2019/03/18
超入門! お城セミナー 第58回【構造】お城の櫓の役割って?
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。先史時代から防御施設として集落などに設置された櫓(やぐら)は、城郭の発展と共に多様な役割を持つようになりました。今回は、そんな櫓の発達の歴史と用途について解説していきます。
左手に見えるのが大阪城の大手門を守る千貫櫓。大手門に対して横矢を掛けており、門に侵入しようとする敵を一網打尽にできる
見張り台から発展した「櫓」
天守を小さくしたような造りの、近世城郭の「櫓(やぐら)」。城跡の整備事業で、櫓は門とともに再建されることが多々あります。天守がない城では特に、櫓が建っていることによってグッと「お城らしさ」が増しますよね。実はこの櫓、天守よりもずっと歴史が古く、とても重要な役割を担ってきました。今回は、城になくてはならなかった櫓の役割と、その構造や種類を解説していきましょう!
櫓は中世までは「矢倉」や「矢蔵」と書かれていたそうです。これは「矢の座(くら)」、つまり「矢を射るための高い場所」が語源だとする説と、「矢を収納しておく倉」からだという説があります。曲輪の隅や門の周辺など、見晴らしが効く場所に建てられることが多く、主な用途は物見、つまり見張り台でした。門とともに城の最も重要な守りの役割を担った櫓は、物見に加えて戦時は矢や鉄砲の攻撃拠点になっていましたし、平時には武器庫としても使われていたようです。
櫓の起源は、古代にまでさかのぼります。縄文時代の遺跡である三内丸山遺跡(青森県)では用途は未確定なものの、木柱を組んだ巨大な櫓状の建造物が復元されていますし、弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡(佐賀県)にも、環濠の張り出し部分に高床式の物見櫓が建っていたようです。奈良・平安時代の城柵である多賀城(宮城県)にも掘立柱の櫓跡が発掘されていて、軍記物の絵巻などにも簡易な造りの櫓が必ず描かれています。また中世の山城跡でも、尾根の先端には物見の櫓が建っていたと説明されている所が多いですよね。
吉野ヶ里遺跡では、政治の中枢や支配者層の居住区を守るように物見櫓が設置されていた
古代から中世までの櫓は、木の柱を組み上げた簡易的な建造物でした。石造りの近世城郭が誕生すると、櫓も石垣の城壁の上に礎石を据えて建つ、本格的な建造物になっていきました。近世城郭には大別して、四角い曲輪の四隅に建つ「隅櫓」と、門と一体化して虎口(出入口)の防御性を最高レベルに高める「櫓門」の2種類があります。天守と同じように望楼型と層塔型があり(超入門!お城セミナー第37回「天守ってどれも同じ形じゃないの?」参照)、二重櫓が標準サイズです。物見という櫓本来の目的には高さが適さない一重の平櫓(ひらやぐら)は、城の中心から離れた曲輪や、大きな建物に付属する「付櫓」として建てられました。この平櫓が長〜くなったものが「多門櫓(多聞櫓)」で、本来土塀である部分を櫓にすることで防御性を高める目的で造られました。
四重以上は必然的に天守の扱いとなるそうで、櫓のなかで最大かつ最高格式となるのは、三重櫓。「御三階(ごさんがい)」とも呼ばれ、天守のない城で天守代用とした例も多いようです。現存天守に数えられる弘前城(青森県)や丸亀城(香川県)の天守は、これにあたります。
現存十二天守の一つ・丸亀城天守も三重三階で、江戸時代は御三階櫓と呼ばれていた
全国に現存している櫓は100棟ほどありますが、往時は広島城(広島県)だけでなんと76棟、姫路城(兵庫県)や津山城(岡山県)にもそれぞれ60棟ほど建っていたといいますから、城の景観は今とは全く異なっていたことになります。
時報やお月見など、櫓には様々な用途があった
大きな城には何十棟もあった櫓。一体どうやって呼び分けていたのでしょうか? また、そんなにたくさん建っていたなら、物見・攻撃拠点・武器庫以外にも用途があったのでは…? それを探るには、櫓の名前に注目してみましょう。
基本となる隅櫓の名前は、その方位を取って「東北隅櫓(とうほくすみやぐら)」とか「艮櫓(うしとらやぐら)」などの名前を付けるのが一般的でした。櫓の数が多い城では、一番櫓・二番櫓や、いノ櫓・ろノ櫓など数えやすい名前が付いていることも。他に、虎櫓・狸櫓といった動物や干支の名前、日比谷櫓・備中櫓など地名を付けたものもあります。
また、織田信長が「千貫の褒美を与えてでも攻め落としたい」と言ったことから名が付いたという大阪城(大阪府)の「千貫櫓」や、伏見城(京都府)から移築されたといわれる江戸城(東京都)の「伏見櫓」のように、由緒や由来がある名前がついていることも。
大阪城南外堀の六番櫓。かつて、南外堀には石垣の隅部全てに櫓が建てられており、多門櫓で連結されていた
倉庫として使われたものでも、貯蔵したものの名前が付いていたことも多いようで、「鉄砲櫓」「煙硝櫓」「具足櫓」「塩櫓」「干飯櫓(ほしいいやぐら)」などがこれ。
また、特殊な用途の櫓ですが、全国どの城にもあったのが「太鼓櫓」(「鐘櫓」の場合もあり)です。これは時報のための櫓で、門の開閉はこの太鼓や鐘によって行われていました。特殊用途の櫓はほかには、参陣する兵をチェックする「着到櫓」、海を監視するために設けた海城特有の「潮見櫓」、籠城時に兵のための台所となる「台所櫓」など。さらに、城主が風流を楽しむために設けられたため、飾りの破風や高欄など天守並みに格式を高くした「月見櫓」「涼櫓(すずみやぐら)」などもあり、実に多種多様でした。
松本城の天守を構成する月見櫓。江戸時代に将軍をもてなすために増築された櫓で、赤い廻縁などの装飾が施されている
古代からの歴史があり、どの城にも必ずあった櫓。その構造や用途の変遷をたどると、簡易的な防御施設だった城が、恒久的な軍事・政治の拠点兼殿様の住居へと、時代とともに移り変わっていったことも見えてきます。城によって規模や構造・用途が違うのも興味深いところ。城めぐりの時には、ぜひ櫓のことも注目してみてくださいね!
執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。