みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

カズサン

八年振り二度目の登城・本丸建物跡編-6/6 (2024/05/20 訪問)

 本丸内部は8年前と同じです、発掘調査されて東門と両脇の建物跡、本丸御殿広間跡が礎石など配置して建物跡の地表表示されて各案内解説盤が設置されて大変分かり易く案内されています。

 長々と投稿ご覧頂きありがとうございました、三之丸の北と南側の土塁・二重堀・中土塁の復元整備を拝見して大変感激しました、よくここまで復元頂いたと感謝です、8年振り950km程走破の再登城は成功でした。
 
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

八年振り二度目の登城・本丸編-5/6 (2024/05/20 訪問)

本丸は8年前の登城時と同じ姿で出迎えてくれました、本丸内堀は当時復元整備されたばかりでした、東門、西門周囲の本丸土塁展望デッキもそのままでした。

 本丸建物跡編に続きます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

サポーター200人、100万円超えました!達成まで残り33%!残り時間わずか!!!

最近、かるたの投稿ばかりで申し訳ございません。
おかげさまで、「日本100名城かるた」商品化プロジェクトのサポーターが200人になりました!
応援購入総額も100万円超!
誠にありがとうございます。

プロジェクト達成まで、残り33%、約49万円!
プロジェクト終了は6月5日(水)18:00!!
応援購入はこちらから!⇒ https://www.makuake.com/project/oshiro_karuta/

最後まであきらめません。
周囲の方に、かるたを宣伝していただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

+ 続きを読む

カズサン

八年振り二度目の登城・二之丸編-4/6 (2024/05/20 訪問)

 二之丸は8年前に初登城した時に復元された土塁、虎口の状態で変わりは有りません、丁度草刈作業をされて居り、草の伸びるのが早い事です。二之丸西虎口跡、二之丸郭内北側、南側、掘立柱建物跡地表表示をサラッと見て終了としました。

 本丸編に続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

八年振り二度目の登城・三之丸東側編-3/6 (2024/05/20 訪問)

 三之丸は国道7号線バイパスで東西に分断されていますが南側の外堀より国道下を東西連絡路トンネルが通ており東西交流が楽になっています、三之丸東側は西近くに五箇村堰が南北に流れて居り東西通路より木橋を渡って三之丸復元エリアに入ります、北側には外堀に向かって中土塁、二重堀、土塁と西側より国道、堰の分断は有りますが繋がって復元されて居り素晴らしい景観を整備されています。
 北土塁に仮設工事の足場の様な展望デッキが施設されて居り北側復元景観、東側三之丸を展望俯瞰する事が出来ます。
 三之丸東側外堀東外には駐車場、休息施設、トイレ、旧石戸谷住宅が復元移築されて堀越城跡ガイダンス施設に成っています、ガイダンス施設には厩を整備し各種解説説明板、堀越城模型が展示されています。パンフレットをゲットしました。
 堀越城の南から東に前川が流れて外濠の役目を果たし、前川は北東で平川と合流し岩木川へと更に合流し十三湖、十三湊から日本海へ繋がって居ります。
  
 二之丸編に続きます。
 
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

八年振り二度目の登城・三之丸西側②編-2/6 (2024/05/20 訪問)

 三之丸西側①編-1/2の続きです。
 三之丸南虎口の連続虎口折れの復元が余りにも素晴らしく最初に紹介投稿しましたが、三之丸は国道7号線バイパスで東西に分断されて居りますが北側の外堀、中土塁、二重堀、土塁と重なり素晴らしい復元です、南側の土塁、二重堀、中土塁、外堀も同じくです。
 8年前の景色と違った復元景色でした素晴しい!
 三之丸西側は本丸内堀と接して、本丸東門と内堀木橋で繋がっています、その木橋東側には南北に掘立柱建物跡が地表表示され解説板と併せてよく理解できる様に成っています、この辺りは8年前と変わりは有りません。

 三之丸東側編へ続きます。
  

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

八年振り二度目の登城・三之丸西側①編-1/6 (2024/05/20 訪問)

 石川城別称大仏ヶ鼻城を終えて8年振り2度目の登城と成る、津軽為信最後の城として有名な堀越城登城、8年前は外周の復元整備工事中でしたので復元整備後の姿を体験する事が大変楽しみでした。

 駐車場:堀越城北側の休息施設側を利用、別途三之丸東側休息施設側にもあります。トイレ両方とも完備。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 駐車場から道なりに南下し、三之丸北側復元土塁、堀を確認し三之丸西側内部へ、西には本丸がよく見える8年前と同じ姿である、南側は虎口が完成、内側と中土塁側との二重折れ連続虎口を構成しており、見所であり素晴らしい復元です、南側土塁の展望デッキに登り周辺を俯瞰する、復元の様子が良く分かり見所です、三之丸南連続虎口を出て外堀、土橋を渡り外構跡へ、南の前川周辺、城道跡を見学、三之丸は国道7号線バイパスで東西に分かれていますが外堀南側でトンネル東西連絡路で繋がっています。

 三之丸西側②編-2/6へ続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

市街地の中の遺構 (2024/04/13 訪問)

詳細は不明ながら、室町中期に薬師寺氏によって築かれたと考えられ、大物城、伊丹城、越水城の中間地点に位置することから、戦国期には細川氏や三好氏の内紛で争奪戦が展開されました。織田信長の有岡城攻めでは河原林対馬守が陣を置いたと伝わりますが、その後は廃城となったようです。

この日は西宮北口での所用のついでに、阪急レンタサイクルで近隣の城めぐりをしました。富松城跡バス停の前に「中世の富松城跡を守ろう!!」の看板が立てられ、その背後に土塁と堀が南北にのびています。往時の堀は現在の市道にかかるほどの幅があったようです。バス停のベンチ脇には富松城跡の説明板も設けられています。土塁南端の道を東に入ると、柵が設けられていて中には入れないものの、土塁を内側から見ることができました。北辺にも堀があるようなので行ってみると、北西隅から県道沿いにしばらく東にのび、小道として緩やかに南に折れて続いていました。その途中の南北に金網フェンスが設けられたあたりも堀跡のようです。県道の北側には北方土壇と呼ばれる櫓跡があったようですが、現在は稲荷社の土壇にその痕跡が見られるのみです。

市街地の中に一部とはいえこれほど明瞭に堀と土塁が遺っているのは貴重なことですね。看板にあるように、ぜひこの歴史遺産を守り継いでいっていただきたいものです。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

びーこ

楽しみ方いろいろ、犬山城! (2024/05/20 訪問)

犬山城の登城は今回で3回目。大好きな城なので、何度来ても楽しめる!それにしても、前回来た時とは城下町の様子が様変わりしていて、参道はお洒落なワンハンドグルメで溢れている。色々なものに目を奪われながらも、まずは天守を目指そう。

趣のある石垣を横目に、登り難い間隔の階段を登っていくと、そこにはお馴染みの可愛らしい天守が登場!花頭窓が目、唐破風がヒゲのように見えるのは私だけではないはず。

靴を脱いで急な階段を登り、階ごとに入念に見学していく。高い天井の武者走り、唐破風内部、桃瓦などなど。そして最後のお楽しみは何と言っても最上階からの眺めあろう。廊下は外側に傾斜しているし、手摺は低いので少々怖いのだが、だからこそのこの解放感!木曽川からの風が心地良い〜来て良かった〜

木曽川の対岸から犬山城を見るために、ライン大橋を渡って岐阜側の河川沿いの公園へ。これは絶景だ〜モンブランケーキの上にちょこんと乗っている様な姿が雄大過ぎる!

最後はお洒落な城下町で、そのモンブランケーキを頂いた。栗が犬山城かな〜疲れた体に美味しさが染み渡る・・

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

最大級の井戸跡 (2024/04/13 訪問)

【金川城】
<駐車場他>御津町郷土歴史資料館
<交通手段>車

<見所>随所石組井戸・堀切・土塁・石垣跡
<感想>日帰り今シーズン山城攻めラスト旅3城目。上記資料館で頂いた資料によると1339年に松田元喬が金川城を築いた説があります。この頃の備前松田氏の本拠は富山城で1480年に松田元成が金川城に本拠を移して改修または築城したとする説があります。1568年に松田元賢の時、妻の父である宇喜多直家に攻められ落城し松田氏は滅びます。その後宇喜多直家の弟宇喜多春家が入城し関ヶ原後小早川秀秋の時廃城となりました。
 登城は2ルートあり、妙覚寺からとからと岡山市役所御津支所前からがあります。いづれの登城口にも縄張り図のある案内図が置いてあります。私は妙覚寺から登って御津支所へ下山しました。妙覚寺から登城するとまず道林寺丸・道林寺址の連段の曲輪があります。城主の松田氏は日蓮宗に信仰が厚かったそうで、城内に道林寺の道場を造ったそうです。石垣も一部残っています。道林寺丸を過ぎると本丸跡へ行けますが通過して北の北の丸・大堀切・白水の井戸跡に行きました。白水の井戸は扇状谷の下部斜面にあり、石組です。谷全体が井戸曲輪のようになっています。その北にある北の丸は広く2段構造で大石の磐座もあります。北の丸の北側に4重堀切があり、1重目が巨大、2重目が中くらい、3・4重目が超ちびの堀切になっています。見応えあります。
 主要部主郭は北に堀切があり、南東側斜面に降りていくような縄張りになっています。北端に天守櫓台と思われる段があり巨石がゴロゴロ落ちています。櫓台の東側曲輪壁面の巨大井戸があり「天守の井戸」と名付けられています。直径8mあり、石組であったであろうと思われる壁面に残り数個だけ残っています。この井戸も圧巻の見応えです。主郭南端には土塁の残る枡形虎口跡があり、細曲輪を通過して二の丸跡に入ります。二の丸跡には杉の木井戸という斜面にではなく曲輪内部に周囲を掘り下げて石垣で囲んだ井戸があります。二の丸跡から下山して途中に出丸跡の削平地があり麓に着きました。
 廃城となった際にどうも破却されているようで、主郭の櫓台や主要部の石垣跡は僅かに残るだけですが、散策と石垣跡を探索する楽しさ、井戸跡に見応えを感じる城跡も珍しい。いい城跡でした。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

南北朝からの合戦場 今はハイキングコース (2024/06/01 訪問)

人任せばっかりにしてないで、私も遠州の山城をハシゴに出かけます。というより、リハビリを兼ねているんですね。サポーターをガッチリ巻いて無理せず、足を慣らしていきます。やはり山で使う筋肉は他と違うので、ここを定期的に鍛えておかないと山に登るのがしんどくなってくるんですね。
山腹の三岳神社に駐車場があって、ここからの比高は140mちょっとです。けっこう人が多くて、家族連れのハイキングの人達やバードウォッチャー達が来ています。どうやら八色鳥という珍しい鳥がいるらしい。私は見ることができませんでしたが、山にはそういう楽しみもありますね。皆表情が明るくて、全体的にプラスのオーラが出ています。
延元2年(1337)井伊氏を頼ってきた宗良親王を奉じて、井伊氏は北朝方と戦いましたが、興国元年(1340)三岳城は落城したとのことです。戦国期には井伊氏は今川氏と戦いますが、永正10年(1513)またも落城してしまいました。
登城道を登って行くと東が東曲輪跡、西が本曲輪跡になります。本曲輪跡は二段構造になっていて東側にもう一段、曲輪があります。本曲輪跡の西側に藪の隙間から腰曲輪が見えますが、今回はここまで。
眺望はすこぶる良く、浜名湖や周囲の街を眺望できます。ハイキングコースになっているのも納得です。

八色鳥‥ネットで見たけどキレイな鳥ですね。羽の色は緑色に輝いています。渡り鳥で夏場は日本に居て、冬に中国南部やボルネオ島に移動するようです。本州でも中部以北では見ることがないそうなので、ちょうどこのあたりが繁殖に適しているんでしょうね。

PS‥みんなの投稿見たら零汰さんの投稿が出てる。 はじめまして、しんしんちゃんです。北海道いいですね~。うらやましい。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

零汰

ここ行くの無理じゃねぇ? だからエセ訪問 (2024/05/10 訪問)

当初から位置とルートが分からなかった場所です。北海道教育委員会より出ている「北の遺跡案内」というサイトに行き着き、場所の詳細な特定ができ、辿り着くルートも把握出来ました。おそらく砂利道の林道でしょうか「3~4Km程度をゆっくりバイクで行けばいいや」深く考えず予定していました。

出発1週間前、砂利林道にて軽トラックを襲うヒグマの衝撃映像を見、映る野獣の目が脳裏に残ってしまい、昨年東北某県にて、雨上がりの早朝にツキノワグマに遭遇しイキられた記憶が甦ってきました。

シュミレーション・砂利林道で前からヒグマが出た場合・・・Uターンで転倒→不死身の杉本では無い→アシㇼパさんはいない→詰。
後ろからヒグマが出た場合・・・砂利道ではスピード出せない→追いつかれる→以下同文。砂利道をバイクで走るのは安定しない上に、40kg超の荷物を載せて走るのは困難。(礼文林道ではしっかりと転倒してしまう)結果、現地に行くことを諦めてしまいました。

そこで、厚岸町から海を隔てて眺められる道路を見つけたのでそこから眺めてエセ訪問の完了。

神岩チャシは海沿いの小高い土地に2か所あり、並びにも2か所別のチャシが存在するそうです。

北海道に上陸後15日間、走行距離5300Km、攻城団も合わせ60か所余りのチャシ・陣屋・館を訪問しました。「北の遺跡案内」のおかげで全てに行きましたが、進入禁止や登録チャシ自体がマイナー過ぎて・・・等、お勧め出来ない場所もあるのも事実。とりあえず鹿児島の私は北海道エセコンプリート。

飽きが来ない限り、お勧め出来ない場所も含めて北海道の投稿をマイナー中心にしていきたいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

地味な城(砦)跡 (2024/06/01 訪問)

todo94さん。快方に向かわれているとのことで安心しました。 お大事に。
只来城ですが南北に広い郭がありますが、特に遺構は無かったです。地元の方の話では周囲にも砦が有ったそうで、東のお寺の裏山もあやしいですね。他サイトを見ると只来城は尾根筋に堀切があったようですが未確認。林道の脇から元来た道を戻りますが、これがなかなか解りにくい。良く見ると近くの木にちょこっとテープが巻いてあるけどこれだけです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

改めて 投稿です。 (2024/06/03 訪問)

さっきの投稿は削除して‥改めて投稿です。
チェブさん、さっそくのご返答ありがとうございます。私は山城の攻め方は個人差があって良いと思います。皆さん、それぞれポリシーはあると思うのですが、しんどい時は入り口で引き返しても良いのではないでしょうか。無理して体調を崩すよりは良いと思うし、本丸だけ訪問して良しとするのも全然ありだと思います。
私はだいたい6~8割ほど見れれば良しにしています。まずは美味しい所から訪問して、余力があったら他の場所を訪れています。じわじわ調子を戻して、山城を攻めていくつもりなのでゲートの中の方はお任せを。
でわ 親指と膝の方を大事になさってくださいな。

さすがに昨日の投稿はひどかった。しばらく飲んで投稿するのはやめにします。(反省)
皆さん、いろいろと申し訳ない。  ご容赦を。


+ 続きを読む

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/20 訪問)

福岡・佐賀お城廻第四日目(最終日)
最終日は予備時間としてとっていた時間もあり、福岡城のみ登城。
スタンプは福岡城むかし探訪館にて押印。大きな城内ジオラマがあり、当時の様子がイメージできるのでまず最初に立寄ることをおすすめです。登城時は期間限定でフレームだけのなんちゃって天守があり天守台は入れませんでした(その代わり七色に変わるライトアップをやってました)。個人的には天守台に登ってみたかったのだが、残念。また、「天守はあった」に1票!
現存する南丸多門櫓や伝潮見櫓は人が少なくゆっくり見たり撮影したりできました。本来の潮見櫓は現在復元移築中らしく、出来上がったらまた来ようと思う。

登城後、遅めのランチ。博多に来たら一度は立寄る「天ぷらひらお」(城跡の上之橋から徒歩15分くらい)。いつも人気があり、今回は30分くらい並んで入りました。ネタを一つ一つ揚げて順次配られるので、揚げたてをいつも頂けるのがうれしい。ただ以前は副菜の塩辛と高菜が食べ放題だったが、塩辛は一人一皿になり、高菜は普通の漬物になっていた。イカが不漁のせいらしい・・、残念。福岡城の帰りなどでぜひ一度お試しあれ。

なお、公共交通機関の行程は以下の通り
※博多に前泊
8:02天神大和証券前(路線バス)、8:11福岡城・鴻臚館前
 (徒歩2分)福岡城跡(鴻臚館跡展示館or福岡城むかし探訪館9:00-16:30休年末年始)

18:40福岡空港(航空機)、20:20羽田空港


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/19 訪問)

福岡・佐賀お城廻第三日その3
本丸くらいしか残っていないが石垣が見事。城跡は神社社有地らしく篠山神社が中央に鎮座。

福岡に住む元同僚が百名城、続百名城めぐりを始めたらしく、この日は車を出して一緒に城廻できたので、移動は公共交通機関ではなく車で一日城廻。移動も楽で電車の時間も気にする必要もなく、同行者もいて楽な楽しい一日でした!
なお、公共交通機関で回るなら行程は以下の通りでした
※吉野ヶ里遺跡、佐賀城と共に登城
※博多に前泊
7:58西鉄天神高速バスT(高速バス)、9:14,9:25佐賀駅バスセンタ(路線バス),9:34博物館前
 (徒歩1分)佐賀城本丸歴史館(9:30-17:30休年末年始)

12:10(城徒歩16分)片田江(路線バス)、12:33駅ヶ里
 (徒歩6分)吉野ヶ里遺跡(9:00-16:30休年末年始)

(東口徒歩16分)15:23吉野ヶ里公園駅(JR)、15:38,15:45鳥栖(JR)、15:53久留米
 (徒歩16分)久留米城跡(篠山神社社務所9:00-17:00)

17:38(徒歩7分)医学部前(路線バス)、17:54,18:07西鉄久留米(西鉄)、18:47西鉄天神
泊:博多

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/19 訪問)

福岡・佐賀お城廻第三日その2
弥生時代の城と言うと大抵の人は「そんな時代にお城なんてあるの?」と言われるが、天守だけがお城ではないと私は反論する。実際にここは、堀があり、土塁があり、櫓があり立派なお城だと改めて認識しました。
エリアは広大で全部見ると1日かかるくらいかと。遺跡内を無料周遊バスが走っているので、うまく活用するのが良いかと。環濠集落や物見櫓、竪穴式住居が復元されているほか、甕に入れて埋葬した当時の集団墓地が発掘され、展示館として見学できるのでぜひ立ち寄ってほしい。

福岡に住む元同僚が百名城、続百名城めぐりを始めたらしく、この日は車を出して一緒に城廻できたので、移動は公共交通機関ではなく車で一日城廻。移動も楽で電車の時間も気にする必要もなく、同行者もいて楽な楽しい一日でした!
なお、公共交通機関で回るなら行程は以下の通りでした
※佐賀城、久留米城と共に登城
※博多に前泊
7:58西鉄天神高速バスT(高速バス)、9:14,9:25佐賀駅バスセンタ(路線バス),9:34博物館前
 (徒歩1分)佐賀城本丸歴史館(9:30-17:30休年末年始)

12:10(城徒歩16分)片田江(路線バス)、12:33駅ヶ里
 (徒歩6分)吉野ヶ里遺跡(9:00-16:30休年末年始)

(東口徒歩16分)15:23吉野ヶ里公園駅(JR)、15:38,15:45鳥栖(JR)、15:53久留米
 (徒歩16分)久留米城跡(篠山神社社務所9:00-17:00)

17:38(徒歩7分)医学部前(路線バス)、17:54,18:07西鉄久留米(西鉄)、18:47西鉄天神
泊:博多

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/19 訪問)

福岡・佐賀お城廻第三日
弾痕が残る鯱の門と復元された本丸御殿を楽しみに登城。平城だが堀幅は広いところで6,70m位で思ったより広くなかった。鯱の門は、あちこちに弾痕らしき跡があったが、しっかりとした櫓門だった。本丸御殿も新しさを感じるが、一部は当時の建材を活用しており柱の新旧を比較で来た。大広間では寸劇(?)も催され、雰囲気を盛り上げていたのがよい。
気になったのは、本丸天守台。なぜか天守台への虎口は本丸の外からしかなく、ぼうぎゃのためには本丸内側からのほうが良いのではとの疑問がわいた。何か理由があるのだろうか・・・。

福岡に住む元同僚が百名城、続百名城めぐりを始めたらしく、この日は車を出して一緒に城廻できたので、移動は公共交通機関ではなく車で一日城廻。移動も楽で電車の時間も気にする必要もなく、同行者もいて楽な楽しい一日でした!
なお、公共交通機関で回るなら行程は以下の通りでした
※吉野ヶ里遺跡、久留米城と共に登城
※博多に前泊
7:58西鉄天神高速バスT(高速バス)、9:14,9:25佐賀駅バスセンタ(路線バス),9:34博物館前
 (徒歩1分)佐賀城本丸歴史館(9:30-17:30休年末年始)

12:10(城徒歩16分)片田江(路線バス)、12:33駅ヶ里
 (徒歩6分)吉野ヶ里遺跡(9:00-16:30休年末年始)

(東口徒歩16分)15:23吉野ヶ里公園駅(JR)、15:38,15:45鳥栖(JR)、15:53久留米
 (徒歩16分)久留米城跡(篠山神社社務所9:00-17:00)

17:38(徒歩7分)医学部前(路線バス)、17:54,18:07西鉄久留米(西鉄)、18:47西鉄天神
泊:博多

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

chiroru

歩いてよかった (2024/06/02 訪問)

上諏訪駅から並木通りを歩きながらの登城でした。

三之丸湯跡で温泉気分を感じもうすぐ天守閣のある本丸だなぁと前進し、天守閣が目の前に現れてくれました。

本丸の外周を回り、川渡門を通過し冠木門橋を渡り本丸に。石碑の文を読み「大手門以南の地形がそのまま」と記されているのを
見てもしかして歩いてきたところ?と思い城郭図を見たらそんな感じで、やはり歩くのはいいことですね。

+ 続きを読む

栃木西方城

地方紙 下野新聞に掲載されました!!! (2024/06/03 訪問)

 お城好きの皆さま!城びとの皆さま!
このたび西方城跡総合調査報告書が、
地方紙 下野新聞(2024年5月22日付)
https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/898916
に取り上げられました。

担当者主査の顔がバッチリ写ってしまいましたが…
テレ(〃´∪`〃)ゞ

西方城跡総合調査報告書は
A4判321ページ。
栃木市内の図書館などで読めます。
ぜひご覧くださいね!!!

+ 続きを読む

ページ212