鶴頭城は別名・西館とも呼ばれ鳴瀬川の東に面した丘陵の上に築かれていました。天正年間(1573~1585)には大崎氏の支配下にありましたが、その後伊達氏の支配するところとなり伊達氏二十要害の一つとして機能しています。慶長16年(1611)伊達氏家臣・後藤信康が当地を拝領し、その子の近元が西館に移り明治維新まで続きました。
かつては主郭(居所)の周囲に堀が巡らされ、周囲を下屋敷が帯郭のように囲み、その周囲を二重の堀で囲まれていたようです。居所跡には神明社が祀られています。todo94さんの投稿にある移築されたとある城門は情報不足のため訪問していません。遠出だとちょくちょく手を抜くことが有るので、知っていても必ずしも訪問していたとは限らないのですが。
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