(参考サイト)https://kojodan.jp/castle/1071/
JR赤羽駅から歩く事数分…🚶♂️ そこに太田道灌に関する史跡があります。その名は稲付城跡…奥に静勝寺という寺が建っている、その手前に階段があり、その右に稲付城跡の石碑が来る人を迎える
階段の途中に小さな社(鳥居も賽銭箱も無い)があり、上りきると城跡の説明板と寺の掲示板があります。「努力する人は希望を語り 怠ける人は不満を語る」という貼紙があり、「不満が頭に浮かびそれを口にしがちな自分は怠けてる人間ということか😅」と耳が痛くなりました
「言葉自体は素晴らしいけど、人生そうは行かないことだってあるのよ🤪」ととりあえずの自己弁護。ちなみにこの寺…毎月26日に太田道灌の木造が一般公開されてるそうで、その日に参拝した方が好ましかったかもしれませんが、26日が平日の場合は無理だし、何よりここは年末年始関係なく一年中開放されてる場所
年末年始休暇は(夏休みなどの長期休暇を持たない)社会人にとって唯一の…1週間程度連続で休める休暇🎌 けれど年末年始は休業…という施設は結構存在するので、この期間に行ける場所はどうしても限られてしまいます😓
なので「それならいつでも行ける場所を年末年始用に取っておこう。その1つが稲付城跡だ」と考えてこの日(12/29)に訪問したわけです
本堂にたどり着き…中央にある穴を覗くとその下に賽銭箱が…なので100円玉をそこに入れてお参りしました。「(埼京線の10分遅延こそあったけれど)致命的なトラブルも無くここまで無事に来れて参拝できたこと…また1つ城巡りを達成できた事」への感謝をこめて…ですね🙏
その側にはお堂があり、そこにも穴の奥に賽銭箱が用意されていたので、10円玉を投入。同じように祈りました。境内の主要な場所はほぼ見学し終えましたが、これでハイ終わりはあっけなく思えたので、奥に行くと墓地があったので少し巡りました🪦
グルグル回ると…墓地は周りを民家に囲まれており、しかもすぐ側がベランダだったり、窓が開けっぱなしのアパート…とプライバシーの薄さ?というか開放感みたいなものを感じました
少し離れた場所に目をやると…そこにはイトーヨーカドーだったりマンションが🏢 その手前に民家が墓地と寺を囲むようにあり、中にはツタが壁に生え放題で中に人が住んでいるのかさえ怪しい家…昭和感あふれるボロい家もあるわけです。そう遠くないうちに…再開発で取り壊されるのかもしれませんね🏠
墓地の各墓石に目を配ると…中には戒名が「童女」「嬰子」という具合に「ああ…乳幼児のうちに逝ってしまわれたのね👼」と分かってしまう表記がありました。しかもそう遠い時代ではなく…昭和にです
年齢の書かれてない者もおり、「こういう場合は生まれて間もなく病没…0歳なため年齢カウントが無いんだろうな🚼」…戦前(昭和20年より前)における享年一歳に「この頃までは数え年がメインだったから…この子も実際は0歳没…だよね」「昔は乳幼児の死亡率が高かったため平均寿命が低かった…とよく聞くけど、この墓地からもそのシビアな世界が伺えるわ😢」と思えてしまった
中には墓石に書かれてる6人中3人が10代もしくは20代でお亡くなり…というケースもあり、しかも彼らは終戦後に亡くなってる…空襲や戦場で亡くなったわけではないようなので…何か闇を感じちゃいました。というか30代までに亡くなられてる方がそこそこいたけど…彼らの中にほぼ確実にいたんじゃないかな?結核で命を落とした方…昭和20-30年までは不治の病だし
階段を登った先にある門とは別の場所にも門があり、その側にも説明板があります。それによると…稲付城を築城した人物は…明確な事は分かってないそう。しかし寺伝には太田道灌が築城とあり、道灌は(当時この辺りを支配していた)扇谷上杉氏の家宰を務めていたことから、やはり彼による築城の可能性があるそうです
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