みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

昨年1月31日冬に攻城した備中松山城 (2021/01/31 訪問)

昨年の今頃に備中松山城に訪問致しました。
備中松山城は、日本3大山城のうちの1つで有ります。
別名は、高梁城と言います。
現存天守12城のひとつでもあり、この中で唯一の山城で有ります。
小松山に本丸、二の丸、三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構が有ります。
この城は、戦いに備えて築城された「詰め城」で有ります。
江戸期の備中松山藩時代は山城で不便な為、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。
備中松山藩の石高は、6万石ぐらいあった。
1240年、秋庭三郎重信が大松山に最初の城を築いた。
1331年頃に、高橋宗康が小松山まで城を拡張しました。
戦国時代、三村元親の時代には大松山、小松山を範囲とする一大城塞となった。
その後、三村氏と毛利氏の争いが続き、城は毛利方の小早川隆景により落とされ、三村元親は自害しました。
お城は毛利氏の領有となった。
1600年、関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍につき敗退後に、江戸幕府が城番を置いた。
1617年、池田長幸が入城し、6万3000石で立藩するが、直ぐに御家断絶になった。
その後、水野氏が城番として入ったのち、水谷氏、浅野氏、安藤氏、石川氏、板倉氏とめまぐるしく代わった。
板倉氏が8代続いて明治維新を迎えた。
現存する天守は、複合式望楼型2重2階で西面に半地下のようにして附櫓が附属されています。
天空の城としても有名であります。

にのまるさん、
会津若松城の問題ですが、質問1と質問3が正解です。

質問1の補足説明ですが、舌状台地の上に築かれた本丸とその東の二の丸、三の丸とを深いお堀で仕切られていました。
今は駐車場になっている三の丸には武家屋敷が立ち並んでおりました。
三の丸には、今はお堀はありませんがお堀の痕跡は残っております。
本丸から東に向かって城郭が拡張されていったのですね。
本当に大きな城郭を成していたのです。
東からの敵の侵入をそれぞれのお堀で食い止めようとしたのですね。
特に本丸は、石垣で固めておりました。
台地のへりの高低差を利用した防御システムだったのです。
また、平地に西出丸や北出丸などの大軍を駐屯させることの出来る広大な馬出し曲輪も設けていました。
兵が潜んでいた伏兵郭もありました。
即ち、20mの高石垣を造ることで鉄壁の守りを実現させたかったと言う事でした。
質問2の補足説明は、会津若松城の周辺には続100名城の向羽黒山城が有ります。
これは、蘆名氏が築城したのですがにのまるさんは行かれたでしょうか?
非常に巨大な山城ですね。
即ち、会津は軍事的に重要な所だったので、巨大な城で守る必要があったのです。
もう一つ、会津には巨大な城郭を築く筈であった幻の城があったのです。
それは、上杉景勝が直江兼続に命じて築かせようしていた神指城がありました。
今は、土塁と堀のみしか残っておりません。
会津盆地は穀倉地帯ですね。
上杉景勝は、経済の中心にしたかったのです。
保科正之は、会津藩主として街道の整備をしていったのですね。
特に旧下野街道は、大名の参勤交代等に使われ、日光街道から江戸まで通じていました。
色んな武将が経済的軍事的拠点にしたかった会津
即ち、経済的にも軍事的にも重要な所だったので、その為に巨大な天守を必要としたのですね。
質問3の補足説明は、天守の瓦が赤いのは何故か?
天守の瓦は、発掘調査によって見つかったのですね。
赤い瓦だけでなく黒い瓦も見つかったのです。
初めは、黒瓦だったのですが瓦が割れると言うことから段々に、赤瓦に代わっていったのですね。
最後は、全て赤瓦になったのです。
蒲生氏郷が連れてきた様々な職人の技術が赤瓦に代えさせていったのですね。
鉄釉薬を使ったこの技術が陶磁器だけでなく、瓦にも応用されていたのです。
黒瓦の時は、釉薬を使ってなかった。
素焼きなので水が通しやすかったのですね。
赤瓦には鉄を多く含んだ釉薬が使われていた事が判明しています。
だから、瓦が赤くなったのです。
会津は非常に寒い地域なので、雪が解けて凍ったとき瓦が割れてしまうのです。
即ち、寒さに強い瓦にする為に、天守の瓦が赤くなったのです。
最後の問題は、什の掟はどんな掟か?
それは、7つありました。
➀ 年長者の言ふことに背いてはなりませぬ。

② 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。

③ 嘘言を言ふことはなりませぬ。

④ 卑怯な振舞をしてはなりませぬ。

➄ 弱い者をいぢめてはなりませぬ。

➅ 戸外で物を食べてはなりませぬ。

⑦ 戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ。

ならぬことはならぬものです。

多少、集まりによっては違っていたが大体上の通りだったのですね。

それでは、山城クイズです。
これは簡単です。

備中松山城は日本3大山城の1つですが、あとの2つの山城を答えて下さい。

岐阜3大山城は、何処の山城か答えて下さい。

日本5大山城と日本5大山岳城をそれぞれ答えて下さい。


今年の山城サミットは、恵那市で10月に開催されます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いち

重文の大手門 (2019/07/08 訪問)

 派手さこそありませんが、カッコいい大手門です。
懐古園からの景色を見れば、守りの固さがわかります。
上田まで電車あるので、あわせて上田城も来訪できます。

+ 続きを読む

カズサン

三の丸武家屋敷、伝統的建築物群保存地区 (2011/05/05 訪問)

 萩城探訪で車を萩博物館駐車場利用し、本丸、二の丸間を往復しましたのでその間の三の丸上級武家屋敷堀内の重要伝統的建築物群保存地区で目に付いた建物、白漆喰土塀、漆喰が剝がれた土塀、土塀が壊れて石積塀、土塀と土塀の間の通り、夏ミカンを静けさの中でしっとりとした景観風情を気のまま撮りました10年前の平成23年5月上旬の写真を投稿致します。

 北の総門、萩博物館、本丸二の丸三の丸探訪を終えて17時前で約4時間の歩きっぱなし、翌日の下関市長府探訪で今夜は長府泊り。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

備中の覇者 三村氏所縁の城を巡る 国吉城 (2021/01/09 訪問)

国吉城は、高梁川の支流 成羽川沿いにあり、備中松山城の前に三村氏の本拠であった、鶴首城の上流に位置します。谷の街道を進むと、南方の猿掛城に至ります。備中兵乱で、猿掛城を落とした毛利軍は、次に国吉城を目指しました。
成羽川から、少し北へ谷を入って行くと、国吉城が見えてきます。頂上が平らで斜面が切り立っており、山城に最適な山容です(写真1枚目)。
山頂近くまで車道があります。車道は、城跡のためでなく、高所にある、民家や畑作地のためのようです。北側の大手以外は、急峻な斜面に囲まれており、200mに亘って郭が並びます。城主であった三村政親らの供養碑がある郭までは草刈がされています。手前の切岸の竹藪を突破してください。
国吉城大手に至るすぐ近くで同じくらいの標高に、民家や畑作地があります。やや遠くにも緩やかな谷を挟んで同じくらいの標高に民家が見えました。吉備高原は準平原を河川が激しく浸食した地形なので、河川がある谷底は平地が少なく、山の上の比較的平なところも耕作されています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

飛鳥山城 (2021/12/18 訪問)

最終日の前週に駆け込みで渋沢×北区 青天を衝け大河ドラマ館に行ってきました。ちょっと内容が少なすぎると感じてしまいました。正直、青天を衝けの大河ドラマ館は諦めていたので、感染状況がここまで落ち着いてくれたのはラッキーでしたけれども。渋沢記念館は閉まっていたのでいつか再訪したいと思いますが、いつになることやら。そんでもってこの地はかつての飛鳥山城だったんですよね。ということで投稿させて頂いた次第です。

+ 続きを読む

にのまる

ちょっと凍ってた。 (2022/01/16 訪問)

王城公園となっている王城から石並城の方にまわってみるとものすごい断崖が現れました。目の前には湯川が流れ、異世界に入り込んでしまった感覚です。(←楽しい)
堀跡の道路を挟んで王城の向かい側の黒岩城は個人様の敷地なので入ってはいけませんが、3つ並んだお城をイメージできました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

会津若松城もんだい

① 地形の高低差のため東側に高石垣が必要。
② 保科正之がスゴイ人だから。
③ 水に強い鉄分を含む釉薬を塗った赤瓦を使用。
④ 日新館で見ましたが覚えていません!

+ 続きを読む

伊予の江ノ島 (2021/01/09 訪問)

伊予の江ノ島こと鹿島。ここは、島城だった。
来島氏の居城、鹿島城である。
山の頂を主郭とし、北東に向かって、曲輪が配されている。
二の段は、ハッキリと判る大きな曲輪で、周りに石塁が巡っている。
そこから登って、腰郭のような曲輪を横目に10分くらい登って主郭に達する。
主郭の南端には、必勝祈願でもしたのであろうか、旗を立てたとされる穴のある岩がある。
いろいろ伝承があるみたいだ。
南西に向かって下ると、崩れかけた石塁が多く見られる。
この城跡を巡る季節だが、夏はお勧めできない。
海水浴場がある為、人で賑わう。虫も多い。
渡船料は210円。季節や時間によって異なるが、20分から30分ごとに運行している。
駐車場は520円(運転手、一人分、渡船料を含む)である。
鹿島城を楽しんだ後には、私なら『シーパまこと』という海に開けた温泉に入って汗を流したい。
とても近くにあるので、個人的に、おススメしたい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

二の丸東門、東西海岸沿の城塁、櫓台探訪 (2011/05/05 訪問)

 10年前の平成23年5月上旬、復元整備成った萩城北の総門、萩博物館探訪見学後、折角訪ねたのでと本丸を廻り、過去の探訪で余り廻って無かった、二の丸東門枡形石垣、指月山の西側の海岸側石垣城塁、櫓台跡、東側の海岸側石垣城塁、現存白漆喰土塀、櫓台跡に重点を置いて巡りました。
 日本海に浮かぶ石垣城塁、櫓台跡に指月山の緑が絵画を見てるように美しい景観です、ここを見てるだけで満足癒されます。
 当時撮った写真を投稿致します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

岩屋城・高橋紹運墓地 (2022/01/08 訪問)

【岩屋城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<見所>眺望・高橋紹運墓地
<感想>1泊2日国土防衛筑前国の旅2城目。岩屋城は天文年間(1532~1554年)に大友氏の家臣高橋鑑種によって築城されたとされる。高橋鑑種は大友宗麟の傲慢な振る舞いに愛想をつかして反旗を翻す。その後吉弘鑑理の次男が高橋氏の名籍を継いで高橋鎮種(のちの紹運)となり宝満城・岩屋城の城主となる。有名なのが岩屋城の戦いで、1582年島津氏の進攻により高橋紹運は本城の宝満城ではなく防備の薄い岩屋城に700名程で立て籠もり2週間程耐えたが落城、紹運は自刃した。
 岩屋城は大野城のある四王寺山の南端にあり、焼米ヶ原駐車場の1㎞程手前の道路脇に登城口がある。南の麓市民の森から登山コースにても来れるようです。まず登城口の階段が竪堀になっていて少し登って堀切があります。左手に3条程竪堀があり少し広い削平地・巨石があります。主郭部?は背面が高土塁になっています。眺望側以外は鬱蒼としていて遺構が分かりません。眺望は抜群で大宰府政庁跡からこの岩屋城が見えていたようにこちらからも大宰府政庁跡や水城が見えます。道路から上部の見れる遺構は少なく、道路を挟んで南側に高橋紹運の墓地があるのですが、墓地を含めて数段段曲輪になっているのでこの辺りも城跡の範囲内だったと思われます。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

朝日神社と田んぼ。 (2022/01/03 訪問)

あまり資料がない、千葉県四街道市の「木出城」です。
築城年数は不明です。千葉氏一族の原氏の「木出城」のようですが、どんな先人がいらっしゃったのか、これまた不明です。

いつもの如く車で向かいました。
少し坂を下り、田んぼの向こうに少しだけ高い場所に「木出城」はありました。
田んぼの向こうの道は、車はすれ違えないと思います。ヒヤヒヤです。
まずは、「木出城」の説明板を見つけて路駐して、パチッ。
誰もいないし、車も来る様子がありませんが移動しました。
と、言うのも「木出城」の説明板の場所も何だか私有地のようなんです。
奥を覗くと住宅のお庭でした。他の細道も、住宅に続きます。
近くの『朝日神社』に移動しました。
こちらは土塁と堀が見られます。
私が堀だと思った場所は、田んぼと神社の間です。
でも、戦国の世では田んぼが湿地だったとしたら、堀を造らなくても良いのではないかと疑問。
田んぼの、のどかな風景に戦国の戦う「木出城」が想像できません。
『朝日神社』の推定樹齢300年の、けやきの大木も当時を知りません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

新ろくべえ

大手門、二ノ丸角櫓に行ってきました (2021/12/26 訪問)

 前回2019年9月4日に行ったとき(詳しくはそのときの記事をご覧ください)
大手門が復原工事をしていて、今回その大手門とその少しあとに、
復原工事を始めた二ノ丸角櫓にいって来ました。

【大手門】
 二ノ丸にあり、国内も屈指の規模を誇る大手門は城内の中で最も格式が高い門です。
佐竹氏が水戸城主だった慶長6年(1601年)頃に建てられ、その後の何度もの工事をえて
徳川時代にこの形となりましたが、明治時代に取り壊されてしまいました。
〔建築情報〕
・大きさ     木造二階建て  13.34M
・建築面積    158.28㎡ 
・延床面積    118.79㎡
・復原完成年   2019年9月30日

【二ノ丸角櫓】
二ノ丸角櫓は水戸城二ノ丸にあった櫓です。
水戸城には江戸時代に4つの角櫓がありました。
(本丸北西櫓、本丸南西櫓、下の丸角櫓、そして二ノ丸角櫓です。)
この4つの櫓は全て明治時代にとり壊されてしまい、今回二ノ丸角櫓が復原されました!。
この角櫓は全て城下町側によっていて、城下の武士や町人が見上げたときの眺望を意識していました。
二ノ丸角櫓は北多聞櫓、角櫓、南多聞櫓にわかれています。

+ 続きを読む

shige

(2022/01/22 訪問)

+ 続きを読む

shige

(2021/10/30 訪問)

+ 続きを読む

shige

(2021/07/31 訪問)

+ 続きを読む

shige

(2021/07/11 訪問)

+ 続きを読む

shige

(2021/07/03 訪問)

+ 続きを読む

shige

(2021/04/25 訪問)

+ 続きを読む

shige

(2021/04/22 訪問)

+ 続きを読む

shige

(2021/04/11 訪問)

+ 続きを読む

ページ4