超入門! お城セミナー 第37回 【鑑賞】天守ってどれも同じ形じゃないの?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。今回は、城のシンボルである天守を鑑賞するときのポイントをご紹介します。パッと見るとどれも同じように見える天守ですが、実はその形は千差万別。これを読めば、天守の見分け方が分かるようになりますよ。

天守、シンボル、城
城のシンボルである天守。その形で様々な種類に分けることができる

頑丈な「望楼型」と低コストの「層塔型」

空に向かってそびえる城郭のシンボル・天守。江戸時代以前に建てられた現存12天守をはじめ、全国には様々な形や色の天守があり、その外観は似ることはあっても全く同じものは存在しないのです。しかし、城に興味を持ちはじめたばかりの人の中には「天守ってどれも同じ形に見える…」という人が多いかと思います。そこで、今回は形による天守の分類方法を解説していきましょう。

まず、天守の形は大きく「望楼型(ぼうろうがた)」と「層塔型(そうとうがた)」の2種類に分けられます。

「望楼型」は初期の天守によく見られた形で、一階もしくは二階建ての入母屋(いりもや)造りの建物の上に物見の建物(望楼)を載せます。上層の望楼は下層階や石垣の底面に関係なく好きな形にできるため、層塔型に比べて豪華な印象になります。

はじめて高層の天守(天主)が築かれた安土城(滋賀県)も望楼型で、八角形の望楼を極彩色や金で飾った豪華なものだったといわれています。また、多くの望楼型天守では一階と二階の間取りが同じになり下層の柱の位置が同じ場所になるため、豪華な見た目に反して頑丈な構造となっています。現存12天守の中では、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(彦根城)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、高知城(高知県)の6天守が望楼型天守に該当します。

犬山城、天守、望楼
現存最古ともいわれる犬山城の天守は望楼型。望楼部分は元和6年(1620)に増設されたものだが、下層と調和した意匠で違和感を感じさせない

岡山城、望楼型、天守
岡山城(岡山県)の天守は豊臣期の大坂城にならって造られた望楼型。上部の望楼部分には、金箔瓦を用いた豪華な天守である

一方の「層塔型」天守は、関ヶ原の戦い後に登場した形で、築城名人の藤堂高虎(とうどうたかとら)が考案したもの。第一層から同じ形の建物を規則的に小さくしながら積み上げていくので、望楼型に比べてスッキリとしたシルエットになります。

層塔型の天守は同じ形の構造物を積み上げていくので、工期が短縮できる上に建築コストが抑えられるため、短期間で多数の城を築くことが求められた慶長の築城ラッシュで一気に全国に広まりました。現存天守の中では弘前城(青森県)、松本城(長野県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)の6天守が層塔型となります。

宇和島城、層塔型、天守
宇和島城(愛媛健)の天守は、伊達氏が江戸時代初期に修復したもので典型的な層塔型だ

名古屋城、天守、破風
戦後復興された名古屋城天守は層塔型。様々な形の破風が飾られた、豪華なデザインである

望楼型天守は織豊期で層塔型は江戸時代という様に、天守は形である程度築城時期を判断することができます。しかし、高知城のように江戸時代に焼失した天守を焼失前と同じ形に再建した例もあるので、「望楼型だからこの天守は慶長以前に造られた」と決めつけるのは早計です。

天守に附属する建物

また、天守の形は天守自体の形の他に、天守に附属する建物によっても下図のような4種類に分類されます。

天守の附属建物による分類模式イラスト
天守の附属建物による分類模式イラスト(図版制作=ウエイド)

まず、最も単純なものが「独立式」。附属建物がなく天守のみが単独で建つ形式で、天守の地階や一階などから直接入ることができます。この形式は敵に本丸を占拠されると容易に天守への侵入を許してしまうため、織豊期にはほとんど採用されることはなく、戦がなくなった江戸時代以降に建てられる様になりました。現存する天守の中には、本来は後述の複合式だったのに明治時代以降に附櫓が取り壊されたために独立式となった例もあります。有名な城郭では、弘前城、丸岡城、宇和島城、大阪城(大阪府)、高知城などが独立式にあたります。

弘前城、天守、多聞櫓
弘前城天守は独立式。江戸時代までは多聞櫓が接続していたが明治時代に取り壊されている。現在、天守台の解体修理のため、天守は本丸内に移動中だ

そして、天守に附櫓や小天守と呼ばれる附属建物が直接接続するのが「複合式」。初期の天守によく見られた形式で、附属建物を経由しなければ天守に入ることはできず、附属建物に侵入されても天守内から敵を迎え撃つことができました。松江城には大天守から附櫓に向かって開く狭間が残っており、天守が最後の砦だったことを教えてくれます。松江城以外には彦根城、犬山城、備中松山城などが複合式天守です。

松江城、天守、石打棚、井戸、
複合式の松江城天守。附櫓の上部に設けられた石打棚や地階の井戸など、天守での籠城戦を想定した設備を見ることができる

複合式では直接天守に接続していた附属建物を、渡櫓で間接的に連結させると「連結式」と呼ばれます。複合式と同様、附属建物を通らないと天守に入ることはできません。名古屋城(愛知県)のように小天守と大天守を土塀で囲む場合も連結式となります。この形式に該当する城は会津若松城、熊本城など。大洲城(愛媛県)の様に左右に1基ずつ櫓や小天守を連結する城もありました。また、松本城は乾小天守と大天守が渡櫓で連結された連結式であると同時に、辰巳櫓が直接大天守と接続する複合式でもあります。

大洲城、附属櫓、天守、渡櫓
連結式の大洲城。中心の天守と渡櫓は復元だが、左右に接続する附属櫓は現存建物だ

松本城、大天守、乾小天守、連結複合式、辰巳櫓、月見櫓
松本城は元々、大天守と乾小天守からなる連結式だったが、江戸時代に辰巳櫓と月見櫓が接続され、連結複合式となった

「連立式」は大天守と2基以上の附属建物を環状に渡櫓で繋いだもの。内側に中庭のような空間ができるのが特徴で、この中庭に敵を誘い込めば、櫓群から一斉射撃を仕掛けることができます。連立式天守はそれだけで独立した曲輪を形成することが多く、和歌山城(和歌山県)のように天守曲輪内に入る門を枡形にするなど、複雑で厳重な防御を敷くことが可能でした。和歌山城以外に姫路城、伊予松山城などが連立式天守に該当します。また、近年松江歴史館で発見された『江戸始図』から家康が築いた江戸城(東京都)の天守も連立式であったことが判明しています。しかし、江戸城天守はその後2度建て替えられており、家康の孫・家光が築いた三代目天守は独立式でした。

伊予松山城、天守、櫓群、天守曲輪
上空から見た伊予松山城。連立式で、天守と附属する櫓群で天守曲輪を形成している

城主の権威を見せるためのシンボルである天守には、最高権力者の城に似せたり、他の城にはない形にしたりするなど様々な工夫が凝らされています。天守の形式を知ることで、築城者の人となりや立場などが見えてくるでしょう。これまで行った城の共通点や相違点を比較してみるのも面白いかもしれませんね。


執筆・写真/かみゆ
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。