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とばつびしゃもん

3「大」3つ目の城 (2024/02/11 訪問)

名古屋市で開催された千田先生による大学連続講座。その3回目「家康の城の特色」の抽選に当選し聴講。千田先生は馬出の効果と名古屋城築城時の馬出を、佐賀大学宮武先生は石垣の積み方と進化を解説。興味深いお話しを聞くことができて満足の講座でした。
JR熱田駅から大高城へ、そこから歩いて10数分ほどで石碑のある城址入口へ到達。入口までの道は細く車の駐車場はなさそう。
城内ではいくつかの曲輪と思われる区域や空堀らしき設備が見られたが、遺構を示す案内板が見当たらない。おそらく城山八幡社のあるところが本丸か?もやもや感を残したまま下城。
気がつけば、昨日から尾張のこの地域の「大」で始まる3城を攻略。

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御土居周辺 (2024/02/24 訪問)

 吉香神社付近は藩主の居館(御土居)跡です。堀や石垣の一部が残っています。

連休中の土曜日で多くの観光客が訪れていました。

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石垣散歩 (2024/02/24 訪問)

 思ったより多くの石垣が残されていました。北の丸周辺に趣きのある石垣が多く存在しています。大釣井より曲輪を散策していると崩れた石垣と思われる場所に出ました。城域もかなり広いと思います。

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吉川広家 (2024/02/24 訪問)

 久しぶりの岩国城です。
この城の魅力は景色がいいことと石垣がよく残っていることだと思っています。北の丸周辺散歩道を散策すると多くの石垣に出会えます。
二の丸直下から山麓にかけて3条の竪堀があるとのことで探してみるとそれらしい地形がありました。ただ二の丸直下ではないので自信はありません。北西には登り石垣があるとパンフレットに記載されていることを知ったのは下山した後のことです。近くまでは行きましたが、全く気が付きませんでした。
 前にも来ているので油断していました。もっと下調べをしてから行けばよかったと反省しています。

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三本の矢 (2024/02/23 訪問)

 開山は其阿上人、開祖は陶弘政と伝わっている時宗寺院(現在は浄土宗)です。土塁と環濠を守られた寺院でした。土塁の一部が残っています。
 厳島の合戦後、一揆を鎮圧した際に毛利元就が本陣を置いたことも知られています。ここで3人の息子に14ヶ条の教訓状(3本の矢の教え)を書き残したといわれています。

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陶晴賢 (2024/02/23 訪問)

 大内氏の重臣陶氏の居城です。主郭北東部には畝状竪堀があり、山口県観光サイトには総数26条と記載されていました。実際には何条あるのかよくわかりません。西側の曲輪を散策していくと、西の丸に石積みがありました。さらに西へ行くと曲輪の下には浅くなっていますが堀切があります。陶の道と書かれた標識に従って北側へ歩いて行くと浅い堀切と思われる地形がありました。城郭放浪記さんの縄張りと見ると南側に砦のような遺構があるようですが、今回は散策していません。
 眺望はよく瀬戸内海がよく見えます。

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刑部

諏訪氏の城 (2024/02/21 訪問)

あいにくの雨の中、細い道を車で上がり城址入り口へ。入り口の案内板と城址の碑の前に駐車。整備されていて雨の中でも歩きやすい、かなり良好に遺構は残されてます。神社の所に石でできた小さな池みたいな場所は湧水がたんたんと出ています、当時からのものなのでしょうか? ここは想像以上に見応えあり良かった!

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筒井城跡マップ

大和郡山歴史同好会では、2024年2月20日「筒井城跡マップ」を公開しました。
(令和5年度 大和郡山市まちづくりアイデアサポート事業 支援事業)
https://www.nstudio.jp/yktt_tsutsui.html

このマップは「筒井氏と筒井城 –戦国時代の大和郡山–」大和郡山市刊 2020年
などの資料をもとに、今日も残る筒井城の居館跡や堀跡をご案内する散策マップです。
筒井城跡付近では、GPS付マップとして利用できます。

筒井氏の本拠地 筒井城は、織田信長の命で1580年に破却されていますので、
「お城めぐり上級者向け」のマップです。

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山口県内最大級 (2024/02/23 訪問)

 大内氏の重臣内藤氏の居城と伝わっています。
山頂に主郭を置き尾根に曲輪を展開しています。西尾根に西郭、300m離れた東峰に出丸を配した縄張りになっています。北側に畝状竪堀を見ることができ、堀切も比較的良好に残っていて散策していて山城らしさを感じられます。主郭と西郭の畝状竪堀はわかりやすいのですが、出丸北側竪堀は浅くなっていることもありわかりにくかったですね。主郭から西郭へ行く途中には連続堀切がありました。出丸へ行く途中にも堀切があります。その近くに潜り岩という切ったような垂直の巨岩の間約50cmを通り抜ける場所がありますが、体型的にパスしました。石積みも一部ですが残っています。
主郭周辺からの眺望はよく瀬戸内海がよく見えます。この日は雨上がりで曇っていましたが、晴れていたらよりすばらしい景色であったと思います。

犬ヶ迫駐車場より登城しました。ハイキングコースにもなっていて主郭まで多少寄り道して40分くらいです。雨上がりの朝に登城しましたが、思ったよりはストレスなく昇降できました。

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周南市文化会館 (2024/02/22 訪問)

 周南市文化会館周辺が跡地です。日本三大陣屋に数えられる壮大な構えであったらしいのですが、遺構はありません。説明板がありました。
徳山市街地を歩くと徳山藩鐘楼跡、徳山藩作事方跡などの石碑と説明板を見ることができます。

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山崎興盛 (2024/02/22 訪問)

 毛利元就が厳島の戦いに勝利した後、周防長門へ侵攻しますが、その最大の激戦地となったと伝わる城です。当時は3方が沼で堅固な城塞であったようです。遺構はないようですが、保福寺の正面に読みやすい説明板、裏に石碑、沼城主の墓とtodo94さんも投稿されていた解読困難な説明板がありました。

 徳山駅からバスに乗り高樋口バス停で下車し登城しました。徒歩5分くらいです。途中に沼城橋という橋がありました。

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神籠石式山城 (2024/02/22 訪問)

 史書に記載が無く築城主・築城年は正確にはわかっていなようですが、白村江の戦いで唐新羅連合軍に敗れた7世紀後半に築かれたとされています。駐車場から石城神社、西水門、北水門、北門、東水門、日本神社、南水門と回って来ました。南水門はほとんど埋もれているのか見える範囲が少しでした。東門は道がわからず行っていません。思っていたより石塁が多く楽しむことができました。
整備されていて概ね歩きやすくなっています。1時間半くらいでした。眺望はよい場所があり、瀬戸内海が見えます。
 幕末には第2奇兵隊が本陣を構えていたようです。

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とばつびしゃもん

3「大」2つ目の城 (2024/02/10 訪問)

城山公園北駐車場に車を駐車し登城開始。
登りの散策路を5、6分、曲輪跡を一つ二つ進むと主郭に模擬天守登場。無料の天守内部には資料が展示されていて、パンフを入手できる。最上階からは伊勢湾と対岸の三重県を一望。天守南側の神社がある一画には、物見櫓があったらしい。
主郭の裾を囲む空堀を通って下城。攻城時間40分ほど。
知多半島を南下し、夜は海炎温泉に宿営。とらふぐ料理でお肌つるつる?

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うさ

佐久城 (2024/02/24 訪問)

浜名湖にあります。駐車場は別荘地の奥の方にひっそりありました。
土橋、土塁、堀、綺麗でした。

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とばつびしゃもん

3「大」1つ目の城 (2024/02/10 訪問)

大草公園南の駐車場に車を駐車し登城開始。
公園に入るとそこが本丸で模擬天守がある。1階には資料展示。解説によれば織田長益が築城途中に断念した城で、天守閣も建築工事が進行中のところ中断になったとか。
模擬天守の展望台手すりが劣化し上階へは立入禁止。残念ながら登れない。令和6年度修理予定と案内表示。
公園の散策路を歩き、堀や二の丸、物見櫓跡など確認。40分の攻城。

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小城小次郎

山城二つ分の見学時間 (2023/05/20 訪問)

南端の主郭から南北に伸びる東西ふたつの尾根上に連続して曲輪を設ける姿はむしろ群郭式に近いのかも。それぞれの尾根が異常に長いのでちゃんと見学するなら山城二つ分の時間を見ておく必要があると痛感した。

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侍ホリタン

姫路城「西小天守特別公開」 (2024/02/17 訪問)

期間2024年2/1(木)〜2/29(木)
時間9時〜16時最終受付まで
入城料1,000円の他に別途特別公開観覧券300円が必要です。

姫路城の連立式天守を構成する小天守3基のうち、今まで公開された事のない西小天守が2024年2月1日より2月29日まで公開されています。
同時に西小天守へ至るルートとしてイの渡櫓、東小天守2階、ロの渡櫓、乾小天守2階、ハの渡櫓も公開されています。

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三浦の晃ちゃん

井伊家の長男が・・・。 (2024/02/23 訪問)

井伊家の長男が、立藩したようです。城関係の建物はありません。日本のマラソンの発祥の地のようです。

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小城小次郎

どうやって短期間で仕上げたのだろう (2023/05/14 訪問)

賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀長が在陣した陣城で、いわば羽柴方の本陣。最前線の虎口と中心部の間が自然地形なあたり典型的な陣城だが無駄がなく合理的であるとも言える。短期間でどうやってこれだけのものを仕上げるのだろう。

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Tokyobay

市街地城址あるある? (2024/02/19 訪問)

「土浦」と言えば、最近は渋谷の事故で話題になり、イメージ悪化した印象もあるが、実際に行ってみるとそれなりに風情のある歴史を感じる城下町が残っていたのはチョット意外。大手門跡は現在は小中学校の門になっていて、これもなんだか不思議な感じ。
城内に入ると夕暮れ時の「市街地城址あるある?」なのかカップルがいて、フラッシュONでバチバチ写真を撮ってるとちょっと嫌な顔をされる。城郭自体は思ったよりもこじんまりしていたが、現存・復元含めて街のシンボルとして存在しつつも、市民の憩いの場?としても上手い具合に活用されているように思えた。ただし、逆に言えば観光客と市民との「目的」の違いがコンフリクトすることもあるのかと。それが所謂「オーバーツーリズム」ってことになるのかもしれないが。

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