愛知県清須市の清洲城です。15世紀初め斯波氏が築き、1476年尾張守護所が戦乱で焼失したことから清州城が守護所となったことから、尾張国の中心地とさて栄えたとされます。その後、尾張下四郡を支配する守護代織田氏の本城となり、1555年守護代織田信友の時、織田信長が守護代織田氏を撃ち、清洲城は織田信長の居城となっています。1563年美濃攻略のため小牧山城に信長は移り、清洲城は城代が置かれ、本能寺の変で信長が亡くなると、1582年跡継ぎをめぐる清洲会議がこの城で開かれています。その後、信長次男の信雄が城主となり、大天守などが造営され城下町も取り込んだ東西1.6km南北2.8kmの規模に改修したとされます。豊臣秀吉の小田原北条攻め後、織田信雄は秀吉の命による国替えに従わなかったため改易、豊臣秀次の所領となった後、1595年には福島正則が城主となっています。1600年関ヶ原の戦いの功績により福島氏は安芸へ転封となり、徳川家康四男松平忠吉が城主となりますが病死したため、1607年家康九男義直が城主となり、尾張藩初代藩主となっています。1609年家康の名古屋城普請の命により「清州越し」と呼ばれた清洲城から名古屋城へ城下町毎移転され、清洲城は廃城となっています。現在城は、新幹線や鉄道により分断、市街化により遺稿はほとんど残っていませんが、模擬天守が城跡に隣接する文化広場に建てられ、線路に分断された城跡の南側の清洲公園に信長像が、北側の清洲古城跡公園に清洲城址碑があります。早朝に訪れたため天守は時間外で入れませんでした。
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