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にのまる

【夏とお城】青春18きっぷ2回目 (2019/08/11 訪問)

長旅の果てに到着した館山駅には結構たくさんの人がいたのですが、みなさん館山城ではなく洲崎神社へ向かわれたようです。もう少し近ければ行ってみたかったです。
お城はすいていました。

八犬伝博物館となっている天守は模擬ですが、夏空に映えてかっこよかったです!
建物内では八犬伝ワールドが様々に繰り広げられていました。
展示物を一通り見て、最上階でお約束の破風入り遠望写真をパチリ📷

そして八遺臣のお墓へ。
戦国末期、里見氏10代忠義に仕え殉死した八遺臣(八犬伝のモデルになったとも言われている)の墓所は若干不安になる山道を進んだところにありました。
爽やか天守の広場とは全く違う雰囲気で、苔むしてはいましたが、新しめの塔婆立てにお盆だったからか塔婆も立てられていて、静かに大切に守られているという感じを受けました。

近道という名の山道を下り、博物館本館へ。
一階にあった里見氏のコーナー。
「ここではフィクションではなくホンモノの里見氏の歴史をお伝えします!」的なことがはっきりと書かれていて、山頂の八犬伝博物館とは完全に棲み分けしていました。
簡潔にわかりやすく、でも古文書や出土品などの史料と合わせて丁寧な解説で、なかでもお城が破却された際に堀に捨てられたと考えられる木材は手斧ではつられた跡もあり、へぇー!うゎー!おーっ!って感じでした。周辺の関連のお城もいつか行けたらいいのですが。
ここはクーラーが効いていて、火照った体も癒され、帰りに駅まで歩く英気も養われました٩(^‿^)۶

途中寄ってみた渚の駅には小さな水族館(生け簀ではない^^;)もありました。

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城好きのメガネ

「中世城郭 丸山城」 (2019/08/17 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
丸山城は下糟屋の丘陵上の中世城郭である。鎌倉時代には糟屋有季がこの地を治め、室町時代後期には太田道灌や上杉定正に関連する城郭であったとされる。現在は城址公園として整備され、土塁、切岸、空堀が分かりやすい。縄張り図を片手に散策してほしい。

<アクセス>
小田急線 伊勢原駅北口「愛甲石田駅行 粟窪下車」徒歩5分
小田急線 伊勢原駅北口 徒歩20分

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城好きのメガネ

「渋谷氏の居城 早川城」 (2019/08/17 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
早川城は鎌倉時代の御家人、渋谷氏の居城とされる。物見塚の上には昭和7年に祖先発祥地東郷会により建てられた「東郷氏祖先発祥地碑」がある。この碑は日露戦争で有名な旧海軍元帥である東郷平八郎の先祖の地であることを記念して建てられた。東郷家は早川城主であったとされる渋谷氏の末裔の一つであった。現在は城址公園として整備され、空堀、土塁、櫓台などが遺っている。縄張り図を片手に散策してほしい。

<アクセス>
小田急線海老名駅「綾瀬市役所行 城山公園下車」徒歩5分

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山口駿河守幻夢斎

柏木城跡 (2019/08/05 訪問)

此処も以前から行ってみたかった城跡。伊達政宗の侵攻拠点桧原城に対して、芦名氏が築いた巨大城郭です。

驚いたのは、技巧的な縄張りもさることながら、石積みを多用して、魅せる城郭に仕上げていること。芦名氏って、向羽黒山城もだけど、すごい築城技術を持ってることに驚きます。

城跡は、北塩原郵便局の裏山にあり、駐車場完備。そこに案内板があり、見学者用順路も整備されています。なお駐車場は清野六郎居館跡とのこと。

散策路は、おおむね整備されていますが、この時期、草ぼさぼさで足元が定かじゃなく、何かいてもわからないので、注意してください。

あちこちに道しるべが建っているのは親切。

堀切や土塁、馬出など、良好に遺構が残されており、嘆声が止まりません。

今回は、半分くらいしか見れていないので、次回はしかるべき季節に再訪したい城跡です。

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山口駿河守幻夢斎

陣が峯城跡 (2019/08/05 訪問)

道路沿いに、案内看板があり、土橋のような通路を進み、旧公民館前に駐車。

入り口を入ってすぐに、深い二重の空堀が見られます。

他には、郭と思われる策平地は、畑や草が伸びまくっていて、探索するのがためらわれます。

二重の堀も、この時期、やはり堀底探索はためらわれ、見学もそこそこに撤収しました。

公民館前に、案内板が建って様子も、撤去されていました。

国指定史跡なのに、なんだかなあ・・・。

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宗春

清洲城 (2019/08/14 訪問)

清洲城は3度目ですが、今回は御城印を頂きに登城しました。

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宗春

岩崎城 (2019/08/16 訪問)

小ぢんまりとした城跡ですが、天守風展望台があり、御城印も頂けました。

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さわ5540

松下屋敷 (2019/08/17 訪問)

公園の一部が高まりになっていて、土塁の一部なのかもしれません。

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城跡公園なのですが (2019/07/21 訪問)

 本来の城があったとされる場所よりも東に城跡公園があり、公園内に碑がなぜか2つ同じような場所にあります。清州城の支城であったとされています。

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大円寺 (2019/08/17 訪問)

野尻氏の城で名古屋市中村区にある大円寺のあたりに城があったとされています。遺構はなく碑も案内板もありません。

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前田利家生誕の城 (2019/08/17 訪問)

 前田利家生誕の城とされています。遺構はありませんが、冨士大権現天満天神宮という神社に案内板と前田利家誕生の地の石碑が立てれています。

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前田速念寺 (2019/08/17 訪問)

近鉄伏屋駅より徒歩5分くらいの所にある前田速念寺に石碑があります。前田利家は荒子城ではなく、この城で生まれたという説もあるそうです。

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願證寺 (2019/08/17 訪問)

 寺跡は明治期の河川改修工事によって、長良川の川底に沈んでしまいました。現在の願證寺は、戦国時代にあった位置よりかなり南にあります。長島一向一揆殉教の碑が立てられています。

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長島中部小学校 (2019/08/17 訪問)

 本丸のあった場所は小学校の敷地になっていましが、近くに案内板があります。敷地内には本丸にあったとされる樹齢300年以上の老大松がありましたが、学校の敷地内のため遠くから見ただけです。連生寺には移築された大手門が残っています。東側に石垣が残っているとの情報もありましたが確認していません。

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田んぼの中に (2019/08/17 訪問)

JR永和駅から徒歩10分くらいです。蟹江城の支城で遺構はなく、田んぼの中に碑と案内板が立っています。

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蟹江合戦 (2019/08/17 訪問)

 JR蟹江駅から徒歩10分くらいです。小牧長久手の合戦のときに籠城戦がありました。蟹江の地名は河口から海岸線に蟹が多く住んでいたからついたという説があります。城址には碑と説明版があります。遺構は碑の近くの本丸井戸だけです。

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小城小次郎

備中高松城

いつ作られたのかもよくわからない湿地の中の小さな城が、たった一度だけ歴史を動かす大舞台に立った。

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国重

天神山城 (2019/08/16 訪問)

この小山は天神山と呼ばれ、室町時代の因幡守護山名氏の居城・天神山城があった。天神山城は、山名豊国が天正元年(1573
)鳥取城に本拠を移すまで、約百年間にわたって因幡国支配の政治的拠点であった。【案内板より抜粋】

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国重

防己尾城 (2019/08/16 訪問)

吉岡将監定勝が築城したといわれる。城郭は本丸・二の丸・三の丸とそれに取り囲まれた町家とから構成されており、北側には船着場が設けられていた。【城址案内板より抜粋】

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国重

鹿野城 (2019/08/16 訪問)

天正九年(1581)、羽柴秀吉から気多郡を拝領し鹿野城主となった亀井茲矩は、慶長五年の関ヶ原の功によって高草郡を加封され三万八千石となった。【天守台案内板より抜粋】
鹿野城とその周辺の城(勝山城・防己尾城・天神山城)をまわりました。鹿野城は内堀の石垣がきれいに残っています。また、背後の山には天守台跡も残っています。

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