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ダイエティシャン

戸倉城跡 出雲国(島根県出雲市所原町)絶壁です。登山道は、未整備 (2019/04/02 訪問)

 絶壁です。登山道は未整備。登山道から、熊や猪避けの柵伝いに登山しようとしましたが、熊等、倒木等、身の危険を察知し、山頂まで行けず、引き返しました。

 案内板より、「ポツンと孤立した急峻なこの、の要害山は、標高300メートル山麓(現在地)から、約200メートルの山である。山頂と東下の尾根の平地が古城の名残である。省略 戦国の頃、かなり、有力な城であった。省略 最初は、尼子の部将 古志氏の出城であり、以下省略」

 専用駐車場(舗装無しの原っぱ)に停めた後、民家の私道らしい道を通ります。
 行くまでの道路で、桜を見ることが出来たのが幸いでした。

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カズサン

桜に誘われて出掛けて来ました (2020/04/02 訪問)

 ここ4、5日雨に降られ本日は風が強いもの久し振りの晴天、浜松城の桜は如何にと午前中出掛けて来ました、満開に近い桜、2,3部咲きの桜と有りますが十分に楽しめます、今度の土曜、日曜が見頃なのでしょうか?
 又二の丸跡の発掘調査現場トレンチは埋め戻され元小学校跡地は更地に成って居ました、発掘調査報告会はコロナウイルス騒動が鎮静したら有るのではないでしょうか?
 天守台西横の八幡台が手前の樹木伐採に因り見やすく成って居ります、日本庭園の枝垂れ桜は樹勢が弱って来たようで10年前に比べれば枝ぶりが少なくなり桜の付きが少ない様です、人出はそこそこ二の丸北の駐車場は8割方の入り状況。

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水島工業地帯を見下ろす (2020/03/29 訪問)

かつては海につき出した岬であったと。城の南西は海食による崖・急斜面で、下に水島工業地帯が拡がる。花崗岩の山体で、石垣の材料は現地調達できる。楔跡がある石もあった。
遊歩道が整備されている。本郭下からは直登。山の北側に登城口があり石碑があるが、道から少しはいったところで分かりにくく、さらに石碑が地盤沈下して目立たない。本郭東の平削地に神社があり、参道の階段を利用するのが分かりやすい。

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todo94

16年ぶり3度目 (2020/03/29 訪問)

水城から歩いてアプローチしました。特別史跡のチェックに邁進していた2004年以来、16年ぶり3度目の太宰府です。その間、何度か行こうとしたことはあるのですが、太宰府天満宮に続く大渋滞に阻まれてきました。今回は徒歩なので渋滞は関係ないのですが、さすがに渋滞は全く見られませんでした。此処を城と認識してからは初めての攻城。観世音寺にも16年ぶりに脚を伸ばして、戒壇と素晴らしい仏像群を拝んで参りました。

個人的には水城、太宰府は大野城と併せて100名城として欲しかったです。

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カズサン

伊達氏300年の居城 (2016/04/12 訪問)

 平成28年4月中旬朝駆けで福島城を探訪し朝食後福島駅前ホテルから北東に約20km程の伊達市梁川城を初登城。

 車は二の丸梁川高校グランド横の駐車場利用、北側に専用駐車場有り。

 伊達氏300年の居城と言われてる梁川城は元梁川小学校に本丸が在り小学校は移転の為更地に為ってた、隅に保育園が建ってる、本丸内に庭園(心字池)と東面に石垣と続き土塁が残ってる、土塁の北に浅間神社、二の丸は梁川高校グラウンド、西と北に三の丸北の三の丸に枡形虎口、馬出、濠が有るとの情報で北側近くの団地まで行ったのですが発見確認できず残念です。 当時スマホも持って無く地図での確認できず、今は良い時代に成りました。

 梁川城は天文元年(1532年)伊達稙宗がここから西に10km程の桑折西山城に移し伊達宗清が入り支城へ、秀吉の奥州仕置き後蒲生氏郷、上杉氏と替わり幕府領、幕末蝦夷松前領となり明治を迎える。

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小城小次郎

平戸御館

建物は明治のものだが、よく考えたらここは平戸城が出来る前に平戸藩の藩庁だった場所だった。ちなみに離れの茶室で頂くお抹茶がおいしかった。

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児島半島が、島だった頃 (2020/03/29 訪問)

本郭近くまで車で行けるが、敢えて自力登城してみました。縄張りや歴史の説明板は、駐車場にあり、自力登城すると経路に説明板はありません。
説明板がアップされていなかったので投稿します。
空気が澄んでいて四国が近くに見えました。江戸初期まで児島半島は、島でした。戦国時代は、児島を四国勢が狙ってたと記述を見ますが、なんで瀬戸内海を渡って攻めてくるのかと腑に落ちなかっです。地図を見ると、高松→児島と児島→岡山の陸地の距離は、同じ位だったのですね。四国勢が攻めてくるのも分かりました。

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くっしー

これでは、信長の攻撃に耐えられんよね(~_~;) (2020/03/29 訪問)

斎藤道三の父親を取り立てたことで有名な長井長弘が築いたとされる城で、
1565年に信長に攻められると、その時の城主の長井道利は戦わずに逃げ出したそうです。

まあその後使われることもなく、400年以上経っているので竪堀も浅くなっているのでしょうが、
それにしても単純なつくりなので長期間籠城できるような城ではないですね。
現在、本丸跡は安桜山御嶽神社の境内になっており、その周りに帯曲輪が二重になっています。

安桜山の麓には関善光寺(宗休寺)がありますが、こちらは素晴らしい。
立派な本堂や大仏殿、半鐘などがあり、訪問した時には桜が綺麗に咲いていました。
カフェがあり、ランチもあるみたいです!

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モト

石垣、空堀の残る見事な城跡です!! (2019/09/05 訪問)

ちょっとした山を登ると現れるその城跡は曲輪、土塁、横堀などのしっかりとした縄張りが残っています。
また、わずかな範囲ではありまますが石垣も見事に残っています。
私は、今回で2回目の登城でありました。
皆様の投稿を見ますとやはり評価の高いお城ですね。私もお気に入りです。
また、色々と登城口があるようですが、2回とも私は十二曲り登城道より登りました。
15分くらい登りますと城跡に到着です。
北城、中城と周って本丸に向かいましたがその間も見事な曲輪、高い土塁や空堀が確認できてこれだけでも満足です。
本丸から吹貫門へ周っていく途中には2つのおすすめ所がありました。
まずは本丸石垣です。
残っている範囲は小さいですがはっきりとそれとわかる見事な石垣です。
さらに2つ目は足元にご注目です、石段の跡です。
かつてここに石段があったことが容易に想像することができる石段です。
石垣に加えて城跡の雰囲気を増すアイテムでございました。
そしていよいよ吹貫門跡に到着です。
ここでは再び、ほんとに見事なと言っていいか、かっこのよいと言うべきか迷う石垣です。
何度も眺めてしまいました。

この城跡は石垣、空堀、土塁から土橋に至るまであらゆる城跡の見所を備えた素晴らしい所だと思います。
栃木県では絶対、おすすめの城跡だと思います。

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チェブ

ほーいほい! (2020/03/21 訪問)

北畠 親房さんが築城した「阿波崎城」です。
海路で奥州に向かう南朝方一行は伊勢国から出発しました。
途中、暴風雨の悪天候の為、仲間は伊勢に戻りましたが、親房さんは常陸国に漂着し「神宮寺城」に入城しました。
北朝方が攻めて来て「神宮寺城」は落城。「阿波崎城」へ移るけど落城。「小田城」へ移ります。
「阿波崎城跡入口」の看板と説明板が道沿いにありました。
入口から少し行くと車を駐車できるスペースがあります。そこから、ぐわーんと右旋回に緩やかに登ります。「阿波崎城」のどの辺りかは分かりませんが、土塁や曲輪が確認できます。
石碑は天満宮の横です。下からでも見えました。
「阿波崎城跡入口」近くの説明板に「ほいほい地蔵」とありました。
調べてみたら南朝方に見方した地元の方々が処刑されてしまいました。
1人残された根本 六左衛門さんが北朝方に「ほいほい」と呼び止め処刑を望んだそうです。
うーん。北畠 親房さん一回、伊勢に戻って仕切り直した方が良かったのでは、、?
仲間意識が強い方達が戦った「阿波崎城」でした。

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カルビン

整備進み見る影も無く・・・ (2014/06/01 訪問)

北条氏が対今川・武田を監視する為に造られたとされる北条氏初の海城・伊豆長浜城。

攻防の拠点という用途では無いとされる事から遺構は無く、ただ眺めが良い場所と思って行ってみたら・・・すいませんorz
それなりにしっかりと遺構がありました(空堀・竪堀・土塁・堀切・郭等)

最初に訪問したのがお城ブームに火が付き始めの頃だった為、初見は必要最小限の整備だったのでワイルドなお城のイメージがありました。

その後数回長浜城訪れる度に整備が進み、なにやらいろいろオブジェが出来てたり・・・
ここ2年行っておりませんが、皆様の投稿を見る限り更に整備が進んでいる様で、当時の面影があまり無いです。

ま、がっかりする程の改悪にはなっていないと思うので、また何かのついでに立ち寄りたいです。


当時は降りられた船着き場と思われる岩礁、今は入れるんでしょうか・・・(入れるならオススメの場所です)

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令和元年五月一日 (2019/05/01 訪問)

令和の改元記念。
昔から浜松城が気になっていてやっと行けました。

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トリウィス

鳥越城 (2020/03/30 訪問)

石川県の白山市にある鳥越城は、山の上にありました。
車で細い道を上ることで、手前まで行くことができます。
城跡本丸門や桝形門などがあります。
続100名城スタンプは、一向一揆歴史館と鳥越市サポートセンターにも設置されているようです。

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トリウィス

高岡城 (2020/03/29 訪問)

高岡城は高岡古城公園となっており、日本100名城の一つです。公園はとても広く敷地内には射水神社もあります。桜もとても綺麗に咲いていました。
高岡市立博物館の受付カウンター横に設置されていました。
御城印は、三の丸売店で販売しています。

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じゅんじん

青木ヶ原 (2020/02/23 訪問)

樹海にあります。旧上九一色村中学校前に駐車し登城。溶岩のお城でした。富士山も拝めて満足です。

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カズサン

朝駆け残存土塁主に探訪 (2016/04/12 訪問)

 平成28年4月中旬奥州市、岩谷堂城、水沢城を終えて東北道を経由して福島駅前のホテルに宿泊、翌日朝食前5時半から徒歩で福島県庁に残ってる福島城遺構を初登城。

 早朝県庁の南裏側の西方向に土塁が残ってる、奥の土塁なので災害機材等積まれて居て写真写りが良くありませんが雰囲気だけは感じ取れます、阿武隈川方向に紅葉山公園と廻り、県庁前の案内解説板、石碑、本丸跡石碑と見学探訪して帰り福島駅方向西方向か?吾妻山吾妻小富士に朝日が当たり残雪被った山容は素晴らしい景観でした。

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カズサン

三の丸に遺構が残ってます (2016/04/11 訪問)

 平成28年4月中旬岩谷堂城を春の降雪に追われて早々に引き上げ北上川を南西に渡り奥州市役所に遺構が残ってる水沢城に初登城。

 車は市役所の駐車場を利用。
 遺構は奥州市市役所東通り沿いに案内板、大杉(姥杉)、冠木門共にに在るが残存は少ない、案内板によると本丸、二の丸、三の丸、南曲輪と群郭式で水濠で各囲まれていた様子、三の丸は市役所、本丸、二の丸は市街化に成ってる様子。
 市役所の通りを挟んで北東に元東京市長後藤新平記念館が在る。

 水沢城は小田原合戦に参陣しなかった事で秀吉の奥州仕置きで葛西氏の所領から伊達氏の支配と成り伊達氏家臣留守氏が明治まで治める。
 この後は雪も心配なので今夜の宿泊先福島市のホテルへ直行。

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ぴーかる

田峯城 (2020/03/20 訪問)

【田峯城】
<駐車場他>城跡前にあり。
<交通手段>車

<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅3城目。新型コロナウイルスの影響で閉館中でした。事前に調べておけばよかった。本丸?のゲート前まで行って、うらめしく柵越しに撮影しました。よって御城印も購入できず・・・再訪を誓う。
 ゲート前までの曲輪群は茶畑・墓地などになっているところがありました。

<満足度>◆◇◇(暫定)

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あかし

空堀がよき! (2020/03/31 訪問)

小田原北条氏の支城。現在は小机城址市民の森として、城の遺構が整備されています。
空堀が魅力的でしたが、本丸跡が野球場となっていました、、、
近くにコインパーキングはありますが、かなり住宅街にあるため、不安な方は駅近くのコインパーキングを利用することをおすすめします。駅からは歩いて10分から15分ほどなら距離です。

帰りは駅から徒歩5分ほどの”とり山”というラーメンでとんこつラーメンを食べて帰りました。個人的にはかなり満足の旅となりました。

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+かず

岩盤の虎口。

チェーンに掴まりながらロッククライミングのように登ると…。

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