2021/11/12
理文先生のお城がっこう 城歩き編 第42回 天守の重と階
加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。今回のテーマは、天守の高さの表し方について。例えば、松本城の天守の高さは「5重6階」と表されます。この「重」と「階」がどういう意味なのか、全国のさまざまなお城を例にして見ていきましょう。
天守の高さは、「重(じゅう)と階(かい)」または「層(そう)と階」でよく表されています。例えば、安土城(滋賀県近江八幡市)天守は5重7階とか、5層7階というように書き表されているのを目にすると思います。これは、天守のような大きな建物になると、構造(こうぞう)が複雑(ふくざつ)になり、見た目の階と内部の階が同じではないからです。コンクリートのビルやマンションは、見た目と内部の階が同じなので、「53階建て」とか「地上53階」とかで高さを表しています。それでは、重と階について詳(くわ)しく見ていきたいと思います。
重と階
現存(げんぞん)する12城の天守の高さは、どう表されているのでしょう。弘前(ひろさき)城(青森県弘前市)(3重3階)、松本城(長野県松本市)(5重6階)、丸岡城(福井県坂井市)(2重3階)、犬山城(愛知県犬山市)(3重4階地下2階)、彦根城(滋賀県彦根市)(3重3階地下1階)、姫路(ひめじ)城(兵庫県姫路市)(5重6階地下1階)、松江城(島根県松江市)(5重6階)、備中(びっちゅう)松山城(岡山県高梁市)(2重2階)、丸亀城(香川県丸亀市)(3重3階)、松山城(愛媛県松山市)(3重3階地下1階)、宇和島城(愛媛県宇和島市)(3重3階)、高知城(高知県高知市)(4重6階)と、このようにいずれの天守も「重」と「階」によって高さを表しています。
重数とは外観から見た時の屋根の数のことで、階数が、内部の床(ゆか)の数のことです。従(したが)って、松江城は5重6階ですから、外からは屋根が5つに見えて、内部は6階建てになっているということになります。現在(げんざい)は「重と階」を使用することが増えましたが、「重」の代わりに「層」を用いる場合が見られます。例えば「5層6階」と表記されている場合などです。「層」というのは、高い建物の階層の一つひとつとか、重なりを示(しめ)す語句(ごく)ですので、「階」の代用としても使用されることがあります。そのため、どこを指し示しているかがあやふやになりますので、使用しないほうがよいでしょう。
望楼型の松江城天守。外観は屋根が5つありますので、5重ということになります。内部は6階になっています
層塔型の宇和島城天守。外観は屋根が3つで3重、内部も3階です
重と階の不一致
天守は、大型(おおがた)の建物だけに、重数と階数が不一致(ふいっち)になる例がかなり多く見られます。望楼(ぼうろう)型天守の場合、入母屋(いりもや)建物の屋根の上に望楼部を載(の)せますので、どうしても屋根裏(うら)の中に部屋(階)を造(つく)らないと、上階へ登れません。そのため、外から見えない階が出来ることになります。丸岡城などが好例で、外からは2階建ての建物にしか見えませんが、屋根裏階がありますので、内部は3階建てということになります。
また、大型の建物の場合、1階と2階の2つの階の屋根を省略(しょうりゃく)することが見られます。これは、層塔(そうとう)型の建物に多く見られます。名古屋城(愛知県名古屋市)本丸の現存する東南隅櫓(すみやぐら)、西南隅櫓(共に重要文化財(ざい))は、1階と2階の間の屋根を省略しているため、見た目は2階建ての建物にしか見えません。しかし、一重目が内部2階となっているため、実際(じっさい)は3階建ての建物です。よく見ると、2階部分の出窓(でまど)が初重の半分の所で止まっています。実際は、この出窓の下が、屋根の軒下(のきした)になるわけです。小田原城(神奈川県小田原市)天守も、同様の構造で、初重が2階建てとなっています。中央にある出窓に注目してください。窓が上と下にあります。この窓の真ん中で1階と2階が区切られています。
名古屋城本丸西南隅櫓。外観は屋根が2つで2重ですが、1階は出窓の下部の石落しの所に床がありますので、内部は3階になります。赤線が2階の床になります
水戸城(茨城県水戸市)御三階(ごさんかい)櫓に至(いた)っては、初重部分の内部が、我(わ)が国唯一(ゆいいつ)の3階建ての建物です。海鼠壁(なまこかべ)の部分が1階で、その上に2階分の建物が載り、その上にやっと屋根が設(もう)けられています。外から見ると、海鼠壁の部分は石垣(いしがき)のようにも見えます。そのため、初重の階高が非常(ひじょう)に高く、スマートな印象(いんしょう)になっています。
水戸城御三階櫓古写真(個人蔵)。外観は、屋根が3つあるので3重ですが、初重内部は3階建てとなっています。窓が縦に3つあります。そこが一つひとつ階になります
不規則な階
層塔型の天守は、1階から同じ形の建物を規則的(きそくてき)に小さくしながら積み上げていくという、きわめて単純(たんじゅん)な構造でした。そのため、各階の床の位置と窓の高さは、極めてバランスが取れています。ところが、望楼型天守の場合は、入母屋建物の上に上階を載せていきますので、どうしても屋根裏階(やねうらかい)のような変則的(へんそくてき)な階が生まれてきます。
姫路城大天守梁行断面図(『国宝・重要文化財姫路城保存修理工事報告書』文化財保護委員会編より転載)
姫路城を見てみましょう。二重の入母屋造りの上に、上階を載せた構造です。そのため、3階の床は、2階の屋根の軒の高さにあわせて張(は)られています。窓は、外側からのバランスを配慮(はいりょ)し、外壁(がいへき)の中に納(おさ)まるように配置すると、床から窓までの高さが極端(きょくたん)に高くなってしまい、窓から鉄砲(てっぽう)や弓での攻撃(こうげき)が出来なくなってしまいます。そこで、窓の高さにあわせて昇降(しょうこう)可能(かのう)な「石打棚(いしうちだな)」と呼ばれる、窓に沿った高い踏(ふ)み台を配置し、武者(むしゃ)走りとしているのです。姫路城には、3階と4階にこうした不規則な階が生じています。
姫路城大天守4階「石打棚」。窓の位置が高いため、窓から監視や攻撃が出来ません。そこで、窓の高さにあわせた昇降可能な台を設けて対応したのです
今日ならったお城の用語(※は再掲)
※望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)
入母屋造(いりもやづくり)(四方に屋根がある建物です)の建物(1階または2階建て)の屋根の上に、上階(望楼部)(1階から3階建て)を載せた形式の天守です。下の階が不整形でも、望楼(ぼうろう)部(物見)を載せることができる古い形式の天守です。
※層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)
1階から最上階まで、上の階を下の階より規則的に小さくし、1階から順番に積み上げて造った天守のことです。関ヶ原合戦後に登場する新式の天守形式です。
※入母屋造(いりもやづく)り
屋根の形式の一つです。寄棟造(よせむねづくり)の上に切妻造(きりづまづくり)を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついて出来たものです。天守や櫓の最上階に見られる屋根のことです。
屋根裏階(やねうらかい)
入母屋造の屋根の裏側を利用して造られた階になります。屋根裏ですので、窓が無く真っ暗な階となる場合もあれば、小さな明(あか)り取りの窓を設ける場合もあります。また、破風(はふ)を付設し破風からの採光(さいこう)で明るさを補(おぎな)うことも見られます。
石打棚(いしうちだな)
城外の敵(てき)を攻撃するなどの場合に、上に乗って応戦をする台のことです。高い場所に窓が位置する場合に設けられました。
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加藤理文(かとうまさふみ)先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。