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八幡山城 (2024/01/28 訪問)

続日本百名城

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観音寺城 (2024/01/28 訪問)

続日本百名城

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安土城 (2024/01/28 訪問)

日本百名城

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山形城 (2023/08/25 訪問)

日本百名城

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高知城 (2023/11/25 訪問)

日本百名城

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高松城 (2023/11/24 訪問)

日本百名城

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丸亀城 (2023/11/24 訪問)

日本百名城

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犬山城 (2024/02/25 訪問)

日本百名城

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チェブ

突っ込みどころ満載のお城。 (2024/01/04 訪問)

木下 藤吉郎さんが一夜にして築き上げた「墨俣城」。
模擬天守を見上げ、一夜で築いたんだーって昔の私だったら言っていたかもしれません。

犀川堤から歩き、太閤出世橋を渡って「墨俣城」に到着しました。
犀川は流れが早く、墨俣一夜城物語での木材を流すには敵してます。
ただ、2006年大河ドラマ『功名が辻』で幼い千代が、犀川のこの辺を渡るシーンがありましたが、ムリでしょう。
犀川も当時と流れる場所が違うそうです。

模擬天守は、ふるさと創生事業で築いたそうです。
「墨俣城」は木柵で囲われてます。一応、一夜城のお話の裏付けをしているようです。

秀吉さんの、出世街道まっしぐらストーリーの、初めの1歩を演出するには、これぐらいが良いのかもしれません。
至るところに、馬印のひょうたんがあります。

「墨俣一夜城」は江戸時代に創作された物語のようです。
だとしても、秀吉さんが素晴らしい人物で、慕われているのは、来城している人の多さでわかった「墨俣城」攻めでした。

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カズサン

出曲輪・崋山神社 (2024/02/24 訪問)

 「本丸と三の丸」のつづきです。

 出曲輪は二の丸の西側で二の丸とは埋門でつながり、南西に新倉門が有りました、北側に空堀と水堀で守る造りでした、現在は幕末の家老職で偉人でもあります渡辺崋山を祀った神社が鎮座しており崋山会館も有り市民に敬われています。
 出曲輪・崋山神社を散策探訪、先ずは神社参拝、崋山会館、大きな蘇鉄、御神馬の像、崋山神社の由緒、西奥に駐車場、駐車場西の奥に空堀の跡か?土塁法面と少し広い堀跡かな?と思わせる平地、駐車場南側に瓦土塀が東西に在りこの辺りは田原城縄張で示されてる新倉門跡辺りかも?
 新倉門跡?辺りから少し降ると田原城桜門西側が良く観えて脇曲輪のナマコ壁土塀と合わせて素晴らしい景観が目に入って来ます。
 渡辺崋山については崋山神社由緒を写真投稿していますのでお読みください、また田原城の縄張も写真投稿しますので出丸の位置と構造をご確認ください。

 家内を伊良湖菜の花ガーデン、福江免々川沿いの河津桜と菜の花に連れ出し、4日目にして再度田原城に寄りました。

 続きます。
 

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todo94

元日の攻城⑤ (2024/01/01 訪問)

高坂氏館からの転戦です。無量寿寺がその故地で、本堂裏手に土塁とかすかな空堀が残っています。高坂氏館に比べるとイメージ通りの普通の館跡のように感じました。

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Tokyobay

明治天皇陵が本丸跡だったとは (2024/01/13 訪問)

修学旅行で来て以来数十年ぶり。確か城に登って夜景を見たような記憶が。そして、明治天皇陵が本丸跡だったとは。でも、徳川が廃城にした本丸跡地を明治天皇陵に使うって当時の政府の判断はどうなんだろうか?何らかの意図はあるんだろうが。まあ、眺めはいいんだけど。ちなみに階段は結構大変なんだが、近所の小学生の女の子が何度も往復していて驚く。
その他、堀跡を利用した滑り台が面白い。グランドやテニスコートになっている場所が堀跡だったというのは「ブラタモリ」を見るまで知らなかったが。それにしても巨大な城である。

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ゆいと

彦根城 (2024/02/23 訪問)

彦根城は1622年に井伊直継によって建てられました。1878年に大隈重信が天皇に働きかけて、天守閣や櫓の保存が決定して、今に残っています。もし、大隈重信が天皇に働きかけていなかったら、彦根城の天守閣は残っていなかったかもしれません。「感想」ひこにゃんには会えなかったけれどいろんなところがあって楽しかったです。

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ゆいと

織田信長の城 (2024/02/23 訪問)

この日は大阪府に用事があってついでに滋賀県に行きました。安土城は1576年に織田信長にたてられ、1579年に天主が完成しました。そしてその3年後の1582年に本能寺で織田信長が自害して、その後、天主が焼失しました。そして1585年に安土城は廃城となりました。山を登るのはしんどかったけれど、いろんな遺構があって楽しかったです。

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ゆいと

荒木村重の城 (2024/02/24 訪問)

この日は大阪府に用事があって帰りに有岡城によって帰りました。有岡城は荒木村重が城主だったころに、荒木村重が織田信長に謀反を起こして戦いとなった城です。黒田官兵衛はこの城に一年間閉じ込められました。有岡城の戦いのあと、池田之助が城主となり、1583年に有岡城は廃城となりました。有岡城は思ったより遺構があって楽しかったです。

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チェブ

海風に吹かれて散歩。 (2024/02/24 訪問)

この時期の伊豆大島は、椿祭りがあるので、当日レンタカーを借りるのは難しく元町港から歩いて「武田 信道屋敷」に向かいました。
昨日 投稿した「源 為朝の館」は朝の7時到着。
その後、元町港近くの『喫茶酒場なべきち』でひとまず計画を立てます。喫茶酒場と言ってもお洒落なカフェです。この辺のお店は早朝から開いてます。
*伊豆大島のお店やバスは、PayPayが使えて便利でした。バスでSuicaは使えません。

1615年、大久保 長安事件で配流された武田 信道夫妻と息子さんの「武田 信道屋敷」は、大島一週道路沿い。海側に灯台があり、道を挟んで大黒屋酒店とお隣のお宅の裏手にありました。
石碑があります。お社がお祀りされていて辺りは草刈りされていました。石碑もピカピカです。
野増郵便局があり、もう少し上に墓地があり説明板があります。
因みに、大きな蔵があり、こちらを大黒屋酒店と勘違いしました。

少しバスまでの時間があったので『大宮神社』へ。
説明板には1466年、三原山のたびたびの噴火被害を避け、この地に遷座した。と、あります。
黒い大地や地形を見ると、なるほど噴火の痕。
石段が神秘的です。大きな椎の木があり、パワーをいただきます。
調べてみたら、源 為朝さんや武田 信道さんたちが過ごした時代にも噴火が確認されてました。
私が中学生の頃、噴火し大ニュースになりました。
テレビの画面越しに怖かった記憶があります。

伊豆大島は黒い大地に、赤い椿が彩ります。

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三浦の晃ちゃん

徳川家康の息子たち (2024/02/24 訪問)

深谷に、用事があり、地図を、見ていたら、「城址公園」とあったので、行ってみました。
模擬の、塀や石垣がありました。
あとで調べたら、徳川家康の七男や六男の、松平忠輝なとも、城主だったようです。

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シャンシャン

大手通りイルミネーション&西小天守特別公開! (2024/02/24 訪問)

イルミネーションと西小天守特別公開を狙って2回目の訪問。
大手通りのイルミネーションと姫路城のライトアップはすごく映える!
西小天守からの景色は新鮮だったけど、最上階は修復された床張りでちょっと残念。まあ仕方ないか。
今回はシロトピアから城の裏側を見たり、配水池公園まで急階段を上って朝日と共に見たりと新たな姫路城の魅力を発見することができた(^^♪

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シャンシャン

天空の城 (2024/02/23 訪問)

2月末までは竹田城は登ることができないので、立雲峡から城を望む。
あいにくの曇り空だったけど、城跡はしっかり見ることができて嬉しかった(^^)
情報館 天空の城で御城印や城カードGET。
石垣の説明や出土した石瓦なども置いてある。

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虎の子

西小天守特別公開に行ってきました (2024/02/23 訪問)

今月のみ初公開している西小天守を見るために三連休を利用して姫路城へ。大天守はもちろん、イの渡櫓→東小天守→ロの渡櫓→乾小天守→ハの渡櫓→西小天守、と回ることができ、ニの渡櫓は西小天守から中を見るだけでしたが、そこから大天守への扉も見ることができました。連立式の天守、櫓をほぼぐるりと楽しめました。
西小天守からは水の五門内側枡形が良く見えるし、水の四門から水の五門への道もよく見えました。敵を上から攻撃で来たんでしょうね。
連立天守の内側エリアは思ったよりは狭く感じました。台所櫓があるせいかもしれません。
天守以外も官兵衛石垣や搦手門などお堀の周りも散策。いろんな顔があるのが姫路城ですね。

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