こじょうやまじょう

虎城山城

和歌山県東牟婁郡

別名 : 古城山城、上野山城
旧国名 : 紀伊

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主郭
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ぴーかる

散々迷って、ストックなくす。 (2026/01/24 訪問)

【虎城山城】
<駐車場他>ドメキ漁港に停めて徒歩で向かいました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅6城目。本州最南端の城びと城、虎城山城の築城は添付写真の説明板にて割愛いたします。先に登城方法を説明します。青年会館の右手に説明板があります。説明板の所に階段が2手に分かれていますが、右手の階段を登ります。青原寺の山門を入って右手の階段を登って鳥居のある祠に着きます。背後の山道を登りきると城跡に到着します。山門が閉まっていれば山門の手前右手に尾根に取り付く踏み跡がありますので藪化した細尾根を登ると祠に着きます。
 単純なのに超迷って、最初右手の階段を登って、お寺に着いたので違うと思い、降りて左手の階段を登り切ると耕作放棄地が広がっていて、散々迷走してやっぱり違うとなって、もう一度お寺さんの方からアプローチしてやっと到着。
 城跡はほぼ単郭で説明板にある二の丸はちょっと分かりませんでした。広い主郭の北側に2段腰曲輪が付いています。土塁や防御設備の遺構は表面観察では見受けられなかった。更に見終わって、車に戻る途中に肩に掛けていたストックが無くなっていることに気づいて、どこでなくしたか分からないので諦めました。たぶんお寺の山門前の細尾根の藪にありそうな気がします。次に行く方、確認して回収お願いできたらと思います。
 1日目終了、宿泊は那智勝浦まで戻って泊まりました。夕食にまぐろカツ丼を予定していましたが、店に行ったらなんと改装中でお休み、無念。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(東海&関西)遠征20日目:虎城山城 (2025/06/03 訪問)

古座駅に着きましたが、朝からの強雨と汗で体温が下がり、風邪をひいたようです。
持参している薬を飲み、しばらくの間、古座駅で様子を見ました。薬を飲んだとはいえ速攻で効くわけもありません。
今回の遠征はあと5日間ある為、大事をとって古座駅で撤退することにしました。
当初の計画では、古座駅➡稲荷山城(城びと未登録 和歌山県串本町)➡虎城山城➡小山城(城びと未登録 和歌山県串本町)➡小山屋敷(城びと未登録 和歌山県那串本町)を巡る予定でした。

1581年(天正9年)高川原貞盛によって築かれたと云われています。
青原寺は貞盛の子家盛が慶長年間(1596-1615)に開基した高川原氏の菩提寺です。
高川原氏は伊勢国司北畠具教に仕え、その後織田信長の家臣滝川一益に従いましたが、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで家盛が西軍に属したため、改易となり城も廃城となりました。
しかし、家盛の子孫が城跡に代々住居を構えていたそうです。

方向音痴の自分が、虎城山城方面の写真をとりましたが、後で調べたらもっと南西方向でした。
攻城時間は25分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストになりました。
本日の宿泊先に行く為、新宮駅に戻り荷物をコインロッカーより取り出し後、新宮駅から電車で伊勢市駅に向かいました。
歩行歩数=12242歩、歩行距離=8.6Kmです。

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淀城一口城主

藪化著しいのが残念 (2018/08/16 訪問)

高川原摂津守貞盛が、新宮の堀内氏善の侵攻を食い止める為に築き、水軍城として機能していたという。麓から5分位で本丸に到達出来る。
本丸、二の丸、そしてそれに付随する小さな曲輪からなる。藪化が著しいのが残念である。
地元の方によると、高川原貞盛の墓があるとの事だが、発見出来なかった。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 高河原貞盛
築城年 天正9年(1581)
主な改修者 高河原氏
主な城主 高河原(高川原)氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡(古城山)
再建造物 説明板
住所 和歌山県東牟婁郡串本町古座