徳川御三家の一つ、和歌山城の投稿です。鉄筋コンクリートで復元された天守閣も有りますが、この城の見どころは何と言っても、異なる種類の石材を使って築かれた石垣だと思います。名古屋城も砂岩や花崗岩など様々な石材を用いて築かれていますが、あまりにも石材が多種多様で、しかも混在して積まれているので、予備知識が無ければ、どこに何の石を使っているかを見分けることは不可能です。
しかし和歌山城は違います。主要部に雑賀崎周辺で取れる緑泥片岩(紀州青石)を使用し、周囲の郭や大手門周辺に加太や友ヶ島などで採取される和泉砂岩を使用しています。和泉砂岩は経年と共に風化して崩れてくるので大手門より先の一中門周辺では隅部を花崗班岩で修復してあります。異なる材質の組み合わせになりますが、色合いや形状を可能な限り合わせて有ります。和泉砂岩は隅部が崩れ、表面は剥離しているので一目でわかってしまうのですが、それでも修復者のこだわりや誠実さは十分に伝わってくるので、見ていて心地よいものがあります。研究者から城好愛好者を含む一般の人に至るまで城郭に対して重要なのは、この誠実さだと思います。
近年、城郭の復興や存続に対しても政治や活動家の思惑や駆け引きに巻き込まれるケースが多く、そこにマスコミや専門家までからんで状況が複雑化している感は有ります。個人的意見ですが、城址は可能な限り、本来のあるべき姿に戻すのが理想だと思います。
大手門は城址の北東に位置し鬼門に当たります。本丸御殿の鬼門の位置に一中門跡があり、周辺の石垣に厄除けの「桃」の刻印が有ります。地元のボランティアの方に教えていただきましたが、時々 専門家より詳しい方がいらっしゃいます(特定の城址限定で)。
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