【近畿編】必見のお城をピックアップ!日本100名城・続日本100名城の見どころガイド

公益財団法人日本城郭協会では、日本を代表する文化遺産であり地域の歴史的シンボルでもある城郭・城跡をより広く知ってもらうことを目的として、各都道府県から1~数城ずつ「日本100名城」「続日本100名城」を選定しています。いわば100名城は「見ごたえあり」というお墨付きのようなもので、これからお城めぐりを始めたい方にぜひオススメ! とはいえ「200城もあると選べない」「地元の近くにどんな100名城があるか知りたい」という方も多いはず。そこで城びとが、注目の日本100名城・続日本100名城をエリア別にご紹介! 今回は【近畿編】です。



「日本100名城」「続日本100名城」についてもっと知りたい方はこちらの記事もチェック!


【滋賀県】近世城郭の先駆となった城郭はどんな姿だった?「安土城」(日本100名城)

天下統一に向けて快進撃を繰り広げていた織田信長にとって最後の居城となった安土城。五重の天守を建てた総石垣の城郭はまさに近世城郭の先駆でしたが、本能寺の変が起きた天正10年(1582)に焼失。築城からわずか6年のことでした。

建物の跡こそ残っていませんが、黒金門跡の高石垣などほぼ原型を保ってきた石垣が崩れることなく残り、当時の築城技術の高さに驚かされます。また、天主台跡から琵琶湖を望めば、信長が燃やした天下統一への野望に思いを馳せることができるかも!?

安土城、屋敷跡
大手道の両側には羽柴秀吉や徳川家康が構えたといわれる屋敷跡が残る


【滋賀県】北近江の大名・浅井氏三代の居城「小谷城」(日本100名城)

織田信長の妹・お市と結婚し、盟友の朝倉義景と共に信長と対決する道を選んだ浅井長政の居城・小谷城。浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が激突した「姉川の戦い」の舞台としても有名です。

小谷城は戦国時代を代表する山城として知られ、山上には石垣や大堀切など数々の遺構が残ります。長政が自刃したとされる赤尾屋敷跡や、破城の痕跡が明瞭な山王丸などを巡りながら、長政たちの激動の日々に思いを馳せてはいかがでしょうか。

虎御前山城、浅井氏及家臣供養塔
桜の馬場に立つ浅井氏及家臣供養塔

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【大阪府】天守から望む大阪湾と八陣の庭は必見!「岸和田城」(続日本100名城)

「だんじりの町」として知られる大阪府岸和田市に立つ岸和田城は、大阪湾と紀州街道に面する要地にそびえ、徳川幕府から伏見櫓を下賜されるほどに重要視されていました。

存在感のある水堀を挟んで本丸と二の丸に分かれていて、不規則な形をした本丸の石垣や天守は、見る角度によって姿が異なるのが特徴的です。昭和29年(1954)に建造された三重三階の天守に登ると、そこには大阪湾を望む気持ちの良い絶景が! 天守前に広がる国指定名勝の岸和田城庭園(八陣の庭)も、上から眺めるとその造りの美しさがよく分かります。

岸和田城、石垣
不規則な形をした本丸の石垣には、複数の石材が用いられた

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【兵庫県】2基の三重櫓がシンボル!「明石城」(日本100名城)

天下泰平の元和5年(1619)、外様大名が多い西国の抑えとして築かれた明石城。そのシンボルといえば、現存する2基の三重櫓「坤櫓(ひつじさるやぐら)」と「巽櫓(たつみやぐら)」! このうち坤櫓は京都の伏見城から移築されたと伝わり、天守代用としても使われたそうです。

ほかにも、五重天守が建築可能なほど巨大な天守台や、約350mに渡って続く高石垣など、見る者に威圧感を与えるスケールの遺構が見どころ。まさに「西国の抑えの城」にふさわしい圧巻の名城です!

櫓、明石城
2基の櫓は明石城のシンボル! 木々が伐採され見やすくなった(写真提供:一般社団法人 明石観光協会)

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【兵庫県】豊臣氏との戦いを見すえて徳川家康が築いた重要な城「篠山城」(日本100名城)

豊臣家の居城・大坂城(大阪府)と豊臣家ゆかりの西国大名を分断する目的で、徳川家康が天下普請によって築いた篠山城。築城の名手・藤堂高虎が手掛けた城郭は、あまりにも強固すぎるという理由で天守が築かれなかったのだとか!

そんな篠山城の中で唯一見られる建物が、天守の代わりとなる中核として儀式・執務などに使われた大書院。平成12年(2000)に復元再建されたものですが、二条城(京都府)の二の丸御殿に建つ遠侍(とおざむらい)と外観や部屋割りが似ていて、当時としては破格の規模と建築様式を備えたものといえます。

篠山城、大書院
平成12年に再建された篠山城大書院。日本100名城のスタンプは大書院の中で押せる

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【兵庫県】織田信長に敵対し明智光秀を敗戦に追いやった、赤井直正の堅城「黒井城」(続日本100名城)

当時破竹の勢いにあった織田信長と敵対する道を選んだ「丹波の赤鬼」こと赤井直正の居城だった黒井城。その強固な守りは攻略を任された明智光秀を苦しめ、一度は敗戦に追いやったほど!

「本城」と呼ばれる山頂を目指すルートは「急坂コース」と「ゆるやかコース」の2つありますが、おすすめは三段曲輪や太鼓曲輪などを通過し、山上の要塞というべき堅固さを体感できる急坂コース。途中で見られる、荒々しく積み上げられた石垣も圧巻です!

黒井城、石碑
本丸跡に立つ石碑。昭和初期までは建物の礎石があったという

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【奈良県】豊臣秀吉の家臣たちが改修を重ねた織豊系城郭「宇陀松山城」(続日本100名城)

『万葉集』のゆかりの地でもある宇陀の古い町並みから歩みを進めると、やがて荒々しい石垣が姿を現し、いつの間にか戦国時代へとタイムスリップ! 戦国時代末期に秀吉の家臣たちが改修を重ねた宇陀松山城には、往時を偲ばせる石垣群が現在も残り、総石垣造りの巨大な山城だったことに気づかされます。

また、もう一つの登城口にあたる春日神社に現存する、強固に石垣が積み上げられた櫓台跡も圧巻! さらにこの近くには「抜け穴伝説」が伝えられる石垣の隙間も見ることができ、歴史ロマンをかきたてられます。

宇陀松山城、櫓台
強固に石垣が積み上げられた春日門に残る櫓台の跡

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執筆・写真(安土城)/城びと編集部
写真/藪内成基(小谷城、岸和田城、篠山城、黒井城、宇陀松山城)

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