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カルビン

岡山県指定史跡 (2016/07/23 訪問)

庭瀬城から200mも離れていない場所に撫川城があります。

こちらも沼城と言う事で、やはり庭瀬城同様住宅街にある平城ですが、こちらはお城としての形を残しており、野面積みの石垣も見られます。
流石県指定史跡の名に恥じぬお城でした。

周囲を水堀で囲まれた先の、神社の御本堂のある一段高い場所が当時庭瀬・撫川城が1つのお城だった時代の主郭にあたるそうです。

宇喜多氏の領土だったのが関ヶ原合戦で一度廃城となり(昨日の庭瀬城のコメントちょっと間違ってました・・・スイマセン)、その後戸川氏の管轄となり、その戸川氏が四代目で断絶すると、その親族が「庭瀬城」と「撫川城」を別に治める事になってお城が分かれたみたいです(全部解説のままw)

駅近でマイナーな場所ではありますが、庭瀬城(個性ある)も撫川城(意外とお城お城してる)も行って損は無い場所かと思います。


お城の近くに車が止まって、何かもそもそしてから車が立ち去った跡地から子猫の鳴き声が・・・

行ってみると独眼竜の子がおりました。。。旅先で保護出来るハズもなく。。。若駒は住宅地の方向へ。。。見届ける事しか出来ませんでした(悲)

政宗の様に強く生きてくれる事を望みます(ー人ー)

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チェブ

庭園と緑色の桜。 (2019/05/04 訪問)

福島県の「向羽黒山城」に行きました。
続100名城に選ばれているので、山城攻めスタイルで出陣です。
蘆名 盛氏さんが築城します。
盛氏さんは亡くなるまで「向羽黒山城」で政務を仕切っていたそうです。
ワンマンな武将かと思い調べてみました。
側室を持たない方です。男の子は嫡男しか産まれません。
禁酒令を2回出します。嫡男がお酒が原因で急死してしまいます。
政務を仕切らなくてはならなかったんですね。
その後「向羽黒山城」は伊達 政宗さんが1年、蒲生氏郷さん秀行さん親子が8年、上杉 景勝さんが3年、治めます。
ちなみに蘆名 盛氏さん、上杉 謙信さんの後継者争い「御舘の乱」では景勝さん方に付きました。
まずは整備資料室でモケイとパネルでガイドさんから見どころを教えていただきました。
二曲輪の近くに石垣とは違う丸い石が発見され、庭園があったかもしれないとの事です。
こんな戦うお城に庭園?是非とも確認したいです。
あと、緑色の桜が見頃と教えてもらい車で駐車場まで行きました。
駐車場から二曲輪に向かうと堀切等々あります。
私の写した写真では迫力が伝わらないかもしれませんが山の形を利用し更に掘ってあります。
堅掘も見たことない長さでした。
残念な事に庭園かもしれない石積は分かりませんでした。
私の想像する蘆名 盛氏さんのお人柄からすると庭園、あったような気がします。
、、、緑色の桜は、新緑にまぎれ探せませんでした。
でも、たくさんの遺構があるので大満足の「向羽黒山城」でした。

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北条氏勝

何度も本で見たことあるのに・・・想像を超える名城!

城好きなら何度も何度も山中城の写真を見ますよね?障子堀、きれいに整備された山城。100名城の1つ。しかし、駅から徒歩ではいけない。なので、いつも行くのは保留にしていました。が、行くと逆に城好きだからこそ「やられた!」と思うほどの名城でした。

アクセスの悪い山城への交通手段はバスです。ですが、城好きが行く山城というのは比較的アクセスの悪いところが多い。ところが、三島駅は新幹線が通っているだけあって駅前は人もいますし、バスも止まっていました。三嶋大社という観光名所もあり、三島駅から山中城へ行く途中には「スカイウォーク」という観光施設もありました(意外といいところでした、最初は山城に行こうとしているのに大きな施設があって驚きました)。

山中城は、小田原征伐の最初に豊臣軍と北条軍が激突したお城。障子堀があって整備されてるとか・・・え!!日本中の山城の理想形なのではないかというほど、城郭全体がきれいに整備されていました。観光の為の整備ではなく、城好きの為の整備としか見えないほどで、お城の守りの構造、櫓跡、はっきりとした堀。うっそうとした木々の中を歩いていっていた山城は、往時はこんな姿だったのだろう、と思いました。建物こそありませんが、山城好きにはたまらないお城です。初心者の方、まだ山中城に行っていない方、全然おすすめします!

道中も晴れていればきれいな富士山も見え(自分が行ったときにはきれいで大きな富士山が見えました)、城の横には旧東海道の(再整備した)石畳があり、そこの景色も写真に収めたくなるスポットです。ぜひ行ってみてください。

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まーやん

何だこれ?(゚ω゚;) (2019/05/29 訪問)

試合時間が迫る中、城びと情報を見て甲子園に近いことから行って来た。

幕末に大坂防衛の為、勝海舟が計画し作られた砲台。品川砲台とは似ても似つかぬ容貌にビックリした。
4年もの歳月を費やしながら、完成後試射したら砲台内が煙って使われなかったってなんなの(゚ω゚;)

甲子園近くからか、、、周囲に置かれた虎模様のA型バリケードが幻滅するが、円形で漆喰の大きな砲台は海に映える。
外国船を狭撃するためいくつか設置された砲台は、西宮市内にもう一台あったらしく、次は探してみたい。

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百舌鳥古市古墳群 (2019/06/01 訪問)

古墳を城域の北側に位置する本丸に利用。古墳の北は川により急斜面になっている。東西も急斜面の舌状の台地。説明板の昭和23年の航空写真は、独立丘全体が高屋城であって、河内守護畠山氏の居城にふさわしい大きさであると見受けられます。
辺りは、百舌鳥古市古墳群の古市。近くに2番目に大きい応神天皇陵があり、テニスコートのフェンスに表示がありますが、古墳が大きすぎて何を指しているのやら。後円部は誉田氏の城だったと。土木技師集団の土師氏の里でもあり、道明寺駅に向かう道に埴輪作りをしてた登り窯の復元展示あり。道明寺駅横には、大阪夏の陣道明寺合戦記念碑あり。

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くろもり

縄張りが独特 (2015/05/17 訪問)

江戸時代に入ってから相馬氏が本拠とした近世の平城ですが、石垣は少なく、ほとんどが土造りの城でした。

城内の建物は外大手一ノ門しか残っていませんでしたが、食違いの虎口、土塁、堀、石垣等も残っており、なかなか見所がありました。

縄張りが独特でおもしろく、輪郭式という人もいれば、梯郭式に分類する人もいるし、中山良昭氏は著書の中で(すいません。書名を失念してしまいました・・・)稜堡式に分類していたりもしたので、縄張りを考えるのも楽しい城です。

本丸と西二の丸の間の堀付近は岩塊が突き出した山城のような雰囲気の所があり、平地の中であることを一瞬忘れてしまうような感覚でした。また、西二の丸は厩舎になっており馬がいたので、戦国時代に騎馬軍団で有名だった相馬氏を一層彷彿とさせてくれました。

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赤い☆稲妻

甲府城 (2019/04/07 訪問)

毎年のように訪問しています。
この回は会社の城攻め部にて訪問です。
武田神社、要害山、甲府城、新府城と訪問。
城跡自体が甲府駅で分断されている立地。
アクセスは最高に容易です。
天守の再建計画が注目されています。
よく調査してから検討してもらいたいですね。

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赤い☆稲妻

山形城 (2018/08/12 訪問)

家族旅行で米沢城と一緒に訪問。
山形城近くの冷しラーメンを堪能してから城攻め。
天守はありませんが、東大手門の構えは威厳あり。
本丸周辺の再整備が進んでいます。
発掘調査もされているようでした。
二の丸からは市民公園で、スポーツ施設など。
絶妙なバランスで新旧が混在しています。

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リャンス

砲台跡巡り、いいかも。 (2019/05/20 訪問)

舞子砲台、西宮砲台、
砲台跡、二箇所目。

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ぴーかる

今は猿達が城を守っている。 (2018/09/23 訪問)

【続百名城19城目】
<駐車場他>城の後二の丸脇に無料駐車場あり。 
<交通手段>車

<見所>後二・三の丸・本丸・中の丸・二の丸・土塁・空堀

<注意>日本猿の門徒衆達が城を守っています。攻撃してきますので要注意です。

<感想>日帰り北陸攻城の旅2城目。遅めの昼食を一揆そば長助でとる。その後歴史館にてスタンプと観覧し、城へ行く。まず後三の丸は城内一敷地が大きい。空堀を巡らし土塁も高い。次に後二の丸は城内一小さい。本丸の付属のような郭である。後二の丸を撮影するのに後三の丸の切岸を少し登っていると猿が1匹後三の丸に出てきて最初は私に気付かなかったが、気付いたあと、鳴き声で仲間を呼び、わらわらと後三の丸から5~6匹の猿達が出てきて威嚇し攻撃態勢になったので、「これはやばい!」すぐ離れて難を回避する。
 本丸の土塁を回りこむと本丸枡形門がある。歴史館のVTRにて発掘調査で石垣等を復元再建したようである。本丸内は土居で囲んで礎石跡も整備されている。中の丸にも門を復元再建されていた。二の丸には櫓跡が二カ所ある。二の丸と三の丸の間には堀切があり、三の丸は発掘されていなく完全に森のまま。城全体はよく整備・復元再建されていた。ここを見て帰路につく。1日走行距離586㎞

<グルメ>歴史観近くに一揆そば「長助」がある。まあまあです。

<満足度>★★☆

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ぴーかる

今度は間違わずに。 (2018/09/23 訪問)

【続百名城18城目】
<駐車場他>西登り口無料駐車場あり <交通手段>車

<見所>石垣・天守内展示物

<感想>日帰り北陸攻城の旅1城目。2013年に一度来城したことあるが、当時は恥ずかしながら不勉強と思い付きの行き当たりばったりで行って、なんと現存天守の丸岡城と勘違いして来てしまった城なんです。今回は流石に少しは知識を得て、続百名城のスタンプと再攻城の為来城した。各所登り口からは急階段と緩やかコースと2択でき10分程度で登れる。二の丸跡は城山の麓にあり遺構はない。本丸の南北に曲輪跡らしき平地が数ヶ所あるが、名称は記載が発見できず分からなかった。天守とその天守台は模擬、見所のある遺構は旧天守台の石垣(野面の乱積み)・武具蔵跡・塩硝蔵跡くらいしかなく少ない。天守内展示物は江戸時代の物でまあまあ良いが撮影禁止。私事で兜の前立てで兎のぬいぐるみが付いているのがあり、あまりに珍しく可愛く記憶に残っていたが、撮影禁止の為どこのお城の展示物だったか忘れていて、ここで再会でき嬉しかった。土井家ゆかりの甲冑だそうです。面白いです。下山後名水のある百間堀を見て鳥越城へ。

<満足度>★★☆

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カルビン

遠出の際の駅近物件 (2016/07/23 訪問)

遠征で岡山駅付近を拠点とされる方にお勧めの物件。

岡山駅からJR線で2駅の庭瀬駅から徒歩6、7分・500m程の場所に水路に囲まれた庭瀬城があります。

室町時代末期に難工事を経て築城され、その後城主を変えて明治を迎えるまで廃城にならずに機能していた模様。

元々が湿地帯で、現在も水路が縦横無尽に走っている地で、おそらくこの水路が水堀の役割を果たしていたと思われます。。。逆に遺構はそれしか無いですが。。。

おそらく軍事拠点や治安拠点ではなく、居館的な役割をしていた場所と思われ、城域はかなりコンパクトだったと思われます。


この水路、道沿いにも普通に脇を流れておりまして・・・柵が無い場所が多く、油断するとダイブする羽目になりますので、夜道や酔っ払ったお父さん等は要注意です(危)


ここから更に200mくらいの場所に撫川城もあり、遠征でお城に多く行きたい人には1粒で2度美味しい場所となっております。

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チェブ

シュワッチ!須賀川城! (2019/05/05 訪問)

福島県の「須賀川城」に行きました。
伊達 春宗さんの娘、阿南姫と「須賀川城」の城主 二階堂 照行さんの嫡男 盛義さんが結婚します。
阿南姫は女城主となり、伊達氏と対立する、、、!
みなさんの投稿を読み楽しみに向かいました。
でも刑部さんの「ウルトラマンや怪獣達がいます」の投稿が「?????」のままの「須賀川城」攻めでした。
須賀川市に入り納得しました。
道路のあちこちに笑っちゃうくらい、ウルトラマンと怪獣達がポーズをきめてます。
須賀川市はM78星雲 光の国と姉妹都市なんだそうです。
すいません「須賀川城」に話を戻します。
二階堂神社が本丸です。
、、、ウルトラマンが気になって退陣しました!
いつか阿南姫の事、勉強します!

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TMN97

富山城 (2019/06/04 訪問)

富山城。

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リャンス

はや 2年と10ヶ月前 (2016/08/10 訪問)

本陣 正面より

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リャンス

石碑・案内版 (2019/06/04 訪問)

学校南西端から

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モト

石垣に満足です (2019/03/05 訪問)

小高い山の上にある城址へはアクセスに迷うことがあるかもしれません。
入り口を探して城址の周りをまわると案内板を発見しました。
ただ、注意書きがありそこからは私有地の為アクセスできないとのこと。
神社の方へ行き、そこからの道のりを近所の方へ聞くと、今は草を刈ったり整備する人手がないために下から行くのは困難だよ、途中の所からちょっとなら行きなさいといお言葉をいただき、案内板の所から城址へ行きました。
城址への途中、竪堀や木々が開けた場所に出ますと曲輪が出てきました。
山の頂上には本丸がありました。
その本丸を囲む山の途中には、あります石垣が。
崩れはいますがこれが雰囲気があり、大満足ではございました。

追伸
ほんとに猿がいます。
かなり多くの猿を見ました。
襲ってくることはありませんでしたが少々怖い気はいたしました。

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ASA

日本100名城 No.23 (2019/06/03 訪問)

平成28年に平成の大改修を終え、最上階には摩利支天像の安置空間が149年振りに甦った。

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たくわん

奥のほうにあるから見つけにくいよ (2019/06/02 訪問)

新井宿駅から歩いていきました。赤山の信号を左に曲がると赤井城址の小さな案内板があった。右へまっすぐ行く。突き当っちゃった。おかしいから戻る。途中に公園らしきものがあるので入ってみた。池みたいな堀みたいなものがある。ここお城?。うろうろしてると歴史自然資料館があったので入る。ここも陣屋の一部だったみたい。もっと先が陣屋跡みたい。さっきの突き当りの先の道を進むとありました陣屋跡。戻んなくてよかったんだ。やっとお目にかかれました。陣屋跡は堀がたくさん残ってました。

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朝田 辰兵衛

模擬天守を建てるために… (2019/06/01 訪問)

遺構の一部が破壊されたそうです。そうそう,越後では“まつだいじょう”と呼称します。室野城とセット登城が宜しいかと思います。
標高:385m,比高:180m。本丸背後の二重堀切の散策は,かなり荒れているために断念しました。

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