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駿府城

発掘調査現場来場者100万人目前!

駿府城跡天守台発掘調査現場の累計来場者数が、現在98万人を突破しました。
 
駿府城跡天守台発掘調査現場および「発掘情報館きゃっしる」は、平成28年8月に開館し、今年で8年目を迎えます。市内の方はもちろん、静岡県外や海外からたくさんの方にご来場いただいています。
駿府城跡天守台発掘調査現場は、駿府城や天守台を身近に感じていただけるよう、発掘調査現場を公開「見える化」しています。
見学ゾーンでは天守台を間近に見学できるほか、併設する「発掘情報館きゃっしる」では、調査の最新情報や出土品を展示しています。
 
記念すべき100万人目はあなたかもしれません!

ぜひ発掘調査現場に足を運んで、歴史観光をしてみてはいかがでしょうか?
発掘調査現場は、年中無休(年末年始を除く)で見学できます。ぜひ静岡にお越しの際は、駿府城跡天守台発掘調査現場にお越しください。

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方形の縄張りが美しい (2024/04/20 訪問)

石碑がある西側中央から、周囲を一周してみました。城びと先人のレポート通り、堀は草むら状態で、深さや規模が分かりにくいです。西側は、堀を挟んで城外と同じ高さです。北と東は高低差あり。南は西に向けて坂。幅60mほど、奥行き35mほどの長方形の敷地(南東に欠け)が素敵です。
イオさんが、書かれてますが、Googleマップの航空写真を見ると、出丸や北東の鬼門対策の角取り(?)もわかりやすいです。

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カズサン

桜・若葉の大草山絶景の頃再訪 (2024/04/08 訪問)

 堀江城の対岸にある大草山が桜と萌黄のグラデーションに覆われて絶景の中、先の3月23日歴史講座「堀江のまちを知る」見学会の日は雨でしたので晴れの日(実際は曇り日でしたが)に再訪しました。
 
 駐車場は前回と同じ「舘山寺公共駐車場」を利用(無料)して北側へパルパルロープウェイ乗り場方向へ、舘山寺線が通ってる大堀切を西へ舘山寺バス停が有り、堀江城の解説板が有る、以前は堀江城の入江だった所に小舟に乗った観光ホテルの大看板が有るが奇しくも入江だった証なのか?入江は埋め立てられているが舘山寺バス停から西の浜名湖の砂州陸地の間には若干の低さがあり、入江の痕跡では、以前は陣屋跡の標柱が在ったが現在は無い、陣屋跡の立つ観光ホテル堀江の庄の前を通り入江の運河跡である水路脇を通って内浦に出る、その間堀江城の南側、西側を眺めるが桜は満開、御陣山も良く観える。
 
 内浦に出て運河跡の水路の出口を確認、望遠で撮影、北側から堀江城御陣山を確認、ホテル九重が撤去されて景観の見通しは素晴らしい、堀江城の本丸には観覧車が廻っている、北から東側に廻り、堀江城の本曲輪、二の曲輪の稜線がよく分かる、現実には観覧車はじめパルパルの遊具施設に覆われている、桜は満開でした。
 北側からは内浦越しに大草山が良く観えます、当日は曇り日でしたが桜、山桜が点在し、若葉の芽吹きが進んでおり緑のグラデーションの中に桜が浮いている様が絶景、一時の安らぎを感じます。

 ホテル九重の在った頃、玄関受付奥のウエルカムエリアでは大ガラス窓いっぱいに大草山が写り四季折々の絶景を眺めたもです。
 

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刑部

枝垂れ桜 (2024/04/15 訪問)

一本の素晴らしい名前のついた枝垂れ桜が見事でした!

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しんしんちゃん

考察・関ヶ原 大谷吉継陣の背後の城山。 (2024/04/14 訪問)

大谷吉継の陣の続きです。大谷吉継陣の北側には道の途中に少し広い扁平地が存在します。一見して郭にしか見えませんが、昭和の杉の植林のために扁平した可能線が有ります。実際に杉らしき木がたくさんありますが、かつて存在した郭を利用している可能性もあります。
こういった場所が南宮山にもあって正直、史跡の中にあるので紛らわしいのですが、郭の可能性を考慮しておきたいと思います。
さらに北上して行くと堀切が続いています。少なくとも4か所は存在しており、斜面の東側に大軍を駐留しているので、手薄になる西側に竪堀を集中しているのは理にかなっています。このさらに北にある扁平地(郭)に西軍の中心を担う人物がいたものと推測します。

私は関ヶ原周辺は鎌倉幕府が元軍の襲来に備えて整備をしていたと想定しており、この山中の城山(仮)や南宮山、松尾山(出城を含む)はその一環だったと考えています。石田三成はこの付近で生まれ育ち、また要衝の佐和山に城を構えていたことから、そのことは周知していたものと考えます。明軍が襲来し京を占拠した際には関ヶ原に敵をおびき寄せてから山中の城山(仮)と南宮山の兵で退路を遮断し敵を関ヶ原に封じ込めてから、完全に殲滅するつもりであったと想定します(現状での考察)。

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todo94

近江の城めぐり⑪ (2024/03/09 訪問)

近江の城めぐり2日目です。ホテルの朝食をいただき、栗東で給油してから向かいました。近江八幡は夜間に雪が降ったようで登城路にもうっすらと雪が積もっていました。とある煩悩の登城目録さんのような荒業は、藪が濡れそぼっている状況ではあきらめざるを得ません。それでも堀切を越えて主郭にはたどり着けたのではないかと思います。来た道を引き返しましたが急坂で足を滑らせしりもちをついてしまいました。

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chiroru

期待を裏切らない城跡です (2024/04/19 訪問)

登城の仕方や見学ポイントをこのサイトで参考にさせてもらいました。

山城の郷駐車場より中腹までは「天空バス」で、そこから城入口までは徒歩10分弱ほどで到着。大手口に入れた時は嬉しさのあまり
「わー」って声に出してしまいました。
ボランティアガイドさんの案内にて北千畳→三の丸→二の丸→本丸→天守台→平殿→南二の丸→南千畳としっかりと学習。

北千畳からは、出城の但馬観音寺城も見えます、それとこの城が落城し悲しむお姫様が逃げて行ったと伝えられている「金梨山(かなしやま)」の話を聞かせてもらいました。そのガイドさんは好奇心からお姫様が逃げたほこらをこの目で確かめるべく入山しついに見つけたと自信で撮影されたお写真をみせてもらえました。肉眼でもその岩のほこらを見ることができます。

三の丸、二の丸と歩くそばには武骨な石垣で歓迎されているかのように立派です。牛蒡積みもしっかりとみれました。

天守台からは立雲峡の方向を眺め、その周りには春には桜が咲き、手前には川が流れ、天然の庭としてお殿様が愛でたのだろうと納得の
構図に感激してました。

南二の丸、南千畳とこの城では開放的で広大な感じの曲輪でした。

天守がないので想像やまない世界観に浸れるのも魅力です。素晴らしい晴天と素敵なガイドさんに恵まれた登城でした。

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小城小次郎

シダがすごい (2023/11/03 訪問)

安宅本城を中心とする諸城からはちょっと離れているが「境目の城」としての役割が評価され(?)国史跡「安宅氏城館跡」に含まれている。畝状竪堀は季節を間違うとシダにびっしり覆われている(泣)。

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じゅんじん

辛垣山 (2024/02/17 訪問)

枡形山城経由でいきました。主郭部分は削り取られていますが雰囲気は伝わります。

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しんしんちゃん

関ヶ原古戦場 大谷吉継陣・大谷吉継墓 (2024/04/14 訪問)

関ヶ原古戦場の大谷吉継陣は若宮八幡社の北側の丘陵上に築かれていたとされており、その北側の丘陵上に藤堂家によって建立されたとされる大谷吉継の墓があります。その傍らには吉継を介錯した湯浅五助隆貞の墓もあり、新しい花が添えられています。
陣所の東の道路わきに藤川台の案内板があり、そこから大谷吉継の墓に行くことが出来ます。道中は広い平地が広がり、北側の一段下がった丘陵もかなりの広さがあり、大部隊を駐留することが可能だと感じました。
大谷吉継らの墓に参拝したあとは南の陣所には向かわず、北の尾根上を目指します。白峰氏の説に石田方の主力諸将の陣が山中の陣にあったと呉座氏の著書にもあるので確認をしたかったのです。山中とは「さんちゅう」ではなく「やまなか」村、もしくは山中という地名を指すようで尾根上に何らかの遺構が有るのではないかと考えました。

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ぴーかる

尼子十砦4城目 (2024/02/23 訪問)

【安田要害山城】
<駐車場他>西南にある長台寺前に10台程駐車できます。登城口になります。
<交通手段>車

<感想>1泊2日尼子十砦の旅4城目。初投稿いただきます(久々!(≧▽≦))。登城口である長台寺が城跡のサポートをしています。本殿の左手から登山道が伸びており、かつての大手道だったようです。
 現地説明板によると安田要害山城は出雲側では「安田要害」、伯耆側では「新山要害」と呼ばれていたそうです。古代は祭祀の場であり、城ができる前から狼煙場でもあったといわれています。戦国時代、尼子経久の家臣、安井光照が出雲伯耆の国境警備のために城塞を築きました。その後、福山源五郎が城主のとき、1565年毛利勢の杉原盛重によって攻められ落城しました。
 上記登山口から北東方向にほぼ真っすぐ約1200m登って行きます。登山道は道があるので迷う事はありません。かつて、登山口の長台寺が500m程奥にあったそうで、登城途中に鐘突堂跡の坊跡があります。また登城途中には武者溜まり・八幡成の曲輪・太平成の曲輪や堡塁・七曲という道をジグザグにして通りにくくしたりしている遺構があり、登山が結構楽しめます。主要部は木々が伐採整備されています。広い主郭に小さな曲輪が数段、連段となっています。眺望がほぼ全方位見えて絶景と思いますが、ちょうど主郭に着いた時に霰が降ってきて視界が悪かったです。主郭から北東方向に整備道があり北東側の麓からも登れそうでしたが、遺構のある長台寺から登山を楽しむのが良いでしょう。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

雨男ぶり健在です…☂ (2024/02/25 訪問)

雨男ぶり健在です。朝は小雨でしたが,だんだん本降りとなりました…☂
駅近の平場物件ということで,ここに流れ着きました。

CFですが,残り日数とこの伸びでは,かなり雲行きが怪しい気配がしています。スタッフに新たなPR策を期待します。

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城好きのメガネ

「伊予西条陣屋」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
伊予西条藩陣屋は、一柳氏が3代30年治めた後に、徳川御三家の紀州より松平頼純(徳川頼宣の次男・8代将軍吉宗の叔父・徳川家光や徳川光圀の従弟)が入り、幕末まで松平氏が治めた。現在、曲輪、石垣、土塁、横堀、大手門など遺構が点在している。

<アクセス>
JR伊予西条駅 徒歩30分

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城好きのメガネ

「多度津陣屋」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
多度津陣屋は、江戸時代に丸亀藩の後見人・京極高通が立藩した。幕末には新政府軍に属した。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR多度津駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「毛呂氏館」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
毛呂氏館は、源頼朝からの信任も厚かった毛呂季光が築いたとされる。戦国時代には、後北条氏の傘下に入る。小田原征伐では八王子城に入り、一族の多くが討ち死にし、毛呂氏は滅亡した。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR毛呂駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「勝山城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
勝山城は戦国時代に当地を治めていた小山田氏の詰城として築かれた。武田氏が滅亡した後は後北条氏や浅野氏(豊臣家)などが改修する。交通の要衝であったため浅野氏時代に大規模に改修された。江戸時代には秋元氏が麓に陣屋を築いた。現在、土塁、曲輪等が遺されている。

<アクセス>
富士急行線 谷村町駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「谷村陣屋」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
谷村城は戦国時代に当地を治めた小山田氏が築いたとされる。武田氏が滅亡した後は後北条氏や浅野家(豊臣家)などが改修する。江戸時代には鳥居氏、秋元氏など徳川譜代が治める。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
富士急行線 谷村町駅 徒歩 10分

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城好きのメガネ

「久留里城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
久留里城は、上総武田氏の武田信長によって築かれたとされる。以後真里谷氏が代々支配する。戦国時代には安房の里見氏が真里谷氏を滅ぼし、里見氏の拠点となる。小田原征伐まで後北条氏の最前線として改修が繰り返された。江戸時代には里見氏の転封に伴い、大須賀家、土屋家を経て譜代大名・黒田家が幕末まで治める。戊辰戦争では新政府側に属する。廃藩置県に伴い廃城となる。現在、曲輪、土塁、堀切などが遺されている。

<アクセス>
JR久留里駅 徒歩25分

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私も行って参りました (2024/04/20 訪問)

佐味城の少し北の櫛羅陣屋まで訪問してましたが、「佐味城は、入口が分かりにくい、藪が酷い」との情報に、行くのをためらっておりました。2月半ばからの短期間の城びと猛者たちの活躍を踏まえ、私も行って参りました。感謝、感謝です。
道の曲がり具合、池の配置から、登り口の当たりがつきました。投稿にあるログハウス様の建物、墓石様の石碑をすぐに発見。向かいのフェンスの四ヶ所の針金止めも認知。フェンスのすぐ内側の密集アオキは道幅になぎ倒されてました。道には真新しいクローラー(キャタピラー)跡も。城域まで道はしっかりありました。佐味城の特異な遺構を見つつ、主郭まで到達。北は、小川が侵食した崖。西は尾根を断ち切る堀切+土橋。東は、急斜面と切岸。緩斜面の南側は、どう処理しているのか見に行くと、土木量が大きな、横堀+土塁+横堀。良いなあ。
城は、金剛山の中腹とまではいかないですが、御所市、五條市からかなり高い所にあります。御所と五條を繋ぐ狭い平野を見下ろす位置でもあります。山岳寺院でも街道を押さえる城でも有用かと思います。

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城好きのメガネ

「長島高城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
長島高城は、築城時期等は不明だが、後北条氏の支配下にあったとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東京メトロ東西線 葛西駅 徒歩25分

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