2019/04/08
超入門! お城セミナー 第61回【構造】お城の種類の「平城」「山城」「平山城」って一体何?
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門!お城セミナー」。お城の説明では、よく「平城」「山城」というような表記が出てきます。「平城」は平地に築かれた城で、「山城」は山に建てられたお城でしょ? と予想はできますが、「平山城」というのもあるのをご存知でしょうか? 字面から「山城と平城の中間的な存在?」という程度に理解できますが、実は「平山城」が意味するものはあいまいで、取り扱いがとても難しい存在なのです。今回はそんな「平山城」の定義について考えてみましょう。
小高い山に築かれ、山麓に御殿や庭園が置かれた彦根城(滋賀県)は、典型的な平山城とされる
「平山城」には、中世の「平山城」と近世の「平山城」がある!?
城の解説書などでは、「山城」「平城」と並べられて、はじめのほうのページで説明されていることが多い「平山城」。にも関わらず、「平山城」の定義は解説書や専門家・研究者に聞いてもあいまいなことが多く、なかには「平山城」という分類自体に否定的な意見もあります。一体、「平山城」が〈あいまい〉だったり〈否定的〉だったりする理由とは、どういうことでしょうか。
まず、「一般的な平山城の定義」を見てみましょう。「低い山や丘と、その周囲の平地を利用して築かれた城」というのが、さまざまな解説書の一般的な定義です。つまり、「低い山や丘の上に本丸をはじめとした主郭を置き、その周辺の平地に御殿や屋敷を構え、その外周に水堀や石垣を設けている」ような城のことです。「山城」では麓の平地に屋敷を設けていることが多いのですが、「平山城」は低い山全体にわたって階段状に曲輪を構成している、または山頂の主郭と山麓とを石垣でつなげているなど、山頂と山麓が一体化している点が山城との違いです。
こちらも典型的な平山城とされる津山城(岡山県)。ひな段状に曲輪が構成され、一二三段の石垣によって全山が一体化している
この段階で、「平山城って、単に山城と平城の中間的な高さに築かれた城のことだと思っていた。周囲の平地を利用していた城なんて知らなかった」と思った方もいらっしゃるでしょう。けれども「山城と平城の中間的な高さに築かれた城」という理解も、厳密には間違いではないのです。「比高200m以下の山や丘に築かれた城」と定義する書籍もありますし、平地を利用していない古宮城(愛知県)や諏訪原城(静岡県)などの中世城郭が平山城と分類されていることもあるからです。
なぜ、このようなダブルスタンダードになったのか? それは、「平山城」という用語で織田信長以降に発達した近世城郭と、それ以前の土の城である中世城郭の両方を分類しようとしているからでしょう。
「平山城」という分類は、基本的に近世城郭を対象としています。最初の近世城郭とされる安土城(滋賀県)がそうであるように、安土桃山時代以降の城は政治・経済の拠点となることが求められたため、山城の防御性の高さと平城の利便性を併せ持つ「平山城」が主流となりました。低い山や丘に建てられた天守や石垣は城下町や街道から見えやすく、権威を示すことができたというのも「平山城」が増えた理由のひとつです。つまり「平山城」は、近世に主流となった「低い山や丘と、その周囲の平地を利用して築かれた城」を説明するための用語なのです。
しかしその一方で、中世城郭(土の城)の中で「山城というにはそれほど高くない」山城を分類する言葉としても「平山城」が使われており、それが混乱のもとになっているのです。そもそも構造が異なる城に対して、半ば強引に「平山城」と括っているわけで、定義のあいまいさが生じるのは当然でしょう。研究者の中には、低い山や丘に築かれた中世城郭を「丘城」と分類している人もいますが、一般に普及しているとはいえません。
「平山城」が“あいまい”である理由とは?
「平山城」という用語はもともと、江戸時代前期に幕府が諸藩に命じて提出させた『正保城絵図』に記されていました。各藩が自らの居城の詳細な見取り図を作成して、幕府に提出することで恭順の意を示したのですが、その中で「山城」「平城」とともに「平山城」という分類が登場します。この時の「平山城」の定義は「山城と平城の中間的な城」というだけであり、単に城が建つ高さだけで分類されています。しかもその分類は、作成者の主観が大きく働いていました。
例えば、金沢城(石川県)や大洲城(愛媛県)は、現在の定義だと「平山城」となるのでしょうが、『正保城絵図』には「山城」と記されています。また、盛岡城(岩手県)や西尾城(愛知県)も絵図では「平城」とされていますが、現在の定義だと「平山城」でしょう。江戸幕府は城絵図に対してより詳細な図面の提出を求めましたが、城の分類にはさほど関心がなかったようです。
『正保城絵図』の白河小峰城(福島県)。「平山城」と表記されている(国立公文書館)
近世城郭の中でも残る“平山城のあいまいさ”
さて、同じ「平山城」でも近世城郭と中世城郭では指している構造が異なることを前述しましたが、同じ近世城郭の中であってもあいまいさは残ります。例えば、現存天守を抱く伊予松山城(愛媛県)は山頂に主郭(本丸)を、山麓に屋敷地(三の丸)を構えており、その点では典型的な「平山城」なのですが、本丸はロープウェイを使用するほど天険で独立性が高いため、「山城」というイメージを持つ人も多いでしょう(実際、「山城」と分類している書籍もあります)。同じくロープウェイを利用する岐阜城(岐阜県)も山頂が主郭、山麓が屋敷地でしたが、こちらは比高が200m以上あるためか、「山城」に分類されることが多いです。
また、河岸段丘や台地突端に築かれた城の場合は、川や台地の下から見上げれば「山城」ですが、段丘上・台地上から見れば普通の「平城」となります。例えば、真田の城として有名な上田城(長野県)は千曲川によって削られた河岸段丘を利用した城ですが、上田駅側から大手通沿いに向かうと、段丘上を歩いていることになるので城までまったくアップダウンを感じません。
上田城(長野県)は崖下から見ると平山城の様相だが、崖上に建つと平城であり分類が難しい
以上見てきたように、「平山城」の分類とはたいへんあいまいなもの。みなさんもお城めぐりの際には、「この城は平山城なのかどうか?」と考えることよりも、城の立地——山頂なのか、丘と周囲の平地なのか、台地突端なのか——に注目してお城の理解を深めてみてはいかがでしょうか?
執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。
<お城情報WEBメディア城びと>