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前ちゃん

大分遠征① (2024/02/11 訪問)

3連休だできたので、何処かに行きたい!ということで、3日前に大分に決定。新大阪始発だったので、春節ということもあって、小倉ー佐伯間(8時34分発、にちりんシーガイア5号)の特急(自由席)に座れるか心配だったが無事着席(就寝)。


佐伯到着後、白壁の道経由を散策しながら歴史資料館を目指す。荷物を資料館のロッカーに預け、登城。行きは比較的緩やかな独歩の道で、下山は登城の道。

日曜祝日ということもあって、昼食処の散策に困難。佐伯駅近くの番匠亭で海鮮丼を食べ、宿泊先の大分へ

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トク

92【関ケ原の26人】(25)島津豊久 (佐土原城②-天昌寺(家久豊久墓所)) (2023/11/04 訪問)

(25人目)島津豊久の続き⑤です。鶴松館・いろは館から南へ300m程行った佐土原中学校の横から奥に入った場所に、島津家久・豊久の墓所があるので先にちょっと見てきました。

ここには佐土原島津家の菩提寺である天昌寺がありました。しかし、明治政府に反旗を翻した島津家に関わりのある寺は、全て政府により破壊されたためここも例外ではなく、今では墓石のみがひっそりと残っている状態でした。

入口には説明板がありました(写真①)。その入口にはなぜか?山羊がいました(写真②)。そこから細い道を100m程行くと墓地があります(写真④⑤)。関ケ原で豊久とともに壮絶な討死をした家臣たちの墓もありました。豊久も家臣からずいぶんと慕われていたようです。でも全く人目につかないような、このような奥まった場所にひっそりとあったので、なぜか少し悲しい感じがしました。

次は、豊久の居城(佐土原城)に、鶴松館の横から登ります。
 

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しんちゃん

やべぇぜ (2024/02/10 訪問)

行ってきました。坂本城三の丸説明会‥大変でした。10日の説明会、地元の方は午前10時30分よりで一般の人は午後からでした。
11時から整理券を配布なのですが10時にはもうかなりの行列が。やばいもう300人くらいいるんじゃないか?と思ったら案内の人が今160人くらいですよと教えてくれたので、じゃあ二巡目かなと思ったらなんと一巡目に入りました。あと一時間、移動で30分として食事の時間が30分くらいあるかな‥と思ったのが間違いの元。地元定食屋の調理場が吹いて結局5分ほど遅刻しました。(ごめんなさい)
TVで見覚えのある人が説明をしてくれています。職員さんにあの人は「やべーさん」ですか?と聞いたら笑いながら「そうですよ」と言ってました。ちなみに「やべーさん」には大津市文化財保護課の岡田さんという名前がちゃんとあります。(あたりまえ)
実に解りやすい説明で非常に好感がもてます。皆さんの質問にもすごく的確に答えてくれてます。しかしどこを写しても入ってしまうんですね‥岡田さんが。岡田さんにSNSに写っても大丈夫ですか?と聞いたら「自分は公共ツールみたいなものなので大丈夫です」とお答えを頂きました。公共ツール‥人の顔でそれは初めて聞きました。では遠慮なく!
石材は花崗岩で全体的に色は白いですが延暦寺の花崗岩にも同じようなものがあるようです。産地の特性もあるのですね。井戸跡も発見されていて、見学者から見て向かって左手の端(北側)が船着き場のようです。石垣はそれほど高くありませんが本能寺の変の後、合戦に供えて石垣を改修した可能性もあるようですね。石垣のこちら側は外堀になりますが幅は約12m程度とみられ外部の畑地との境界線の側溝あたりまでが堀の幅に当たるようです。我々はかつての堀跡で説明を受けていたわけですね。
おそらく城びとの方も説明会に参加されていたのではないかと思います。皆様の投稿も楽しみにしております。

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T-Shionoya

山城シンポジウム「江濃境目の城」 (2024/02/11 訪問)

本日は関ヶ原で山城シンポジウム「江濃境目の城」を聴講。

冒頭に中井先生から坂本城で三ノ丸石垣が発見された話を聞きビックリ。
本題も大変勉強になりました。

<印象に残った内容>
・竹中半兵衛の?菩提山城
・越前由来と考えられる土塁の苅安城(上平寺城)&弥高寺跡
・根太を用いた陣城の作事
・ただの陣城ではない松尾山城
・土の城のイメージの小谷城が、実は石垣の城

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POYO58

令和6年初登城! (2024/02/10 訪問)

新年初登城が 2月となってしまいました。全然お城行けませんでした。まあでも行けてよかったです。テストがもう近いので…
三雲城に行ってきました!三雲城は佐々木六角氏のお城だそうです。織田信長との戦いで負けたあとこの城に逃れたそうですが、その 2年後に落城しました。またアニメにもなった猿飛佐助がここで修行をしていたそうです。
三雲城は見るところが主に二つあり一つはもちろん城址なのですが、もう一つが落ちそうで落ちない岩です。まあいわゆるパワースポット。ここにはよく受験生が来てお参りをするそうです。
僕は今回三雲城を巨石群→城址の順に行きました。巨石群(落ちそうで落ちない岩)の投稿は後ほど
巨石群から馬の背道という道を通って城址に向かいました。馬の背道には土塁が残っています。(写真⑧)
馬の背道を通ると主郭北の石垣が高ーいところに見えます。(写真⑥)結構石が大きいですね。またこの城は採石場があったようで、今も石が転がっています。おそらく石垣の石は本城のものを使っているのでしょう。
階段を登っていくとこの城1番の見どころである枡形虎口が見えてきます。(写真①)虎口の石垣には石切矢穴列跡が残っています。(写真③④)近世前期の矢穴跡が見れるのはこの辺の城だそうです。
枡形虎口を通ると城郭Iに入ります。そこには井戸があり、穴太積の石垣でできています、山城で石垣造りの井戸を見たのは初めてです。(写真⑦)
また土塁も残っており(写真⑨)、その裏には竪堀群が見えるのですが、草だらけで全然見えませんでした泣。おそらく冬でも見られないのでこれは誰も見れないんじゃないんでしょうか?

さて次は城郭IIに行きます。 続く

評価★★★☆☆
100名城じゃないが、遺構の保存状態は素晴らしい。しかし、遺構の見ずらいところや道がはっきりしない場所もちらほらある。

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カズサン

【遠江・小国神社】静岡県周智郡森町 家康公の立ち上がり石周辺整備なる (2024/02/11 訪問)

 小国神社の二の鳥居手前の左側に家康公の立ち上がり石が在ります、以前は葉の厚い常緑樹に覆われて案内板、立ち上がっり石も見えにくい状態でしたが、【どうする家康】大河ドラマ効果なのか常緑樹前に立看板2枚が整い【家康公の立ち上がり石】と大変目に付くようになっていました。
 訪問当日は建国記念の日で建国祭が執り行われていました、皇紀2684年に当たる紀元節、また陰暦では正月2日の初詣と建国祭参拝を駐車場までの渋滞が発生する前に致しました、新暦の大渋滞程では有りませんが帰る頃は500m程の渋滞が発生して居ました。

 住所:静岡県周智郡森町一宮3956-1
 駐車場:小国神社周辺に無料駐車場が有ります。

 家康公の立ち上がり石の前にはスマホの撮影ポイントスタンドが設置されて便利になって居ました、説明板も写真投稿しますので拡大してお読みください。2年前の2022年12月10日に家康の立ち上がり石で投稿しています。
 小国神社は祭神大国主命で遠江一宮であります。
 
 

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石垣で見るお城写真展 (2024/02/11 訪問)

 昨年6月に登城したのですが、小牧山歴史館(天守閣)で「石垣で見るお城写真展」が開催されているとのことで近くへ来たので寄ってきました。公園として整備されていて連休の日曜日ということもあり多く方が散策を楽しんでみえました。
 主郭付近では石垣復元を主とした史跡整備工事を令和3年度より実施されています。工事は令和7年度末完了を予定しているとのことです。
 縄張り図を見ていると南から西側にかけて曲輪が展開しています。実際に歩いてみると曲輪跡と思われる削平地が複数あり土塁と思われる地形もありました。

 前と同じように小牧市巡回バス「こまくる」を利用しました。名鉄小牧駅から乗り小牧山前バス停下車。1日200円(2024年2月11日現在)です。

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いのさん

特別公開 西小天守 (2024/02/09 訪問)

毎年恒例の冬期閑散期の特別公開。今回は西小天守初公開ということで、姫路城に行ってきました。まずは、毎回恒例のイーグレ姫路の屋上へ。屋上の展望台から城全体を眺め、その広大さを実感しました。城内は閑散期とはいえ、さすがに世界遺産。外国語が飛び交い、相変わらずの結構な人出。天候晴れで外はまあまあ、暖かかったですが、天守内は吹きさらしのため、防寒対策、特に足下の防寒対策は必須でした。西小天守3階は手狭の感があり、10人も入るとほぼ一杯の感じで、人が入らないように室内を撮影するのはなかなか難しいです。今後も腹切丸やその他非公開部分の公開をお願いしたいです。

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くんちゃん

和歌山城 (2024/02/09 訪問)

梅の花がほのかに咲いていました

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にのまる

8郭探索 (2023/12/01 訪問)

はじめに「史跡根城の広場」に隣接する八戸市博物館へ。古代から近代にいたる八戸の歴史がさまざまな資料展示によって紹介されており、たくさんの生きた史料に触れることができました。根城の歴史も学んで探索スタートです。

八戸城東門の移築と伝わる門が「根城の広場」への入口になります。訪問時はピカピカの銅板葺きと新しい板塀にお色直し中でした。雪国は工事可能な期間も限られているでしょうし、見えない苦労も多いことだろうと思います。門を通れなかったことは残念なことではなく、歴史遺産を未来へつなぐ大切な場面にめぐり合わせたことを記憶しておきたいと思いました。

2回目の訪問となる今回は8つの郭をすべて歩きます。東構を少し歩いたあと三番堀へ向かいました。
三番堀は国道の向こう側の大きな堀で、住宅地となっている岡前館をぐるりと囲んでいます。堀に沿って歩いてみると見通しはいいのですが幅の広さが住宅地への侵攻を心理的にも阻み、このまま外周を歩き続けるしかないな、という気持ちにさせられました。

続いて沢里館に上がってみました。
こんなにかっこいい堀が隠れていたなんて!と思わず感嘆の声をあげてしまう曲線美。
幸い埋もれるほどの雪ではなかったので、地面を足で踏みしめ景色を目に焼きつけ思いっきり空気を吸い込んできました。岡前館へ抜ける堀底道から見上げる壁も、これは引き下がるしかないなぁという高さでした。
郭内に見える建物は「奥州南部糠部三十三番観音十二番札所」。利用しませんでしたが北側に石段があります。

「根城の広場」に向かいつつ通った岡前館は堀跡の一部が道路として利用されているように見え、国道側に「岡前阯」の碑も見つけました。

南側を一周して戻ってきた「根城の広場」。
東善寺館、中館は何気なく歩いているところも大発見による通路遺構だと思うと感慨深く、“裏側”から見上げる郭も惚れ惚れする高さで、自然と人間のコラボレーションによる屋外展示の傑作を鑑賞しているような気持ちになってきました。

そしてやっと本丸です。
はるばるここまでやってきたので、入れる建物内は片っ端から入ります。いろいろな仕掛けや興味をひかれるものがあって楽しかったです。建造物だけでなく、西門あたりから見下ろす土塁や堀跡もすてきでした。

このあたりでそろそろ終了かなとバス停に向かったのですが、本丸西側の堀や西の沢を素通りすることができずに寄り道を。するとそこにはまるで城旅の最後の贈り物のようなすてきな景観が広がっていました。その中を歩けることがまた楽しくて。西門があんなところに見える!とか、ここはあそこに繋がっているんだ!とか、最後までワクワクしっぱなしの楽しい時間が過ごせました。

15時過ぎに八戸駅でやっとせんべい汁ランチをいただくことができました。
(写真を撮ったはずなのですが消してしまったみたいで見あたらないです🥲)
おみやげにと何気なく買った“せんべいの耳”もドストライク。レンチンしてカリカリにしてもおいしかったです。

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カズサン

千貫櫓台・南御多門東脇櫓台修復なる (2024/02/10 訪問)

 令和3年5月の大雨で以前より孕んでいた千貫櫓台の石垣が崩れて、また以前より孕んでいた南御多門東脇櫓台も合わせて、発掘調査の上、修復復元されました。
 昨年の11月5日に発掘調査現地説明会が有ったのですが都合で伺えず、早く訪ねたいと思いながら本日天気も穏やかでスギ花粉の飛翔も少なく日帰りで往復90km程の吉田城へ山道国道362号線経由で探訪観察へ出かけました。

 駐車場:三の丸美術博物館南東駐車場利用(有料500円/回)

 駐車場より三の丸、二の丸を通り本丸南から冠木門跡、本丸南土橋より千貫櫓台、南御多門・東脇櫓台を南側より、門枡形より、本丸内の裏側からと見学観察させて頂きました、本日は大勢の方で賑わっていました、如何も吉田城を廻るウオーキングが有った様で夫婦連れの方々が多いように見受けられました。
 奇麗に修復なった石垣を堪能しました。修復は北御門、腰曲輪東角に修復箇所の縄張されて居り令和7年まで続くようです。

 この後は鉄櫓登閣、本丸内部、北御門、裏御門、金柑丸、二の丸、三の丸各土塁、豊川側に降りて、川手櫓台、腰曲輪、本丸堀西と東、二の丸堀豊川側の確認、水門確認、総堀の大手門跡確認、大手門跡傍の五月寿司店で握り寿司を頂く、三の丸大手門・18連隊正門の鏡石の確認、二の丸口門跡確認、二の丸御殿跡確認、、金柑丸に立つ神武天皇像参拝、二の丸土塁・虎口、三の丸東の川毛口門跡、豊橋刑務支所東面残滓の総堀土塁探訪観察、豊川北側のグラウンドゴルフ場側で鉄櫓を観察撮影で約3時間超廻りました、写真は各篇に分けて以降投稿させて頂きます。
 

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10Q-Nobu

備前掘を深堀り (2024/02/10 訪問)

熊本城で城内の水堀、備前掘が水を抜いて修復工事前に一般公開が行われました。この機を逃すと水堀の底に降りる機会は無いと思い参加しました。
担当の方の話では、某池の水を抜いてみる番組からオファーがあったらしいが、予定が合わず見送られたらしいです。

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イオ

河川改修の影響 (2023/12/16 訪問)

戦国後期までに十河一存が築いたと伝わりますが、詳細は不明です。江口の戦いの前哨戦では、細川晴賢が籠る柴島城を三好長慶軍が攻め落とし、江戸初期には摂津中島藩に封ぜられた稲葉紀通が居城としましたが、丹波福知山藩への移封にともない廃城となったと思われます。

阪急千里線・柴島駅から登城開始。現在の柴島中学校周辺が主郭に比定されるようですが、市街化と河川改修により遺構は消滅しています。柴島城址の石碑は中学校から北東に徒歩4分の位置に立てられていますが、河川改修により北に移転した柴島神社との位置関係に基づいて立てられたことから、城跡から北に150mほどずれているようです。
 

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シェル

城跡の整備が待ち遠しいですね (2023/10/24 訪問)

西武池袋線 豊島園駅から徒歩5分ほど、西武練馬駅からは徒歩15分ほどです。
 石神井川沿いの練馬城址公園の旧としまえんの高台が、練馬城跡とされています。旧としまえんのエリアは、工事中で立入禁止でしたので、エントランス広場から遠目に見学しました。
 またエントランス広場のとしまえん思い出コーナーの所に、練馬城についても少し記載された案内板が設置されていました。
 これから本格的に城跡は整備される計画があるらしいですので、楽しみです!!
 石神井川を挟んで城の反対側には、ワーナーブラザーズスタジオ東京があり、駅などもハリポタ仕様になっていました。訪問日もハリポタ好きの方で、エントランス広場周辺は、ものすごく賑わっていました。

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赤い城

ブギウギ (2024/01/27 訪問)

朝ドラの舞台にもなっている引田、城はドラマとはあまり関係なさそう(見てないのでわからない)ですが続100名城です。
引田港側の登城口には広い駐車場が完備、登城口のところにパンフレットと杖も設置されています。
登城路も整備されていて歩きやすいですが例によって少し外れてみるとピンクリボン。
人の手が入ったような地形がありました。
曲輪なのかな?
登城路に戻り登ると狼煙台、引田港を見下ろす眺望もよい!
さらに進むと本丸エリアに。
石垣が見られます。
天守台跡に進み下を見下ろすと巨石が、また道を逸れて降りてみました。
巨石が天守を守っています。
化粧池から灯台を経て東の丸ヘ。
ここも眺望がよい場所でした。
播磨灘を見下ろせます。
東の丸にも石垣がありました。
メインの北二の丸の石垣は上段は崩落の危険がありシートに覆われていますが下段は見事。
北二の丸には御殿があったとされています。
北曲輪まで行って引き返し下山しました。
次回は推定大手道を歩いてみたいです。

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しんちゃん

後醍醐天皇 行在す。 (2018/03/31 訪問)

笠置山は古くからの信仰の地とされ山中には笠置寺が有ります。大海人皇子もしくは大友皇子による建立と伝えられ磨崖仏の巨大な弥勒菩薩を本尊としています。元弘元年(1331)には後醍醐天皇が鎌倉幕府と対立し当山に籠り、元弘の乱(笠置山の戦い)が起こりますが、翌年には落城し後醍醐天皇は捕縛され隠岐に流罪になりました。天皇が当事者なのに「乱」とはこれいかに?といった感じですね。
行在所を中心に北に二の丸跡、周囲には寺社仏閣や貝吹石などの奇岩がぐるりと取り囲むように存在しており、周遊コースに沿って見学することが可能になっています。

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しんちゃん

鶏足寺(飯福寺) 紅葉の名所 (2019/11/24 訪問)

滋賀県長浜市にある鶏足寺は己高山の麓から徒歩で15分ほどの位置にあり紅葉の名所として人気を集めています。絶景の特集本などで紅葉の参道が評判となり多くの人が訪れていました。滋賀県は紅葉の名所が多いですが東近江の方は昔ながらの山寺が多く、なかなか体力を消耗します。山頂付近にも鶏足寺が存在し奈良時代に行基および泰澄によって築かれたとされています。
滋賀県の山寺はどれも歴史が古く山城としての機能も持ち合わせているように感じました。

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しんちゃん

金剛輪寺 湖東三山 紅葉の名所 (2019/11/23 訪問)

滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺にある金剛輪寺は百済寺と同じく湖東三山の一つで紅葉の名所とされています。山城の面影が強かった百済寺ですが金剛輪寺も負けずに石段がきつく、山城としての雰囲気は漂っています。織田信長の焼討ちの際には金剛輪寺も被害を受けますが本堂や中心堂宇は本坊より数百メートルの石段を登ったはるか上にあったので焼失を免れたのではないかとする説もあるようです。
境内の紅葉は「血染めのもみじ」と呼ばれており、なかなか見事なものです。オーバーツーリズムを避けてやって来ていた日本のオジイオバアさんたちがたくさん来ているのですが、前述のとおり石段がきつく皆、ヒイヒイ言って登っていました。

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李牧

玉巻城跡の看板は立派なのに (2024/02/09 訪問)

福知山線谷川駅のすぐ西横の踏切に玉巻城跡の看板があります。
ただその先にはまったく案内なし。
突き当りの長慶院の裏手墓石群にも登城路は見当たりませんでした。
県道86を少し北上しJR線路沿いの踏切先に山への登り道があるのですが、
入り口は施錠されていて進入は不可能です。

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朝田 辰兵衛

この手札がなければ「しりとり」は… (2024/01/07 訪問)

この手札がなければ「しりとり」は,光秀の天下よりも短命に終わっていました…。「角牟礼城ブレイキン」を救ったのが,当時にのまるさんが持っていたこの手札でした。その後,47都道府県制覇,日本100名城制覇,続日本100名城制覇とつながり,もはや伝説(?)となってしまった「しりとり」ですが,いまだに「角牟礼城」からリレーできるのはココ以外に見当たりません。
誤って「勝連城」のリレーでココを使用してしまったなら,どうしても「角牟礼城」をラストにもってこなければならないという,重要手札です。
そんな連方屋敷ですが,途中下車でいつでも行けるという立地から,この日のついでの登城になりました…<苦笑>。

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