【続日本100名城・宇陀松山城】『万葉集』の舞台を望む総石垣の織豊系城郭

古くは阿騎野(あきの)と呼ばれ、『万葉集』ゆかりの地でもある宇陀(うだ)の地。戦国時代末期にこの地に築かれた宇陀松山城は、豊臣秀吉の家臣たちが改修を重ねた織豊(しょくほう)系城郭。往時を偲ばせる総石垣造りの跡が現在も残っています。また、麓には重要伝統的建造物群保存地区に選定された古い町並みが残り、散策を楽しめる景観が広がっています。



『万葉集』からタイムスリップ!続々現れる織豊期の石垣

天守郭
本丸と一段高い天守郭(てんしゅぐるわ)が東西に並ぶ

『万葉集』に詠まれた葛(くず)の名産地として知られる宇陀松山(現在の奈良県宇陀市大宇陀町松山地区)。重要伝統的建造物群保存地区に選定された古い町並みが今も残っています。その中でも、葛を始めとした約250種類もの薬草が見学できる、日本最古の薬草園「森野旧薬園(もりのきゅうやくえん)」に思わず足が止まります。

森野旧薬草園
古い町並みの中でもひと際目立つ森野旧薬園

そして森野旧薬園沿いの整備された道を進むにつれて、『万葉集』の世界から一気に戦国時代の世界に突入します。登るにつれて姿を現す荒々しい石垣は、織田信長ゆかりの織豊期の石垣群。本丸・天守郭などの中心部は総石垣造りにした巨大な山城ということに気づきます。大坂夏の陣の後に取り壊しになった宇陀松山城ですが、破却を逃れた石垣が今も多く残っています。

天守郭
かつては周囲を取り囲むように石垣が築かれていた天守郭

頂上部からは、南側に奈良県南部を延びる修験道の聖地として知られる大峰山系(おおみねさんけい)、北側には京都を望むことができます。大和(奈良県)を抑えるための要衝の地でした。

大峰山系、眺望
大峰山系を望む絶好の眺望が味わえる

抜け穴伝説が残る!春日門登城口の石垣群も圧巻

春日門、櫓台の跡
強固に石垣が積み上げられた春日門に残る櫓台の跡

登城口はもう一つあり、宇陀松山城の北西麓に当たる春日神社です。かつての大手道である春日門(かすがもん)には往時を偲ばせる櫓台が残っています。『阿紀山城図』(文禄三年写)によると、大手道は春日門を通り、春日神社を経て宇陀松山城に向かう構造になっています。つまり春日神社は、城郭の一部として機能していたのです。

春日神社参道
春日門へと続く春日神社参道

春日神社の手水舎(ちょうずや)背後の石垣に大きな隙間があります。これは、秘密の抜け穴ではなかったのかという伝承が残されています。残念ながら途中で埋まってしまっているため真相は分かりません。

抜け穴伝説
春日神社の手水舎背後の石垣。「抜け穴伝説」が残る

また、2018年9月の台風21号の影響で、春日神社から宇陀松山城への登城道は通行止めになっています(2019年4月現在)。「森野旧薬園」近く、まちづくりセンター「千軒舎」側の登城口を利用してください。まちづくりセンター「千軒舎」は、続日本100名城スタンプ設置場所でもあります。

豊臣秀吉の家臣たちの後、織田信長の次男が治める

枡形構造
直進を防ぐ枡形(ますがた)の構造は町並みの中に残る

宇陀松山城は、南北朝時代から戦国時代、宇陀郡を治めていた秋山(あきやま)氏の居城であった秋山城が前身と考えられています。天正13年(1585)に豊臣秀吉の弟である豊臣秀長(とよとみひでなが)が大和を支配すると、豊臣家配下の大名が秋山城主に入れ替わり改修をしました。その結果として、宇陀松山城に織豊期の城郭の特徴が残されているのです。1995年から行われた発掘調査の結果、大規模な石垣や本丸御殿跡などが見つかり、壮大な城郭の跡が明らかになりました。

関ヶ原の戦いの後に城主となった福島氏治(ふくしまうじはる)によって、秋山城から松山城に名が改められました。元和元年(1615)の大坂夏の陣を経て福島氏は改易となり、宇陀松山城は破却されました。

松山西口関門
宇陀松山城の西門に当たる、松山西口関門(まつやまにしぐちかんもん)

宇陀松山城の廃城後、織田信長の次男である織田信雄(おだのぶかつ)が初代宇陀藩主となり、以降は織田家が4代にわたって治め、城下町松山を繁栄させました。200軒以上の町家が残る町並みは、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、古い町並みを現代に伝えています。

大坂夏の陣で散った勇将・後藤又兵衛が隠れ住んだ?

又兵衛桜
4月中旬頃に見頃を迎える又兵衛桜

歴史好きならぜひ訪ねてみたいのが、日本を代表する一本桜のひとつ「又兵衛桜(またべえざくら)」。宇陀松山の町並みから約1.5km、見頃の時期には多くの人で賑わいます。名前の由来は、大坂夏の陣で大坂方の主力として奮戦した武将・後藤又兵衛。大坂夏の陣後に、宇陀の地に移ったとされる伝説から名づけられています。また、後藤又兵衛とともに戦ったのが真田信繁(幸村)です。桜が咲いていない時期であっても、勇将であった後藤又兵衛を想わせる、堂々とたたずむ大木の姿が迎えてくれます。

バスターミナルを起点に徒歩で散策しやすい宇陀松山

道の駅・宇陀路大宇陀
宇陀松山城散策の拠点となる「道の駅・宇陀路大宇陀」

宇陀松山城への拠点は、奈良交通バス「大宇陀」停留所。「道の駅・宇陀路大宇陀」になっており、情報収集や食事、買い物にもおすすめです。宇陀松山城登城にも、城下町散策にも、そして『万葉集』ゆかりの「人麻呂公園」、後藤又兵衛ゆかりの「又兵衛桜」へも1.5kⅿ圏内。めいっぱい歴史ロマン感じる城旅を楽しんでください。

人麻呂公園
宇陀松山の町並みと又兵衛桜の間に広がる「人麻呂公園」。『万葉集』の代表的歌人・柿本人麻呂の像が立つ


住所:奈良県宇陀市大宇陀区拾生1846番地
電話:0745-87-2274(宇陀市松山地区まちづくりセンター「千軒舎」)
入城時間:自由
料金:無料
アクセス:近鉄大阪線「榛原駅」から奈良交通バス「大宇陀」行きで約15分、「大宇陀」下車徒歩約20分で登城口
※2018年9月の台風被害により、宇陀市松山地区まちづくりセンター「千軒舎」脇の登城道を利用する。

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。異業種とコラボした城を楽しむ体験プログラムを実施。旅行雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)などを編集。
※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています