ねこおじょう

猫尾城

福岡県八女市

別名 : 黒木城
旧国名 : 筑後

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①	猫尾城登城口(左は黒木中学校)
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トク

【筑紫広門】(3)猫尾城(黒木城) (2025/05/17 訪問)

筑紫広門の続き(3/6)です。八女市黒木町にある猫尾城(黒木城)を訪れてきました。勝尾城の戦いの前に、広門の不可解な行動ついてお話します。

猫尾城は、矢部川と笠原川に囲まれた標高240mの山城です(写真①)。JR羽犬塚駅から黒木行の堀川バスに乗り50分、終点黒木で下車します。そこから山頂の本丸まではさらに徒歩で50分です。途中には有名な「黒木の大藤」がありましたが(写真②)、藤の花はすでに散っていたのが残念でした。大藤の横の水路には鯉が泳いでいました(写真③)。酒蔵や白壁もあり、黒木町は城下町の雰囲気がよく残っています。

この大藤を過ぎてすぐにある、黒木中学校の横から登城します(写真①)。車の方はもう1km先を左折すると頂上近くまで行ける道路があるようです(地図⑧)。徒歩での登城路は枯れ葉が多いも舗装されていたので歩きやすかったです(写真④)。山頂に着くと神社がありました。ここが猫尾城本丸です(写真⑤)。大友との戦いで討死した黒木氏家臣を弔う慰霊碑がありました(写真⑥)。神社とその向側には算木積みの石垣がありました。江戸時代にはここに街道の番所があったので、この石垣はその時のものかもしれません(写真⑦)。この石垣で本丸は囲まれていたようです。本丸以外は野面積でした。山頂本丸からは眼下には黒木町の町並みが、遠くには筑後平野や有明海までもかすかに見えました(写真⑨)。

広門はここを訪れてはいませんが、間接的にここであったある戦いが、実は広門の人生のターニングポイントにつながったと言っても過言ではないと思ったので、今回私は訪れました。

1584年に龍造寺隆信が沖田畷の戦いで島津家久に討ち取られると、同年すぐに大友義統(宗麟の嫡子)は、龍造寺に奪われた大友の領地を奪還するため、まず龍造寺配下の黒木氏の猫尾城を攻めます。しかしなかなか落ちません。そこで、立花道雪と高橋紹運が北から援軍として駆け付け、猫尾城はついに落城します。そして次に、道雪と紹運は同じく龍造寺配下であった蒲池氏の柳川城攻めにとりかかります。しかし何とここで道雪が病死してしまうのです。

この隙に広門は、島津の命で手薄になっている紹運の宝満山城と岩屋城を背後から襲い、難無くこれらを攻め落とします。しかし私がわからないのはここからです(🤔?)。広門はこのままこの二城を支配し島津軍の到着を待つのかと思えば、何と・・・道雪の跡を継いだ道雪の娘婿で紹運の実子(長男)で立花山城の城主となった「立花宗茂」と和睦の交渉をします。そして、宝満山城主で宗茂の弟である「立花直次」に自分の娘(加祢姫)を嫁つがせる事で紹運も同意したため、和睦は成立しました。なぜ広門は耳川の戦い(1578年)に負け、没落中であった大友氏に近づこうとしたのでしょうか? ここが未だによくわかりません。なぜ島津氏を裏切って大友氏と手を組み、北上してくる島津氏に対抗しようとしたのでしょうか? しかしこの判断は、結果的には裏目に出てしまいます。

そしてその2年後1586年、島津は九州制覇を目指して北上を開始します。当主の島津義久は裏切った広門を絶対に許す気はありません。義久の命を受け九州を西上する島津忠長(島津四兄弟の叔父)は、2万の大軍をもって真っ先に広門が籠る勝尾城を包囲します。対する筑紫軍はわずか3千! もはや絶体絶命です。さあどうする広門! 次は勝尾城の決戦に続きます。

位置関係が分かりにくいと思いましたので地図を作ってみました。よければ参考として下さい(写真⑩)。

【余談】この黒木町は女優「黒木瞳」さんの出身地で、猫尾城の登城口にある黒木中学校の卒業生だそうです🤔(写真①)。
 

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モト

山頂の主郭 (2023/07/12 訪問)

3回目の九州でしたが、猫尾城行って参りました。
城跡は現在城山公園になっております。
地元、付近の知り合いに城跡だと話しをした所、小さい頃から遊びに行っていた山の公園だそうで、よもや城跡だったとはという反応でした。
主郭のある山頂近辺まで車で行く事ができます。
城山公園の駐車場に停め、歩いて5分で主郭に到着します。
駐車場から主郭までの間に曲輪が見られました。
また、主郭には神社のような物がありますが、石垣で一段高くなってます。
城跡の紹介を見ると写真によく出てくる石垣はこれだったのかと思いましたが、この石垣がなかなか雰囲気があってよかったです。

追伸
この日は晴れでした。
加えて訪問した時間が19時45分頃でしたが、この明るさです。
随分日が伸びたのだなあ、なんて思ってましたがこちらは関東よりも日が長いのだそうです。
その代わり、朝の明るくなる時間は遅いとの事でした。
言われればホテルからの夜明けの時間が5時でも薄暗いくらいだった事に気がつきました。
最近、仕事で九州に来ています。
仕事なのでなかなか城跡には寄れませんが、魅了的な城跡の多い九州を少しでも堪能できればと思う今日この頃でした。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:猫尾城 (2022/06/10 訪問)

城村城からの転戦です。城山公園駐車場入口付近(33.216730、130.683080)を曲がらず直進すれば駐車場に着きます。

築城年代は諸説あるようですが、1167年(仁安2年)大蔵大輔源助能によって築かれた説が有力とされます。
助能は徳大寺家の請いによって瀬高荘を管理する為、大隅国根智目(根占)から筑後国上妻郡黒木郷に移り築城したそうです。
この末裔が黒木氏を称し大友氏に属していたが、家永の時に龍造寺氏に従った為、1584年(天正12年)大友宗鱗によって攻められ落城、黒木氏は滅ぼされました。
柳河城に田中吉政が入封すると家臣辻勘兵衛が城代となりますが、元和の一国一城令によって廃城となりました。

猫尾城は現在、城山公園として整備されています。
主郭は山頂にあり、東端に彦山神社が祀られていますが、東端と西側は石垣によって一段高い土壇となっています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=福島城に向かいます。

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カズサン

車で登れ気楽に探訪出来ます (2016/10/27 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り前日肥後の南関城を終えて福岡八女市泊り以前のホテル、料理店、スナックと顔見知りに成り飲んで歌って楽しい八女の夜を過ごしました。
 城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報で車で三の丸駐車場に登れるとの事で初探訪しました、東側に拾数台以上停められる駐車場とトイレ完備。
 駐車場から北側の登城路を通り東面には大型土塁状の小山、越えると3曲輪?、目前に本丸の石垣、石積上に社、本丸北側から入城する、本丸西に石積土塁に虎口、下城階段、曲がりくねった登城路を下り二の丸、馬場跡、二の丸下段西側に竪堀か?良く分からず。
 二の丸下は黒木中学校が有り黒木氏が4、5百年治めていたようです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 源助能
築城年 文治元年(1185)
主な改修者 田中吉政
主な城主 黒木(源)氏、筑紫氏、辻氏(田中氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、武者走り、犬走り、櫓跡、馬場、井戸
指定文化財 県史跡(猫尾城跡)
再建造物 石碑
住所 福岡県八女市黒木町北木屋
問い合わせ先 八女市文化振興課文化係
問い合わせ先電話番号 0943-23-1982