2019/12/23
超入門! お城セミナー 第83回【構造】山中城のワッフルみたいな堀って何の意味があるの?
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは、ワッフルのような形が人気の障子堀。デザイン性の高い見た目は何のために生まれたのか。障子堀に隠された、敵を迎え討つための工夫を解説します!
山中城西櫓・西の丸間の堀。障子堀が現存する城の中でも整備が行き届いており、遺構が観察しやすい
城という軍事施設で障子堀が果たした役割とは?
北条氏の本城・小田原城(神奈川県)を守る支城のひとつである山中城(静岡県)。この城の大きな特徴といえば、ワッフルの網目のような形の堀。「障子堀(堀障子)」といいますが、この特殊な形って、何か意味があるのでしょうか? それとも単なるデザインなのでしょうか?
ということで今回は、堀の中でも人気の高い「障子堀」のお話です。
障子堀とは、内部を畝(うね)状に掘り残して、堀底を区切っている堀のこと。山中城の障子堀は見た目がなんともキャッチーで、城ファンでなくても思わず心ときめいてしまう魅力がありますよね。まるでワッフルの網の目のようなので、ベルギーワッフルと一緒に写真撮影する人も多いとか。
でも、堀はあくまで城という軍事施設の、守備のための主要な設備のはず。あの形にすることで何か効果があったのでしょうか?…はい、もちろん大きな効果があったのです。
まずは通常の堀と同じように、攻め寄せてくる敵を足止めします。そして堀の内部に敵が侵入した場合、通常の堀と違って底が細かく区切られているため、更に動きが制限されます。そうして底で動けずにいると、狙い撃ちの的に。もし必死でよじ上ることができたとしても、やはり狙い撃ちされてしまいます。こんな風に、見た目だけでなく効果も通常の堀より優れていることがわかっていただけたでしょうか?
堀に仕切りをつけると、敵兵は仕切りを伝いながら移動するか、仕切りを上り下りしながら移動するしかない。そこを狙い撃てば、簡単に敵を殲滅できるのだ(イラスト=香川元太郎)
意外と知らない?障子堀についての誤解
ところで、障子堀については多くの人が誤解していることがいくつかあるのです。
まず、「障子」と聞いて私たちが思い浮かべるのは、木枠があって和紙を貼った和室の明かり取りの窓や引き戸ですよね。障子堀を「障子の桟のように」と説明することも多く、あの木枠の桟に似ているからそう名付けたと思いがちなのですが…実はそうではないのです。
本来、障子とは仕切りのための建具の総称なのでそうで、現在一般的に障子と呼んでいるのは「明かり障子」とか「引き障子」と呼ぶのが正しく、襖(ふすま)は襖障子、衝立は衝立障子と呼ぶのが本来の名称なのです。となると障子堀とは、「仕切りのある堀」ということなのです。ですから、仕切りがワッフルのように網目状になっているものだけでなく、ハシゴのように一方向だけのものだって、障子堀ということになるのです。
韮山城天ヶ岳では、岩盤を一文字に掘り残して障子堀とした堀切が残る
次に、網目に関する誤解について。障子堀の網目をよ〜く見てみましょう。実はワッフルや明かり障子の桟のように十字ではなく、T字の組み合わせになっていることがわかります。これは、敵を直進させないための工夫と考えられています。このため、広大な堀だと色々な形が組み合わさっていることもあるのです。
障子堀とワッフルを並べてみると、障子堀は網目がずれていることがわかるだろう
でも、山中城の障子の上はそこそこの幅があって、身軽な人だとT字になっていたって素早く渡れるのでは?と思いますよね。しかし、山中城の障子に幅があるのは、保護のために土をかぶせて芝を張ってあるため。もともとの障子の上はもっと細く尖っていて、堀底も今よりもっと深かったという訳です。さらに、火山灰が風化して粘土質になっている関東ローム層は滑って歩きにくく、底に落ちてしまえば這い上がることも非常に困難。関東の北条氏が多くの城に採用したのも納得ですね。
山中城一ノ堀。堀の内部をよく見てみると、赤茶色の土が見える。これが関東ローム層だ
最後にこの北条氏について。障子堀といえば、北条氏特有の築城法だという印象がありますが、実はこれも誤解なのです。確かに上の説明のように、関東ローム層では見事に威力を発揮できますし、実際に北条氏の勢力圏で多くの遺構が確認されています。しかし近年、米沢城(山形県)、豊臣期大坂城(大阪府)、松江城(島根県)の城下町など、全国の城で遺構が確認されています。
豊臣期大坂城復元イラスト。三の丸(イラスト左)に障子堀が描かれているが、実際に発掘調査でも障子堀の痕跡が見つかっている(イラスト=香川元太郎)
土地や立地に関わらず、戦国時代の城の堀には敵の動きを制御するために、この他にも段差や落とし穴といったさまざまな工夫がなされていました。掘り残すことで土木作業量を削減でき、しかし効果はアップ!という敵にとっては恐ろしい仕掛けだった障子堀は、こうした工夫の集大成だったといえるのです。
さあそれでは、キャッチーで恐ろし〜い障子堀の実物を見に、お城に出かけてみましょう!
執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『図解でわかる 日本の名城』(ぴあ株式会社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。