全国山城サミット可児大会2日目 可児市の4つの山城巡り1城目。
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2020/01/25 20:21
2020/01/25 18:43
親切な静岡市教育委員会。 (2020/01/02 訪問)
富士山と駿河湾が見えるらしい「蒲原城」に行きました。
時間的に夕日を期待したのですが、、、。
「蒲原城」も戦国時代の戦いの舞台になりました。
築城は室町時代。定かではないようです。
戦国の世、まずは今川家の家臣が城代です。
次に今川家と同盟関係の北条家、北条 新三郎 綱重さん。
「蒲原城」少し北条デザインに改築しました。
信玄さんに攻められ武田方に。
そして家康さんにより落城です。
同じ日に善得寺の「三国同盟の庭」を見て、穏やか~な気持ちの後の「蒲原城」。
やっぱり、皆さんギラギラしてましたね。
で、期待していた夕日には間に合いませんでした。
でも せっかく来たから、まだ明るいので お邪魔します。
駐車場の案内図に、見学所要時間30分。駐車場向かいのトイレをご利用ください。と、親切なコメント。
みんなの30分は私の足なら60分ね、と確認してスタートしました。
すぐに説明板があり登りましたが、大空堀辺りでテンションアップより、高さに怖くなりました。もうちょっと行くとパイロンが立っていて崩落、危険の文字。
暗くなってきたので退陣です。
当たり前ですが、明るい時に見学しましょう。
北条 新三郎 綱重さんは早雲さんのお孫さんです。
命日の12月6日、節目の年に慰霊祭を行っているそうです。
「蒲原城」の歴史は厳しいけど、静岡市のご配慮は、とても優しく感じました。
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2020/01/25 17:17
2020/01/25 17:07
2020/01/25 17:00
金襴の蛇の伝説 (2020/01/25 訪問)
天竜浜名湖鉄道気賀駅から歩いて15分くらいです。浜松駅からですと落合橋バス停で降りると5分くらいで城址へ着きます。金山神社境内の西側に堀切を挟んで主郭があるらしいのですが、直登しなければならず、かなりの藪で断念しました。土塁や井戸などの遺構があるらしいです。
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2020/01/25 15:43
茅野眺望抜群、諏訪氏の山城 (2016/10/30 訪問)
青柳城を終えて城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報で山城の上まで車で行けるとの案内、高速に乗り中央道の諏訪ICをおりナビがポンコツで予定の道から急坂の農道みたいな細い道を進み途中から本来の道に入り舗装の道で一安心、登城口は道傍で駐車エリア数台は可能、登城路を数分、堀切、竪堀、物見岩場、先端に金毘羅宮、茅野城下が一望の絶景、神社の裏が本曲輪、麓の板垣平に諏訪氏館跡、石碑が在る。
諏訪氏の城で麓に館群、山頂は詰めの城、武田氏に攻められ上原城を焼き払い桑原城へ退き降伏、武田方の武将が守る。
隣の桑原城を次に目指したのですが国道20号線からの登城路が分らず交通量も多く探し辛く断念しました、来た道中央道飯田から地道に入り国道153号線151号線標高千mの県境、峠を越えて浜松へ日帰り城廻り。
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2020/01/25 13:43
松ヶ島城 (2020/01/04 訪問)
【松ヶ島城】
<駐車場他>城跡の傍にはなし。私は松ヶ崎公園グラウンドに停めさせてもらい徒歩で行った。
<交通手段>車
<感想>新春1泊2日伊勢攻め城の旅3城目。2日目朝一に今日のメインの松阪城に行く前に寄ってみた。
松ヶ島城は1580年に織田信雄の居城田丸城が焼失したため新たに城を築いた城。現在は埋め立て地の中ほどになっているが当時は海陸の要衝の海城だったそう。その後、信雄の家臣が城主となって、最後は信長から伊勢をもらった蒲生氏郷が入り伊勢国南部の統治拠点とした。1588年に氏郷は松坂城を築いて移転するので、たった八年間しか使われなかった城。
城跡はかつての天守台と思われる2㍍程の台地が残るのみ。案内板に現存堀跡は雑草がひどくてよくわからず。周辺はビニールハウス・畑・田んぼになっており、かつての雰囲気を味わえるものはない。
<満足度>◆◇◇
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2020/01/25 12:47
【安志陣屋跡】小笠原氏一万石の政庁跡。 (2019/10/20 訪問)
宍粟市の山崎城と篠の丸城を訪れ、帰宅する道中でもありついでに寄ってみました。
安志陣屋跡は兵庫県姫路市安富町安志(あんじ、と読みます)、現在の安富中学校一帯がその跡地です。
安志藩は小笠原氏一万石の小藩です。
立藩は享保元年(1716)、陣屋はその翌年に完成し、以後明治を迎えるまで藩政の中心を担いました。
藩祖は小笠原長興。小笠原秀政の長男・忠脩の家系であり、本来は小笠原家の嫡流です。
しかし大坂の陣で秀政と忠脩が戦死、遺された長次がまだ幼かったため、忠脩の弟である忠政(後の忠真)が相続し嫡流となりました。
なお、小笠原忠政は後に初代明石藩主として明石城を築城し、さらに小倉藩主となりました。ちなみに、忠脩の正室である亀姫(五姫)は夫の戦死後、徳川家康の命により忠政の正室となり、長次も忠政の下で養育されました。
その長次は10歳を越えると播磨国龍野藩六万石に封じられ、翌年元服、後に豊前中津藩八万石に加増移封となりました。
しかし享保元年(1716)中津藩第五代藩主小笠原長邕が5歳で夭逝し無嗣改易となってしまいます。
しかし弟の長興は『祖先の勤労(大坂の陣で家祖である秀政・忠脩父子が戦死し幕府に忠節を尽くした功)』により、特別に播州安志一万石で立藩を認められた。
こうして初代藩主となった長興は陣屋(藩邸)と藩校を建て、陣屋町を形成させるなどの功績をあげましたが、生来病弱だったために19歳で隠居してしまいました。しかし継嗣がいなかったため小倉藩第三代藩主・小笠原忠基の次男・長逵を第二代藩主に迎え、この血脈が以後明治まで続くことになります。
ちなみにこういった経緯があったため、二代以降小倉藩の支藩の如く扱われるようになりました。
一万石の大名なので参勤交代で江戸まで行かなければいけません。よって藩の財政はやはり苦しかった模様。
さて、そんな安志藩の陣屋跡ですが、前述の通り学校敷地となっており、石碑と説明板があるのみです。
しかしながら、立地が周囲より少し高くなっており、藩の中心部として最適な場所だったんだなと感じることはできます。
また、町内の寺院に陣屋門が山門として移築され残っているとのことで随分探し回りましたが、マイカーでは道がかなり狭いところが多く、日も落ちてしまったため泣く泣く断念…。
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2020/01/25 11:24
登録基準? (2020/01/09 訪問)
小田急線藤沢本町駅より徒歩10分ちょいで藤沢御殿のあったとされる場所へ。
(JR藤沢駅からもちょっと時間+で行けます)
現地には御殿だった遺構はおろか雰囲気すら残っておらず、解説が複数あるのみでした。
ここだけを見にくるのははっきり無駄なので、周辺のスポット(遊行寺・白旗神社・伝源義経首塚等)及びここから近くの江ノ島などと一緒に見に来るのが良いでしょう。
藤沢御殿の見学ボリュームが雀の涙的なのに対し、同じ御殿でも小杉御殿(神奈川)や小山御殿(栃木)、御茶屋御殿(千葉)等藤沢御殿よりは見れるところ多い場所あるんですが・・・同じ御殿でも登録の選考理由違う?
御殿に限らず、他になんでここ登録してる?(遺構が無い、立入出来ない等含め)って場所も多い事から、城びとの登録基準がアメージングです(笑)
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2020/01/25 11:16
車で登れ山城の各部位が残り眺望は絶景 (2016/10/30 訪問)
牧之島城を終えて城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報で車で登れるとの情報も有り、一度国道19号線を南に戻り安曇野方面の国道403号線を北上、JR坂北駅を起点に坂北小、碩水禅寺を通り山の上に開墾された畑の中道を通り公園を案内する塔が建ってる進むと獣除けゲートが有り開閉し進むと専用駐車場とトイレ、道は舗装されあまり狭くない。
その顔面に模擬櫓城門がお出迎え本曲輪までは下がって行く、帰りこの道を上がるのかと思うとしんどい、二重堀、大堀、竪堀、切岸を楽しみながら各曲輪が尾根筋に控え、5曲輪辺りから本曲輪先を見ると下がって上がる辺りに冠木門先にチラッと石垣の見える本曲輪、本曲輪からは北アルプスの山稜がクッキリ城下と合わせ絶景の眺望、桜の頃残雪を被った北アルプスを想像すると圧巻な眺望な事でしょう。 気分上々堪能しました。
青柳氏は武田氏、上杉氏、小笠原氏の攻防の中で耐え天正15年(1587年)小笠原氏に松本城で謀殺されたとの事。
城下には普段の生活拠点として青柳氏館跡が有り現在寺に成ってる、青柳氏菩提寺碩水禅寺は門前石垣造りで見所、城下は青柳宿として見所です。
また筑北村図書館を訪ね資料を尋ねるが青柳宿の資料で城跡の資料は有りませんでした。
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2020/01/25 10:13
長屋門と御殿 (2020/01/11 訪問)
創建時から現存する長屋門と1820(文政3)年に再建された御殿が見られます。
開館時間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
入館料(柏原町歴史民俗資料館・田ステ女記念館と共通): 大人200円,中・高校生100円,小学生50円
向かいにある資料館で受付をします。
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2020/01/25 07:03
名族土岐氏の支城は、メリハリ効いて見どころ満載 塙城跡 (2020/01/15 訪問)
塙城跡には、二度目の訪問。前回は、阿見町のほかの城跡を見ながら、数時間、歩き回ってたどり着きました。
今回は、土浦駅からレンタカー。駐車場所は、周辺に集会所、公民館がありますが、そこの駐車場に停めさせていただくか、城跡西側の道路の路肩が広くなっているあたりに停めさせていただくしかないと思います。
北側に位置する、北郭も、非常に整備されて見ごたえがあるので、セットで訪れることがおススメです。
塙城は、マイナー無名なお城ながら、名族土岐氏の支城として、横矢かかりや、畝状の窪みも見られるなど、なかなか、技巧的なお城となっております。
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2020/01/25 06:50
朝駆け (2020/01/12 訪問)
京都駅前で朝食を済ませてから徒歩でアプローチしました。織田信長が足利義昭のために建てた二条古城、現在の平安女学院を中心とする辺りにあったそうです。ついさっき、にのまるさんの投稿を拝見しました。出かける前に目を通しておくべきだったと深く反省しています。
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2020/01/25 00:08
武田流の三日月堀が見たくて (2016/10/30 訪問)
九州城廻りで帰って来た翌日早朝出発し日帰りで信州新町に在る牧之島城を初登城、浜松から地道を北上し飯田辺りから中央道に乗り安曇野ICから国道19号線を北上長野市方向へ、犀川が蛇行して瘤に成った隘地に築城、武田軍学の丸馬出、三日月堀が有名な城以前から探訪したかったのですが思い切って出掛けましたが草が茂って居り良く確認出来なかった処も有りますが想像も入れて概ね満足の探訪でした。
駐車場は丸馬出の内側に沢山入ります。
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2020/01/24 23:53
館じゃなくてもうお寺!? 足利氏館🏯 (2020/01/13 訪問)
遺構度→★★★★☆ 復元度→★★★☆☆
施設充実度→★★★★★ 楽しさ度→★★★★☆
武士の館を今に伝えている足利氏館に行ってきました!
今では足利氏を祀っている鑁阿寺になっています。お寺としては本堂が国宝になっており、他の建物も重要文化財などになっている素晴らしいお寺です。印象としてはお寺の方が強いです(笑)
また太鼓橋と山門も残っており、太鼓橋は栃木県唯一の唐破風様の屋根がついた橋で、江戸時代に再建されました。後ろにある立派な山門は剣術で有名な室町幕府13代将軍の足利義輝が再建した八脚楼門です。
お寺としても素晴らしいです!初詣の時期には混みそうなのでお城を目的として来る場合はかぶらない様にしてください!
ではここから足利氏館のお城としての話をします。
遺構は主に水堀や土塁が残っており、とても良好な状態です!
土塁は館の周りを綺麗に囲んでいます。
堀も館の周りを囲む様に張り巡らされており、守りを意識していた事も伝わってきました。
中世地方武士の居館の典型である「方形館」の形がとても綺麗に残っています!
駐車場は無料の観光駐車場があり、広さはありますが、足利氏館のみの駐車場では無いため、そこはご了承下さい。
日本100名城スタンプは本堂にあり、綺麗に押すことができました!
御城印も500円で販売されていたので、気になる人は是非購入して見て下さい。
お寺としても館としてもオススメです!
周りには足利学校などもあり観光スポットとしても良いと思います。
是非行って見て下さい!
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2020/01/24 23:01
2020/01/24 21:29
向小島城
近接する二つの城(向小島城と小鷹利城)はともに姉小路氏系の向(小鷹利)氏のお城であるとの伝承を持つ。単純に比較すると向小島城が本城で小鷹利城が実戦用に見えるが実際はどうやらその逆で小鷹利城が本城、向小島城が臨時城塞であったらしい。お城の役割を立地や規模だけで安易に推測してはいけない貴重な事例だろうと思う。
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2020/01/24 21:21
周山城 大手道 (2020/01/19 訪問)
山崎合戦の後、破却された石塁が残る。破城の儚さこそが周山城の魅力と感じた。
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2020/01/24 19:11
【聖典:大系】一行書の城郭:堀切、堀切道・・・レジェンドの攻城をマネてみました
聖典を眺めながら気になっていた各県の巻末にある「その他の城郭一覧」。ほぼ一行書で表記され、見落としそうな城郭。
以前より勉強させて頂いていた2組のレジェンド、ウモ夫妻と鬼神の如き城郭放浪記さん。
冬季は寒さでバイク縛りの攻城を休み、車で聖典記載の生活圏(県)の城郭にレジェンドをマネて攻城しています。
効率重視で地域ごとに大小・メジャー・マイナー関わらず、城と名の付く場所に突撃を心掛け12月から攻城中。
大概が情報が薄く登城口も見つからない為、等高線見ながら尾根への直登になりますが、余程の事が無い限り浪漫の塊に出会います。
今回は聖典一行書にある、見掛ける事の少ないマイナーな城郭の堀切・堀切道のダイジェストを。
整備されていない城郭なので、余計なものも写り込み、写真撮りも未熟の為、諸先輩方の写真よりも写りは数段落ちます。
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2020/01/24 16:29
国史甲賀郡中惣遺跡群の一つ (2016/10/29 訪問)
平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り最後の黒崎城を終えての帰り自宅まで約千㎞程有りますので高速のSAで車中泊して新名神道甲南ICを出て直ぐの村雨城に寄りました。
特徴ある単郭の城跡群です、駐車場は無し田圃の中道で若干広い所に路駐でも離合はすれすれ状態でしたが車の往来無しで助かりました、杉が濫立状態で写真が取りにくい、下は草、笹の茂りで踏み出しにくいと早々に切り上げました。
村雨城の北隣に寺前城、北600m程に服部城その東隣に新宮神社の門前に新治7城(国史甲賀郡中総遺跡)の縄張り図を示した案内看板が有ります、新宮神社の東側の細い道を南下して300m程に新宮城、新宮支城、新宮神社の北約1km程に竹永城、北東に600m程に倉治城と7城が控えっ揃ってます。全て駐車場は有りません。
村雨城は入れましたが、寺前城、服部城、新宮城、新宮支城は導入路が分らず、分っても竹笹の茂みで入城を躊躇し遠くで見るだけにしました草刈りのタイミングの良い時を狙うしか有りません。更に西の谷の望月城杉谷城なども近くで遠望のみ無理しないで終わりました。
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