田中城から南に程なく行くと田中城下屋敷があり、敷地内には本丸櫓が移築されており、無料で中を見学することができます。田中城は家康の趣味の鷹狩の際の宿泊所としてよく利用されましたが、元和2年(1616)正月21日、家康公は鯛の天ぷらを食した後に腹痛を起こし、駿府城に戻って静養しましたが、4月17日に亡くなったとのことです。
藤枝市のマイ広報紙によると腹痛の後、万病円30粒と銀液丹10粒を飲んで気分が良くなったと側近に語ったとのこと。銀液丹というのは名前からしてヤバいですが、間違いなく水銀が調合されています。
元々、健康オタクの家康公ですが、中国の医学書「和剤局方」や薬草辞典「本草綱目」を愛読していて、自ら薬研で薬を調合していて、側近らにも分け与えていたようです。家康公は不調の原因を寄生虫によるものと考えていたらしく、水銀の副作用である下痢が効果的と考えていたのかもしれません。万病円と万病丹がごっちゃになっている感がありますが、加賀藩の秘伝の薬剤にも万病円があり、一部の業者に調合と販売を許可したようです。外貨獲得が目的と思われますが、この万病円は中国の丹薬や金丹液(雄黄を含む)の影響を受けているようです。銀液丹の名称から伺えるように、家康公も影響を受けているようですね。
万病円の成分として、牛黄(ごおう)・麝香(じゃこう)・犀角(さいかく)などの強壮剤
マメハンミョウ・ムカデ・トカゲなどの動物薬
朱砂や雄黄といった水銀やヒ素の化合物も含まれているようです。全部だめですね、家康さんの調合した薬。
家康公の死因は胃がんとされていますが、毒物の影響があるのではないかと言われているのは、これらの薬が原因のようです。
ヒ素というのは無味・無色・無臭で暗殺にはもってこいと言われています。ヒ素で殺害されたのではないかと思われている、武将や人物はけっこう多いみたいですね。
個人的には 豊臣秀吉(!)・小早川秀秋が怪しいと思います。後の時代の松平忠長も怪しいですね。彼はなかなか死なないので、結局自害に追い込まれてしまったようですが。そんな気がします‥。
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