入口に説明版があり、登城路は整備されています。
主郭は方形で周囲に土塁を巡らしていますが、高さが場所により異なります。標識は各所にありますが、主郭内は藪になりつつあります。他に支城、屋敷跡がありますが、今回は行っていません。
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2020/01/19 07:40
2020/01/19 07:22
2020/01/19 07:03
2020/01/19 06:52
2020/01/19 06:44
2020/01/19 06:21
表示はありますが (2020/01/17 訪問)
道沿いに鮎河城の案内板があり、登城口はわかりやすいのですが、途中から直登となります。比較的新しい案内標識が崖の途中に立てられていましたが、道はよくわかりません。崖を降りて行く自信がなかったので、下山するときには尾根を降りて行きました。正等院跡へ向かう道があります。そこを進んでいくと比較的楽に降りられました。ただ登るときにはこの道はわからないと思います。主郭周囲の表示も比較的新しいようですが、道は整備されていません。
主郭と南北に横堀を確認できます。堀切と思いますが表示は横堀でした。
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2020/01/19 06:12
甲賀地方では比較的大きな城 (2020/01/17 訪問)
比較的大きな城域を持ち、甲賀の他の城で見られるような単郭方形ではなく複雑な縄張りをしています。土塁、掘切、横堀、石垣、雁木などを見ることができます。
よく整備されていて、歩きやすい城址です。
貴生川駅からコミュニティバスに乗り鮎河口で降りました。(250円) バス停から歩いてすぐの所の獣除けフェンスに案内があります。獣除けフェンスを2つ通過すると、すぐに「大手道」の登城ルートの立て札があります。
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2020/01/18 23:28
高城川合戦で有名な高城 (2016/10/24 訪問)
平成28年の山城サミット竹田大会参加後九州城探訪、伊東氏と島津氏との攻防、島津氏と大友氏との攻防は特に有名で高城川合戦(耳川合戦)大友氏が大敗、島津氏と豊臣氏との攻防で島津氏は敗北するが高城は大友氏、豊臣氏には落城せず堅城を誇っていた。
東に延びた舌状台地を活用したい城郭で東端の本丸までの尾根筋に1から5の空堀を設け麓までの竪堀に繋がってる現在は橋が架かり通路に成ってる、本丸には模擬天守風の展望台が有る
駐車場は本丸下段に有り手短に探訪できる山城です。
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2020/01/18 22:30
2020/01/18 21:30
いざ、信貴山へ!(short ver.) (2019/09/07 訪問)
『城びと』の皆様、お久しぶりですm(_ _)m
前回の投稿から、実に四ヶ月以上…もう忘れ去られているかもしれませんが、今年もどうぞ宜しくお願いしますm(__)m
さて、本年一発目の投稿は、昨年9月に登城した信貴山城です。
信貴山城といえば、『稀代の梟雄』松永弾正久秀の居城として、また壮絶な最期を遂げた事で有名ですね。
今回は初めての信貴山。
信貴山は元々聖徳太子が物部氏との戦(丁未の役)に臨み戦勝祈願をして以来、今日まで一千四百年以上人々の信仰を集め続ける朝護孫子寺の境内であります。
信貴山城を最初に築城した(古代山城の高安城を利用したとも?)のは南北朝時代、楠木正成といわれていますが真偽は不明。戦国時代に木沢長政が信貴山上に築城し、永禄二年(1559)に松永久秀が大改修しました。
信貴山頂(雄嶽)を本丸(三層の天守?)として、大和國を牽制するかのように山頂から尾根を中心に扇状に無数の郭群を展開し、雌嶽や朝護孫子寺も取り込んだ大城郭だったようです。
織田信長によって落城したのは天正五年(1577)。久秀による大改修から18年後の事でした。
先に書いておきますが…すみません、朝護孫子寺を隅々まで堪能し過ぎました(汗)。
山頂へ向かおうとしている時間はすでに午後3時を過ぎていましたので、急いで本堂近くの虚空蔵堂横からの石段から、山頂の空鉢護法堂を目指しました。
約700mの九十九折れの山道を登り詰め、山頂に近づくにつれて郭跡らしき平坦地が所々にあります。
途中、雌嶽方面に別れる山道がありますので、まずはそちらへ。結構すぐに雌嶽山頂に着きます。
山頂には小規模ながら細長く明瞭な郭跡を見ることができます。
そして山頂へ。空鉢護法堂の手前、一段下がったところに石碑と説明板が設置されています。
山頂の空鉢護法堂一帯が本丸、そして久秀が平蜘蛛の茶釜とともに自ら爆死したという三層の天守があったとされるところです。
境内地ですので往時の面影を探るのは少々難しいですが、空鉢護法堂が一段高いところに建っていますので、なんとなくイメージ出来る…かも。
山頂の見所はやはり、久秀もかつて天守から目にしたであろう絶景でしょう。山道を急ぎ目で登ってフラフラの身体には眼福であり、澄み渡るそよ風が心地良かったです。
信貴山城はほとんど石垣を使用しない『土の城』だったようで、面影を探るにはやはり郭跡を堪能しましょう。山頂から少し下ると夥しい郭群を見ることができます。
中腹には久秀の日常生活の場と推定されている『松永屋敷跡』があり、城内でも最大の敷地面積を誇るとか。
そんな城跡内一番のメインであろう『松永屋敷跡』に向かおうとしましたが、この時点で午後4時40分…いよいよ薄暗くなってきたわ帰りのバスの時間も迫ってきたわで、ここまできて無念ですが、泣く泣く断念しました…。
松永屋敷跡、いずれリベンジします…(;´д⊂)
以上、隅々まで見ることが出来ませんでしたが、実際に訪れてみると思ってた以上に大規模な山城でした。
是非とも朝護孫子寺とセットで、マイカーで行くのがベストですが、ケーブルカーやバスなどで行く場合は夕方で便が終わっちゃうので、出来るだけ朝早くから訪れたほうが吉です。
そうそう、空鉢護法堂横の管理棟には、なんと本物の白蛇様がいらっしゃいます。堂守のご夫婦に申し出れば、見せていただけるかもですよ。
ちなみに私は見せていただけましたが、丸まって眠っておられました(^_^;
もっとも今は冬眠中な為ダメだと思いますが、ご興味のある方は如何でしょうか(笑)?
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2020/01/18 20:41
曇り (2020/01/18 訪問)
富士山見えなかったぽい
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2020/01/18 19:57
ポツンといっけ・・・いかん。タイトルが被る・・ (2019/12/29 訪問)
2019年最後の攻城と言うことで。
蛭山としても有名な場所なのであえて12月の真冬にチャレンジしてきました。
五十波の登城口から上がりましたが、入口が坂でバイクで立ちゴケしました。
お気をつけください。
険しい道のりを40分ほどで頂上です。
かなり凄い石垣があるのですが・・・後世のものだそうです。
出丸っぽい遺構も合わせて赤松系築城の特徴が大きい城跡でしたね。
あと、綺麗な雲海が見れました。
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2020/01/18 19:48
広島! (2019/12/15 訪問)
広島城です。
バイクなら天守閣真下まで直行で行っていいと言う・・・すげえ城ですね。
いや、ほんと広い。
再建された二の丸も綺麗でした。
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2020/01/18 19:43
漢なら歩いてナンボ (2019/12/15 訪問)
言わずと知れた岩国城。
ロープウェイもあるのですが、漢なら歩いてナンボっしょ。
しっかしロープウェイに比べて物凄い遠回りでした。
大堀切や中世の面影もそこそこにやはり野面の石垣が見どころですねー。
天守閣内部は刀剣資料館と化していてその手の趣味の方はそそられるのでは無いでしょうか?
行き道を徒歩で、帰り道をロープウェイで・・・というギャグをやりたかったのですが、お金がもったいないので徒歩で帰りました。
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2020/01/18 19:43
海に突き出た岬の城 (2019/01/18 訪問)
日向の伊勢ケ浜の南の日向灘に突き出た岬で三方が海に囲まれた城が、日知屋城がある。
延岡の土持氏と宮崎の伊東氏が争奪戦が繰り広げられ、日向の門川城、塩見城の三城を日向三城とされ、伊東氏の都於郡城を拠点にして伊東氏四十八城の一つにもなっている。
海岸線は、岩場が荒々しく、絶壁となっています。
城内は、堀切や枡形がありました。
ただ城内の縄張りは、余り堅固さを感じませんでした。
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2020/01/18 19:35
2020/01/18 19:28
隠れた名城です (2019/12/15 訪問)
早朝より攻城しました。
広島では大変珍しい福島正則が全面に出された城ですね。
一部後世のものにも見えますが、正に石の城です。
縄張りは中世っぽいのに総石垣というのが溜まりませんね。
大変いい城跡でした。
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2020/01/18 19:06
2020/01/18 18:49
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