本丸が雑木林化しているので、注意が必要です。熊も出るらしいので、熊にも注意する必要があります。
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2019/11/04 16:22
2019/11/04 16:15
2019/11/04 16:14
山道を抜けたら、突然天守石垣が現れる。 (2019/10/26 訪問)
徳島市に宿泊し、朝一番で一宮城を攻略。スタンプがある場所から本丸を攻略しましょう。登山道が整備されていて登りやすいです。もう一か所登山道がありますが、そちらは結構ハードで鎖につかまって上り下りしなければならないところがあります。私はそのことを知らなず、下りをハードな方から下山し、道が細く険しいうえ、ひと気がなかったのでちょっと心細かったです。本丸の石垣で感じたことは、マヤ文明の超ミニ版のような印象を受けました。(マヤ文明はジャングルを抜けると突然、巨大な石でできた建造物が現れるらしい)見応えがあるので、本丸の石垣はぜひ見てほしい。ここだけは石垣を積み直したとのことでしっかりと形を残っています。
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2019/11/04 16:10
小さな城 (2016/10/09 訪問)
小さな城なので、探すのに一苦労しました。
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2019/11/04 16:05
2019/11/04 15:47
特徴的な石垣 (2019/10/25 訪問)
徳島城の石垣は「阿波の青石」という特徴のある珍しい石が使われている。青石というものの実際には緑色をしている。また舌石と呼ばれる折れ曲がり塀を支えた珍しい石もある。舌石の使われ方は、城内の博物館にあるジオラマ模型で確認するとよくわかる。でも、城内で舌石の在りかは分かりにくいところにあるので、意識して探してください。
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2019/11/04 14:57
2019/11/04 14:18
初熊本城!だけど・・・ (2018/05/06 訪問)
地震の後だったので、くずれていた。
ぜんぶは見れなかった。
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2019/11/04 14:15
壮大な石垣群を誇る最強の山城 (2019/10/27 訪問)
壺阪寺のバス停から入口まで歩いて40分、そこから山道をさらに20分くらい。壮大な石垣群が見えてくる。豊臣秀長の大和支配時に本多氏によって近世城郭として整備されたが、明治時代に取り壊されて今は石垣が残るのみである。しかしながらこの石垣群は圧巻の一言。近世の山城としては類を見ない規模で至る所に櫓跡と石垣による虎口があり、山頂の地形も相まって難攻不落と思われる。盛んに最強の城というフレーズが出てくるが、それも頷ける要塞っぷり。オーバースペックな気もするが、これは大阪防衛の最終ラインを考えてのことか、不穏な寺社勢力に目を光らせるめか。秀長の兄秀吉への想いも感じる。
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2019/11/04 13:56
掛川城隣接の掛川古城 (2017/01/26 訪問)
掛川城の北東400m程に樹木に覆われた小山が在ります、今川氏が遠江攻略の要として朝比奈氏に築城させた掛川古城です、本丸には龍華院家光の霊屋、北東に土塁が残り、その北東には大堀切、更に二の丸は公園、更に北東三の丸は削られ掛川市消防署ですが、本丸二の丸間の大堀切は圧巻です、掛川城にお越しで時間が有れば是非ともご探訪を!!
車は大手門パーキング(有料)、本丸の龍華院傍に数台可能。
朝比奈氏は最後今川氏当主今川氏真を守り家康との攻防籠城半年、氏真を嫁の里北条氏へ落ちのばす。
写真は一昨年の1月末です。
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2019/11/04 13:37
2019/11/04 13:19
武田流築城術・三日月堀と丸馬出 (2019/09/08 訪問)
金谷駅から旧東海道の石畳を登った所にある。武田四名臣の一人で不死身の鬼美濃と呼ばれた馬場信春が築城したという。城の東側は絶壁になっており、緩やかな西側を守るように三日月堀と丸馬出が配備されている。三日月堀は一つ一つが深く、丸馬出の曲線が美しい。武田流の築城は土塁と堀が特徴だが、土ゆえに現存するものが少なく、ここまではっきりとしたものは圧巻である(※夏場に行ったため草ぼーぼーで写真では少し分かりづらいけど)。発掘・整備が進められている最中のようなので今後の復元が楽しみ。
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2019/11/04 13:00
世にも珍しい玉石の石垣 (2019/09/08 訪問)
横須賀城は高天神城を包囲するための付城と築城された。当時は海に面した水城だったという。なんといってもその特徴は丸石を積み上げた石垣である。なんか日本じゃないような雰囲気さえあり不思議な感じにさせてくれる。この丸石は近くの天竜川の川石を使ったらしい。当時は石垣に使えるような大きさの石も貴重だったんだろう。運ぶの大変だし。
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2019/11/04 12:42
栄華を極めた朝倉氏の小京都 (2019/08/14 訪問)
応仁の乱で名を上げ一気に越前国主の地位に登り詰めた朝倉氏の本拠地。京都からも公家や文化人が集まり戦国時代を通じて平和と繁栄を極めたが、織田信長の侵攻によって灰燼に帰した。その上、信長から越前を任せられた柴田勝家は拠点を北ノ庄に置いたので一乗谷の存在は忘れ去られ、いつしか田畑に埋もれてしまった。しかし、そのために遺構が現代まで良好な状態で残ることになったのだから世の中分からないものである。
いまだ至る所で発掘が行われている段階であり、すべて復元されたら壮大な歴史遺構になると思う。谷全体が一つの城であり街であり、当時の朝倉氏の軍事面・文化面での栄華が感じられる。
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2019/11/04 12:21
2019/11/04 12:18
風流人 金森長近のお城 (2019/08/14 訪問)
天空の城として有名な越前大野城。シーズンではないので雲海は見れないが、山頂にそびえる天守は遠景の方が映える気がする。築城したのは82歳で子供をもうけるスーパーお爺ちゃんこと金森長近。茶の湯にも造詣が深い当時一流の風流人ということもあって天守に至る道中の曲輪、階段、門などからなんとなく趣を感じる。ただ、天守自体はコンクリ製の復興天守でしかも小天守が史実とは違う位置にあるなど少し残念なことになっている。街並みもきれいなので散策にもおすすめ。
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2019/11/04 12:10
2019/11/04 12:02
水攻めで有名らしい (2019/11/03 訪問)
吉備津神社に行ったついでによった。
水攻めで有名なので、歴史ファンが多いです。
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2019/11/04 11:58
武田と徳川が争った遠江の重要拠点 (2019/09/08 訪問)
炎天下の中、茶畑の中の道を進んで行くと高天神城が見えてくる(外観からはただの山にしか見えないけど)。武田信玄すら攻め落とすのを諦めた難攻不落の城。遠江の重要拠点であり武田と徳川の間で幾度となく死闘が繰り広げられた。そんなに高い山ではないが急斜面が多くて登城するには細い山道を進むしかなく、しかも防御のための掘割が至る所に設けられている。当然大軍を展開するのは難しく包囲して持久戦に持ち込まざるを得ない。頂上には連結した曲輪があり、山城の魅力が充分に堪能できる遠州一の名に恥じない名城です。
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