熊本での西南戦争の遺跡を訪れると、やはり今度はどうしても鹿児島に行きたくなり、「鹿児島城(鶴丸城)」と終焉の地「城山」などを訪れてきました。
鹿児島城(鶴丸城)は、豊臣の九州征伐や関ケ原の時代を乗り切った当主島津義久の弟で、島津の退口など数々の武勇で有名になった義弘、その義弘の子「忠恒(後の「家久」)」が義久から島津の家督を継ぎ1601(慶長6)年に築城しました。徳川を欺くため外城制度を設け、天守が建てられなかったのは、皆さんよく御存知と思います。そして御楼門は、西南戦争の4年前1873(明治6)年に火災で焼失しましたが、2020年に再建されました(写真①②③)。
御楼門をくぐると内桝形になっています(写真④⑤)。その先、本丸御殿があった場所には、資料館「黎明館(れいめいかん)」があります(写真⑥)。ここは、薩摩や島津の歴史が実によくまとめられています。入り口には大河ドラマ「篤姫」で使われた、徳川家定へのお輿入れの籠が展示されていました(写真⑦)。前庭には篤姫の銅像もありました(写真⑧)。
御楼門西側300mの照国神社横には、西郷隆盛のでっかい銅像も立っていました(写真⑨)。
【アクセス情報】
鹿児島を観光するには、シティビューバス(市営)がオススメです(写真⑩)。鹿児島中央駅を発着30分間隔で運行し、主な場所にすべて停まってくれて、1日券(600円)で乗り放題なのでとてもお得でした(おかげで今回はあまり歩かずに済みました😊)。
次回、「②御楼門と私学校(弾痕跡)」へ続きます。
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