鹿児島市に3連泊し、前日は二十数年馴染み店で飲食喋りを楽しんでお互い元気な顔を確かめ安堵、勿論感染症対策はバッチリ。翌朝食事を済ませ7時半にホテルを出発、鶴丸城御楼門を車窓見学しながら鹿児島北ICより九州道経由八代ICを降りる。
今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第18城目、ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん等の情報により天守台近くのキリシタン殉教者公園近くが駐車出来そうとの情報でGoogleMap航空写真を微調整して(熊本県八代市古城町2055)に合わせて走行、公園の北に出来立て綺麗な駐車場有り10台弱は可能か?トイレ無し。
城郭放浪記さんGoogleMap片手に天守台跡、地元TVクルーが撮影中、天守台石垣跡を見て感激(後でパンフレット見てモニュメントと知る)ぐるっと観察し、南、西に約200m程の通り沿いに麦島コミュニティセンター案内板を確認、同センターよりパンフレット、小冊子を頂く、もう一つの案内板が有るシルバー人材センターへ、通りを東に約400m程、通りの善定寺(浄土真宗本願寺派)横道を南に並行してる通りの南通り約100m程でシルバー人材センター、石垣の入口に案内板、当地は二に丸跡地と有る、発掘の石垣が見学出来ると案内に有りセンターを訪ねると玄関ホールの展示がそうだとの事実物石垣は見れず、写真を撮り資料を頂く。
駐車場への帰り麦島神社に寄り石碑には小西軍に神社を壊され江戸期、明治後の再建の碑が記されてた、切支丹殉教の記録が公に成ってるがキリシタン大名が社寺仏閣を壊した歴史は余り表に出ない、これも歴史。
歴史的には秀吉の九州征伐後佐々成政に肥後を与えたが肥後の国一揆の鎮圧不手際により肥後は北は加藤清正、南を小西行長を配置、八代には古麓城を廃して球磨川の中州に麦島城を総石垣、天守閣小天守を構え、九州最古の石垣造りの織豊系城郭の城を築く、関ヶ原で西軍の小西行長は刑死、肥後一国は加藤清正の治める所と成り麦島城も加藤氏の城へ、一国一城令でも麦島城は熊本城と共に残るが元和5年(1619年)大地震により崩壊、城主加藤正方は麦島城を離れ現在の八代城を新しく築く、麦島城は土中に埋まれ400年平成の発掘調査で概要が分かるが、発掘調査後は埋め戻され現在土の中。
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