超入門! お城セミナー 第95回【構造】石垣を崩れにくくするための積み方って?

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは、石垣の隅の積み方。積みにくい上に建物が載ることが多い隅は、石垣の中でも最も重要な部分でした。この隅を崩れにくくするため考案された算木積とはどのようなものなのか。算木積の発展史を追ってみましょう。

石垣
城を守る石垣は、なぜ数百年もの間崩れず現存しているのだろうか。その鍵は石垣の隅に隠されている…

石垣を長持ちさせる工夫「算木積」

近世城郭の大きな魅力のひとつである石垣。城の縄張に合わせて複雑に折り曲げられたり、天守や櫓が載ったりするため、石垣は崩れにくく長持ちする強固さが求められました。石垣全体の強度を上げるために特に注意深く積まれたのが、石垣の角っこにあたる隅部です。

隅部の石垣は積み方が難しく、さまざまな工夫が重ねられた結果、最良の工法とされたのが「算木積(さんぎづみ)」という積み方です。

算木積の「算木」とは、そろばんが普及する前に計算に使われていた細長い木の棒のこと。この算木のような細長い形に加工した石材を使用するのです。

算木積では、長辺の長さが短辺の長さの2~3倍程度になるよう石材を整形。そして、長辺と短辺が交互にくるように積み上げていくのです。そして短辺のとなりには「角脇石(すみわきいし)」と呼ばれる短辺の1~2倍程度の石を1、2個配置します。こうすることで角脇石を上と下から長辺で挟み込むことになり、隅部の石垣がガチッと組み合わさって一体化。石垣全体の強度がグンとアップするのです。

江戸城、天守台
江戸城天守台の算木積。赤く塗った部分が隅石で青が角脇石だ。隅石の長辺が角脇石をしっかり挟む様子がわかるだろう

でも、石垣の隅部に長・短・長・短の積み方がある=算木積ではないので、注意が必要です。先ほど説明したように完成された算木積とは、

○細長い石材を長短交互に積む
○長辺は短辺の2~3倍
○短辺に角脇石を1~2個配置

といった石材の形・積み方で積んだ隅部の石垣のこと。大阪城(大阪府)、高取城(奈良県)、丸亀城(香川県)など、石垣遺構がしっかり残る城の多くに、この条件を満たす整然とした算木積が見られます。しかし、近世城郭の石垣がここに至るまでにはさまざまな工夫が試みられたため、「たまたま算木積になった?」ようなものや「完成まであと一歩!」なもの、また逆に技術の後退によって「算木積を忘れかけてない?」と感じるようなものもあります。

安土城、大阪城、石垣
平たい石を交互に積んではいるが角脇石がなく算木積の要件を満たしていない石垣(左・安土城)と、長方形に整形した石を交互に積み角脇石を入れた完成された算木積(右・大阪城)。比べてみると違いは一目瞭然だ

急速に起こった算木積の発達

天正年間(1573~1592)のはじめごろは、石垣隅部を強化するために正方形に近い平たい石材を積み重ねることが試みられています。算木積も部分的に行われていて、近世城郭のさきがけとなった安土城(滋賀県)もその一例。でもこの頃は、たまたまあった細長い石材を交互に積み重ねてみた、という程度です。下から上まで長短の石材を交互に積んだものはほとんどなく、底部に巨石をデンと据えている例がよくみられます。浜松城(静岡県)の天守曲輪や岡山城(岡山県)本丸の石垣隅部などは、この頃の例です。

浜松城、石垣
巨石と平たい石が使われた浜松城石垣の隅部。上の江戸城や大阪城に比べると、崩れやすそうに見える

やがて、隅部の石材はほぼ直方体になるように荒く加工されていき、ところどころで長短交互に積まれることが多くなっていきます。小諸城(長野県)、広島城(広島県)の天守台、熊本城(熊本県)の「二様の石垣」などがこれにあたります。江戸城(東京都)の白鳥濠も、この時期の未完成な算木積といえるでしょう。さあ、算木積の完成まであと一歩!

小諸城、石垣
天正18年(1590)頃に造られた小諸城の石垣。隅石はおおよそ長方形に整形されているが、角脇石が一部にしか入っていない

算木積が完成をみたのは、関ヶ原の戦の後の慶長10年(1605)ごろ。いわゆる「慶長の築城ラッシュ」で築城技術はめざましく発展し、石垣の加工技術も積み方も大きく進歩しました。こうして高石垣隅部の下から上まですべてに、長短の石材を交互に積み上げた石垣が出現します。そして、全国の大名が仕事を分担して幕府の城を築いた「天下普請」によって、短辺のそばに角脇石をしっかり配した算木積が、全国に広がっていきました。ついに完成です!

泰平の世では退化した算木積

ところが、元和の一国一城令によって新城を築くことがほぼなくなると、築城技術は停滞・衰退していきます。これにともなって、一部の城では算木積の技術も退化。宇和島城(愛媛県)や平戸城(長崎県)など、江戸時代中期以降に改修を行った城の石垣隅部を見てみると、長辺が短辺の1.5倍程度しかなかったり角脇石がままならなかったり…。算木積の技術が使用されなくなった様子がわかります。

平戸城、石垣
平戸城狸櫓の石垣。江戸時代中期の石垣で、隅石の長辺が短く角脇石を挟めていない

以上、今回は算木積に的をしぼって見てきましたが…そうです! 算木積を知れば石垣の築造年代がある程度判別できる!ということなのです。完成形の算木積なら慶長10年以降。整然とした完成形でなければそれ以前。そして長短の差が小さい退化した隅部なら江戸中期以降。この見分け方ができるのって、ちょっと自慢できますよね。

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執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』『超入門「山城」の見方・歩き方』(ともに洋泉社)、『図解でわかる 日本の名城』(ぴあ株式会社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、『隠れた名城 日本の山城を歩く』(山川出版社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。

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