【続日本100名城・岸和田城編】伏見櫓を備え大阪湾と紀州街道ににらみをきかせた城

「だんじりの町」として知られる大阪府岸和田市。大阪湾と紀州街道に面する要地に岸和田城がそびえ、徳川幕府から伏見櫓を下賜されるほどに重要視されました。旧紀州街道や大阪湾の規模を示す防潮石垣、だんじりゆかりの三の丸神社、明智光秀ゆかりの本徳寺など、岸和田城を中心とした歴史散策におすすめです。



水堀で囲む変則的な縄張り

岸和田城は水堀を挟んで本丸と二の丸に分かれています。本丸を囲む水堀を歩いていると、見る角度によって石垣や天守の見え方が異なり、不規則な形をしていることに気付きます。存在感のある水堀のなかでも、百間堀は城内最大級の幅があり、城下町と岸和田城を隔てていました。現在は一部埋め立てられたものの160mほどが残っています。

岸和田城、石垣
不規則な形をした本丸の石垣には、複数の石材が用いられた

往時をしのばせる石垣は、打ち込みハギを中心として、一部に切り込みハギが見られます。石材も複数用いられており、本丸石垣には和泉砂岩と花崗岩、さらに花崗岩も地元の神於山周辺の花崗岩系の石材と、瀬戸内海系の花崗岩に分かれます。

天守から望む大阪湾と八陣の庭

岸和田城、天守、八陣の庭
天守から大阪湾を望むと六甲の山並みもかすかに見える。手前は八陣の庭

天守に登ると、大阪湾を望む気持ちの良い景色が広がっています。大阪湾に近いこの場所が城地として選ばれ、羽柴秀吉の家臣・中村一氏や、秀吉の叔父・小出秀政らが改修。寛永17年(1640)に入封した譜代大名・岡部宣勝が完成させました。以後、明治維新まで岡部氏13代が治めましたが、文政10年(1827)の落雷により五重の天守は焼失。明治時代には櫓・門などの城郭施設を壊しため、近世以前の構造物は堀と石垣のみ残っています。

岸和田城、天守
昭和29年(1954)に建造された三重三階の天守

天守前には国指定名勝の岸和田城庭園(八陣の庭)が広がります。昭和28年(1953)、作庭家・重森三玲(しげもりみれい)氏が手がけました。室町時代以前の城郭平面図をもとに地取りし、「三国志」の軍師・諸葛孔明が用いた八陣法をテーマに、大将を中心として天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を配したものです。


岸和田城の重要性を物語る伏見櫓跡と旧紀州街道

岸和田城、二の丸
現在の二の丸は広場として整備され、レストランやショップを併設する観光交流センターも立つ

徳川幕府が京都の伏見城から移築した伏見櫓が、かつて二の丸にありました。伏見櫓は福山城(広島県福山市)や江戸城(東京都千代田区)に残り、大坂城(大阪府大阪市)や膳所(ぜぜ)城(滋賀県大津市)、尼崎城(兵庫県尼崎市)にもあったと知られており、江戸幕府にとって重要な地に配されました。

岸和田城が重要視された理由として、大坂の陣以前の岸和田城は、豊臣氏の大坂城に対する徳川氏の最前線基地だったことが考えられます。大坂の陣後も大坂と紀州、四国をつなぐ交通の要衝となりました。

岸和田城、紀州街道本町一里塚跡
旧紀州街道には「紀州街道本町一里塚跡」の石碑や、町家が立ち並ぶ

さらに紀州徳川家の参勤交代のために紀州街道が整備され、岸和田城付近にのびる旧紀州街道沿いでは、虫子(むしこ)窓を備えた中二階や出格子など、当時の風情を残した町家建築が見学できます。

「岸の和田氏」が築いたと伝わる

伝承によると、岸和田城は建武新政期に楠木正成の一族、和田高家が築いたとされます。当時、「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれます。

岸和田城の約600m東には岸和田古城がありました。現在は住宅地となっており案内板と石碑が残るのみですが、平成18~19年(2006~07)にかけての発掘調査により、濠や土塁、カマドの跡が見つかっています。周辺には現在も「古城川」など歴史をしのばせる名前が残っています。

防潮石垣跡に大阪湾の海岸線をたどる

岸和田城、防潮石垣跡
住宅地に残る長さ9m、高さ22mほどの防潮石垣跡

岸和田城から北西約600mの住宅地のなかに、かつての海岸線を考えるうえでヒントとなる石垣が残っています。元和5年(1619)以降、幕府の命により整備された石垣の一部とされ、古図によれば約800mにわたって築かれていました。大阪湾の海岸付近の防備や防潮堤としての役割を果たしていたと考えられ、江戸時代末期まで城の外郭として保全されていましたが、明治維新後に大部分が破壊されました。

だんじりや明智光秀、「カーネーション」ゆかりの地もめぐる

岸和田城、三の丸神社
南北朝時代に創建されたと伝えられる三の丸神社

旧紀州街道や防潮石垣跡以外にも、岸和田城周辺には歴史スポットがたくさんあります。約300年の歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」の起源は、岸和田藩主・岡部長泰が京都伏見稲荷を城内の三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願したことに遡るとされます。「さのまるさん」と親しまれている三の丸神社や、岸和田だんじり会館を訪ね、だんじりの歴史にふれてみるのがおすすめです。

岸和田城周辺を散策していると、歴史を感じさせる家屋や、電柱番号札の「シロ」の文字にも思わず気分が高揚するはずです。

岸和田城、電柱番号札、シロ
岸和田城周辺では電柱番号札にも「シロ」の文字

岸和田天守から約800m北東にある本徳寺は、常設展示はないものの明智光秀の肖像画を所蔵しています。光秀の子である南国梵桂が建立したと伝わる臨済宗寺院です

岸和田城の最寄り駅のひとつ、南海本線・岸和田駅の駅前通商店街には、連続テレビ小説「カーネーション」のヒロインのモデルとなった小篠綾子さんとコシノ三姉妹の生家があり、2019年にアヤコ食堂としてリニューアルされました。

岸和田城だけでなく、周辺にも歴史スポットが点在する岸和田の町。様々な時代の歴史を感じながら、じっくり散策してみてはいかがでしょうか。

住所:大阪府岸和田市岸城町9-1
電話:072-431-3251
アクセス:南海本線「岸和田」駅から徒歩15分、または南海本線「蛸地蔵」駅から徒歩5分

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。『地図で旅する! 日本の名城』(JTBパブリッシング)や『親子でめぐる!御城印さんぽ』(青春出版社)などを執筆。城めぐりツアー(クラブツーリズム)の監修・ガイドを務める。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています