本日1登城め。天気が良くて気持ちの良い日だった。
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2020/03/14 19:33
2020/03/14 19:29
石川県のお城 (2020/03/01 訪問)
本日2登城目。天気が良く山城登り日和だった。
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2020/03/14 16:27
ナビが案内したのは… 。 (2020/01/31 訪問)
勝連城は、中城湾に沿った勝連半島中央の標高 100mの丘陵上に位置した山地形を利用して造られた天険の要害です。独立した丘陵地に築かれて、周辺のどこからでも確認できます。
しかしながら、レンタカーの車載ナビ、何を思ったか城跡の裏手の道路脇にある車輌数台ほどの空き地を案内しました。道路を挟み反対側には、石段の登り口が有ります。他所様の敷地の裏口、勝手口を入る感じです。その先は、上りの藪林になっており、昔子供の頃、裏山の秘密基地に行く感覚になります。その林を抜けると突然視野が開けて、曲線の美しい琉球石灰岩の白亜の城壁が姿を表します。いきなり、城内中腹にある四の曲輪に入り込んだようです。ちょっと、いやかなり驚きました。ある意味、ナビ正解だったのかな?
そこから先は、通常ルートで頂上の一の曲輪を目指します。途中、縁結びの井戸や神が祀られている神聖な場所「御嶽(うたき)」、洞穴など珍しい所も有り、小高い一の曲輪は、絶景のビューポイントで風も心地好く、楽しめます。
麓の正面玄関口には、正規の駐車場に続百名城スタンプも設置されている休憩所もありますので、そちらの方がおすすめで、間違いありません。
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2020/03/14 16:00
河原城 (2020/02/23 訪問)
【丸山城】
<駐車場他>無料Pあり
<交通手段>車
<感想>この城跡は元は丸山城といって、戦国期には山名氏の1城としていた。秀吉の鳥取城攻めの時に出陣・凱陣の陣城としても利用された。
ふるさと創生事業の時に総工費数億円をかけて模擬天守を築城してここの地名河原をとって河原城と命名したそうだ。その際にかなりの遺構が潰されているそうです。
曇りのち晴の予報に反してそこそこの雨での来城。模擬天守をふくむ模擬本丸は相当旧主郭部分一体を削っているようで、説明板にある主郭とそれを円状に取り巻く帯び曲輪は無くなってしまっている。残っているのは駐車場を挟んで西側に植え込みのある削平地が曲輪跡かなあと思われた。山ののり面も遺構はよくわからず・・・。模擬天守内(250円)は地元の歴史にまつわる資料や秀吉の感状(複写)等が展示されている。
<満足度>◆◇◇
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2020/03/14 15:56
2020/03/14 11:53
清水山城
大陸進出を企図する秀吉の御座所として築かれたのが天正19年!小田原の役の翌年で、文禄の役の前年というスピード感に改めてびっくり。現地でシカさんの群れに遭ったのもびっくり。
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2020/03/14 11:42
七間堀と斎藤屋敷のお福さま。 (2020/03/01 訪問)
中学生の頃に訪れて以来、実に約20年ぶりの黒井城です!
…しかし到着が午後3時半。黒井城は猪ノ口山全体のみならず周辺の山々をも取り込んで要塞化したような大規模な山城ですので、さすがに登山は時間が…ということで、今回は麓の下館のみで勘弁して下さいm(_ _)m
『丹波の赤鬼』こと赤井直正が天正六年(1578)に戦傷による破傷風(?)で亡くなると丹波の勢力は急速に衰えを見せ、その翌年の八月、堅固を誇った黒井城がついに落城しました。
その後、戦後処理のため黒井城に入ったのは明智光秀の側近である斎藤利三でした。現在興禅寺があるこの地…元々黒井城主が日常生活を送っていた館の跡に新たに自らの館『斎藤屋敷』を構え、西丹波の治安維持とともに善政をしいたといわれています。そして天正九年(1582)に廃城となり丹波亀山に移るまでの約三年間を、主君が本拠地としていた亀山城を往来しながらここで過ごしたそうです。
また、この館で生を受けた利三の息女は三歳になるまでをここで過ごし、その利発さと愛らしさから『斎藤屋敷のお福さま』と呼ばれ、今でも産湯に使用した井戸と、よく座って遊んでいたという腰掛け石が残っています。
そのお福さまこそ、波瀾万丈の生い立ちの末に徳川家光の乳母となり幕府の権力者となる春日局なのです。
黒井城に登れぬ無念をぐっとこらえ、その分まで興禅寺を隅々まで見ていくことにしましょう。
やはり目を引くのは『七間堀』と呼ばれる約80mにも及ぶ水堀と約5mの高石垣です。水堀はほぼ往時の姿をとどめているようで、石垣はよく見るとあちこちに後世の補修が入っているように見受けられますが、よく本来の姿をとどめているそうです。
これだけでも見どころ十分ですが、楼門から少し下ったところにある惣門は黒井城の門材を用いて築いた、往時の黒井城を偲ぶ唯一の建造物です。こちらもお見逃し無きよう。
境内も見どころが多いです。本堂前にあるお福の腰掛け石や、本堂裏手近くにあり今も涸れることなく湧き続けるお福産湯の井戸(つまり黒井城主の生活を支えた井戸)、本堂横にある江戸時代初期に近衛信尹が自ら設計指導して造らせた池泉観賞式庭園なども見逃せません。
また、本堂の軒瓦にはさりげなく赤井氏の家紋(…といえば『丸に雁金』が有名ですが)『下がり藤』が掲げられています。興禅寺は赤井直正が創建したともいわれており、ここに赤井氏と興禅寺との縁を感じることができます。ちなみに『下がり藤』はこれまた興禅寺にゆかりの深い近衛家の家紋でもあります。
次回、十分な時間が取れたら本城に攻め込みたいところです。近いうちに必ずや…!
あ、余談ですが、JR黒井駅前には小さなお福さまの銅像がございますので、ご興味のある方は如何でしょうか??
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2020/03/14 11:26
丸岡城 (2020/03/14 訪問)
凛とした天守と、野面積み石垣が良いですね!
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2020/03/14 10:42
天空の城!
雲海に浮かぶ備中松山城を見てきました!
石垣もすごかった!
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2020/03/14 01:01
いくつもアーチがありました (2020/01/31 訪問)
麓の駐車場に車をとめ、管理事務所で入場料を支払うとカート車両で山上の城、正門まで送迎して頂けます!
中城城は14世紀後半、沖縄本島中部の標高約160m石灰岩丘陵上に築かれた連郭式の山城で六つの郭で構成されています。琉球石灰岩の切石で積まれた石垣は、バリエーションに富み、保存状態も良く、見応えがあります。
途中ここで、突然の通り雨に出くわすのですが、城跡で逃げ場がない残念と思うでしょ? でも上手い具合に雨風凌げる、石垣のアーチ門があるんですよ。いくつも、いい場所に、しかも美しい形で、石造きょうもんと言うらしいです。六つの郭を巡りながら下山します。高石垣もあり、雰囲気も素晴らしいお城です。
車で城跡を離れた際に、素敵なご褒美がありました。もう一つアーチを見つけました。空に架かる大きな七色の虹。いつ以来かなぁ。思い出せないくらい、久しぶりでした。
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2020/03/14 00:14
2020/03/13 23:27
青木ヶ原樹海 (2020/03/13 訪問)
城址は烏帽子岳に連なる尾根の築かれていて、この尾根を取り巻くように通っている中道往還を監視する目的で築城された城です。尾根を堀切で切っただけのわかりやすい縄張りです。堀切が見所で、登って行くと連続堀切が迎えてくれます。狼煙台の後方の堀切は圧巻で岩盤を削ったものですが、迫力があります。溶岩で作られた石積みが所々に見られます。
中道往還には北側には信玄築石、南側にも石塁が見られ楽しませてくれます。
新幹線「新富士駅」より富士急バスで河口湖方面富士山駅行きに乗り、約1時間半。上九一色中学校前で下車して、近くにある旧中道往還の標識から樹海に入って行きます。途中に溶岩を積んだ石塁を見ながら登城口へ向かいました。登城口から道が整備されていて主郭まで20分くらいでしょうか。道が崖っぷちに作られているので高所恐怖症の自分には少し怖い所もありましたが、比較的歩きやすい道でした。晴れていて富士山がきれいに見えました。
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2020/03/13 22:13
謎多き城 (2020/03/13 訪問)
横川と百古川が合流して二俣川となった地点に只来地区がある。武田信玄が遠州侵攻時、犬居城の天野氏の案内で、馬場信春軍が攻略。その後も武田の属城として武田滅亡まで存在したと知られている。北遠の雄である天野氏支配地域と二俣城の中間地域にあり、度々戦火があったであろう城だ。城跡として伝えられている百古川西岸は道幅が狭く、乗用車ではムリ。さらには城への入り口も不明で、またもや麓散策となった。築城不明、遺構もはっきりせず、資料も極めて少ない。しかも等高線や現状を見る限り険しい尾根ではないが、対岸の高台には東光寺があり、言われている位置にあったかなとは思うが、二俣城や犬居城の支城であったならば、、、地元で言われていると言うトンネルの上、しかも根拠は全く無いが、下只来地区にある国道362号線光路沢トンネルの上の尾根が、位置・形共に城だったのではないかと感じた。
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2020/03/13 21:01
井伊氏三岳城の支城 (2020/03/13 訪問)
南北朝時代、南朝方の宗良親王を守る井伊氏の士城だ。田沢集落の北にそびえ立つ標高657m、比高420mの城。カーナビでは本城と出る。入り口であろう林道に入ったが、とても乗用車では無理。引き返して麓の田沢地区から散策した。田沢城麓の集落には、「日比平のお堂」や「観音山の庚申様」など、歴史を感じる遺構が多くある。田沢地区には知人宅があり昔はよく遊びに来たが、集落の中は道が細くまるで迷路のようであり、今思えば南北朝時代の雰囲気を感じる事が出来る貴重な地域だ。三岳城と比較して、ずいぶんと高いところにあると麓から眺めていると感じるが、三岳城も標高467m、比高は430mと田沢城より高い。三岳神社まで車で行く事が可能で、本丸までの登山道も整備されているからであろう。
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2020/03/13 20:26
体調考慮し麓だけ (2015/05/23 訪問)
上杉景勝関連の史跡を訪問すべく日帰りで南魚沼を訪問致しました。
最初に上杉景勝誕生地とされる樺沢城を見学したものの、樺沢城で足の裏を痛めてしまいまして(苦笑)
次に上杉景勝と直江兼続が幼少期に学びの地とした雲洞庵を見学した次にこの日の本命・景勝の実父の長尾政景が城主だった坂戸城に立ち寄る事にしたのですが。。。
坂戸城って麓から山頂まで1時間と言われる登山が必要なんですよね。。。
当時山城馴れしていたので自信あったものの、流石にこの時の足の状態では微妙だった事と、帰りの長距離運転もあって安全を見て麓の石垣だけ見て戻る事にしました。
といってもこの石垣だけでもお城として十分見応えありますし、麓には長尾政景や上杉景勝の墓所、直江兼続の供養塔のある龍言寺跡も見れれます。
また川沿いにも坂戸城の内堀跡もあったので、取り急ぎの確認した事で坂戸城一応行った事にさせて頂きました。
2014年から2015年にかけて、歩きすぎて足裏の皮が剥けてしまって足痛めた回数多いですw
今なら足裏痛める前に足攣ると思いますが・・・皆様も足のメンテナンスをしっかり行ってお城見学しましょう(汗)
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2020/03/13 15:56
2020/03/13 06:27
木曽義仲軍の四天王の一人 (2020/03/07 訪問)
正法寺を中心として長野県史跡に指定されていますが、遺構はないようです。木曽義仲の軍の四天王の一人・根井行親の館跡で、根井行親の供養塔と伝わる石塔が正法寺に建っています。
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2020/03/12 21:04
高知屈指の山城 (2020/03/07 訪問)
詰ノ段と西詰ノ段の2つの主郭があるような縄張り。
間に横たわる巨大な堀切。
迷路のような竪堀と横堀の組み合わせ。
全て見るにはかなり時間が必要です。
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2020/03/12 20:51
龍馬さんと桂浜 (2020/03/07 訪問)
だけじゃない!
観光地化で遺構の大半がなくなってますが
主郭(御詰ノ段)に移築復元石垣があり、西側城郭には3条の堀切。さらに最近発見された畝状竪堀があります。
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2020/03/12 20:49
掛川城 (2019/02/22 訪問)
御城印を
入手!
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