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shige

(2021/04/11 訪問)

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shige

(2021/01/17 訪問)

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2020年7月23日初夏の鶴ヶ城 (2020/07/23 訪問)

2020年初夏の鶴ヶ城です。
素晴らしい美しく堅固なお城ですね。
地元会津では鶴ヶ城としか呼びません。
いかに、自分達の会津に誇りを持っているかが伺えます。
会津魂ですね。 
私は、会津に敬意を込めて鶴ヶ城と呼びます。
鶴ヶ城は、梯郭式の平山城で、本丸を中心に北出丸、西出丸、二の丸、三の丸が周囲に配置されていました。
現在の天守閣は、鉄筋コンクリート造で外観復元され、内部は博物館になっています。
明治7年撮影の古写真を見ると、5重5階の層塔型天守で、回り縁と高欄が見えます。
飾り破風のない単調さではあるが、東面の1階と3階に突出部を設けていた。
戊辰戦争で被弾して、特に東面は破損が酷かった。
鶴ヶ城の前身の黒川城に入った蒲生氏郷は、1592年より近世城郭に大改修して城下町も整備しました。
蒲生氏郷が黒川から若松に地名を改めたとされています。
1593年に、望楼型7重天守を竣工し、名を鶴ヶ城と改めました。
1611年に会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に組み換えています。
縄張りは、台地の西側に主郭の本丸、内濠を隔てて東側に二の丸、三の丸と続き、台地の下の北側に北出丸、西側に西出丸である。
三の丸以外の各門は、枡形石垣門となっていました。

にのまるさん、

松本城の大天守の最上階の回り縁の痕跡の廊下、辰巳附櫓の花頭窓、月見櫓の朱色の回り縁を写真で確認して頂きありがとうございました。
月見櫓の朱色の回り縁なのですが、塗替えられていると思われます。
もし、家光公がお泊りでしたらこの月見櫓で月見をされたかもしれませんね。

最後の松本城の問題ですが、少しややこしく分かりにくかったのかもしれませんね。
何故、武田信玄が深志城を目指したのか?
考えて見ましょう。
その当時の歴史的背景、即ち1550年に武田信玄は深志城を奪い取っています。
1550年頃の他の戦国武将の動きを見てみましょう。
南には、今川氏がまだ健在でしたし、関東の後北条氏も勢力を保っておりました。
だから、南下政策は取りにくいですね。
そしたら、有力武将のいない地域は何処でしょうか?
それは、信濃しか有りません。
信濃には、諏訪氏や小笠原氏などがいましたが信濃一国を収めることは出来ていませんでした。
そこで、武田信玄は信濃の何処に行けばいいのかを考えました。
武田信玄が北に向かい攻める武将は二人しかいません。
上杉謙信と織田信長です。
深志城(今の松本盆地)には2つの街道がありました。
北に行く善光寺街道と西に行く野麦街道です。
善光寺街道を北に行けば、川中島そして越後になります。
野麦街道を西に行けば、野麦峠を越えて高山で出て岐阜に行けます。
そこは、正しくふたりを攻める拠点になり得たのです。
また、断層なのですが
これは、糸魚川静岡構造線という断層帯が糸魚川から松本盆地を経て甲府盆地を通って静岡まで続いております。
土木工事に詳しい武田信玄ならば、この断層があるのを知っていたと思われます。
この断層に導かれて松本にやって来たのでしょう。
また、松本は水が豊富なのですね。

それでは、会津若松城の質問を致します。
質問1

会津若松城の東側の石垣は20mも有ります。
何故東側の石垣が高いのですか?


質問2

東北最大級の天守が出来た理由は?


質問3

何故天守の瓦は赤いのか?


最後にもう一つ有ります。
 
会津と言えば白虎隊が有名ですが、会津では6歳から9歳までの藩士の子供は、十人ぐらいの集まりを作っていました。
この集まりのことを会津藩では什と呼び、年長者が座長となっていました。
そこには、什の掟で罰則もありました。

その什の掟を3つ答えて下さい。
宜しくお願い致します。


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カズサン

本丸、天守台石垣が美しい❣ (2011/05/05 訪問)

 復元整備整った北の総門、萩博物館の探訪見学を終えた10年前の平成23年5月上旬、折角来たので本丸も極めなくてはと三の丸の上級武士邸宅跡の長屋門、土塀など揃った伝統的建造物群を眺めながら萩城本丸エリアへ、車は萩博物館専用駐車場(有料300円)に駐めたまま。

 本丸は月見櫓(南東櫓)を内堀越しに指月山も入れて眺めるがここが一番のビューポイントかなと思っております、内堀外を散策し天守台を内堀越しに東から、西から眺める、扇の勾配が美しい石垣です、赤瓦の天守閣が復元されたらと妄想したり❣ 西の二の丸石垣残存部分を探訪の後、本丸に入り天守台に登り天守台、付櫓台、天守台と本丸内枡形の間の石垣城塁、同石垣裏の全面に行き渡ってる雁木石垣を眺め観察。
 この後は二の丸東門枡形、二の丸東海岸沿いの石垣城塁、櫓台を観察見学。

 指月山を入れて石垣を眺めると萩城の景観の美しさを益々感じゆっくりホッとした心持に成ります。
 本丸、天守台中心の写真を投稿致します。

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ぎりょう

今年初の攻城は葛西氏の城 (2022/01/21 訪問)

年末年始から強い寒波が訪れ、宮城県北も大雪の毎日。久しぶりに穏やかな天気となり、仕事で石巻市を訪問したことを幸に今年初の城址探訪ができた。
石巻城は文治の奥州合戦の後にこの地を領した葛西氏の城と推定されているが詳細は不明という。延宝年中に仙台藩が幕府に提出した「仙臺領古城書上」では牡鹿郡石巻邑の項に「石巻城 東西九十間南北四十間 城主葛西三郎・陸奥守清重・左京大夫晴近居住没落ス。・・・・」との記載がある。
昭和58年の発掘調査で中世城館跡であることがわかり、平成9~10年の調査では城址に鎮座する鹿島御子神社の拝殿北側に空堀跡が発見されたという。
城は標高60mの山城。日和山公園最上部の神社拝殿が建つ場所が主郭であったろうか。またその下段、東西に続く平場は切岸を伴った曲輪群に見えるし、公園の周遊路附近には虎口とおぼしき箇所もある。廃城は天正18年(1590)、奥羽仕置きによる葛西氏滅亡時という。その後長い年月を経ており公園化・宅地化により往時の縄張は判らないものの、戦国大名の居城にふさわしい規模を持った城郭であったことは間違いない。
JR石巻駅から徒歩22分(1.5km)
車で訪問の際は「日和山公園駐車場」に駐車可能。

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todo94

青春18きっぷで日帰り首都圏 (2021/12/18 訪問)

感染状況が落ち着いていたので2年ぶりにお城EXPOに参戦しましたが、まさかグッズコーナーが人数制限で整理券配布システムになっていたとは。ピンバッジを買いたかっただけなのに。リーフレット類を大量にゲットできたからいいけどもう二度と参戦しないかもしれません。そして2020年2月以来の東京へ。北区の大河ドラマ館に行く前に金剛寺に脚を伸ばしてみました。

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朝田 辰兵衛

さすがにここは凍ってない。 (2022/01/08 訪問)

東京富士美術館で「古代エジプト展」を鑑賞した帰りに,横山町のバス停で下車して向かいました。
夕方という時間帯もあり,さすがにここは凍っていませんでした。

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平岡氏の方形居館 (2021/01/16 訪問)

松山市荏原町に河野氏の重臣、平岡氏の居館跡が残っている。
ほぼ、正方形の居館である。四方を水堀、その内側に高さ5mにはなろう土塁が巡っている。
南面に土橋があり、外と繋がっている。
館内(土塁の内側)は現在は畑になっているが、南北朝時代の居館跡が、ここまで残っているのは貴重なのではないだろうか…
館内の四方には櫓があったと考えられている。
西南隅には石積みが残っている。
ここから車で10分足らずの所に、新張城跡(遺構はほとんど残ってない)もある。時間があれば、セットで廻り、往時を馳せ偲ぶのも良いのでは…

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じゅんじん

夜の和歌山城 (2022/01/06 訪問)

15年ぶり3回目です。初のライトアップ。

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じゅんじん

水門 (2022/01/06 訪問)

水門と石垣が残っています。大部分は住宅地ですが公園内にはお社と説明板がありました。

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赤い城

江尻小学校 (2022/01/15 訪問)

本丸跡には江尻小学校が建ち遺構はなさそうです。
小学校の校門が本丸門となっているのが羨ましい。
この本丸門前の道は内堀跡のようです。
本丸門から少し南に説明板がありました。
さらに南には魚町稲荷神社が建ち、穴山梅雪が城の鎮護として建てたとされています。
少年サッカー発症の地とされているようです。
清水ですもんね。

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にのまる

凍ってた② (2022/01/16 訪問)

大手門と宿場の町並み散策のあと懐古園へ。
前回訪問時に雪の残る櫓台に上がって悲惨なことになった記憶があったので、このたびは二の丸跡以外は上がらずに園内を一周しました。
本丸跡の懐古神社の噴水は鋭意結氷中?もう少しでアート作品完成かな⁉︎という感じでした。

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にのまる

[松本城クイズ]

① 天守最上階の一周する廊下→写真①(撮影の場所取りで順番待ちになるところ('ω')ノ)
② 辰巳付櫓の花頭窓→写真②(辰巳付櫓は一瞬で通り過ぎてしまいがち)
③ 月見櫓の朱色の廻り縁→写真③(月見櫓といえば刎ね勾欄と舞良戸)
④ 深志城入りと大改修は信濃攻略における拠点とするのに何かと都合がよかったからというざっくりとした認識しか持ち合わせておりま せん。歴史的背景や断層から自分で考えるのはとてもレベルが高すぎてムリです(*_*)

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肉球

小塙陣屋(森田陣屋)・栃木県那須烏山市 (2021/12/12 訪問)

関ヶ原の戦いの後大田原藩主大田原綱清の次男増清によって築かれた陣屋跡です。
石高は千石から千五百石ではありますが領地替えもなく明治まで存続したようです。
目立った遺構はありませんが西側に土塁が残り
北側は切り立った崖となっており荒川が流れ天然の堀となっています。
場所はJR烏山線小塙駅から東へ200メートルほどのところ

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カズサン

萩博物館竣工公開される(H16/11) (2011/05/05 訪問)

 外堀に掛る北の総門探査見学を終えて萩博物館へ、平成16年11月に約2年を費やし萩開府400年行事の一環として旧毛利隠岐邸跡に萩博物館開設、同施設は三の丸伝統的重要建造物群の景観に合うようにと、白漆喰土塀、長屋、長屋門、二階建て隅矢倉、本館は平屋建て銀なめし瓦の甍が眩しい程マッチ、萩開府400年の行事には北の総門高麗門の復元整備も行われて居ます。

 博物館本館に入る前に二階隅矢倉の探訪見学、一階二階と見学し、長屋門を通りから内部から眺め内部見学、周囲の白漆喰土塀も廻り本館萩博物館を見学、萩城の立体模型が一番気を引きました、実に良く出来ています、指月山山頂の詰の丸櫓群、本丸天守閣、二の丸実に往時の実体験が出来た様でウキウキします。
 訪問した10年前の平成23年5月上旬、萩博物館の建物、周囲の写真を投稿致します。

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小城小次郎

よく気付く上司だったのだろう (2021/09/20 訪問)

大阪に古河藩?となるが藩には飛び地があるのは割と普通。飛び地の管理が必要と気付いた土井利厚は老中を務めた切れ者だが、いきなり陣屋を築けと言い出すようなよく気付く上司を持った部下はさぞ大変だったことだろう。

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やま

掛川三大城跡 (2022/01/17 訪問)

掛川城は何度か来たことがありましたが、天守や二ノ丸御殿の中には入ったことがなく、たまたま出張の合間に時間ができたので見学することができました。天守は復元ですが木造なので趣がありました。二ノ丸御殿は現存ということで、ここで実際に政務を執り行ったり、居住していたと思うと感慨深く、往時に思いを馳せることができました。また御殿内に展示されている武具への杉良太郎氏の寄贈された思いや、寄贈に至った経緯などを知り感動しました。掛川城は見どころが沢山ありますが、やはり俯瞰の眺めが一番美しいと感じました。

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todo94

登城路寸断 (2021/12/11 訪問)

内子の観光駐車場に駐車し、重要伝統的建造物群保存地区の観光を楽しんでから、攻城してみました。登城口に小さな石の表示がありますが、登城路は落石崩落でまともにつながっていませんでした。苦労して崖を直登して何とかかつて畑であったであろう朽ちた小屋のある山頂部にはたどり着くことが出来ましたが、松尾神社や大堀切にはたどり着けていません。残念。

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じゅんじん

神社裏山 (2022/01/06 訪問)

堀や土塁が見ごたえありました。曲輪も大きかった。

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カズサン

北の総門復元整備される(H23/3) (2011/05/05 訪問)

 萩城の外濠に架かる北の総門エリアが発掘調査の上、高麗門が平成16年に復元され外濠整備、外枡形、土橋、土橋土塀、船着場が平成23年3月に復元整備されましたので10年前の平成23年5月上旬に長門、周防、安芸、備後、播磨の整備復元建造物、未踏の城廻りに出掛けました。
 先ずは萩城外濠、北の総門エリアへ、車は次の探訪先の萩博物館の駐車場を利用。

 萩城へは今回の探訪時で40数年前に、今回の投稿時では50数年前に初登城して以来、家内との記念婚、仕事での出張期間、個別に詰の丸探査などなどで訪ねています。
 外濠は築城当初は約40mの幅が有ったそうですが現在は約8m程に縮小され町屋の増設、開発が進みました、外濠の総門は北の総門、殿さまが通る中の総門、平安古の総門と三ヶ所在ったそうです。(萩城下町絵図古地図による)
 北の総門だけ復元整備され真新しい大型の高麗門、脇潜り戸付き、大扉には車輪が付き、上は透かし扉に成ってる、外桝形エリア、左右に外枡形より食い違いが有りスロープで外濠の船着場へ降りている。
 左右の外濠土塁土手は遊歩道として散策しやすくなって居る。土手の草も刈られ植栽も手入れ良く草花も咲き大変綺麗に整備されて居り気持ち良く探訪出来ました。 中の総門跡は案内板のみで未整備の様です。情報を拾数年収集しながらやっと探訪観察する事が出来ました。

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