昨年の4月末福井城復元山里口御門探訪の後、南下し鯖江陣屋、鞍谷御所、万葉館、真柄館と廻った後、越前平定後織田信長公に10万石を佐々成政公、前田利家公、不破光治公3公で分け小丸城は佐々氏、府中城は前田氏、龍門寺城は不破氏と築城し柴田勝家公の与力大名として活躍。
葉桜の小丸城でしたが本丸跡が残り周辺の堀、土塁が散見される、有名な石組登城口門もバッチリ見学。
小丸城を終わって府中城、龍門寺城を探訪して北陸道で帰路へ
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2019/04/11 15:45
佐々成政公築城 (2018/04/29 訪問)
昨年の4月末福井城復元山里口御門探訪の後、南下し鯖江陣屋、鞍谷御所、万葉館、真柄館と廻った後、越前平定後織田信長公に10万石を佐々成政公、前田利家公、不破光治公3公で分け小丸城は佐々氏、府中城は前田氏、龍門寺城は不破氏と築城し柴田勝家公の与力大名として活躍。
葉桜の小丸城でしたが本丸跡が残り周辺の堀、土塁が散見される、有名な石組登城口門もバッチリ見学。
小丸城を終わって府中城、龍門寺城を探訪して北陸道で帰路へ
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2019/04/11 15:13
2019/04/11 14:48
村岡山城(ムロコヤマジョウ)一向一揆絡みの城 (2018/04/29 訪問)
昨年の4月末福井城、勝山城に出向く前、勝山城の北側に在る独立峰、麓には恐竜博物館が有り本丸より博物館ドームが光に輝いる村岡山城に初登城、桜は終わり新緑若葉と朱色の山つつじが眩しいほど。
織田氏と一向一揆衆との攻防が有り登り口に合戦の碑、慰霊の墓標が欝蒼とした森林の中に在り往時の激戦の激しさを彷彿させます。
駐車場は寺尾集落寺尾ふれあい会館前の駐車場利用、その隣に登城口そのまま尾根つたいに登って行く約20分ほど、頂上曲輪群の南西下切岸下に通路が有りその上は十数条の縦畝堀、大縦堀の横を登って曲輪群へ。
本曲輪群は堀に囲まれた本曲輪櫓台付き、本曲輪を囲むように3曲輪、2曲輪が繋がり櫓台4曲輪、虎口取り付け曲輪で構成、本曲輪西には堀切で5、6、7、8曲輪が繋がってる様子(この情報は余湖図コレクションさん、城郭放浪記さんに依ります)
本曲輪、櫓台からの見晴らしは素晴らしく景観です、勝山市方面が見渡せます。
城びとのサイト3000城には入ってない城跡ですが素晴らしい山城ですので投稿させて頂きます。
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2019/04/11 10:45
2019/04/11 01:11
木造復元山里口御門完成 (2018/04/29 訪問)
昨年の4月日帰りで3月末公開に成った福井城山里口御門を探訪に出掛けました、桜の満開時期が写真撮影のベストタイミングなのですが都合が付かなく4月末に成ってしまいました、東海北陸道白鳥IC経由九頭竜川渓谷沿いに大野盆地へ山手はまだまだ桜が咲き目には潤いを与えてくれますが右の左に蛇行した曲がりくねった道は緊張の連続、大野城、模擬勝山城を眺めながら福井へ。
以前復元された廊下橋と山里口御門と一体に成って素晴らしい景観です、瓦は丸岡城と同じ石瓦、瓦と腰板が福井原産の笏谷石を用いてるとの事、福井城の特徴です。
今後は天守閣小天守の復元が待たれます。その前に福井地震でずれて石垣の修復が先でしょうか?
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2019/04/11 00:49
薩摩義士 (2014/12/06 訪問)
以前、にのまるさんの仙台城の投稿に「鹿児島県人七士の墓」があり。それを見た時に「オレ、桑名の薩摩義士について触れとらんやん」と頭をはたかれた気分でした。
桑名駅から桑名城へ向かう八間通りの途中に法性山海蔵寺があり、ここに薩摩義士の墓があります。
初めて桑名を訪れた時に、薩摩は幕末の会桑同盟(会津藩と桑名藩)の敵藩であるのに、薩摩義士の墓が桑名にあるのは不思議だなと思ったのですが、それは私の知識が不足していただけで、木曽三川の大治水工事である「宝暦治水」で自害した薩摩藩士51名のうち24名の墓所でした。※詳しくは「宝暦治水事件」参照
境内には治水工事の責任をとって自害したとされる薩摩藩家老・平田靭負(ゆきえ)公の供養塔を中心に24の墓碑が建立されており、寺の中にも平田靭負公の木像があります。
また、桑名から少し離れますが、岐阜県海津市にある治水神社も薩摩義士を祀っており、平田靭負公が主祭神となっています。
城に関する投稿がほとんどなくて申し訳ないですが、城から歩いて行ける距離の桑名市博物館で桑名城の鬼瓦を見ることができます。
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2019/04/10 23:03
2019/04/10 22:26
安曇川平野の先端あたり (2019/04/07 訪問)
BUGTIさん投稿の写真に、舟木城出丸跡とあるのが気になりました。お寺のところは出丸跡なのですね。本城は村落の中に埋没。
舟木城があるのは、比良山系から流れ出た、安曇川と鴨川の扇状地と三角洲で作られた平野の先端近く。
堀跡の田んぼと曲輪跡の微高地の段差は良いですなぁ。
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2019/04/10 22:13
町割りはそのまま。 (2019/03/31 訪問)
安中文化センター前に「安中城本丸跡」の看板があったのであっさりゴールインしたつもりが、みなさまのご投稿を拝見すると城址碑もあるとのことで振り出しに戻る(>_<)
文化センターと図書館をうろうろしても見つけられなかったので、小学校に焦点を当てて裏道を通ると、探していなかった大手門跡がありました。個人のお宅のお庭のようでしたが、ここの抜け道は、“大手門に至るぞ!でもまっすぐには行かせないぞっ!”という雰囲気がありました。
しばらく行くと旧碓氷郡役所の年季の入った建物があったので見学させていただきました。その先には新島襄創立の日本基督教団安中教会。とても素敵な建物でした。
かなりの時間ぐるぐる回ってやっと城址碑を見つけました。見つけてみればいかにもありそうな場所でした(>_<)
そしてみなさまの投稿写真の城址碑が背景がわからないほど大きい理由も納得しました。
旧安中藩郡奉行役宅と武家長屋も見学しました。古民家巡りも長らくの趣味なので楽しかったです♪
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2019/04/10 21:34
【平成26年】こういうのもアリかと (2014/11/01 訪問)
お城巡りを始めた頃は神社仏閣巡りはしていなかった為、間違いなく一番お城に行った年がこの平成26年。
この日は石和温泉近辺にある史跡巡りをしに来ました。
連方屋敷はJR中央本線・東山梨駅から徒歩5分程で来れてしまいます。
その第一印象が・・・「な~んにも無いな~」でしたw
いえ、ちゃんと遺構はあるんです。妙に長い土塁と堀が。
敷地が広いのに加えて屋敷跡地中心部には木も無い為、尚更何も無い感が凄いんです。。。
平坦なゴルフコースの、コース毎に区分けの為の木が無く、バンカーや池が無い状態・・・って感じですね(土塁や堀を含む平坦地は芝等背の低い緑一色だったので尚更w)
但しそれが駄目なのではなく、むしろスッキリしていて大いにアリでしょう(`・ω・´)b
平城で建造物や木々を全て取っ払った状態を見たい方、是非連方屋敷跡に行ってみてください。
多分笑ってしまうでしょう(⌒∀⌒;)
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2019/04/10 20:50
豊臣秀吉公一泊した城 (2018/04/23 訪問)
昨年の4月中旬3泊4日で越後路城巡りの流れで4日目会津から福島中通りへ大森城、丸森城、阿津賀志山防塁、義経腰掛の松、石母田城を廻った後帰路須賀川市の長沼城に立ち寄り、その後東北道東名で帰路へ。
長沼小学校隣接北側に半島状の丘陵先端が城郭地、駐車場は小学校北、登城口に砂利地面で完備。
桜も終わり黄色い山吹が城跡を覆っていた。
桜の時期には城全体が桜に覆われ霞の如し、奥州仕置きの途上秀吉公が一泊したと伝わると言われてるとか。
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2019/04/10 20:06
いろんな城主。 (2019/03/30 訪問)
「長久保城」に行きました。
鎌倉時代は竹ノ下孫八左衛門さん。
室町時代は葛山氏。
その後、伊豆を奪取した北条氏。
北条氏と今川氏が敵対し和睦の条件が「長久保城」を放棄する。ってことで今川氏。
今川氏が衰退し、またまた北条氏。
武田 信玄さんにこの辺りを攻められ「長久保城」は武田氏。
武田氏が滅亡し駿河の徳川 家康さんの「長久保城」になりましたとさ。
秀吉さんは小田原征伐の時に「長久保城」に寄ったみたいなので立派なお城だったのではないのでしょうか。
いろいろ大変な「長久保城」ですが城山神社公園です。平和です。
土塁の高さを利用した滑り台もあります。説明板は狛犬君の後ろです。
お城跡は国道や商業施設で削られてますが、曲輪や土塁 残ってますよ。
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2019/04/10 15:35
伊達政宗祖父の城 (2018/04/23 訪問)
昨年の4月中旬3泊4日で越後路城巡りの延長4日目福島市に入り大森城の後阿武隈川沿いを宮城県丸森町へ川沿い風光明媚な細い道を雨の中走行。
以前同町の石垣の残ってる金山城登城してるのですが近くに在りながら登城して無い丸山城(丸森城)が気に成って居り今回の機会に足を伸ばしました。
丸森城は伊達政宗の祖父伊達稙宗の隠居城としても伊達氏相馬氏の攻防の城としても名を馳せてます。
駐車場も数台止めら三の丸下まで繋がっている交通的に便宜。
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2019/04/10 14:54
東北道行き来で気に成った城跡 (2018/04/23 訪問)
昨年の4月中旬3泊4日で越後路城巡り4日目福島県会津から中通りへ以前から東北道を行き来しながら福島市手前で櫓の見える城跡が気に成り何時か?と思って居ましたが今回義経公が絡む阿津賀志山防塁を探訪したくその前に伊達氏戦国攻防の城を探訪しました。
公園化され車で登りやすく駐車場完備、山頂の本曲輪にはぐるっと横堀が残りそれなりの雰囲気を醸して居ります。
北側の復元二重櫓は見晴らしもよく福島市内が一望出来絶景です。
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2019/04/10 12:53
【平成31年】桜と櫓 (2019/04/06 訪問)
4月6日は「城の日」ということで、当初は彦根城に行くつもりだったのですが、関西の桜は各地で見頃ながら彦根ではまだもう少しのようなので、予定変更し満開の大阪城へ。この日は天気も良く気候も穏やかで絶好の花見日和。週末でもあり大阪城公園は花見客でごった返していますが、私のお目当ては(桜はもちろんながら)大手口多聞櫓と千貫櫓、焔硝蔵の特別公開です。
大手口大門を抜けて少し行ったところの売場でチケットを買い、多聞櫓の続櫓に入ります。続櫓内部は東側が6室の部屋、西側が武者走りになっており、大手口桝形に向けて笠石銃眼が並んでいます。大阪城の石垣にはいたるところに笠石銃眼が見られますが、こうして櫓の中で実際の姿を目にすると、よりイメージしやすくなりますね。また、続櫓の窓から桝形内を見渡していて、ここが大手口桝形の3つの巨石の上だということに気が付きました。あの巨石の上から桝形内の敵兵を迎え撃つ自分……「一網打尽にしてくれるわ!」という気分になります。大門上の渡櫓の槍落としからは下を通る人の様子がよく見えますし(少し前に自分が通った時は槍落としに気付かなかった)、千貫櫓の狭間からは大手門方面に横矢掛け放題。「一兵たりとも城内に入れるな!」な気分。寄手の足軽目線では絶望的な気分にさせられる大阪城ですが、城兵側では何だか気が大きくなってしまいます。
千貫櫓を抜けると西の丸庭園。西外堀沿いの石垣の上を歩いて乾櫓、そして焔硝蔵へ。総石造の蔵は見るからに頑丈そうですが、中に入って驚きました。狭い! 蔵の幅から考えて狭すぎます。帰ってから資料を見てみると、蔵内部の幅約2.7mに対して壁の厚さは約2.4mなんだとか。蔵全体の3分の2近くが壁なのか…。現存の蔵が造られる前に、城内で焔硝蔵の大爆発があったそうですが、これだけのものを造る必要を感じるほどの爆発だったんでしょうね。
さて、櫓と蔵をめぐり終えると、あとはのんびりと城内の桜見物です。西の丸庭園から桜越しの天守を眺め、本丸をぐるりと一周し、六番櫓から一番櫓まで南外堀沿いの石垣の上を歩き、玉造口から南外堀南側の桜並木を抜けて、帰途につきました。
櫓の特別公開で軍事要塞としての大阪城を実感するのも楽しかったですが、桜の下では花見客が飲んで食べて歓談し、芝生では親子連れが遊び、木陰にビニールシートを敷いて昼寝をし、キッチンカーからは食欲をそそるにおいが漂い、猿回しの周囲には人垣ができる…。武力と権威の象徴だった城が人々の憩いの場として親しまれている、そんな平和な時代に城めぐりができること、そして次の「令和」もそんな時代であってほしい、そんなことを考えた平成最後の城の日でした。
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2019/04/10 11:13
御三階櫓発掘調査後の復元は? (2018/04/22 訪問)
昨年4月中旬3泊4日で新潟県越後路城巡りの3日目磐越道を東へ、津川城、向羽黒山城、大内宿、神指城と巡り会津若松城へ登城、数十年の間プライベート、出張で何回となく訪ねて居り東北大震災の年には天守閣走り長屋の瓦が寒冷に強い赤瓦に吹き替え竣工公開と成った4月桜満期の時期に訪ねその後も数回その都度雄大な天守、天守台、縄張りに感嘆し感激して居ります。
今回は復元予定も有った本丸の御三階櫓の進捗状況を確認したく探訪、櫓台の石垣は発掘調査の為外され調査中、期間が長いようですが何時復元されるのか? 現在元の御三階櫓の建物は市内の阿弥陀寺に移設されて居ります。
また以前二の丸、三の丸を訪ねて無かったのでそちらも探訪しました。
桜の時期をチョット過ぎて居り残念ですがいつ見ても心躍ります益々の復元、保全、整備を宜しくお願い致します。感謝感謝です!!
何時か本丸の櫓台に連なった櫓が復元されるのを夢見ています。
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2019/04/10 00:09
120万石幻の巨城 (2018/04/22 訪問)
昨年4月中旬3泊4日で新潟県の城巡りを終えて3日目、会津入り向羽黒山城初登城、観光で峠越えして山道を大内宿へ大内宿は人波でごった返して駐車場は順番待ち会津公の大名行列を思い浮かべ藁屋根の宿場町を見晴らし台より撮影、素晴らしい景観です。
その後田圃の中の神指城へ、上杉景勝、直江兼続無念の大城郭総石垣大天守閣が輝く様が見えるようです。
拠点が色々有りますが一番分かり易い大欅の有る二の丸北東土塁を探訪。
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2019/04/09 23:25
天守保存修理2019年6月~12月 (2019/04/05 訪問)
犬山城のホームページに天守の保存修理の案内が出ていました。
以下、ホームページより
国宝犬山城天守は、平成30年度から2か年計画で安全のための耐震補強と部分修理を実施しています。平成31年度は主に3階、4階の壁の耐震補強工事と3階唐破風周辺の瓦の葺替えや内外壁の塗替え等を行います。工事期間中でも、天守内に登ることはできますが、工事の進捗によっては、一部で入場制限をする可能性があります。また、6月初旬から12月末まで天守外部に足場を設置するためにシートで覆われ、天守のほとんどが見えなくなります。文化財保護のため皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。
とのことなので、この間の登城は避けた方がいいかもしれません。
仕事で犬山に来たので、昼休みを利用して外側からスマホで撮影しました。桜がほぼ満開で天守はいつも以上に混んでいるようでした。
※2019年5月31日追記
犬山城ホームページの情報が以下に更新されていました。工事期間は7月中旬開始になったようです。
国宝犬山城天守は、平成30年度から2か年計画で安全のための耐震補強と部分修理工事を実施しています。平成31年度は主に3階、4階の壁の耐震補強工事と3階唐破風周辺の瓦の葺替えや内外壁の塗替え等を行います。工事期間中でも、天守内に登ることはできますが、工事の進捗によっては、一部で入場制限をする可能性があります。また、工事期間中である7月中旬から12月末まで天守外部に足場を設置するためにシートで覆われ、天守のほとんどが見えなくなります。文化財保護のため皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。
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2019/04/09 22:56
ここまで来たら寄らなくっちゃ (2018/04/21 訪問)
昨年4月中旬3泊4日で新潟県城廻2日目、村上城、平林城と来たら新発田城遅咲きの桜を狙ってと三階櫓、辰巳櫓が木造復元された年に市の教育委員会の方に復元成った新発田城小冊子を有料で送って頂き翌年春桜の頃に初登城、今回で5度目本丸周辺を撮影、中々三階櫓はタイミングが合わなく未だに登ってません。
今回大名庭園清水園と隣接されてる足軽長屋も初めての見学いたしました、素晴らしい庭園です館縁側でガイドの方と色々話をさせて貰いました若干余裕があったようです。楽しい会話でした。
駐車場も広く成り大変助かります、周辺の整備も少しずつですが進んでおり益々の環境整備保全管理をお願い致します。
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2019/04/09 22:39
階段状の郭と大堀切が「おーっ!」ってなる。 (2019/03/31 訪問)
メインではない方の東入口から入った(入ってしまった)のでいきなり東郭群で山城の雰囲気を味わえました。城内は複雑なレイアウトで迷路みたいでしたが、地図で現在地を確かめながら歩くのが探険しているみたいで楽しかったです。
西郭はきれいに整備されていて花見客で賑わい、北郭も眺望を楽しめる整備がされていました。四阿が各所にありました。
本城と二の丸・南郭間が大堀切で分断された一城別郭式です。現在は、大堀切に通路が造成され行き来することができます。二の丸から東郭群への道も近年造られたそうで、城内アクセスは非常に良くなっています。
二の丸の櫓は立入禁止のようで、子供みたいに木板を叩いたりすることはできませんでした。(ご報告まで。)
磯部駅から4.6kmですが、磯部↔︎安中榛名のバスで「花の木」下車で、あと1.4kmのところまで近づけます。バス停前にセブンイレブンがあり、兵糧調達出来ます。
帰りはバスと電車の接続がよくなかったので、安中城まで徒歩にしました。途中、牛がいました。
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