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イタさん

飯土井城(分城)・千葉県香取郡多古町 (2023/10/28 訪問)

 保存会の方々のHPを参考にさせて戴くと、築城年代など詳細は不明だが、現地には空堀・土塁などの遺構が残り、かつての姿を偲ぶことができます。「窪(多古町・久保)」に居館のあった千葉宗家・千葉胤貞が分城を築いたと伝わり、その後、城郭として改修され戦国期に使われたと思われます、とある。
 道路からは妙見社の参道で、途中で石段になり、上れば左奥に鳥居が見え出す。鳥居下正面は堀跡とも思える。低い石段を上がれば正面に社殿が建つ。鳥居の左右、社殿の右・裏には高い土塁が廻っている。社殿右奥の土塁が一段と高く、物見台跡と言われる。東側には虎口となり堀底に降りる(低いが)が、左右は浅いが堀跡が続く。東に行くと直ぐに畑地が広がる。こちらは東口と標識がある。北に行けば空堀・堀切などの案内があり、遺構としては特に神社裏下の堀切が目立つ。さらに北・東に道が続き、北口と案内のある所から先は畑地になっている。神社裏の堀底を西へ行くと、道は切り岸状の斜面上部を通り、参道石段下に出られる。

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しんちゃん

未知の城。だからこそ熱い。 (2023/10/22 訪問)

塩河城は可児氏の城とされ、村の城ではないか?とも考えられている謎の多い城です。
車は少し北の塩河公園に留めさせていただき、そこから歩いてゲート前の登城口から
入ります。入ると程なく鉄塔の建っている郭があります。そこから先、北尾根の先端
から中ほどまで竪堀や土塁を備えた郭らしき場所があります。そこから尾根を南に
進みます。尾根の高まりが、まるで天然の防塁のようです。この城は境目の城では
ないかと考えつつ山頂を目指します。標高228mの最高所に行く前にまずは北側の
高所を目指します。北の郭は手前に堀切を備え、北側に段々の腰郭らしき物を備えて
いるようです。次は南を目指しますが、途中に不自然な高まりがあります。いかにも
固そうな‥要撃の為の場所かと思いましたが、これは門の跡かもしれません。その
先には石畳が続き、その先に南の郭があります。石積みらしきものも見られ、ここが
この城の主要部になるのかも知れません。門跡(?)や石畳や石積みなど、いつの
遺構か解りませんが戦国期の物であれば、この郭の主は、この城でも特別な人物だった
のではないかと思います。未知の城というものは何が出てくるかわからないので、
いろいろワクワクさせてくれますね。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,瞬殺ありがとうございます!

JR今治駅,大正解です!
「なぜここに?」の解説は,3つ目の画像をご覧ください。
これから,伊予攻城の弾みになれれば幸いです。
個人的には,甘崎城の海割れが見てみたいので,ぜひ再チャレンジしてください。モンサンミッシェルの紹介画像のような感じで📷
私もいつかチャレンジしたいと思います。

それでは,にのまるさん,バトンタッチしますので,宜しくお願いします。

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イタさん

中城・千葉県香取郡多古町 (2023/10/28 訪問)

 保存会の方々のHPを参考にさせて戴くと、千田荘(多古)を領していた千葉氏宗家の千葉胤貞の築城との伝承が残るが、詳細は不明らしい。
 見学用駐車場があるように記憶していたが分からず。城跡の少し北にある「竹林山 妙光寺」さんの脇、道路の広くなった場所に駐める。入口の左の細い下る道は堀切のように見える。主郭下に南北に帯郭があり、案内が立っている。主郭虎口は低くなっているが土塁が残る。奥に広がる郭だが、保存会の方々が整備をされているが、奥は藪・蜘蛛の巣が多く断念する。北側下に東西に長い帯郭があり、下草は刈られている。後日分かったため、虎口下の帯郭南端から行けそうな主郭南下の郭の確認をしていない。

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いんげん丸虫

森ケ城 岐阜県高山市 (2023/10/29 訪問)

標高841mの山城です。市史跡。
主郭から3方の尾根に堀切、物見等が
あり、南尾根には大きな2重堀切が
あります。大手筋の北西尾根の下部
にも複雑な土塁地形があります。
街道脇に小さい標柱があり、そこか
ら獣避け柵を外して登城します。

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todo94

クイズの答え (2007/09/23 訪問)

>朝田辰兵衛さん
お祝いクイズありがとうございます。クイズの答えは今治駅ということで。初めてのスタンプラリーの時は四国バースデイきっぷで三日間で四国の100名城、一気にクリアしたのですが、その時は駅から今治城はずいぶん遠いなあと感じたものでした。ウォーキングに目覚めた今ではそんなに遠いと感じていません。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,阿波コンプ,おめでとうございます!

todo94さん,阿波コンプリート,おめでとうございます!
四国にはたまに行ってますが,阿波の攻城は名城のみ。
阿波からは出題できるようなレベルではありません。

私からの「コンプおめでとうクイズ」は,とあるJRの駅前に設置されている「猿飛佐助像」。
猿飛佐助は信州にゆかりが深いですが,こんな地に像が建立されてます。
ちょっと離れたところに日本100名城がありますので,その城下ということで,お城のネーミングでもかまいません。
ズバリ瞬殺お願いします。
私の後は,にのまるさんへバトンタッチしますよ~!

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カズサン

掘尾吉晴公像と二の丸下の段(4/4) (2023/10/04 訪問)

 掘尾吉晴公像が大手門馬出の大手口に立てられています、松江城を築城指図してるような構えです良くできています。丁度お昼時大手門駐車場は朝の10時頃とは違い空いていました。
 二の丸下の段に在る観光案内所により資料ゲットし、隣のちどり茶屋で昼食「三段の割子ソバとシジミの味噌汁」を頂く事で出雲名物を頂く事に成ります、シジミの味噌汁が美味かった!。
 トイレを済まし二の丸下の段探訪、広場に成っており良く手入れがされて居る、当日も作業をされて居ました、下の段の天守台側石垣城塁が長くて見事、中ほどに出隅の横矢掛りは備わってる、堀側の石垣は内土塁の構造、北惣門橋から堀川遊覧舟の運航を眺め、新しく出来た松江歴史館を眺めて帰路、北の丸跡、護国神社、城山稲荷神社、稲荷橋を抜けて出城、北の内堀越し塩美縄手、角では小泉八雲の旧宅が目に入る。疲れた足で車を駐めた城山西駐車場へ、約2時間ほどの探訪散策でした、いつ来ても楽しい城探訪でした。
 

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カズサン

二の丸と大手門跡・馬出(3/4) (2023/10/04 訪問)

 本丸北ノ門から入り本丸内、国宝天守閣を十分眺めて二の丸上の段へ、二の丸は建物が復元されて居り、北より太鼓櫓、中櫓、二重南櫓と各建物間には白土塀が設けられて、東より内濠越しに見上げれば素晴らしい景観を見せてくれます。
 二の丸上段の東下に大手門南総門とも呼ばれて、南前に大きな馬出が構えてる。現在大手門跡には礎石が残っており南総門の復元を待っております、何時になるかなぁ~、計画はあるようで往時の資料、写真の発掘を急いでるようです。
 三の丸は現在島根県県庁が建っています。
 
 

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ぴんぴん

明石城に行って来ました。 (2023/10/29 訪問)

巽櫓と坤櫓、そして石垣の美しさに感動しました。

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イオ

北側からの天守群 (2023/10/28 訪問)

(続き)

旧国宝の天守は空襲で焼失し、現在見られる天守群は戦後にRC造で外観復元されたものながら、多くの写真や資料を基に忠実に復元されており、乾櫓や小天守の袋狭間(石落とし)を下から覗き込んだり、台所北東隅部の床が石垣からはみ出ているところを見上げたり(こんなところまで復元されているとは!)、天守曲輪北側の帯曲輪は立入禁止のため、普段は天守群の北側は遠景でしか見られませんが、この日は乾櫓から小天守にかけて直下からの眺めを存分に堪能させてもらいました。

また、天守曲輪の石垣には転用石が多く見られる…と言われてはいるものの、通常公開されているエリアからはあまり見付けられませんが、北側には宝篋印塔などあちこちに転用石が見られました。なぜ北側に集中しているのかはわからないそうですが、もともとは羽柴秀長の城であり大和郡山城と同時期の築城と考えると転用石が多いのも納得です。

天守曲輪北側の帯曲輪をひと通り見て回ると、天守下ノ段に出て水の手郭現地見学会は現地解散となりました。この日は他にも和歌山城周辺をぶらぶらしていますが、その辺はまたいずれ。

なお、この日の水の手郭現地見学会の様子は、和歌山城公式Instagramアカウント(https://www.instagram.com/wakayamajo_official/)で配信されていますので、興味のある方はどうぞ。
 

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赤い城

らんまん (2023/10/21 訪問)

らんまんでメジャーになった植物学者、牧野富太郎の出生地である佐川町。
牧野公園とその背後にかけてが城趾です。
佐川氏は長宗我部氏に攻められ降伏、その後は久武氏に与えられました。
観光駐車場に車を留めて牧野公園へ。
無料で楽しめる公園で春には桜の名所になっているようです。
少し登ったら竪堀があります。
さらに登ると大きな物見岩、ここから佐川町内と街道を見渡せます。
そこから少し登ると主郭方面への登城口が。
獣よけに門が閉められています。
「入城中」の紙を表示し、閂を外して入ります。
内側から閂をして登ることに。
これでは一組しか入れないような・・・。
少し心細さを感じながら登っていきました。
途中に曲輪が並び、堀切も見られます。
詰城には石垣が残っていました。
本丸にも堀切、結構良い感じです。
ここから南の曲輪方面に向かいました。
細い土橋状の尾根道を進むと曲輪の間に広く深い堀切。
ここも見どころです。
西側にも曲輪がありますがそこは断念、下山しました。
牧野公園近くにも観光スポットがあるのですが余裕があれば散策してみたかったです。

todo94さん、阿波コンプおめでとうございます!
四国初心者ですので御指南お願いします!

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todo94

阿波コンプリート (2023/10/28 訪問)

八ツ石城の初投稿、いただきました。祖谷の北方にあたり、ここにも急峻な谷、山腹にへばりついた集落が見られ、祖谷テイストに満ちた地でした。カーナビは井内郵便局か井内小学校に設定して井川スキー場腕山に向かう道を進むと八ツ石城への案内表示が現れます。離合困難な林道を延々と進むと駐車場とトイレが完備されていました。駐車場の目の前が主郭なので車があれば攻城は容易です。(駐車場までの運転には神経を使いますが。)南北朝期の山城で脇屋義助の子・義治による築城と伝わるとのこと。巨石が鎮座していて、田尾城よりははるかに眺望が開けています。山頂部には立派な城址碑までありました。

これで城びと登録の阿波の城コンプリートとなりました。正確には土佐泊城は南海病院のゲートまでしか行けておらず攻城したとは言い難いのですが、対岸からの遠望写真は納めましたのでお許しください。木津城もかなりあやしいものですが。

>朝田辰兵衛さんへ 四国コンプはまだまだ遠いです。来年は愛媛の攻城を進めたいとは思っていますが、果たして…。

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すけきよ堂

林道を使わずとも、太江口は楽に登れます。 (2023/10/30 訪問)

太江農業センターが登城用の駐車場として開放されています。
太江口の登城路は、さほど傾斜もなく快適に歩けますが、山の北側の為、泥濘んだ箇所もあるので注意しましょう。
主郭の西の郭群は、急な下り坂なので注意しましょう。但し見応え充分です。

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しんちゃん

ひょっとしたら石垣があった可能性も? (2023/10/29 訪問)

田沢城は浜松市北区と新城市の境目の山中に築かれており、主郭周辺はほぼ
新城市になりますが、城びとでは静岡県の扱いになっています。林道慣れして
いない人だと、なかなかしんどい林道を4~5kmほど延々と走ってようやく
たどり着きます。車で行かれる方はスピードの出し過ぎに注意していただきたい
と思います。けっこう気を使う箇所が多いので最後まで気が抜けないです。田沢城は
南北朝のころの三岳城の出城で井伊氏の流れを汲む田沢氏が築いたとされ、北朝の
軍勢に攻められ、延元5年(1340)に落城したとあります。主郭はNTTの電波塔の
周辺と思われ、電波塔北側にも幅約35m、奥行約8mの扁平地が有ります。主郭周辺
には石垣か?と思われる石積みが各所に残ります。南北朝のころの城なので石積み
は時代が合わないのですが、この周辺は石が多い所で石垣の材料には困らないと思います。
戦国期に改修された可能性はあるでしょうか?主郭の東側には東西45mくらいの
郭らしき場所があって先端部は出丸のようになっていて石積みで補強してあるようです。
敵の侵入をまず先にここで食い止めたのではないでしょうか。主郭西側にも扁平地が続き
その距離は150mほどにもなります。天然の地形を防御に利用しているように見えますが
ひょっとして主郭周辺に排水を兼ねた堀切などがあったかもしれません。

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城とマスク

秋の小峰城 (2023/10/30 訪問)

白河ラーメンを食べた帰りに小峰城を訪れました。秋に来るのは初めてで紅葉を期待したのですがまだ早かったです。お城を一周して疲れたので二の丸茶屋で秋のマロンソフトクリームを食べました。

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ぴーかる

城井谷城 (2023/09/10 訪問)

【城井谷城】
<駐車場他>登城口傍の寒田水子地蔵まで車で行けます。3台程度は停めれます。
<交通手段>車

<見所>門跡・巨石・石垣跡
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目9城目。城井谷城は1195年に源頼朝により豊前守護職に任ぜられた宇都宮信房が築城します。後に宇都宮氏は城井氏と改名し長く存続します。豊臣秀吉の九州征伐ののち秀吉に服従しますが、伊予国移封に対して当主である城井鎮房は反発し城に立て籠もります。国人一揆も誘発し領主の黒田氏と戦います。城に攻めて来た黒田長政を撃退しますが国人一揆は平定されたために和議を申し入れます。調停の際に黒田官兵衛の謀略により城井氏一族はすべて誅殺されて滅亡することになります。
 歴史小説か何かの書物で読んで数十年来行きたかった城跡で、暑い時期ではありましたが今回の旅のプランに入れました。宇都宮一族の碑から車で南に行くと巨石で塞がれた三丁弓の岩があります。車を停め、登城口から少し登るとまた巨石で塞がれた表門があります。表門は岩穴をくぐり登るのに大変で確実に攻め手は1人づつ殺られそうです。表門の内側からジグザグに折れて進みます。通路に石垣が残りますが、昭和まで使っていた炭焼窯が城跡内に点々とあるので区別がいります。主郭の手前に再び巨石2つで塞いだ城門跡があります。主郭は縦長に広く、東側は山、西側は小川があります。中心付近に巨岩がそびえ立ち圧倒されます。岩は角礫岩で城跡でこれ程大きな岩を防御に利用して見たのは初めてで感動でした。裏門跡は登城口から1600m、主郭からも小川を遡って相当歩きます。番人の穴という岩を掘った洞窟が点々とある場所にたどり着き裏門跡が見えます。裏門前が雑草で塞がれ、ここで力尽きたので番人の穴で引き返しました。すべて廻れず心残りはありますが満足度は高い、見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

本丸と国宝天守閣(2/4) (2023/10/04 訪問)

 駐車場の関係で本丸北ノ門からの入城と成りました、北ノ門に多門櫓が載って居たらさぞ豪華な構造だったことでしょう、本丸乾櫓跡の櫓台が北ノ門横に在り、漆黒の国宝天守閣重厚で圧倒される、多くの人も見えて賑わっている、人の姿をあまり入れない様にと写真チャンスを待つが中々切れない、鉄砲櫓跡の櫓台、本丸入城門の一の門跡、復元南多門を見て、天守閣には登閣せず眺めるだけで十分に満足です。
 松江城には高校2年生の時が初登城で60年近く経ちました、今回の前が平成30年8月以来の5年振りでした。
 

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しんちゃん

田沢城 林道 浜松市北区引佐町田沢 (2023/10/29 訪問)

田沢城は浜松市北区と新城市の境目のあたりにあり山城です。城域はほぼ新城
側にあるのですが、城人では静岡県のくくりになっています。結構な山奥に
築かれていて林道で主郭のあたりまで行くことができます。普通にナビに
載っているくらいなので普通車で行くことが出来るのですが、林道になれて
いない人だとかなりしんどいかもしれません。自分の車が5ナンバーの
フリードスパイクでホイールベースが2600mm、車幅が1695mm、最小
回転半径は5.2mで車高は一般的な5ナンバー車と同じです。最初に林道に
入る所が結構幅せまなのと、路が有れている箇所もあったりして、ガード
レールの無い箇所もけっこうあるので最後まで気は抜けないです。走れない
路ではありませんがスピードの出し過ぎは厳禁で、車高の低い車や軽自動車
では底をすったりすると思います。木の枝で車にひっかき傷が出来るかも
知れないので、あくまで慎重に自己責任でお願いします。

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カズサン

稲荷橋から本丸北ノ門のアプローチ(1/4) (2023/10/04 訪問)

 田和山遺跡を終えて北に4,5km程に松江城が在り、此処まで来たら寄らなくては!と宍道湖沿いの道、宍道湖大橋を渡って松江城大手門駐車場へ、しかし駐車場には数台の車が入庫順番待ち、係りの方に確認して北西に在る城山西駐車場に移動し同駐車場を利用。
 城山西駐車場から500m程で松江城北の搦手に当たる稲荷橋から入城、城山稲荷神社、小泉八雲も散策、神社の石狐を作品に取り込んだとか?、護国神社前を通り、此処は北の丸跡で石垣がよく残り掘尾吉晴公の隠居屋敷で有ったとも言われてる、馬洗池を通り、水の手門枡形石垣も復元整備されてここも見所のポイント、松江城天守閣の北面が石垣越しに見えてくる、水の手門立体枡形虎口を通り、本丸北ノ門へ到着、北多門櫓が聳えた北ノ門を脳内想像してみる⁈・・今回は駐車場の関係で北からのアプローチと成りました。
 
 

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