みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しんちゃん

釈迦山百済寺 湖東三山 山城でもあった寺 (2019/11/23 訪問)

滋賀県東近江市百済寺町にある百済寺は湖東三山の一つで国の史跡に指定されています。歴史は古く推古天皇の時代14年(606)に聖徳太子によって建立されたそうです。室町時代には栄華を極めルイス・フロイスの書簡には地上の楽園と記されていたそうですが、元亀4年(1573)に織田信長と対立した六角氏に味方し織田勢によって焼討ちされ寺は全焼したそうです。
境内には山城としての百済寺の遺構が残り古い石垣が残っています。焼討ちの際、石垣の石が比較的小さかったため石曳きをされず残ったそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

洸(あきら)

良い御殿 (2024/02/08 訪問)

バイク走らせて訪問。
拝観時間ギリギリだったため、中を見れませんでしたが。100名城スタンプだけ押させてもらいました。危ない危ない。
またゆっくり訪問します

+ 続きを読む

AJ

当たり?

城への道は楽しい道ー-。中古で買った書籍になんと城郭考古学者・千田嘉博先生の直筆(多分)が!

お城好きにとっての“神”と崇拝する向きもちらほら。首からカメラをぶら下げて現場に赴くと、そのテンションはやや常人離れしたものになる(だって神だから?)。

歴史家・磯田道史氏との相乗効果もあってか露出度は年々増すばかり。相思相愛であろうこのふたりがテレビ番組で絡むと、時に進行役や他のゲストを置き去りにしてしまいそうな危うさが漂うところがたまらなく好きだ(笑)。

一方で苦労人だという見方も。ご本人が別の著書で語ったところによれば、考古学は文字史料がない時代の歴史や文化を、その時代の遺構や遺物から解き明かそうとする学問。そうした一次資料が残されている時代につくられた城郭に考古学的アプローチを試みるのは当初、かなりの異端とされたのだとか。

が、今ではすっかり一般層に浸透して引っ張り蛸。そんな「千田先生」でググると、自動予測キーワードの中に「かわいい」の文字。たしかに画面の中の茶目っけたっぷりのおじさまはそう見えます。他方、そのメディア戦略はなかなかの“軍師”っぷりだと思うのは私だけでしょうか。

+ 続きを読む

およよ

大阪城(100名城1城目) (2024/01/31 訪問)

残念ながら曇りでしたが、100名城スタンプを集めようと決めたので、まずは大阪城に行ってきました!

天守閣まで行ったのは初めてです!
遠くから見ることは多かったのですが、虎がいるなんて知りませんでした。
展示も充実していて、初めて知ることや学んだことも多かったです。
屏風絵の解説もたくさんで、見入ってしまい予定の3倍くらいの時間滞在してしまいました。

+ 続きを読む

イオ

城地山 明教寺 (2023/12/16 訪問)

織豊期に中川清秀が茨木城の支城として築いた城で、中川氏移封後の動向は不明ですが、現在の城地山 明教寺が城跡と伝わります。

阪急千里線・下新庄駅から登城(明教寺まで徒歩5分)。明教寺周辺は住宅地になっていて遺構は消滅しています。新庄城の石碑も説明板も見当たりませんが、境内にある明教寺縁起には新庄城に関する記述があるようです。「城地山」ですもんね。とある煩悩の登城目録さんの登城時には山門は開放されていたようですが、この日は閉ざされていたため縁起は未確認です。駐車場越しに縁起の石碑があるのは見えましたが…。
 

+ 続きを読む

todo94

世界遺産の構成資産の近く (2023/12/26 訪問)

世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産・春日集落の結構近くに所在する城です。世界遺産が目的の平戸でしたが、この城の攻略も当然予定に入れてありました。県道の脇に「まこ地蔵」があり、ここが登城口になります。古代朝鮮式山城の水門を彷彿とさせる石塁の両側に郭が伸びていました。ロープが張られる急峻な登城路ですが、攻略の価値のある城だと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

交錯する二人の「武田」 (2023/05/05 訪問)

南部一族武田信義を祖とする蠣崎氏5代目の蠣崎蔵人は蝦夷に流れた。若狭出身とされる武田信広はこの地を経由して蝦夷に流れて現地で蠣崎季繁の養子となり松前氏の祖となった。蠣崎蔵人と武田信広は同一人物かはたまた別人か。

+ 続きを読む

宇野源太郎守治 (2024/02/08 訪問)

 承久の乱により宇野氏が恩賞としてこの地を与えられ、城を築いたと伝わっています。
大石東バイパスの道路工事により多くが消失した城址です。ぴーかるさんと同じアプローチで登城しました。土塁などが一部ですが残っています。

 石山駅より帝産バスに乗り公民館前バス停下車。3分くらいで行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

足利義澄 (2024/02/08 訪問)

 京都から逃れてきた室町幕府11代将軍足利義澄がここで病没したと伝わる城です。琵琶湖には近代以前は多くの内湖があり、この城も内湖が堀の役割をしたと考えられています。浮き城のような感じでしょうか。
 特別養護老人ホーム水茎の里の近くに名勝水茎岡の石碑があり、その横の長い階段が登城路です。只管階段を上り、配水場を過ぎると少し荒れた山路になりますが、すぐに城域となります。トラロープが張ってあり、道を逸脱しなければ迷うことはありません。歩いていて北側を見ると削平地があり曲輪が存在していることがわかります。少し降りてみました。縄張り図を見ると多くの曲輪があり竪堀もあるようですが藪になっていて倒木、倒竹等もあり散策は困難で断念しました。堀切を越えて主郭らしき場所まで行きました。通路以外はほぼ藪です。ここで引き返すつもりでしたが、その奥にもトラロープが続いています。行けるところまで行ってみようと思い、トラロープを頼りに降りて行きました。ほぼ藪の中を歩くことになりました。途中、トラロープが途切れていて引き返そうとすると木に付けられているピンクリボンを発見。そこであきらめればよかったのですが、ピンクリボンの場所へ行くと途切れていたはずのトラロープの続きを発見してしまい藪になっている所を、トラロープを頼りに舗装された道路まで下りてしまいました。道路は頭山との間にあるさざなみ街道で、頭山側に水茎岡山城の石碑と石の説明板がありました。降りてくる途中には曲輪らしき場所もありましたが、藪になっていました。
 以前から気になっていた城址ですが、荒れているという情報がありましたので行くなら今の時期かなと思い行って来ました。かなり遺構はあるのではないかという印象ですが、倒木、倒竹が多く藪になっていてもったいない気がします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

愛知県蒲郡市 医王神古墳(いぼがみこふん) (2024/02/04 訪問)

愛知県蒲郡市五井町にある医王神古墳は「いぼがみこふん」と読みます。昔、松平のお姫様が石の上にたまった水で洗えばイボが落ちるという噂を聞いて試した所あっという間に治ってしまったという伝承が有るようですが、肝心の石(石室石材)は矢穴にそって真っ二つです。松平の姫様って江戸時代の深溝藩でしょうか?それとも戦国時代の松平氏かな?この近くでは名古屋城の石材集めに竹島まで毛利秀就の配下が石を集めに来ていましたが、こんな所まで来ていたんですね。石を割って持っていこうとしたところで、この石はまずいんじゃないかって我に返ったのかもしれません。外様大名だし松平ゆかりの石を石材に持っていくとマズイですよね。
このことは内密に‥って全く証拠を隠せていません。犯人は毛利さんです!(違ったらどうする?)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

小川中ノ城 (2023/12/23 訪問)

【小川中ノ城】滋賀県甲賀市信楽町
<駐車場他>登城口<34.845128, 136.032368>に2台分の駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀切
<感想>小川中ノ城の築城は小川城の投稿の通り戦国期に多羅尾氏が改修したと考えられています。
 小川城⇒小川西ノ城⇒からの登城しました。中ノ城は山の中腹に位置して北にある西ノ城よりは若干比高が高い場所に位置しています。街道を挟んで北にある西ノ城が見えて連携して街道を押さえる役割をしていたことが分かります。登城口から5分程で主郭に入ります。主郭手前に小さい腰曲輪がいくつかあり、主郭はかなり広い曲輪で背後の山側を垂直に削って曲輪壁にしています。甲賀の城には珍しく背後以外の方向は土塁では囲んでいません。主郭背後の曲輪壁は土壇になっていて上部に曲輪があり上に行くスロープが付いています。主郭背後の山側に大堀切があり山側尾根と遮断しています。小川城跡への登山道がありますので尾根に上がって南に登って行くと小川城跡の最北の大堀切と合流します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

またの名を、一夜城。そして、太閤城 (2024/01/03 訪問)

美濃攻略の為に、織田 信長さんが木下 藤吉郎さん(豊臣 秀吉さん)に命じて築いた「伏屋城」。
別名「一夜城」「太閤城」です。
秀吉さんの「一夜城」と言ったら「墨俣城」が有名ですが、こちらの「伏屋城」も「墨俣城」と同時期、築城方法も同じなんだとか。

住宅街に、藪化して忘れてしまったような場所に「伏屋城」の説明板がありました。
奥に土塁があるそうですが入って行く勇気が出ません。
この日の翌日、「墨俣城」に行きました。模擬天守があり瓢箪が、秀吉さんの活躍を自慢しているようでした。
「墨俣城」の物語が出たら、もう1つの「一夜城」も忘れないでおこうと思った「伏屋城」攻めでした。

+ 続きを読む

イオ

最期の城主・三宅国村 (2023/12/16 訪問)

摂津国人・三宅氏の居城で、築城時期は室町中期とも戦国前期とも云われますが、詳細は不明です。江口の戦いの前哨戦で香西元成の攻撃を受けて落城(三宅国村は自刃)すると、三好政長、次いで細川晴元が入って三好長慶に対する拠点となりましたが、本戦で政長が討死すると、晴元は三宅城を放棄して近江国に逃れ、そのまま廃城になったとも、自刃せずに落ち延びていた国村が城主に復帰したとも云われ、復帰説でも、後に長慶から離反した国村は教興寺の戦いでの敗報を受けると三宅城を放棄して牢人となり、廃城になったとされます。

沢良宜城から徒歩で登城。市街化により遺構は消滅しており、城域も明らかではありませんが、蔵垣内公園に三宅城跡の石碑と説明板が、メビウスパッケージング摂津工場の阪急京都線沿いにも三宅城阯の石碑と説明板(関係者以外立入禁止のためフェンス越しに見るのみ)があり、蔵垣内公園から北東に徒歩6分の線路沿いの住宅地の一角には、最後の城主・三宅出羽守國村公の石碑が建てられています。また、蔵垣内公園から南西に徒歩3分の子育て総合支援センター前には、国村の長女ゆかりの防風庵跡の説明板がありました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

佐世保鎮守府周遊ラリー (2023/12/26 訪問)

前夜にホテルからライトアップされた平戸城を見ることができましたが、100名城スタンプラリーを3回もやっているし、スタンプラリー開始前にも訪れたことがあったので、今回、平戸城はスルーするつもりでした。ところが、前日、黒島で知った佐世保鎮守府ラリーのキーワード設置場所に亀岡神社がなっていたのです。ここは、平戸城の二の丸ということで、期せずして平戸城に来ることになってしまいました。平戸市内のもう一つのキーワード設置場所、田平天主堂は午後に見学の予約を入れておいたので、平戸市内の周遊ラリーはコンプリートすることができました。

+ 続きを読む

小城小次郎

遺構がなくなっとる (2023/05/05 訪問)

南北朝時代の英傑・南部師行の命で築かれたとされ、江戸時代には南部家の代官所が置かれていた場所。最近まで堀があったはずだが発掘調査の後にグランピング施設として改修され、少なくとも地表面には遺構がなさそうだ。

+ 続きを読む

しんちゃん

お鍋さんの館の可能性も (2019/11/23 訪問)

最近肉球さんの坂本城の投稿がありましたが三の丸の石垣が発掘されたようで10日と11日と一般公開がされるようです。天気もまあまあ良さそうなので家でコタツにはいっているわけにはいかなくなりました。
高野の地は戦国期には小倉右京亮の所領でしたが、その妻のお鍋は夫亡き後、織田信長の側室となり信長の亡き後は豊臣秀吉から高野に領地を賜ったと案内板には書かれています。構造は上下二段の郭を持ち、石垣も残っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

玄宮園ライトアップ (2019/11/23 訪問)

玄宮園は彦根城に隣接する大名庭園(池泉回遊式庭園)で「楽々園」とともに国の名勝に指定されています。延宝6年(1678)に4代藩主・井伊直興によって整備されたとされ、11代藩主・井伊直中の隠居屋敷となったようです。背後に天守を借景とし、4つの島と9つの橋がかかっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

天下人の真骨頂。 (2024/01/26 訪問)

石垣山城には5年置きくらいに行っています。久々に訪れたら本丸北の石垣が少し崩れていたみたいですね。もちろんすぐにはわかりません。昔の写真と比較してみて気づいたんですね(ヒマ人か)。石垣山城の築かれている尾根は箱根山が噴火した際に冷えて固まった溶岩によって構成されているようで、皮肉なことに小田原城のすぐ近くで石垣に使う石材を調達することが出来たようですね。
だからといって土の城の到達点といえる小田原城のすぐ近くに総石垣の城を築くなど常人に思いつくことではなく、まさに天下人秀吉の真骨頂と言えると思います。パンフレットには一夜にして建造物に白壁をほどこし、伊達政宗が紙を張ったものと見貫き、秀吉を始め諸将に賞賛されたと記されています。急造とはいえスケールの大きい石垣を持つ城ですが、こんな小技も駆使していたのですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

蒲郡シリーズ 竹島2 毛利秀就の石切り場 (2024/02/03 訪問)

竹島の秘密。それは石燈籠の礎石になっている岩が矢穴石なんですね。三河湾一帯から篠島に至るまでは幡豆石と呼ばれる花崗岩(もしくはトーナル岩)の産地で名古屋城の天守閣の石垣などに使用されているようです。蒲郡では竹島のあたりが毛利秀就の石切り場とされているみたいですね。他にも西浦海岸には福島正則の石切り場が有りました。篠島には加藤清正の枕石がありました。戦の合間に武士たちが目の色を変えて石を探している様が目に浮かびます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

ふらりと立ち寄ってみました。 (2024/02/04 訪問)

また上ノ郷城に行ってきました。自宅が豊橋市なので非常に近いんですね。大河ドラマで丸々1回をこの城の攻略に費やしていたので記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。この城はいつ行っても誰かが訪問してきているようです。主郭には地元の方が植えたスイセンの区画が有りました。城址碑のある土塁の近くには気の早い梅の花が咲いていて見る者の目を楽しませてくれます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ304