を失って制御不能となった平家の船が「還流」により、門司側の「田野浦」の海岸まで流された所を、陸上から源範頼軍(北条義時を含む)が矢を射かけ、潮の流れが変わり追ってきた義経軍と挟み撃ちになり勝敗が決した事が、最新のAIと潮流の研究に文献を照らし合わせて分かったと解説され、自分の今までの認識とかなり異なっていたので、驚いてしまいました😲。よって、それを聞いて自分で図③を作成し、実際にその場所を訪れてみる事にしました。

門司側の「和布刈(めかり)公園」(門司城跡)に歩いて登り、そこから壇ノ浦を眺めてみました。ここから一望できるかと思いましたが、みもすそ川公園は遠望できましたが(写真④)、田野浦側は予想外に木が生い茂っていて見えませんでした。よって、また降りて今度は海岸の「和布刈神社」から見る事にしました。

和布刈神社東側にある、安徳天皇句碑の前から田野浦を眺めてみました(写真⑤)。現在の田野浦は、当時とは海がかなり埋め立てられて変わっており、工場が立ち並んでいました。弓矢は達人で200m(足軽なら100m)くらいしか飛ばないので、現在埋め立てられている付近まで平家の船は流されてきた事になります。今まで自分が思っていた合戦の様子とはずいぶん異なっていましたが、こちらが主戦場である方が現実的でありえるなと納得してしまいました。ここの海は潮の流れがとても速くてさらにとても深いです(時速18kmなので川より速い!水深は約47m)。私が訪れた時は、合戦の時と同じ西から東に向かって潮が流れていて、確かに渦から還流が確認できました。和布刈神社の前に立つと、怒涛のような音をたてて流れる海が間近に見られ、見ただけでとても怖い感じがしました😱(写真⑥)。飛び込んだらあっという間に流されてしまいそうな・・・ 写真⑤の句碑の先あたりが実際は安徳天皇が入水した場所ではないかと私は想像しました。安徳天皇や平家の女人たちはさぞかし怖かっただろうなと思いました。また三種の神器の宝剣は見つからなかったとの事ですが、この海では発見するのはまず困難だろうと感じました。

この後、この海の真下には人が歩けるトンネル(関門人道トンネル)があるので、歩いて対岸へ渡り(写真⑤)、みもすそ川公園の銅像を見て(写真①)、そこから田野浦を遠望してきました(写真②)。

最後に、安徳天皇と亡くなった平家の人々を祀る「赤間神宮」(写真⑧)が公園から西に徒歩5分の所にあるので、そこに立ち寄り、平家一門の墓(写真⑨)と安徳天皇を弔う木造(写真⑩)に手を合わせて帰りました。

この合戦で平家はすでに弱かったように今まで描かれていましたが、実はそうではなく、九州の山鹿水軍(芦屋)や松浦水軍の600艘が加わり、最初からかなり優勢に攻めていたので、もし義経が禁じ手さえ使わなければ、そのまま平家の圧勝で終わっていたのではないかと思います。そうなっていたら日本の歴史はどう変わっていたのでしょうね?😊
 

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ぴーかる

貝吹山城 (2022/04/30 訪問)

【貝吹山城】
<駐車場他>久米田寺駐車場(参拝前提として)
<交通手段>JR久米田駅から徒歩

<感想>2022年春のJR列車大阪ちょこ城巡りの旅2城目。貝吹山城は橘諸兄の墓ではないかといわれる貝吹山古墳を改造した城で、1562年三好一族VS畠山高政・根来衆との闘いにおいて、三好方の岸和田城を畠山高政・根来衆が包囲し、後詰めに来た三好実休がこの貝吹山城とすぐ隣にある久米田寺に布陣しました。三好実休軍と畠山軍・根来衆はこの地で戦闘になり「久米田の戦い」、三好実休は討死します。
 先達のイオさんの投稿を参考にしてまず貝吹山古墳を散策しました。後円部分は段状に削平され、また古墳の南側全体も腰曲輪のように削平されています。くびれ部の堀切は土砂で埋まってよく分かりませんでした。次に久米田寺に立ち寄りました。久米田寺は738年行基によって創建されましたが上記の「久米田の戦い」や信長の「高屋城の戦い」でほとんどが焼失し江戸時代になり復興したそうです。駅に戻りがてら寄り道して三好実休戦没地碑<34.459485, 135.402942>に行きました。

<満足度>◆◇◇

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テンちゃん

鷲津砦 訪問 (2022/05/14 訪問)

桶狭間古戦場跡を訪問した後、大高城、丸根砦、鷲津砦を一気に訪問しました。
桶狭間の観光案内所で御城印を購入しました。大高城、丸根砦、鷲津砦の3枚セットで1000円でした。
大高駅前のコインパーキングに車を駐車し、徒歩で大高城、丸根砦を訪問した後。鷲津砦に向かいました。
住宅街を歩いて鷲津砦に到着すると児童公園みたいな遊具のある公園になっており、がっかりしましたが奥に入っていくと石碑などもあり雰囲気はありました。そのまま大高駅方面に降りていきましたが、裏手の住宅街から入るより大高駅側から登るように行くのが攻めて側の気持ちになれるので訪問する際は大高駅側から登っていくことをお勧めします。

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テンちゃん

丸根砦 訪問 (2022/05/14 訪問)

桶狭間古戦場跡を訪問した後、大高城、丸根砦、鷲津砦を一気に訪問しました。
桶狭間の観光案内所で御城印を購入しました。大高城、丸根砦、鷲津砦の3枚セットで1000円でした。
大高駅前のコインパーキングに車を駐車し、まず大高城に行き、そのあと徒歩で丸根砦に向かいました。
日頃あまり歩いていないため結構疲れました。
丸根砦は思ったより小高い丘の上こじんまりと存在しました。
桶狭間の戦いの前哨戦では松平元康が攻めて落としています。

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テンちゃん

大高城 訪問 (2022/05/14 訪問)

桶狭間古戦場跡を巡ったあと、大高城、丸根砦、鷲津砦を一気に訪問してきました。
桶狭間の観光案内所に御城印が置いてありました。
大高駅前のコインパーキングに車を止めて歩いて向かいました。
こんもりとした丘の城跡は思ったよりも広大で驚きました。
ここに松平元康が兵糧を入れて滞在していたと思うと感無量でした。

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テンちゃん

沓掛城 訪問 (2022/05/14 訪問)

今川義元が大高城に向け出発し、途中桶狭間で討たれてしまった因縁の城。
一度訪問してみた方お城の一つだったので桶狭間古戦場跡の訪問に合わせて行ってきました。
なかなか雰囲気のある良い城跡でした。

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todo94

県内の城めぐり2022㉑ (2022/04/30 訪問)

3年間長野市民だった私にとって県庁の横にそびえ立つ比高400mの旭山はなじみのある山でした。城であることを知ったのは城めぐりを始めてからかなり経ってからでした。朝日山観世音堂の前に数台、駐車することが出来ます。この駐車場からの登城はさほど過酷ではありません。山頂の主郭は土塁に囲まれなかなかの遺構が残っていますし、展望台からの善光寺平の眺望も絶景でお薦めの山城です。勿論、善光寺を俯瞰できます。本当は城山公園になっている横山城にも行きたかったのですが、御開帳の真っ最中で駐車に難渋するであろうことが必定だったので、国道19号経由で帰路につきました。

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カズサン

駿府城ぶらぶら散歩 (2022/05/16 訪問)

 皐月雨霞の中、家内の運転手として静岡に出掛けました、家内の目的は静岡伊勢丹のキルト展と買い物、公共機関の人出を嫌い車でと言う事で、伊勢丹は静岡市役所の近く、と言う事は駿府城の近く、私はその間駿府城を散策探訪、雨も少しパラパラ状態で傘を差しながら廻りました。
 車は何時も利用してる三の丸体育館・市民文化会館の在る有料地下駐車場を利用。

 平成に復元された建造物を主に探訪確認。
 探訪ルート:三の丸中堀外から廻り、東御門、巽櫓、坤櫓、二の丸御門跡桝形外側石垣を眺め、二の丸橋より二の丸に入り復元修復された二の丸御門枡形修復渡櫓門石垣、復元桝形石垣、坤櫓を二の丸から眺め、月曜日は休館、内堀の地表白砂表示、天守台発掘調査現場、発掘情報館は開いてる、資料を頂き少し会話を楽しむ他に人は私だけ、東御門を二の丸から眺め渡櫓門を潜り枡形内部、高麗門、東御門木橋、東御門巽櫓は月曜日休館。
 
 復元は平成元年に巽櫓、平成8年に東御門桝形、平成26年に坤櫓・二の丸御門桝形石垣・本丸内堀を石列、白砂で地面表示されています。東御門の木橋が平成8年復元から傷んで来て居ましたので近年真新しく成って居ました。
 更に平成28年8月から令和2年3月間で本丸天守台の発掘調査が行われ、明治期に埋められた天守台が出現、豊臣期の天守台も出土発見、金箔瓦も発見で大ニュース。
 今後の天守台の整備公開が楽しみです。

 また、三の丸発掘調査された旧青葉小学校跡地に静岡市歴史博物館が建設工事中でした、6月末には建物、周辺工事は終わりそうな感じで、予定では令和5年1月グランドオープンと発掘情報館で頂いた歴史博物館の資料に載ってました、早く成りそうな気もしますが又楽しみが増えます。

 

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じゅんじん

14年ぶり (2022/04/25 訪問)

昔の写真と比べると整備が進んでますね。御城印もあるとか。

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朝田 辰兵衛

~鬼小島弥太郎編②~ (2019/03/02 訪問)

乙吉城登城口手前に,曹洞宗龍穏院があり,鬼小島弥太郎をリスペクトした城址碑が境内に立っています。
この龍穏院は,源義家が真言密教の安楽寺として創建。第四世の時,乙吉城主の鬼小島弥太郎が田畑山林を寄進し,中興開基となり,曹洞宗に改宗したと伝わります。
私は確認していませんが,龍穏院には弥太郎の守り本尊,位牌などがあるそうです。
“雪虎”では,乙吉城の名前すら出てこなかったのが残念。「長岡」で止まってました。

本来であれば,再訪したいところだったのですが,すでにクマが冬眠から目覚めていると思われ危険と判断。実は,2019年3月2日の登城時は,鷹がウサギをつかまえて飛び去るところを目撃しました。一瞬の出来事で,撮影は間に合いませんでした。今行けば,動物の檻の中に飛び込むようなもの。
1枚目の写真以外は,前回投稿時に漏れた写真をアップします。ご容赦くださいませ。

次回はいよいよ~鬼小島弥太郎編~の最終回,墓所となります。
なぜ,長野県飯山市に墓所があるの?
お楽しみに。

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織田晃司

鬱蒼とした竹藪に戦意喪失 (2022/05/14 訪問)

竹藪+枯れて倒れた竹が散乱して戦意喪失してしまう。
竹藪を超えると曲輪・土塁・石積や堀切などあるのだが、道なき道を進むので、前に進むのも勇気が要ります。

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織田晃司

益田氏城館 (2022/05/14 訪問)

二つの尾根に沿ってY字に巨大な山城を築く。
全長約600mというからかなりの大きさです。

七尾城大手門が医王寺に移築され、総門となる。

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織田晃司

益田氏城館 (2022/05/14 訪問)

三宅御土居の土地を益田市が買い取り今後史跡整備を行うといいます。

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織田晃司

不言(ふげん)城・物不言(ものいわず)城ともいう (2022/05/14 訪問)

国道9号の看板は不言城となっている。

鳥取城で悲運の死を遂げた吉川経家の居城。
福光城では平穏な日々を過ごせたのだろうか?

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